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翌日も、その翌日も、それでも俺達はキャッチボールを続けた。俺の方には少し陽太に対して気まずい気持ちもあったが、気まずかろうが喧嘩をした翌日だろうが昼休みはキャッチボールをするのが俺達の決まりだ。
そして、部活動の見学期間も残すところあと1日となった金曜日。いくつかの運動部や文化部を覗いてはみたもののいまだに俺は何をやるか決めかねていた。そんな迷いの中でこの日もお決まりの昼休みの儀式を済ませ教室に戻るとなにやら興奮したトーンで隣の席から水香が話し掛けてきた。
「ねぇねぇ、影山君。」
「何?」
この1週間、朝の挨拶や授業中のグループワーク、休み時間の雑談等で水香とはちょくちょく話すようになっていたが、そのどれもが丁寧な口調であった為、興奮気味の水香に俺は少し驚いてしまった。
「光島君って、チェンジアップとスローカーブもあるの?光島君は持ち玉はスライダーとツーシームにフォークを練習中って言ってたけど。」
俺は突然出てきた陽太の名前と並べ立てられた野球用語に困惑してしまった。しかも陽太の球種がスライダーとツーシーム、フォークの3種であることは誰よりも俺が知っている。
「なんで?」
これ以外の言葉は出てこなかった。
「さっきグラウンドで練習してるの見てたの。前半はストレートとスライダー中心だったけど、後半は球速を変えたストレートやスローカーブを投げてたでしょ。光島君に緩急まであったら地区予選レベルだったらまず打てないわ。」
普段教室にいる彼女しか見ていなかったので忘れかけていたが、中学時代も野球部のマネージャーというのは伊達ではなかったようだ。彼女の目はイキイキと輝いている。
しかし遠目から見て球種、球速の違いを見分ける彼女の目が、投げてる人間の顔の違いを見落とすとはなんとも間抜けな話だ。
「前半投げてたのが陽太で、後半投げてたのは俺。俺のは陽太のと比べればチェンジアップみたいなストレートだけどね。」
冗談めかして自虐的に言ってみたが、彼女はそんなことには構いもせずに、
「うそ!?後半投げてたの影山君だったの?だってフォーム全く一緒だったから。私が投球フォームで別人を区別できないなんて。」
投球フォームで別人を区別できなかったということに驚いている彼女にこっちはびっくりである。野球が好きじゃなければ野球部のマネージャーなんてできるものじゃないがここまでとは。
「俺も陽太と自分のフォームを並べて見た事はなかったから気にしてなかったけど、確かに野球始めた時からずっと同じチームで同じコーチに教わってきたわけだから似てても当然かもね。」
そんな俺の言葉に被せるように彼女は続ける。
「でも影山君のあの球は野球部に必要だわ。昼休みにキャッチボールをするくらいなら野球、好きなんでしょ。なんで影山君は野球部に入らないの?」
必要とされるのは素直に嬉しいし、それが好意を持ってる女の子からであれば尚更である。だが、その期待に応えられるかどうかは自分が一番よくわかっている。
「俺じゃあ力不足だよ。」
彼女に格好悪い姿は見せたくなかった。
「そんなことないよ。明日の土曜日は新入生の歓迎会で上級生と新入生で紅白戦をやるの。光島君に影山君もいれば、きっと上級生チームを抑えて、新入生チームが勝てるわ。」
陽太みたいな事を言う奴がもう一人いた。
「自分の力は自分でよくわかっているよ。陽太なら一人で十分さ。」
俺はこの時はまだ断るつもりだった。だが、そんな俺にはお構い無しに彼女は言う。
「そんなこと言わないで。ね。今日の放課後と明日の紅白戦だけでもいいから、野球部のグラウンドに来て。お願い。」
そう言って彼女は上目遣いに俺の顔を覗き込む。その視線はずるいという形容詞がぴったりだった。彼女の甘える子猫のような視線に対して俺は断る術を持たなかった。
「そこまで言うならとりあえず今日と明日くらいは…」
その言葉を聞くや否や彼女は満面の笑みを浮かべて言う。
「ありがとう。それじゃあ放課後一緒に行きましょう。」
このキラキラした笑顔が見られるのなら野球部にほんの2日顔を出すくらいのことは、そう思ってしまうほどに彼女の笑顔は可愛い。となると、せめて紅白戦にだけでも勝って、この笑顔を落胆に変えないようにしたいものだが…