第九十六話 愚者の森
愚者の森。そこはクレムナント王国の南に位置し、平原を四方から囲むライトアンドラ山脈へと続く場所の一つである。この森へ、王国の民は決して足を踏み入れない。それは王国と対立する部族が、森を支配しているといっても過言ではないからだ。
山間部の部族達を差別的な用語である獣人と呼ぶ者達は、彼らの支配する森を愚者の森と名づけた。そういった呼び名にする事で、精神的な優位性を保とうとしたのである。王政を敷くこの国にとって、ライトアンドラ山脈周辺と、その山々に囲まれる平原は全てクレムナント王国に属さなければならないのだ。
だがしかし、現状はまったく違った。南の山から続く深い森は、山間部の部族達の住まう土地の一部となっている。彼らと王国は、五百年以上も昔から争いあってきた。元は平原に住まう部族を攻め、森へと追いやったのが始まりである。王国は複数の部族を力づくで従わせようとしたのだ。しかし、森へと追い立てられた部族達は次第に力を合わせ、強固な連携で反撃に転じてきたのである。
長い戦いが続くうちに、どちらもが疲弊しきってきた。森からも追い出し、完全な王国を造りだそうとしていたラミナント家は、ついに五百年間、目的を達成する事が出来なかったのである。
そのため王国の民は、南の森を部族達が治める土地だと暗黙の内に了解していた。そうする事が、現状を受け入れる最善策だったからだ。いつしか彼らを打ち倒し、完全な国を築く。その想いは、歴代の国王全てに引き継がれてきた想いである。だがその戦いの連鎖を、断ち切ろうとする者が現れた。それがシュバイク・ハイデン・ラミナントであった。
平原を駆け抜けていく馬は、ついに森へと入った。木々が生い茂り、草花が地面を埋め尽くす。空中に浮かぶ光る胞子は、森の息吹といってもいいものである。生命の種が風に揺られているのだ。それは何とも幻想的な雰囲気である。
「わぁぁぁーーーー!綺麗ですねーーーー。クレムナント王国にこんな場所があったなんて知りませんでした」
茶馬に跨る少女は、辺りを見回しながら言った。ローズピンクの短い髪に、黒い瞳が印象的な子である。薄茶色のローブを身にまとい、小さな体をちょこんと馬の背に乗せている。
輝く瞳に映るのは、幻想的な光景である。光の胞子が空に浮かび、小動物達が木々の上で木の実をくわえている。鳥がさえずり、空から差し込む日差しが一筋の線となって、地面を照らしている。
「そりゃ普段誰も足を踏み入れない場所だからね。子供のアンタが知っているはずもないわよ。でも、油断はしちゃだめよ。ここはすでに、王国と敵対する部族達の土地なんだから」
少しだけ体格のよい茶馬に乗る女性は、引き締めた顔つきで言った。少女と同じように、薄茶色のローブで身を包んでいる。髪は長いのであろうか、頭の上で纏めてクシのようなもので止めている。瞳も黒く、肌は日に焼けた小麦色であった。
「馬も疲れているようですし、出来れば水場を探して休息をとりませんか」
黒馬に跨る男は、言った。ライトイエローの短髪に、銀褐色の瞳をしている。黒いマントを羽織っており、その下の服はジレを着ていた。下半身は膝丈ほどのキュロットに、それを包み隠すほどの長いブーツを履いている。
「時間が無いんだ。一刻も早く、部族達と接触しなければならない。休んでいる暇なんて無いんです」
スカイブルーの美しい髪の少年は言った。少し棘のあるような言葉つきである。白馬に跨りながら、ライトイエローの男に釘を刺すような言い方だった。二人の間に、重苦しい空気が流れる。
「馬を潰してしまっては、余計に時間がかかります。焦る気持ちも分かりますが、冷静な判断をしてください」
ライトイエローの髪の男。ウィリシス・ウェイカーは相手の気持ちを静めようとしたのだ。しかし、それはかえって悪い方向へと進んだ。
「冷静......ですか。だったらウィリシス兄さんは、何故、城を出る前に冷静に考えてはくれなかったのでしょう。今の現状を理解しているなら、尚更です」
シュバイクは鋭い目つきで、相手を睨みつけた。
「だから謝ったではないですか。それに私の一番の職務は、守護騎士として主を守り通す事です。それを以外の事は私にとっては......」
互いの瞳が重なり合い、無言の圧がぶつかり合った。シュバイクもウィリシスも、己の意思を貫き通そうとしているだけである。しかしそれが、一番の問題だった。
「あんた達、いいかげんにしなさいよっ!いつまで喧嘩腰でいるつもり!?さっきは任務を優先させるために仲裁に入ったけど......このままこの状態が続くんなら、今この場で殴り合ってでも決着をつけなさいっ!男のくせして、ねちねちねちねち言い合ってるんじゃないの!さぁ、二人とも馬からおりてっ!」
ついにセリッタが切れた。シュバイクとウィリシスのやり取りに、耐えられなくなったのである。
「セ、セリッタ様!そんな言い方じゃあ火に油を注ぐようなものですよっ!」
少女は、シュバイクとウィリシスの間へと自分の茶馬を誘導させた。そして互い視線をふさぐようにしたのである。
「ミルミル!アンタは黙ってなさい!男ってのはねぇ、拳と拳で語り合う生き物なのよぉっ!」
セリッタは気持ちを高ぶらせながら、右手の拳を突き出した。そんな光景を前に、シュバイクとウィリシスは互いに顔を見合わせた。そして二人が同時に強張らせていた顔を解したのである。
「あはははっ!」
「ははははっ!」
二人は思わず、笑い出してしまった。嬉しそうに自分の拳を前へと突き出すセリッタが、可笑しくて堪らなくなってしまったのだ。
「ちょっ!ちょっと!何笑ってんのよっ!なんか知らないけど、恥ずかしいじゃないっ。喧嘩してたんじゃないの?アンタ達?」
セリッタは戸惑っていた。顔を真っ赤にしながら、シュバイクとウィリシスを見た。城下町を出発してからと言うもの、森へと辿り着くまでにずっと重苦しい空気が流れていた。
先に口火を切ったのはシュバイクであったが、それに対抗するかのようにウィリシスもまた意地を張っていた。二人がここまで自分の気持ちを優先し、相手とぶつかるのは珍しいものであった。だがそれ故に、仲直りの仕方が解らなくなっていたのである。
「い、いや、確かに喧嘩をしていたのですが......セリッタさんが何故か、とても生き生きしているように見えたので。つい笑ってしましました。はぁ、なんか肩肘張りすぎていたのかな...ウィリシス兄さん、ごめん。心配して来てくれたというのに、この先の不安ばかりが頭にあって...兄さんの気持ちなんて考えられなくなっていました。許してください」
シュバイクはウィリシスの方へと馬を進めると、素直な気持ちで謝罪を口にした。
「いや、いいんだ。私の方こそ、本当にすまない。シュバイクを心配するあまりに、出すぎた真似をしてしまった。どうか許して欲しい」
ウィリシスもまた、シュバイクへと素直な気持ちで謝罪を述べた。
「はぁ~、やっぱり男の友情っていいなぁ~~」
セリッタはそんな二人を前に、ため息交じりで言った。
「セリッタ様、すごいですね。あの二人の仲を取り持つなんて!さすが私の師匠ですっ」
少女は万遍の笑みを浮かべていた。そのつぶらな瞳には、スカイブルーの髪の美しい王子が映っていた。
「ミルミル、あんた目がハートになってるわよ。そんな状態で言われても只のお世辞にしか聞こえないっつーの。まったく」
「そんな事ないです!本心です!セリッタ様だって、ウィリシス様のことっ...!」
ラミルが続けて言おうとした時、セリッタはそれを打ち消すような声で騒ぎ始めた。
「きゃー!あー!わー!あー!うー!あー!聞こえない!聞こえない!なーんにも聞こえない!」
大人気ない会話のやり取りの中、木の陰から四人の様子を覗う者がいた。その存在にシュバイク達が気づくことはなかった。
四人は小川を見つけると、少しの休息をとった。馬に水を与え、自分達も僅かな食料と水を胃袋へと流し込んだ。すでに出発してから八時間以上が経過しており、クレムナント王国で起きた一件が諸外国へと伝えられようとしていた。それは王国の持つ鉱石資源を狙う国にとっては、またとない好機となり得る情報だったのである。




