第九十八話 神への反逆
「オルフェリア精霊国の王だって?そんなはずはない。最後の王アーゼムは、スウィフランドの手によって処刑されたはずだ。それ以降は新たな王は選出されてない。しかもそれは二十年近くも昔の事。君はまだ生まれてもいなかったんじゃないですか?」
シュバイクは、湖の水面に立つ少女へと向かって言った。ラミナント王家の中で育った王子だけあり、国外の歴史にも多少は精通していた。
「確かにアーゼム王は、スウィフランドによって処刑されました。しかしそれは精霊国が降伏する間際、森の意思が新たなる精霊王を選出したからなのです。新たな王の存在を隠すため...バルノッサ・ジェス・アーゼムはその身を犠牲にしたのです」
リューネは悲しげな顔つきだった。子供らしくない表情で、哀愁が感じられた。
「アーゼム王が処刑されたのは、君を守るためだった......そういう事か。でも、それは二十年近くも昔の話のはず......」
シュバイクは困惑していた。幼い見た目と二十年と言う時の流れは、事実に反するものであったからだ。
「混乱させてしまって申し訳ありません。シュバイクさん、私は貴方よりも遥かに年上ですよ。シェルフ族は人間よりも数倍寿命が長い故に、肉体の成長と老化も著しく遅いのです」
森の民と呼ばれるシェルフ族は、人間の数倍もの時を身体に刻む。生まれてから百年経つと、始めて成人の肉体へとなるのだ。シュバイクよりも一つか二つほど年下のように見えた幼い見た目は、人間の年齢とはかけ離れたものであった。
「そ、そうだったんですか。僕よりも年下に見えたのに...失礼しました。でも、新たなる精霊王であるリューネさんが何故、クレムナント王国に居るんですか?それに僕を待っていたと言うのは、どういう意味なんですか?」
シュバイクは、リューネへと問いかけた。尽きない疑問の数々が、次々と沸いて出てきたからである。
「私は命を狙われていました。だから精霊国を捨て、この国へと逃げてくるしか無かったのです。多くの犠牲を払い、幾度もなく大事な人の魂を磨耗し運命を遡ってきました。その度に別の選択肢を選んで...やっと私は...貴方と出会う事が出来た......」
少女はそう言いながら、瞳から涙を零した。決して泣き声を上げる訳でもなく、ただ静かに涙を零したのである。その真剣な眼差しは、嘘をついている人間のものには思えなかった。それどころか、途方も無い苦しみと悲しみに苛まれている心は、推し量るべくもなく伝わってきたのである。
それは大事な友である、ウィリシス・ウェイカーをその手にかけて、今へと戻ってきたシュバイクだからこそ、分かり得たものであるのだ。
「ハルムート将軍が言っていた事は、本当だったのか......」
シュバイクは、自分が手にかけたクレムナント王国の将軍の最後の言葉を思い出した。老人は最後に、王国に隠される大きな秘密の存在を示唆する前に、こう言ったのだ。
《貴方に与えられたその力は、貴方だけが持っているものではないと言う事だ。今の私には、もうその力はないが...この世界には、貴方と同じ力を持つ者達がまだ大勢いる。否、すでにあれから時は経った。もう数えるほどしか残ってはいないか......》と。この言葉を思い出した時、ハルムートの名を口にしていた。そしてその名に反応を見せたのは、湖の上で悲しげな表情を浮かべる少女だった。
「ガウル・アヴァン・ハルムート...彼は元気にしていますか?」
曇っていたリューネの顔がほんの少しだけ、晴れたように見えた。しかし、それはすぐに思わしくない顔つきへと変化する。
「ハルムート将軍を知っているのですか?」
シュバイクはリューネへと尋ねた。森の中に隠れて生きていた少女が、何故、その男の名を知っているのか不思議だったのだ。
「ハルムートさんの手引きがあったからこそ、私はクレムナント王国へと逃げて来られたのです。今生きていられるのは、彼のお陰といっても過言ではありません」
リューネは零れ落ちそうになる涙を、白い布で拭いさった。
「そうだったんですか......ハルムート将軍は......死にました......僕が殺したんです.......」
シュバイクは事実を述べた。その言葉を聞いた時、リューネが驚いたのは言うまでも無い。そしてその表情は見る見るうちに曇っていった。
「そんなっ......彼に促されてこの森へとやって来たのでは、無かったのですね......まさか、こうも人の運命が他者の行動によって変わるとは......」
リューネは何かに思案を巡らせているようだった。
「教えてください、リューネさん。僕達の持つ力の秘密とは何なんですか?」
シュバイクが問いかけると、リューネは僅かに下へと向けていた視線を前へと戻した。そして、ついに最大の謎の答えたのである。
「シュバイク・ハイデン・ラミナント、貴方は神の存在を信じていますか?」
リューネから返って来た言葉は、思いもよらないものだった。
「神?ドゥーク・ラミナントやハル・エルドワールの事ですか?」
シュバイクはリューネが何を意図して、その言葉を使ったのかが分からなかった。クレムナント王国では、人々が崇める神は二通りある。それは王国を建国した偉大なる王、ドゥーク・ラミナントを崇拝する王神道。もう一つは、魔道によって国の礎を築いた大魔道師ハル・エルドワールを崇拝する、神魔道である。
人を束ね、強いカリスマ性を発揮した英雄を神と崇める者達。それは主にクレムナント王国の兵士や騎士達と、ラミナント王家が中心となっている。
神王道に比べ、魔道を操り、人を豊かな才知へと導く事を目的とした神魔道。それは主にクレムナント王国の魔道議会の導師達が、中心となっていた。
「それは人が作り出した虚像です。真の神とは、種族間の垣根や思想を超越した存在です。空気や水、空や大地に同化し、私達と共に生き、常にこの世界と共にあり続けています」
シュバイクの口にする神と、リューネの口にする神とは、そもそもの概念が違うものだった。だが、それを理解するのは、相当困難なものだったかも知れない。
「わ、訳が分からない。それが何だって言うんですか?」
リューネの言葉に、シュバイクは混乱していた。だからこそ、答えを求めたのである。
「数千年も前のことです。その神の存在を恐れた者達がいました。彼等は神という計り知れない存在によって、己の命や運命、そして人生が操られるのを恐れたのです。その者達は神という存在への反抗心から、ある魔法を生み出しました。それが反逆者の力。世界を神から奪い、人間のものとするために......私達は選ばれたのです」




