第百六話 魔法の書庫
シュバイクとモルナが血の契約を結び終えた。これでこの先何が起ころうとも、互いが互いを助け合わなくてはならなくなったのだ。しかしそれで全ては終わらなかった。
リューネも又同じように、同盟契約を結ぶ事を望んでいたのだ。ハドゥン族を仲間にするのに協力し、信用を得た以上、シュバイクがそれを断れる理由はなかった。
「シュバイクさん。ハドゥン族を仲間にするのに協力しました。私をもう信用していただけますね?」
黄色の瞳が、シュバイクを捉えていた。鋭い眼差しであったが、敵意はない。
「はい。もちろんです。疑ってしまい、申し訳ありませんでした......」
シュバイクは素直に謝った。そして血が流れでる左手を突き出したのである。それに応えるかのように、リューネは自分の左手の平を、小さなナイフで切り裂いた。
そしてそれを突き出すと、互いが平を合わせたのである。だがしかし、ここで思いもよらぬ事が起こった。全身に漲る魔力が、己の抑制をも効かずに暴走をしたのだ。
「な、何なんだこれはっ!?」
シュバイクの脳内に一瞬の内に、様々な映像が沸いてきた。それはリューネも同じであった。互いの手を通して、相手の何かが唐突に入り込んできたのだ。
「うぅぅぅぅ!これはもしかしてっ...シュバイクさんの記憶っ!?」
リューネは苦しそうな顔つきであった。光に包まれた体は、震えていた。
「シュバイクッ!」
目を覆いたくなるような強烈な光。ウィリシスは腕で何とか顔を隠しながら、叫んだ。肌へと感じる途方もない魔力が、辺り一体を包み込んでいた。
「うああああああぁぁぁぁぁっ!あ、頭が痛いっ!」
シュバイクは止め処なく流れ込んでくるリューネの記憶に、すでに脳内の情報処理能力が限界に達していた。それは強烈な痛みとなって、二人を襲ったのだ。
まるで金槌で何度も何度も頭を叩かれているような、強烈な痛みであった。
「おばあちゃん達が言っていた事は、本当だったのね。ウィリシス、下がって!」
セリッタが突如として動いた。腕に抱いていたラミルをそっと放すと、シュバイクとリューネへと近づいたのである。そして両腕のローブを捲り上げると、二人の腕を両方の手で掴んだ。
「なっ、何をっする気ですかっ!?うぅぅぐっっ!」
リューネは悲痛な表情で、セリッタへと問いかけた。
「貴方達を助けるのよっ!手を放したくても、放せないでしょ!?それはお互いの記憶が、記憶を補完し合っているからなの!だからそれを私が、上手く繋ぎ合わせるわっ!いい二人共?私が今から魔力を流し込むから、それだけに集中しなさいっ!解った!?」
セリッタがそう言うと、シュバイクとリューネは歯をかみ締めながら頷いた。それを確認すると、呪文を唱え始めた。
「流れ出る記憶。失われた過去。築かれる未来。望まぬ結果。たどり着いた答え。我が身を通して記憶を繋げ!」
シュバイクとリューネの体から放出される魔力の流れが変わった。二人の肉体から出た魔力は、セリッタの身体を通して互いの肉体へと吸収されていったのである。そして二人の精神は、静かにセリッタの中へと取り込まれていった。
「うっ!」
シュバイクは激しい頭痛によって、目を覚ました。体をゆっくりとお越し、立ち上がる。だがその時、思いもよらぬ事に気がついた。辺りを見渡すとそこは、ハドゥン族の集落があった広場ではなかったのである。何処かの室内であった。
壁にはぎっしりと、無数の本が並べられた棚がある。泥の地面はなく、白と黒の四角いタイルが交互に並んだ大理石の床が足元に広がっていた。薄暗い室内。火のついた蝋燭が、点々と置いてある。それが唯一の灯りである。
「こ、ここは......?」
シュバイクの目の前には、少女がいた。リューネである。彼女もまた、辺りを見渡しながら、ゆっくりと立ち上がった。
「解りません。僕たちは確かにハドゥン族の集落にいたはず」
シュバイクは激しい頭痛に苛まれながらも、辺りを見渡しながら周囲を確認した。そして本棚へと向かって、歩いていった。
棚へと並べられている書籍は、どれも見たこともないような古い本ばかりである。その一冊を取り出し、読もうと広げようとした時だった。何処からともなく、声がかけられたのだ。
「蒼空の力と新緑の力を持つ者よ。よくいらしてくれましたね」
声のするほうへと二人が視線を向けると、本棚の影から一人の女が現れた。
「誰だっ!?」
シュバイクは思わず身構えた。
「この書庫の管理人です。私の事はハルとでも呼んで下さい。シュバイク・ハイデン・ラミナント王子、貴方をお待ちしていましたよ。そして精霊国の王ミレーナ・アイ・リューネ様。お会いできて光栄です」
二人の前へと姿を見せると、女はにっこりと微笑んだ。赤紫の癖毛まじりの長い髪。大きな丸いガラスの眼鏡をかけており、服は群青色のローブの上に紫の肩掛けをしていた。そして手には分厚い本を持っている。
女は笑みを見せたまま、近づいてきた。肌は白く、整った顔立ちである。歳は二十代前半に見える。
「あ、貴方はもしや......大魔道師のハル・エルドワール様なのでは......?」
リューネは近づいてきた女の顔を見ると、言葉をつまらせた。それはこの時代に生きているはずのない人物だったからである。
「ハル・エルドワール!?そ、そんなまさかっ」
シュバイクは目の前へとやってきた女の顔をまじまじと見つめた。すると女は静かに言った。
「大魔道師だなんて......本当はそんな大層なものじゃないんですよ。まぁ、私がハル・エルドワールなのは本当なのですが。やはりそう言っても、中々すぐには信じられないですよね」
女は謙遜した顔つきで言った。シュバイクとリューネは信じ難い光景を目にしていた。ハル・エルドワールと言う魔道師が、この世に存在していたのは五百年も昔の事であったからだ。それが目の前に居るのだ。
「貴方は当の昔に死んだはずの人物...と言う事は、ここは何かの魔法によって創造された特殊な空間......?」
リューネは周囲を観察しながら、言った。その見方は大方正しいものだった。
「さすが魔法によく精通しているシェルフ族の王ですね。リューネさんの見解は、凡そ合っていますよ。唯重要なのは、此処がどこかなのかよりも、何をする場所なのか、です」
エルドワールはそう言うと、片手で抱えている大きな古い本を開いた。




