第八十八話 騎士道
ヴァルダートは雷電を纏いながら、オーリュターブへと目掛けて駆け出した。互いの距離が一気に縮まる。
「紫電一閃・雷滅!」
飛電の剣から放たれる雷光。天から落ちた稲妻が敵の肉体を焼き焦がす。轟音が響き渡り、凄まじい閃光がナセテムとデュオの視界を奪う。
「くっ......」
オーリュターブは苦しそうな声を微かに漏らすと、地面へと膝を付いた。黒き鎧からは煙が昇っている。何が起こったのか判らなかったはずである。
ヴァルダートは、敵の間合いの一歩手前で足を止めると、その場で剣を振り抜いたのだ。
「はぁ...はぁ...稲妻が全身を駆け巡った時の感覚はどうだ...?この一撃を食らっても、まだ息があるとは大したものだが、これで終わりだ」
オーリュターブの瞳は、ヴァルダートの動きを余す事無く捉えていた。しかしその攻撃は、考えも付かない場所から唐突に訪れた。間合いの外から剣を振り抜き、天から稲妻を落としたのである。
ヴァルダートの息は上がっていた。ほぼ全てに近い魔力を込めて放った一撃が、著しい体力の消耗を招いたからである。だが最後の止めを刺すべく、オーリュターブの傍らまで歩を進めた。そしてその隣へと立つ。
「フフフ......見事だ。これ程までに強力な魔法攻撃を受けたのは...数十年ぶりだ......」
オーリュターブは何かを思い出すかのように言った。その言葉には笑いが混じっていたのである。しかし、ヴァルダートはそれを大して気にも留めなかった。虚勢の類だと思ったからである。
「はぁ...はぁ...最後に残す言葉がそれか?まぁ、いいがな」
ヴァルダートは飛電の剣へと、最後の魔力を込めた。そして一気に首筋目掛けて振り下ろす。
「解放」
オーリュターブが何かを呟いたように聞こえた。しかし、それが何なのかは聞き取れなかったのである。振り下ろされた剣の刃が、黒き鎧へと触れた瞬間である。凄まじい轟音が放たれたと同時に、ヴァルダートの身体は数十メートル後方まで一気に吹き飛んだ。
「ぐふっ......」
建物の壁へと叩きつけられたヴァルダートの身体は、全身が焼け爛れていた。皮膚が焦げ付き、肉が焼ける臭気が漂う。
「あ、兄上。あの男は一体、何をしたのですか?」
そんな光景を近くで見たデュオは、隣にいるナセテムへと問いかけた。
「俺にも分からぬ...ヴァルダートと同じ雷の魔法の使い手......と言う事なのか」
膝を落としていたオーリュターブは、何事もなかったかのように立ち上がった。そしてゆっくりと、炎に包まれる町並みを背に、ヴァルダートへと近づいていく。邪悪な魔力を身体中に漲らせており、黒剣からはどす黒い瘴気が流れ出ている。
「はぁっ...はぁっ...ぐぅっ!」
眼前へと迫る敵を前に、ヴァルダートは力を振り絞る。剣の刃を地面へと突きたてながら、何とか立ち上がろうとしているのだ。しかし、重度の熱傷をおい、殆どの魔力を使い切ってしまったのである。まともに戦える状態では無かった。
「無駄な足掻きは辞めろと言ったのだ。さすれば、楽に殺してやる」
ヴァルダートの目の前へと辿り着くと、竜を象った仮面の下から冷やかな視線を浴びせた。
「くっ...!い、一体お前は...何者だ......私の雷を...吸収したの...か?」
立ち上がる事も出来ない瀕死の男は、目の前に立つ黒き鎧の騎士へと問いかけた。
「冥土の土産に教えてやろう。私の持つ魔法特性は無だ。無は有を生み出す。受けた魔法を己の力へと変換し、即座に相手へと跳ね返す。貴様が今そこに倒れているのは、己の魔法攻撃を肉体に強制返還された際の反動だと言う事だ」
オーリュターブはそう言いながら、剣の切っ先をヴァルダートの喉元へと突きつけた。
「無...だと?ありえん...どんな者でも...必ず魔法の特性...を...かね...そなえているはず...だ......人間か?お前は......」
焼け焦げて黒くなった顔。所々に爛れた赤い皮膚が目立つ。狼の目の瞳は、千切れた毛細血管から流れ出る血液が、眼球である水晶体を包んでいる。そのためか、真っ赤に充血していた。
「人間?そんなもの、当の昔に辞めた。今の私は何者でもない。世の理。この世の真理から外れた、人ならざる者だ。まぁ、貴様にそんな事を言っても理解できぬだろう」
オーリュターブはそう言うと、剣の先端で相手喉を突き刺した。声にもならぬ声と血を吐き出しながら、ヴァルダートは息絶える。クレムナント王国でも剣技の腕に置いて、五本の指に入るであろう騎士が命を落とした瞬間であった。
業火に包まれた町は焼き尽くされた。住民の殆どは燃え盛る建物の横で、地べたへとはいつくばり血を流して死んでいる。空を舞う翼竜はけたたましい咆哮を上げていた。
「暗黒の王の僕、ニルズヘイムよ。我の元へと舞い降り給え」
屍と化した男の前で、オーリュターブは天を仰いだ。そして古代の言葉を口にしたのである。
すると、十三頭の竜の中で、一際巨大な固体が広場へと降り立った。翼をはためかせながら、ゆっくりと着地する。
風圧で屋台骨が吹き飛び、周囲へと散乱する。砂埃が舞い上がり、ナセテムとデュオは思わず口と鼻に己の腕を押し当てた。
「さぁ、ナセテム様、そしてデュオ様。お待たせ致しました。ガルバゼン・ハイドラ様の下へと参りましょう」
広場へと降り立った漆黒の竜は、まさに巨大なトカゲのようであった。しかし外殻は黒き鱗に覆われており、鋼のように硬質である。
瞳は真紅に輝いており、口を開いた時に覗かせる牙は数百本はある。押し重なるように、上下から生えているのだ。
頭を地面へと下げると、細長い顎の先端を二人の前へと向けた。どうやらそこから、登れと言う事なのである。ナセテムは何の躊躇もなく足を進めると、翼竜の背まで駆け上がった。
デュオは戸惑いを隠しきれず、足踏みしている。しかし、オーリュターブが付き添いながら、竜の背まで登りきったのである。
「待てっ!」
翼竜がその翼を広げ、まさに飛び立とうとした瞬間である。クレムナント王国の騎士達が、広場へと駆け出て来たのである。
「まだ残っていたか......」
オーリュターブは竜の背から、一人の男へと視線をやった。上半身には鎧をつけておらず、下半身は銀の甲冑であろうものに包まれていた。
それはナセテムとデュオを捕らえるべく、追撃部隊を率いてきたアルディン・バウザナックスであったのだ。その後ろにはニールズ・バインズと数人の王国騎士の姿があった。
腰へとかかる剣の柄を握り、竜の背からオーリュターブは飛び降りようとした。だがそれを止める声が背後からかけられたのである。
「オーリュターブ騎士団長。もういいです!いきましょうっ!目的は果たされたはずですっ!それにどうせ、この炎の中では生き残れませんっ!」
その声の主は、デュオであった。赤茶色の瞳にはうっすらと涙のようなものが見えた。その必死の形相は、オーリュターブの殺意を鞘の中へと収めさせたのである。
「確かに、身体から放つ魔力も大したものでもない...私が手を下すまでもないか......ニルズヘイムよ!飛びたて!仲間達へと合図を送るのだ!」
聞きなれない言語でオーリュターブが喋ると、翼竜ニズルヘイムは耳を劈くような咆哮を上げた。
「ぐあっ!何だこれはっ!」
バウザナックス達は、そのあまりのけたたましさに耳を塞いだ。脳髄を刺激する凄まじい叫びであった。
天へと向かって首を伸ばしながら、猛り立っているのである。そして翼を広げると同時に、二本の後ろ足で飛び上がった。そしてすかさず巨大な両翼を、ばたつかせたのである。
次第に小さくなっていく黒き影は、やがて雲の中へと消えていった。それに続くかのように、十二頭の残りの竜も次々とアンタルトンの町から飛び去っていく。
そんな光景を只見ている事しか出来ずにいたバウザナックス達は、自分達の任務が失敗に終わった事を悟ったのである。
町全体を多い尽くす火の手は収まることを知らずに、燃え続けていた。空の彼方を眺めるバウザナックスは、心がその場から離れてしまったかのようだった。しかし、それを引き戻したのは部下が問いかけた言葉である。
「バウザナックス隊長!こっちに...」
ニールズの銀の甲冑は、黒ずんで汚れていた。黒煙を浴びたために、炭が付着したのだ。それに加え、戦いでついた血のりが一層汚れを際立たせてしまっていた。
「何だっ?」
呼ばれるがままに広場を取り囲む建物の一つへと、足を進めた。すると其処には、無残な姿となって倒れている男の姿があったのだ。
そう、それはナセテムの守護騎士のヴァルヴァロス・ヴァルダートであった。皮膚は焼け焦げており、喉元からは血が流れ出ていた。瞳には光が消え去り、死んでいるのは明白である。石造りの建物の壁に腰掛けながら、息絶えていた。
「ヴァルヴァロス......お前ほどの男でも勝てぬ強敵であったか......戦士達の楽園で、いつか今日の決着をつけようではないか......友よ、安らかに眠れ......」
バウザナックスはヴァルダートへと近づくと、見開いた目を、手で優しく閉じてやったのである。そして騎士として、楽園へいけるように敬意を込めた言葉を投げかけた。
「隊長...何故そのような男に名誉ある言葉を投げかけるのですか?この国を裏切ったも同然の奴ですよ。先ほどの戦いで仲間の多くも、その男の手にかかったのです」
ニールズは不満な顔つきで、バウザナックスを見た。
「裏切ったのではない。己の主に最後まで忠誠を尽くしたのだ。我ら騎士は主を守る盾となり、時には敵を倒す剣とならねばいけん。それを、この男は最後まで貫き通した。立場が違えば、明日は我が身。ニールズ、敵をも認める事の出来る寛大な心を持て。それこそが、真の騎士道であると私は思う」
クレムナント王国では、真の騎士道を貫いた王国騎士達は死んだ際に、戦士達の楽園へいけると言われている。
優れた戦闘能力を持ち、勇気ある行動を示し、誠実と高潔さとをもって生きて、寛大な心で他者を許す、そして信念を持って物事に望み、崇高な行いと統率力を持って兵を束ねる。礼儀正しく、人に親切に対応する。
これらを守り、貫き通した者のみが最後に、生きている者達に認められて楽園への永住が許可されるのだ。それをバウザナックスは生きている者の代表として、死者であるヴァルヴァロスへ告げたのであった。
「バウザナックス隊長!ニールズ副隊長!火の手が周り、もう町から脱出はできません!どうすればっ!?」
部下である騎士の一人が、あたりを包む炎を目にしながらうろたえていた。火の手はすぐ近くまでせまっており、外へと繋がる道は、すでに燃えて倒れた建物が塞いでいた。
「広場を見ろ。十分な広さだ。中央で身を寄せ合い、光の鎧で互いの肉体を包み込むのだ。それで耐え凌ぐ!生きて帰る!生き残った我等が、なんとしても城へと戻り、今日起こった事をつたえねばならん!いいな!?」
「はっ!」
バウザナックスは、部下の抱える不安と恐怖を見事に打ち消した。それは己の抱える不安と恐怖でもあったはずである。しかし、自分を鼓舞する事で、それらを吹き飛ばしたのであった。




