第百四話 話し合い
ハドゥン族の集落へと現れた巨人は、ウィリシス達の前で止まった。そして右手を地面へと伸ばしたのである。するとそこから滑り降りてきたのは、スカイブルーの美しい髪の少年だった。
「ウィリシスッ!大丈夫かいっ!?」
シュバイクはウィリシスへと駆け寄ると、手を伸ばした。
「シュバイクッ!?こ、この巨人は一体......」
ウィリシスは何が何だか分からないと言った顔つきである。シュバイクの手を取ると、そのまま立ち上がった。
「森で出会ったあの子が、助けてくれたんだ」
シュバイクが視線を上げた。すると巨人の肩から腕を伝って、一人の少女が降りてきた。その足取りは軽やかで、優雅である。金髪の長い髪と白い肌。すらっと伸びた細し足と、長い手は人間離れしたものを感じさせる。
白い布製のローブのような物を身に包んでおり、細い蔦を腰に巻いている。
「申し訳ありません。シュバイクさんを少しの間、お借りしていました」
少女は巨人の手まで歩ききると、地面へと足をつけた。そしてウィリシス達の前まで来ると、丁寧な口調で謝ったのである。
「き、君は?」
ウィリシスが少女へと問いかけた。
「私はシェルフ族のミレーナ・アイ・リューネと申します。詳しいお話は後で致しましょう。今はとりあえず、彼女を説得することが最優先です」
リューネはそう言うと、全身に蔦をからませて身動きが取れなくなっている女へと歩み寄っていった。
「ヨウオノリモナルスヲマャジ!ダノモエノシタワハラツイソ!」
鋭い八重歯を見せながら、ハドゥン族の女は少女へと言った。体中に巻きつく蔦が、相手へと飛び掛ろうとする女を辛うじて止めているように見える。
「イサダクテゲアテイキヲシナハ。スデノイナハデケワタキニイカタタ、トチタタナアハラレカ」
少女は女を説得しているようだった。ハドゥン族と意思疎通のとれる言語を口にし、語りかけていた。
「あの子は何者なの?」
セリッタには、信じられなかった。まだ十代前半にしか見えない容姿。新米魔道師のラミルと、さほど変わらないように思えた。しかしそんな少女が、見事な言葉でハドゥン族と話している。さらには木の巨人までもを操り、ハドゥン族をほぼ一人で制圧してしまったのだ。
「旧精霊国の最後の王です。幼い見た目に僕も戸惑いましたが、実際は遥かに年上ですよ。リューネさんは森の力をその身に宿しているらしく、植物を操れるらしいのです」
シュバイクがセリッタの問いに答えた。しかしそれは、さらなる疑問を生むものであった。
「精霊国?な、なぜ、滅んだはずの隣国の王がクレムナント王国に!?」
ウィリシスはシュバイクの言葉を聞いた時、明らかに困惑していた。それはクレムナント王国とオルフェリアン精霊国が、良好な関係だったとは言えなかったからである。
当初、外界との接触を好まないシェルフ族と、己が国の鉱石資源を守りたいラミナント王家は、つかず離れずの良好な関係を築いていた。それは旗から見れば同盟国といっても良いほどである。
しかし遥か東に位置する小国が、苛烈な勢いで次々と支配地域を拡大。その余波がついに隣国まで及んだ時、精霊国はクレムナント王国へと救援要請を出した。
だがアバイト王は、水中都市国家と精霊国を天秤にかけた。そして下された決断は、彼らを見捨てるというものだった。この決断の裏には、様々な水面下のやり取りが王国と水中都市国家間にあったのである。そして精霊国がスィフランドの支配下に落ちた時、クレムナント王国は新たな同盟国と盟約を結ぶ事となった。
そんな背景があるが故に、シェルフ族はクレムナント王国を恨んでいた。だから彼らの王が、この国の領地の中に潜んでいるとは、誰しもが思わなかった事であるのだ。
「その詳しい話は、後でします。今はハドゥン族の長に、伝えなければいけないんだ。僕達が戦うべきではないということを言いたいのです」
シュバイクはそう言うと、リューネの元へと歩いていった。そして全身を蔦にからめとられている女の前へと、立ったのである。
「シュバイクさん、一応話しだけは聞いてくれるようです。私が通訳しますので、話しかけてください。彼女はハドゥン族の族長の娘で、名をモルナと言うらしいです」
リューネはそう言うと、シュバイクに会話を促した。
「分かりました。でもその前に、モルナさんの拘束を解いて上げて下さい」
シュバイクはリューネの顔を見ると、真剣な眼差しで言った。
「え?し、しかし、彼女は何をするかは分りませんよ。まだ敵意を抱いています。いいのですか?」
リューネは困惑した顔つきで言った。まだモルナには十分に敵意が感じられるのだ。そのために、絡みついた蔦を取り去っては、何をしでかすか解らなかった。
「対等な立場として話し合いたいのです。だから、拘束は必要ありません。モルナさんにも、言ってください。僕は貴方に危害を加えたりはしません。真摯な姿勢で向き合いたいだけ何です」
シュバイクがそう言うと、リューネは驚いたようだった。だがその言葉の意味をすぐに理解し、モルナの拘束を解いたのである。少女の意思一つで、絡みついた蔦はすぐに解けた。それと同時に、リューネはシュバイクの言葉を訳し、モルナへと伝えた。
「モルナさん、まずは非礼をお詫びします。僕はクレムナント王国の第五王子シュバイク・ハイデン・ラミナントと申します。今日は貴方方と話し合いたいことがあり、ここまでやって来ました」
シュバイクが話し始めると、モルナはそれを静かに聞いていた。蔦の拘束を解いた際の言葉が、彼女の心の敵意を鎮めたのだ。
リューネはシュバイクの言葉を一字一句間違いなく、伝えた。その光景をウィリシスとセリッタは、静かに見守っていた。セリッタの腕の中にはラミルが蹲っていた。
「ラミナント王家は、ハドゥン族を含め多くの方達から居住場所を奪い取りました。その事に関しては、僕はラミナント王家の一人として非を認め、ここに謝罪します。申し訳ありませんでしたっ」
シュバイクは両膝を地面へとつけると、頭を下げた。
「シュ、シュバイク様何をっ!?貴方はクレムナント王国の王子なんですよ!貴方の行動や言動一つが、どれだけ大きな影響を与えるのか分っているのですかっ!?」
青年が声を上げた。それはクレムナント王国の騎士であるウィリシス・ウェイカーであった。彼は一国の王子が、敵対関係にある部族へと頭を下げた事に大きな危機感を覚えたのだ。それが何を意味するのかをも解らずに、あまりにも稚拙な判断の元でその行動を起こしたと思わざる負えなかったのである。
「ウィリシス、黙っていてくれ。僕はもう、決めたんだ。どんな代償を払おうとも...過去のしがらみを断ち切ると!そうでなくては未来はいつまで経っても、過去の出来事に縛られたままなんだっ!」
シュバイクの本音だった。誰よりも過去に縛られ、苦しんでいるからこそ出せた答えなのかも知れない。だが、それをウィリシスが理解できるはずもなかったのである。
「くっ!しかし、それでは部族たちの要求を飲まざる負えなく......!」
ウィリシスが言わんとしていた事は、至極全うなものだった。過去の過ちを認めると言う事は、その行いの代償を背負うというものなのだ。一国の王子がそれを認めてしまえば、もう後には引けない。対等な立場で話し合いとすると等とは、言っていられる状況では無くなるのだ。
だがそんなウィリシスを止めたのは、魔道議会の導師であるセリッタだった。
「ウィリシス。あんたの言いたい事も分るわよ。でも、シュバイク様はきっとそれを理解した上で、答えを出したのよ。それを信じてあげなさい。それで駄目だった時にまた、考えればいいじゃない!ね?」
セリッタはいつも楽観的だった。先を悩むこともないし、滅多に不安を抱くこともない。それがたまに大きな失敗を招く事もある。だがそんな性格だからこそ、もしかしたらベルンドゥーとアルンドゥーは、彼女を遣わしたのかも知れない。
シュバイクとウィリシスは常に、互いの良い面を引き出す良好な関係だった。だが逆にそれは、悪い部分をも引き出してしまう事があった。
一度こうと決めたら、絶対に引かないシュバイクを、いつも側で見てきたウィリシス。だからこそ、危険な負の領域へと足を踏み入れる前に、それを止めるのが自分の役目であると思っているのだ。しかし、危険と隣り合わせの道を進み始めた少年にとって、すでに安全な場所はもうないのだ。
戦いに身をおき、命を懸ける。その中でも主を守らんとする守護騎士としての役目と己の使命が、二人の間に度重なる溝を生みつつあった。
「はぁ......分かった」
ウィリシスは大きなため息を一つつくと、口を噤んだ。
リューネはシュバイクの言葉を、モルナへと伝えた。すると彼女はほんの少しだけ、眉間に寄せた皺を緩めた。




