加筆 7 夢の終わり
一人の騎士が四、五人の敵を相手にしなければいけない。圧倒的な数の差。しかしそれでも互いの士気を比べると、クレムナント王国の騎士部隊が上回っていた。そしてそれは豪腕の騎士の名を持つ、ハギャン・オルガナウスと言う男の存在があるからこそである。
「これがクレムナント王国の騎士の力だっ! はぁぁぁっ!」
次々と襲い掛かって来る敵を、瞬く間になぎ払う。左手に集約させた光は盾となって、斬撃を受け止める。右手に魔力を込めれば魔鉱剣が光輝き、敵の革の鎧ごと切断する。
舞上る血飛沫。すでに次の敵に狙いを定めて素早く剣を振るう。そこから次の敵の喉元目掛けて剣を突きたて、そして引き抜く。さらに次の敵へと切っ先を突き立てる。流れる様な動作の中で繰り出される攻撃は確実に命を刈り取っていく。
だがしかし、ハドゥン族もやられてばかりではいなかった。多くの仲間の命を代償に、騎士たちの弱点を見つけだしたのだ。それは攻守の切り替えの際に生まれる弱点。光の鎧の効力が失われるというものだった。
「ぐぅあぁっ!」
一人の騎士が声を上げる。弱点を発見したハドゥン族の男は、僅かな隙をついて斬撃を叩き込んだのである。激痛に悶えて地面へと倒れこんだ。そこへ次々と槍を突き立てていく。血が飛び散ったかと思うと、騎士は絶命していた。
玉砕覚悟で斬りかかるハドゥン族の戦闘兵。騎士達は次々とそれを切り殺していくが、圧倒的なまでの数の差は埋める事が出来ない。次第に一人また一人と減っていく。
砂岩地帯から繋がる草原地帯へと向かって、三頭の魔獣が一気に丘陵を駆け上がる。味方の奮戦によって、ハドゥン族の包囲から命辛々逃げ出した男達がいた。
「クソォッ! クソォッ! 俺とした事がっ! ハドゥン族如きにこの様な失態を犯しては、王位所か民衆の笑いものだぁ!」
利己的な男の歪んだ精神が、その言葉に如実に現われていた。
先ほどまでシュバイクとウィリシスが、戦場を観察していた場所である。眼下では今も直、守護騎士のハギャンを筆頭に騎士達とハドゥン族との凄まじい戦いが繰り広げられているのだ。にも関わらず、レンデスは己の失敗しか頭になかったのである。
「レンデス様。命があっただけでも良しとして下さいませ!ハギャンも騎士達も、我等を逃がすために今も命を懸けて戦っているではありませぬか!」
サイリスの守護騎士シュルイムが、レンデスを諭した。だがその言葉の中には、抑え切れない怒りが簡単に汲み取れた。
しかしこれが、レンデスの中で揺らめく激情に油を注いだのである。怒りと憎しみの炎が激しく燃え上がったことに、シュルイムは気付かなかったのだ。
「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
空を切る高い音。シュルイムの隣に居たサイリスの目の前を、何かが横切ったのである。それは一筋の閃光のように、光を放っていたようにも見えたのである。
「ぐぉっ!?なっ…なぜっ……!?」
シュルイムは苦しそうな声を出した。
「これは俺の失敗ではない……敵の流した偽の情報に踊らされ、我が部隊を先行させる様に進言した…シュルイム!お前の罪だっ!」
レンデスはシュルイムの喉へと、魔鉱剣を突き刺していた。それを勢いよく引き抜きながら吐き捨てるかのように言ったのだ。
噴き出し続ける血を止めようと、シュルイムは傷口を両手で必死に押さえ込んだ。
「ごっ…ごんなごどをじで…ゆるざれるどっ…お思いかっ……!』
ダークブラウンの目を剥き出しにしながら、シュルイムはレンデスを見ていた。最後の力を振り絞って出した言葉の後に、魔獣の上からずれ落ちていった。砂利の大地の上へと倒れる身体。小刻みに震えさせながら、レンデスを睨み付けていた。
当のレンデスは本人は、頬に滴る血を左手の甲で拭き取った。そして地面に倒れ込んだシュルイムへと、視線を向けたのである。
「ふっ…俺はクレムナント王国の王子であり、いずれは王になる男だ。何だって許されるさ」
邪悪な笑みを浮かべながら、レンデスは言った。その言葉を投げかけられたシュルイムは、何かを言いたげな顔つきのまま死んだのである。
レンデスは、視線の矛先をサイリスへ向けた。右手には紅き血を滴らせた魔鉱剣を持ったままである。
「サイリス。お前の守護騎士である男は、敵の流した情報に惑わされたのだ。その結果、我が部隊を危険に晒した。そうだよな……?」
つい先ほどまで、脅えていたとは思えない表情である。殺意を漲らせる紫色の瞳は、サイリスをじっと見ていた。追い詰められた男の精神は、過大な負荷によって脆くも崩壊したのである。そして狂気へと導いたのだ。
「はっ…はぃっ。シュ、シュルイムは…死罪になって当然で…御座います……」
サイリスは声を震わせながら、必死の思いで答えた。己の目の前で起きた現実と、自分に向けられた圧倒的なまでの殺意に、心臓を握りつぶされる思いだったのである。
そんなレンデスに歯向かう事は出来なかったのだ。他の命を奪った者と、そうでない者との明確な差。それが残酷にも、二人の間には存在していたのだ。
敵本陣へ突撃したシュバイクとウィリシスは、襲いかかってくるハドゥン族の兵士を瞬くまに斬り倒していく。互いの側面をカバーし合いながら、魔獣を並走させる。そしてその背から、剣を振り抜いくのだ。
胴体から切断された頭部が、頭上高くへと舞い上がる。無残にも地面へと打ち付けられた頃には、すでに二人目、三人目の敵を斬り殺してゆく。
次々とカーイブから出てくる敵は、本陣が襲われるとは思ってもいなかったのだろう。武器さえも持たずに外へ出たところで、シュバイクとウィリシスが振りぬいた刃にかかっていく。
シュバイクは初陣でありながらも、恐ろしいほどに冷静さを保っていた。そして、迫りくる敵を物ともせずに斬り殺していく。そしてそんな中でさらに、ハドゥン族の指揮官を探していたのだ。
ブォォォォォォォォォォォォォォォォォォオォン!
角笛の音が響いた。
「笛の音だ!近い!あっちか!」
敵陣の中へと深くへと斬り込んだシュバイクとウィリシスは、角笛の音が鳴り響いた事により、指揮官がいるであろう方向を察知した。
シュバイクは感じていた。全ての感覚器官が、普段では考えられないほど研ぎ澄まされていくのを。己の中から沸き立つ魔力が、さらに視野を広げ、瞳に映るものをより鮮明にしていく。さらには、鼻は敵の身体が放つ体臭を嗅ぎ沸け、耳は敵の服が擦れ合う微かな音を拾い取っていくのだ。全ては体を包み込む、光の鎧の効果である。
「いたぞ!あいつだっ!」
シュバイクが叫んだ。前方には、大きな牙を刳り貫いて作ったであろう角笛を抱えた者がいた。ハドゥン族の戦闘兵を指揮する最高司令官である。
《エリグサー》と呼ばれる者で、ハドゥンが崇める神から予言を預かる高位な存在である。
神の僕として民族をまとめるリーダーの証である、獄死鳥の燃えるような尾羽の頭飾りを付けている。その姿を視界に入れたシュバイクは無意識の内に敵目掛けて白獣を駆けさせ、それに続くようにウィリシスも茶馬を蹴り込んだ。
「ドゥライラァッァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーー!!」
自身へ向けられた殺意に反応したハドゥン族の司令官は喉仏を唸らせ不気味な唸り声を上げた。すると、周囲に散らばっていた数十人の戦闘兵がエリグサーの危機を察知しシュバイクの跨る白獣の前へ立ちはだかった。
「シュバイクぅっっ!!私が道を開くっっ!!!お前は敵指揮官をっっ!!」
二騎並行して駆け抜ける中、ウィリシスは手綱を目一杯引き寄せ馬を急停止させようとした。甲高い鳴き声を上げながら、蹄で砂利の地面を抉り取って馬がやっとの思いで止ると同時にウィリシスは魔法を唱えた。
「我命ずる。大気に宿る精霊達よ。我が剣に光の道標を!」
ウィリシスの左手に填まる魔力指輪が紅き輝きを放ったかと思うと、一瞬の内に魔鉱剣は熱を帯び真っ赤に染まった。そして刀身からは眩い光が噴き出した。この時点で、ウィリシスの全身を包み込んでいた純白の光りは輝きを失っている。しかし、前方を駆けるシュバイクの全身は輝きを失ってはいない。
「シュバイク!行けぇぇぇぇぇぇぇぇッぇぇぇぇ!」
ウィリシスは巨大な光柱となった魔鉱剣を横に振り抜く。目も眩む閃光がハドゥン族の兵を襲う。
眼前を行くシュバイクは、視野を失いもがき苦しむ敵の中を突き進む。
「ウアァァァァッァァッァッ!」
シュバイクは無我夢中で剣を振りぬいていく。その度に血しぶきが舞い上がり、命が散っていく。
(ここで・・・意識を失うわけには・・・いかない・・・シュバイク様を包んだ魔法が切れてしまう・・・くっ!)
先ほどまで自分とシュバイクを純白の光りで包んでいたウィリシスは、魔鉱剣で放った一撃により体力の消耗は限界に来ていた。
意識が朦朧とするなか、ウィリシスはシュバイクの後ろ姿を瞳に移していた。
純白の輝きを放つ美しい白獣。黄金の甲冑を身に纏う男。光の魔法で身を守られたシュバイクは、己が倒すべきたった一人の敵の姿をだけを捉えていた。
獄死鳥の頭飾りを付けたハドゥン族の司令官は本陣を囲む木の柵を前にし、行き場を失くしていた。強烈な光を受けた目からは血が滲み出ている。そして近づいて来る地を蹴る蹄音。山奥で集落を築き、狩りで日々の命を繋ぐハドゥン族の五感が、迫り来る敵の気配を肌で感じ取っていたのだ。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁっっっっっ!!」
七色に輝く魔鉱剣を手に、シュバイクは声を上げた。そして敵目掛けて魔鉱剣を振り抜く。ウィリシス・ウェイカーの光魔法の力を受けて力強く輝く魔鉱剣。
ハドゥン族の司令官は、迫り来る敵の方角目掛けて斧を投げ放つ。回転しながら敵の頭部へ吸い込まれる様に飛んでいく。
凝縮された時。織り成す半瞬。不確かな意志の交差。生きる者と死すべく者を分け隔てる。
―――――――スカイブルーの美しい毛髪が額を霞めた斧により空へ舞う。
―――――――切裂かれた喉下からは大量の赤い液体が噴き出す。
勝者には冷たい鮮血の雨が降り注ぎ、敗者には己の生からの解放と終焉を告げる紅き血潮が流れ出る。勝負は決したのだ。
「はぁっ…はぁっ…はぁっ…はぁっ…はぁっ…はぁっ…。」
呼吸は浅く荒い。目の前では生命の維持が困難になった肉体が、茶褐色の土と砂利の大地に出来た血溜りへ無残にも倒れゆく。
『はぁ………はぁ………はぁ………はぁ………はぁ…………。」
呼吸は深く荒い。霞がかった視界には大地へと倒れ込んだ肉塊。光りを失った瞳が、生の終わりを白獣に跨る男へ告げた。
「うぉぅぉろぅっろぇぇぇっぇぇっ!げぉっぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」
命を懸けた戦いの非情なる結果が、容赦なくシュバイクへ襲いかかる。不意に、奪い盗った者達の最後の物言わぬ叫が己の感情を支配した。
小刻みに震えだす手。瞳から流れ出す大量の雫。落ち着き始めた鼓動の高鳴りが、突然胸を締め付ける。
胃から這い上がってくる濁流が、己の制止を振り切り無残にも決壊する。激しい嘔吐を何度も繰り返し、吐き出された汚物にはすでに胃液しか残っていない。目の前の現実が、些細な日常を遥かに凌駕したのだ。
ナセテムの部隊は鉱山で人質を解放するために戦い、ハギャンの部隊はレンデスとサイリスを逃がすために命がけで戦っている。しかし、シュバイクの精神は既に限界を超えていた。立ち上がる事も出来ずに、ただただ泣いていた。
「シュバイク………大丈夫か?」
薄れゆく意識の狭間で、ウィリシスは何とか耐えていた。消費した魔力の大きさは生死に関わる程でありながら、主であるシュバイクの元へと歩るいて来たのである。
「僕はっ………僕はっ………今日初めて……うぅ……人を殺したんだっ………この手でっ!うぅぅっ………」
シュバイクは自分の手の平を見やりながら泣き続けた。ウィリシスはそんな主の姿を見ている事しか出来なかったのである。
そしてその時、突如として事は起こった。鉱山から放たれた強大な魔力の渦がシュバイクを、ウィリシスを、そしてクレムナント王国全土を、さらには世界を瞬く間に覆いこんだ。




