第九十三話 零の道
町の中へと進んでいく三人。通りの彼方此方に転がる焼死体からは、まだ煙がでていた。辺りに漂うのは人間が焼け焦げた臭い。まるで夕飯の支度に失敗し、肉料理を焦がしてしまったかのような臭いである。
男なのか女なのかさえも分からない。真っ黒い炭の塊のようになった身体は、もがき苦しんだであろう状態のまま固まっている。
「なんて酷い有様だ......これじゃまるで......」
ベグート・ロンダイムは、眼前に広がる光景を前に顔を歪めた。幾度となく戦場を生き抜き、修羅場をかいくぐって来た男でさえも、目を覆いたくなるような状況なのだ。
しかし、最後の言葉を言おうとした時、すぐに我に返ったのである。自分の主である男の方へと視線をやると、口を噤んでしまった。
「虐殺だな」
ベグートが言いかけた言葉。それをロッソ・零・リューが、悲痛な面持ちで繋げた。忌々しい過去の記憶が、その言葉とともに蘇ったのだ。しかし、零はそれを必死に抑え込んだ。そして平静を装い、何とか普段の自分を取り繕ったのである。
「クレムナント王国はここ数年、安定した統治がなされていると聞いていたのに...」
ユーファ・リネルはそんな主の様子に、すぐに違和感を覚えた。だからこそ、話を切り替えようとしたのである。
生存者など皆無なのではないかとさえ思わせるほどに、アンタルトンの町は酷い状態だった。瓦礫の山とかした家からは煙がまだ立ち昇っており、火種がくすぶっているかのような小さな破裂音が聞こえてくる。
「零様、この光景どこかで見たような気がしませぬか?」
ベグートは何かに気がついたようであった。焼け崩れた家や、道端に転がる死体へと視線をやった時ある事を思い出したのだ。それは、ここまでの旅の道中で見てきたものに、非常に酷似していた。
「焼け焦げて、跡形もなくなった町。虐殺の痕跡......アンバーウェルの町、アシュラムの村、サザンカの都、アーリンタールの砦......」
零は、脳内に鮮明と刻み込まれた悲惨な光景を思い出した。
「そ、それってもしかして!?」
ユーファは驚きを隠せずにいた。
「スウィフランドの暗黒騎士団。奴等の仕業だ」
導き出された答え。それはまさに事実そのものである。遠い島国から旅をしてきた三人は、ここまでの長い道中で幾度となく同じような光景を目撃していたのだ。
「しかし、おかしいですな。クレムナント王国と水中都市国家スウィフランドは、同盟国であるはず。にも関わらず、このような事が起きるとは一体......」
ベグートは頭を悩ませた。
「クレムナント王国で何かが起きているのかも知れないな。確か五人の王子の内二人は、あのガルバゼン・ハイドラの血を継ぐ者のはずだ。暗黒騎士団までがでて来た事を考えると......二国間の同盟を揺るがす、重大な事態が起きたと考えて間違いないだろう」
零の顔は引き締まっていた。普段は気の抜けた炭酸のような、生ぬるい顔なのである。しかし、時折見せるこの険しい表情は、威厳や気品に満ち溢れたものであった。
「嫌な予感がしますな。零様、ここは一度来た道を引き返しませぬか?クレムナント王国に居ては、よからぬ戦いに巻き込まれかねません」
ベグートは足を止めた。そして青年の顔を見たのである。その顔つきは真剣だった。
「最悪、戦争にでもなるってこと?」
ユーファが二人へと問いかけた。
「それも十分に有り得る話だな。だけどここまで来て、引き下がる訳にはいかない。やっと覇空石の情報を掴んだんだ。確実に目的に近づいている。それが俺には分かるんだ」
零は蒼い瞳を、ベグートとユーファへと向けた。
「零様の...民を救いたいと言う気持ちも分かります。しかし、あまりにも危険すぎまする。このまま前へと進めば、戦乱の真っ只中に身を置く事になるかも知れませぬ。それで命を落としては、元も子もないかと」
ベグートは零の前へと一歩出た。百九十センチ以上ある筋肉に包まれた巨体。異様な威圧感である。
「今こうしている間も民は血を流し、苦しんでいるんだ。俺は何があってもアンリカリウスを救う。そのためなら、業火の中でさえも突き進んでやるさ」
零は鋭い目つきで、ベグートを睨み付けた。重苦しい空気が満ちて、沈黙がその場を包む。静けさが辺りを覆いこんだ時、微かに人の声が聞こえたのである。
「今のはっ!?」
零はすぐさま反応した。ベグートとユーファには、それが聞こえなかったようである。その場からすぐに走り出すと、押し重なるように倒れた石造の家の方へと向かっていった。
「全ては命あってのもの。それが零様にはなぜ、解らないのだ......」
ベグートは噛み締めた奥歯から、漏れるような声で言った。
「零様は傷ついている人や苦しんでいる人を、見捨てる事ができなんですよ。たとえ自分の身を犠牲にしようとも、目の前で誰かが助けを求めていれば迷わずに駆け出していっちゃう。そういう人なんです。そんな人だからこそ、私は零様にどこまでも着いていく。そう決めたの。ベグート、貴方もそうなんでしょ?」
ユーファは黒いまんまるとした瞳で、ベグートの顔を見上げた。その言葉に渋々と言った態度で頷くと、二人は零の後を追うようにして駆け出していった。




