第百五話 血の契約
シュバイクとモルナとの会話のやり取りは、リューネを通して暫くの間続いた。率直に自分たちの今の状況を話し、仲間となってくれるようにと頼み込んだのである。
だがそれに対して、モルナは強い不快感を示した。それはここ最近、山間部に潜む部族たちの村々を、クレムナント王国の兵士達が荒らしまわっているからだと言う。
「クレムナント王国の兵士が?そんなはずはない。ここ最近は互いに距離を保ち、極力接触を持たないようにしてきたはずだ。何かの間違いではないのですか?」
シュバイクは困惑していた。クレムナント王国は度重なる部族たちとの争いに耐えかね、一時的にではあるが、専守防衛の戦略をとっていたからなのだ。
専守防衛とは、基本的に守りの姿勢をとりつつ、王国民への被害が出た時に初めて軍隊を動かすというものである。
深い森を抜けた先に待ち受ける広大な土地。そこはまだクレムナント王国が完全に手中に収めきれる事ができない場所なのであった。
それは幾度となく兵を進め、部族達を追い詰めようとも、ゲリラ的手法で常に手痛い反撃を食らわされてきたからである。
リューネを通してシュバイクの言葉を聞いたモルナは、やりきれない表情を浮かべた。そして驚くべき事を口にしたのである。
「シュバイクさん、聞いてください。モルナさんが言うには、ここ数年間でクレムナント王国の兵が何度も、村を襲撃して来ていると言っています。幼い子供や女性、老人等、その度に戦う力のない者達が犠牲になっていると......」
リューネはありのままの言葉をシュバイクへと伝えた。それを聞いたシュバイクは俄かには信じ難いといった顔つきである。
「え?そんなはずはない...ど、どういう事なんだ......確かに王国では専守防衛の姿勢をとり、軍隊の派遣はしていないはずなんだ......」
シュバイクは頭を悩ませた。視線を地面へと落とし、考え込んでいるようである。だがそれの疑問の答えを導きだしたのは、守護騎士の青年だった。
「もしかして...シュバイク、聞いてくれっ。一定数の兵力を動かせる指揮権限を持っていたのは、王国内でも限られた人間のみだ。それは国王アバイトと、将軍であったハルムート。そして、もう一人いる!」
ウィリシスは何かに気づいたようである。シュバイクへと駆け寄ると、青ざめた顔つきで言った。
「王国守備隊長のアーク・ウィード......!」
シュバイクは自分が手にかけた男の名を口にした。王国内でも直属の兵で組織され部隊。それを指揮するのが、王国守備隊長であった。
本来なら国内の不穏分子の摘発や、治安維持が主な任務である。数十人の王国騎士を従え、さらにその下には王国兵が数百人規模の部隊でいくつも管理されていた。
これらの兵力を普段から指揮していたのは、水中都市国家スィフランド手先であったアーク・ウィードである。
「ウィードが密かに兵を動かし、山間部の村々を襲わせていたとしたら...それはきっと水中都市国家スウィフランドの何らかの思惑が裏にあったはずだ」
ウィリシスが口にした言葉には、説得力があった。それを聞いたシュバイクの中では、過去の出来事が少しつづ形を変えて重なり合っていた。
「そうか...だからあの時......」
シュバイクはその場の誰しもが知るはずのない、ある事実に気がついていた。そこから導き出せる答えはやはり、敵は相当前からクレムナント王国を狙いって動いていたと言う事である。
スウィフランドの思惑が何にせよ、王国と部族が手を取り合い仲間となる。それだけは絶対に避けたかったであろうことだけは、間違いがないように思えたのだ。
「あの時?何か知っているのですか?」
シュバイクが思わず口に出した言葉に、リューネが反応をみせた。
「い、いや何でもないです。リューネさん、それよりもモルナさんに伝えてください。クレムナント王国は今、大きく変わろうとしています。過去の過ちを認め、全ての罪を償う覚悟もあります。しかしそれには乗り越えなければいけない壁がいくつもあるのです。僕は王位を狙う兄達や、王国そのものを手に入れようと動き出す国々と戦わなければいけません。それにはモルナさん達の力が必要なんです。互いに手を取り合い、自分達の住まう土地や家族を...大切なものを守るために協力しては下さいませんか」
ブラウンの瞳が真っ直ぐ、モルナの目を見ていた。言葉は通じなくとも、嘘偽りのないものだとすぐに解ったのだろう。
「セエカヲチイダノリドミ、セエカヲンゲイヘ、ハニキトノソ、ラナノタシオタヲキテ、シクョリョウョキニエマオガラレワ。ツトヒダタハミゾノノラレワ、エカチデココマイバラナ」
モルナの目は鋭く、シュバイクを睨み付けているように見えた。その言葉をリューネは通訳した。
「モルナさんは、こう言っています。敵との戦いに勝利を収める事ができたら、平原を返してほしいと。それだけが唯一の望みだと言っています。そしてそれを今この場で約束し誓えるのなら、協力すると言っています」
シュバイクへと突きつけられた言葉は、そう甘いものではなかった。
「平原をっ!?それだと城を明け渡せといってるようなものではないですかっ」
リューネの言葉に反応したのは、ウィリシスだった。シュバイクが下手に出た事で、相手が付け上がったと思ったのだろう。そして、その相手からの提案は、明らかに過大な要求だった。
「ウィリシス、黙っていてくれ!これは王子である僕が決める事だ。王国騎士の君がでしゃべるな」
シュバイクが声を荒げた。今までに見せた事のないような、顔つきである。眉をひそめ、目つきは鋭い。普段滅多に口にしない、荒々しい口調で言い切ったのだ。
「その女が何を言っているのか解っているのですか!?平原はドゥーク・ラミナント神が手に入れた聖地!それを渡せとは......!」
それでもウィリシスは引き下がらなかった。平原は初代国王ドゥーク・ラミナントが、この王国を築くために多くの血を流して手に入れた土地なのだ。
そして王国騎士であるウィリシス・ウェイカーは、そのドゥーク・ラミナントを神と崇める王神道を崇拝していた。
騎士である以上は、当たり前の事である。クレムナント王国の騎士達は皆、ドゥーク・ラミナントを称え、敬い、崇拝する事で、自分達の戦う意義を見失わないようにしているからだ。だが、シュバイクは違った。
同じラミナント王家の血を継ぐからこそ、その不条理に嫌気が差していたのである。
人を神と崇め、自分達の優位性と正当性を、他者へと押し付ける。そのやり方が、数百年と続く終わりのない戦い方を招いてきたのだ。
その現状を打開するには、人の持つ価値観そのものから壊していかなければいけなかった。
「土地ならいくらでも王国内にある。平原でなくてはならない理由なんて、民の命や王国の存亡に比べたら些細なものじゃないか。何故、それがウィリシスには解らないんだ?神や聖地なんて...どうだっていい。そんなものに縛られるから、無益な争いばかりが続くんじゃないんですか?」
この時ばかりは、シュバイクの方が冷静であった。そしてウィリシスよりも、一枚も二枚も上手だったかも知れない。
「だがしかしっ!あの平原にはっ......!」
ウィリシスが何かを言いかけた。だが途中で言葉を止め、口を急に噤んでしまった。何を言いかけたのかよりも、この問題をどう乗り切るか。それがシュバイクには大事だったのだ。
「何を言われようとも、僕はもう決めた。モルナさん、貴方の提案を全てのみます。そして今ここで、誓う!シュバイク・ハイデン・ラミナントは全ての戦いに勝利した後、平原をハドゥン族含め全ての部族達へと返還する事を!」
シュバイクは声を上げた。そして腰にかかる魔鉱剣を抜き去ると、左手の平で刃を握った。すると、そこから紅き血が流れ落ちた。
「血の契約!シュバイク・ハイデン・ラミナントッ!」
地面へと滴り落ちる血。左手の平を前へと突き出すと、モルナへと向けた。
「シュバイクッ!止めてくれ!そこまでする必要はないっ!」
ウィリシスが悲痛な面持ちで叫んだ。しかし、シュバイクはその声を無視した。
「ディブラス・ミィ・バルディック。モルナ・アイヴァン・ザンガサッソ!」
モルナは両手に握る斧の一本を腰へと掛けると、もう一本で左手の平を引き裂いた。紅き血が流れ出ると、その平をシュバイクと合わせた。
そして互いの血が混じりあい、大きな光が放たれた。それが相手の体へと吸収されていくと、決して破る事のできない血の契約が果たされたのだ。
契約魔法は、契約者間で結ばれる非常に拘束性の高い魔法である。契約は相手の体に直接刻み込まれ、血の契約を破った契約者は命を落とす。
それ故に、使用には細心の注意が必要である。簡単に破棄はできず、契約者のどちらか一方が命を落とした場合のみに、この魔法の効果は消滅するのだ。
そしてこの時、モルナを見るウィリシウの銀褐色の瞳には、明かな殺意がみて取れた。それに気づいた者は、誰一人としていなかったが......。




