鋼の鈍器を振り抜いて
「でやっ!」
バットは腰を入れて打つ。
確か中学時代の体育でそう習った。
「おりゃ!」
バットは手で振ってはいけない。
落ちこぼれの俺はセンコーの指導を素直に聞かなかったが、今なら分かる。手応えがまったく違うのだ。
突然だが、昼下がりの街はゾンビであふれかえっていた。朽ちてぼろぼろの衣服に、腐った皮膚。体の動きは遅く、そのくせ俺を見れば寄ってくる。瞳はうつろで、何を考えているのか分からない。ゲームのしすぎかもしれないが、少しでも触られたら俺までゾンビになりそうだ。
いや、きっとそうに違いない。
でないと街中がいきなりゾンビだらけになってまともな人間がいなくなるなどという事態になるわけがない。そういえば新型インフルエンザとか世の中騒いでいた時期もあった。接触感染型ゾンビ症というのがあってもまったく不思議ではない。
「だりゃっ!」
もう、一振り。女性ゾンビの首が遠くに飛んで行く。きっとホームランだ。女性の顔を狙うのはさすがの俺もちょっとためらったが、生前はともかく今は見れたものではないのできっと彼女も幸せなはず。当然、頭がなくなっても動きを止めないのでげしげしと大根斬りで叩き潰しておく。
「ぎゃああああ〜」
不意に、女性の悲鳴が聞こえた。
俺が先ほどまでいたネット喫茶からだ。
そこからゾンビどもに触られず備え付けの素振り用金属バットを手に脱出するのにどれほど苦労したか。それでも女性の危地を放っておくこともできず、突入。店内のゾンビを手当たりしだい潰しては、女子トイレ近くに孤立する女性を救った。
「何で。一体どうしてこんなことになってるの?」
「知らんですよ。とにかくここから出て」
見るからに年上だったので言葉を気にしながら言い放ち、店から再脱出を果たした。
「えええっ。ひっどぉい」
女性は、目を剥いた。
外の有り様は店内よりひどい。道路では車が全部事故を起し、車道歩道問わずに散乱。ドライバーもゾンビになっているところを見ると、接触感染型ではないようだ。
「ぎゃああああああっ」
再び、女性の悲鳴。俺の側にいる、今助けたばかりの女性だ。見掛けのキャリアウーマンらしくもうちょっと上品に叫べば良いのにと思いつつ、迫っていたゾンビを叩き潰す。そうこうするうちまた別の方から寄ってきたので横薙ぎにフルスイング。一撃で行動力が無くなるわけではないので大変だ。
(死ぬかも、しんねぇな)
そう、思った。
別にゾンビに襲われて死ぬかどうかは分からない。恐怖なぞなかった。ただ、俺の中でスイッチが入っちまっただけ。いつだって、このスイッチが入ればそう。世の中、俺たちゲーム廃人をどう思ってるかは知らないが、ゲームをここまでまじめに遊んでいる奴はいねぇ。いつ何時だって死を覚悟している。いや、それだけではない——。
「良くやった。アナタは秘書部に採用よっ!」
突然、流れで守るはめになっていた女性が声を張った。気付けば付近のゾンビどもをすべて倒していた。俺としては、折った膝に手をつき横睨みに見返すしかない。
「了解、でいいわね。見たところ未青年っぽいけど、まあいいわ。大卒以外は採らないけど私の権限で特例を認めます」
彼女はぞくりと身を振るわせ冷笑するだけだった。
「新人。これから帰社するわよ。道を確保なさい」
……放っとくわけには、いかねぇよなぁ。こんなでも、知る限り俺以外の唯一の人間なんだから。
「いいわ。入って」
夕方、助けた女性——名を、幾見真理佳といった——は俺を自身のマンションに連れ込んだ。
「だけど、本当にいいの? 家族は心配じゃないの?」
「生きてりゃそれでよし。もしもゾンビになってたら……」
「なってたら?」
「家族の手にかかって死にたくはないし、ゾンビとはいえ家族をぶっ叩く気はしねえ」
「……まあ、私は会社の上司はぶっ叩いてすっきりしたからいいんだけどね」
にんまりと、彼女は笑った。
昼間、彼女の会社に向かったが当然、全員がゾンビとなっていた。背丈や格好で元々誰かはうっすら分かるようで、「こいつだけは」と俺の金属バットを分捕り殴ったりもした。
「手料理は、あまり得意じゃないから期待しないでね」
「いいスよ。俺は雇われの部下だから」
エプロンをつけた彼女に、明るく返す。「もう会社は無くなっちゃったわよ」と寂しそうに言うが、俺は力強く「会社の部下ではなくアンタの部下だから」と言っておいた。実際、彼女とは一緒にいた方がいい。普段なら毛嫌いするような女だが、これはゲームだ。依頼主は彼女だ。俺は死を賭してミッションクリアを目指せばいい。頭は落ちこぼれの俺なんかより彼女の方が良いに決まっている。リーダーは、彼女だ。指示はその内どんどん来る。俺は来るべき戦いに備えておけば良い。
「……あれ?」
不意に、真理佳の声がした。つい普段の動作でテレビをつけたようだ。街で試したときはどの放送局もいわゆる砂嵐が流れていたのだが、どうも番組を放映していたらしい。
「我々は、ゾンビにならなかった生き残りです。全国のゾンビにならなかった方、ぜひこの電話番号まで電話をしてください。ゾンビはいくら倒しても再生します。奴らは不死者。いくら殺しても死ぬことはありません」
目の色を変えた真理佳は、早速電話した。
「よしっ、すぐに出るわよ。無傷な自動車を探して!」
「……手料理は?」
「そんな場合じゃないでしょ」
「急ぐ必要もない気がするっスよ」
「バカね。テレビで言ってたでしょ。ゾンビは再生するから不死だって。……のんびりしてるとまずいわよ」
ともかく、俺たちは立ち上がった。
車の運転は二人ともできなかったので、盗んだ原付バイクで二人乗り。
のたのたと群がるゾンビを置き去りにして夜の国道をひたすら走る。人がいなければ不夜城を誇る都市も暗いものだ。ネオンサインや街灯だけがともり明るいのだが、やはりいつもより暗い。生活の明かりではないからかもしれない。
「おう、無事な者か。こっちだ。早く来い」
テレビ局の前はまるで昼間のように明るかった。ゾンビを近寄らせないため車道で盛大に火を焚いているのだ。本当に、明るくまぶしい。その周辺で、何人かが戦っている。
「幹也!」
「ほいきた」
俺は真理佳の指示に従い、粉砕、粉砕、粉砕。燃える炎が俺のゲーマー魂に火をつける。
「歓迎するよ」
ゾンビどもを倒した後、俺と真理佳はテレビ局に通された。
「ここにいる者は全員、ここの局員だ」
外ではほとんどゾンビになっているようだったが、ビル内部には結構な人数がいた。
「どうしてこんなに無事な人がいるのですか」
「テレビ局ってのは、部署によって地獄でねぇ」
「人生勝ち組どもが地獄に落ちてゾンビになろうが、こちとら落ちる地獄はないってもんさ」
真理佳の問いに笑い声が巻き起こる。
「……どうしたんスか?」
俺は、彼女が真顔になったので心配し声を掛けた。
「まさかね」
額に手をやり首を振る。
そこへ、新たな生き残りが集まってきた。
「おい。お前、真理佳か?」
「あ。……勇次さん」
新たな集団の一人が彼女の知り合いだったらしい。いや、知り合い以上の関係である事が容易に見て取れる。途端に二人は口論を始め、真理佳は走ってその場から逃げ出した。
「……彼女、わがままで言いだしたら聞かないところがあってね」
迷路みたいなテレビ局のビルの通路で、勇次がぼやいた。俺としては苦笑するしかない。
「それにしても、見つからないっすね」
いかにも仕事のできそうな青年実業家に返す。俺としては最も嫌いで苦手な人種だが、ボスの関係者だ。良好な関係を維持したいところだ。
「まさか!」
勇次は突然つぶやいて走りだした。扉が並ぶテレビ局の廊下を抜け、エレベーターに乗り込む。向かうは、屋上。
「彼女は俺の前から『自殺する』と言って分かれたきりだったんだ。……もっとも、『アナタを殺して私も死ぬ』に聞こえたんでこっちも死を覚悟していたんだが」
ふっと、表情が緩んだ。
「逆に、彼女の優しさに気付いたはめになっちまったか。こうなったら何としても生きて……」
と、ここで俺は目を疑ったッ!
なんと、勇次が突然苦しそうに身を折ったかと思うと見る見る皮膚が腐り始めたではないか。漏れるうめき声が狭いエレベーター内で不気味に響く。
「くっ!」
どうする。
目の前にいるのはゾンビだが、明らかにこれは勇次だ。金属バットをどうしても振り上げる事ができない。そうこうする間に、ゾンビが両手を上げてのしかかるように襲ってきた。
——チィン。
屋上。うまいこと扉が開いた。すぐさま脱出。
「なっ」
瞬間、振り返った。フェンスの先に女性のくるぶしを見たような気がしたのだ。
しかし、誰もいない。
「どけっ」
追って来たゾンビをいなし再びエレベーターへ。
1階。というか地上には、やはり真理佳の飛び降り死体が転がっていた。ゾンビ化はしていない。彼女は彼女として死んだのだ。
そして俺は、今日もゾンビどもをぶっ飛ばしている。
もう、だれも人間はいないのではないか。
デパートやスーパー食料品売り場にはあまり立ち寄ったことはなかったが、レトルト食品など意外と保存のきくものは多い。カップ麺はもちろん、缶詰の肉なんかも助かる。米くらいといで炊くことはできる。俺一人ならいくらでも生きていける。もっとも、いつも死を覚悟しているのでいつも死んでいるともいえるか。
「どらっ!」
ゾンビは、不死だ。
いや、死んでいるが永遠に死なないといえばいいか。
いくらぶっ倒しても次の日には再生している。いや、むしろ数が増えているのではないか。そうであれば金属バットで倒すのは得策ではない。が、ほかに良い手段も浮かばない。俺は落ちこぼれだし、ボスの真理佳はもういない。
「もしかしたら、ゾンビどもは助けを求めているのかもしれないっスよ」
いないが、一応報告しておく。仮にそうだとしても俺には叩く以外どうしていいか分からない。
もしかしたら、俺は死んでいるのではないかと思う。
それでいい。
俺もあの時、マンガ喫茶にいた時にもう自殺しようかと悩んでいたのだから。
おしまい
ふらっと、瀬川です。
他サイトの競作企画に出展した旧作品です。自ブログにも掲載しています。
生き地獄と生きている手ごたえ、みたいなのを書きたかったのではないかと思い出す2009年の作品です。