第八十九話 不穏な空気
騎士達はアンタルトンの町の広場で身を寄せ合うと、光の鎧で互いを包み込んだ。そして降り注ぐ火の粉と、迫りくる炎に耐えようとしたのである。
南西の山から放たれる明かり。アンタルトンの町は勢いよく燃えていた。
「シュバイク様、セリッタ様。あれをっ!」
闇夜に包まれる大地。平原を駆け抜ける三頭の馬は、山の麓へと続く道の途中で脚を止めた。その内の一頭に跨る少女は、南西の山を指差していた。その方角へと視線を合わせる二人。すると遥か彼方の山肌が、赤く光っているのが分かった。
「何なの?山火事?」
セリッタが口を開いた。斑模様の馬に乗っている。黒い髪を頭の上で纏めており、何かの鉱石でできた髪留めを付けている。黒いローブで全身を包んでおり、顔は日に焼けた小麦色をしていた。
「......かも知れませんね」
スカイブルーの髪が時折吹き抜ける風によって、靡いていた。白馬に跨るシュバイクは、ブラウンの瞳に赤く光る山を映していた。セリッタの言葉に、短い言葉で答える。しかし複雑な表情を浮かべていた。
「この時期に山火事なんて珍しいですね。近くに町や村が無ければいいですが」
ローズピンクの短い髪。くりっとした円らな黒い目。小さな体を揺らしながら、薄茶色の馬に跨っていた。新米魔道師のラミルは、子供とは思えない言葉を言った。
「うーん、たしかに。空気もそんなに乾燥している訳でもないし...まだ緑も青々として葉は水分を多量に含んでいるはずよねぇ。何か起こっているのかしら」
セリッタは、酔いから醒め始めているようであった。先ほどまでは、身体を左右に揺らしながら、鞍から落ちそうなほどに危なっかしい状態だったのだ。それが今は、まともな手綱さばきを見せながら、まもとな事を口にしている。
「もしかしたら野宿でもしている旅人が、火の始末を忘れて寝入ってしまったとか。色々と理由は考えられますよ」
シュバイクは本心を隠していた。あえて、思ってもいないような事を口にしたのである。
それはラミルの指差した方角が、ナセテムとデュオが逃げた先と一致していたからである。自分が派遣した追撃部隊と戦闘に入っていたとしたら、その明かりは自然と説明がつくのだ。だが、シュバイクはそれを隠した。それはきっと、兄弟として育ってきた上に生まれた微かな情が、心に沸いて出でたからであろう。拭い取れない罪悪感。それが胸を締め付けていた。
平原の真ん中で止まっていると、何者かが馬を駆けせてくる蹄の音が聞こえた。目を凝らして闇の中を凝視すると、鉱石ランプの淡い光が近づいて来るのが分かった。光る山肌に意識が捉われていたために、気づかなかったのである。
「誰か来ますね。念のため、二人は僕の後ろへ」
シュバイクは二人の魔道師が跨る馬を、自分の背後へと誘導した。そして腰にかかる魔鉱剣を抜き去ったのである。革の軽鎧を身に着けているため、動きやすい格好ではある。山間部までの道すがらは、如何にクレムナント王国領内と言えども、油断は出来ないのである。山賊や盗賊が未だに多くはびこっており、王国兵はその対処に日々追いやられていたからだ。
「ラミル、魔力を高めて戦闘に備えなさい。結界壁くらいは唱えられるでしょ?」
セリッタの顔つきは変わった。飲んだ暮れの酔っ払いから、魔道議会の一魔道師としての顔に瞬時に切り替わったのである。
「防御魔法は一通り扱えます!」
少女の顔は自信に満ち溢れていた。戸惑いは一切感じられず、堂々としていた。
「それなら問題ないわね。最初に言っておくべき事だったけど、魔道議会の導師であるならば自分の身は自分で守りなさい。私は貴方のお守りはしないわよ。厳しいことを言うかも知れないけど、魔道師と名乗る以上は、自分で考え自分で行動する!いいわね?」
セリッタの顔つきは、先ほどまでの酔っ払いの顔ではない。魔道議会に所属する一魔道師としての、引き締まったものである。
「はいっ!」
ラミルは、元気のこもった短い返事の一つで答えた。
「光の玉。散れっ!」
セリッタが呪文を唱えると、髪留めが七色の輝きを放った。そして両手の平から光の玉が、幾つも生み出されたのである。それは周囲へと飛散し、辺り一体を照らし出した。
「止まれっ!何者だっ!?」
シュバイクは声を上げると、近づいてくる影に停止を促した。十メートルほど手前で止まった馬から、声が聞こえてきた。
「私です。シュバイク様」
三人の瞳に映ったのは、ライトイエローの短髪の青年だったのである。
「ウィ、ウィリシスッ!?」
そこに居たのは、黒馬に跨るウィリシス・ウェイカーだった。シュバイクと同じように革の鎧を身に着けている。
「シュバイク様。申し訳ありません...ついて来てしまいました......」
ウィリシスは畏まった態度で言った。城の留守を任されていたはずなのである。
「ど、どうしてここに?城の留守を頼むと言ったじゃないですか。この緊急時に頼りになるのは、ウィリシス兄さんしかいないのに」
シュバイクは困惑していた。
「本当に申し訳ありません...城は......レリアン様に任せてきました。やはり私は、守護騎士としてシュバイク様の側に居たいのです」
ウィリシスは黒馬を進めながら言った。自分の主であるシュバイクを守りつき従うという守護騎士としての定めが、彼を動かしてしまったのだ。だがこの時、決して口には出さなかった事がある。それは、ある人物の存在が大きく影響していたと言う事である。
「母上に?ど、どういう事ですか」
シュバイクの顔には、ウィリシスの行動に対する困惑と落胆の気持ちが入り混じっていた。
「事情を聞いたレリアン様が、貴族達の説得を引き継いでくれたのです。その代わり、シュバイク様を頼みます、と言われました。本当に申し訳ありません...私もシュバイク様が心配だったので......お願いです、私もついて行かせて下さい」
その言葉は、守護騎士のウィリシス・ウェイカーのものだったのか。それとも、弟のようなシュバイクを案じる、兄のようであったのかは分からない。
「主である僕の命ではなく、母上の命を聞いたと言うのですか!?もう子供扱いはやめてくれ!僕はもう昔の僕ではないんだっ!」
シュバイクが声を荒げた。それに驚いたのは、セリッタとラミルである。
「だからこそ......だからこそ君が心配なんだ!何が君をそんなに苦しめているんだ!?教えてくれ、シュバイクッ!何故、俺にまで隠すんだっ!あの時教えてくれた事は、真実の断片でしかないのだろうっ!?」
ウィリシスまでもが声を荒げた。シュバイクが何かを隠していると言うことに、気づいていたのだ。それに気づいていながらも、気づかない振りをしていた。だが、レリアンにシュバイクを頼むと言われた事で、事実と向き合おうとしたのだった。
二人の間に張り詰めた空気が満ちる。瞳は鋭さを増して、重なり合う。そして暫くの間、沈黙は続いた。
「い、いいじゃないっ!四人でいきましょうよっ。味方は多いに越した事はないわっ!ね、ねぇ?ミルミル」
重苦しい空気を察してか、セリッタが口を開いた。助けを求めるかのように、自分の弟子となった少女の方を見る。
「そうですねっ!四人で行きましょう!」
シュバイクとウィリシスの間に不穏な空気が流れた。しかしそれは、二人の女性によってすぐに払拭された。僅かなわだかまりを残したままウィリシスを加えた四人は、馬を駆けさせて山間部へと向かって行ったのである。




