第03話「女帝 The Empress」(前編)
「ねぇフランチェスカ、やっぱり今度こそ無理じゃない?」
窓の外に広がる寒々しい針葉樹林を見ながら、温かい暖炉の前でトナカイの肉を頬張ると、僕は何度目かの質問を彼女にぶつけた。
「そうよね……。私もちょっと無理があると思うけど……」
フランチェスカはいつもの古めかしい魔術師用のローブを着て、はちみつ色のフワフワした髪を左手で耳にかけながら、大きな魚の塩焼きから、器用に骨を取り除いている。
ちょっとしかめられた太めの眉もやっぱり可愛い。
王国北部の中核商業都市「ハイエスブルク」になんとか到着し、トライアンフ商会の支部から旅の資金を引き出せた僕は、余裕を持ってフランチェスカを眺めることが出来た。
「まぁイオナの時みたいに『未来の女帝』かも知れないから、気長に探すしか無いね」
そう、今度の〈予見〉に現れたのは何と女帝だった。 女帝と言ったらあれだ、女性の皇帝だ。
でも、そもそもこの国は王国というだけあって王様が治めている。 だから皇帝と言う位は存在しない。 現国王には立派な世継ぎが数人、さらには男子の孫も居て、女性が王位につく事態すら想像できなかった。
王国の外、未開の世界の話ならまだ納得も行くけど、フランチェスカの予見によると、女帝には偶然にもここ「ハイエスブルク」で出逢うことになると言う話だった。
トライアンフ家の情報網によると、王家の威光は盤石で、少なくとも10年やそこいらでは王権を覆すような勢力は見当たらないと言うし、実際手がかりも全く無く、僕らは八方ふさがりの状況に陥っている。
「私の予見の力が弱いから……何度やっても追加の情報も出てこないし、今はこの街に逗まるしか無いのかしら……」
骨を綺麗に取り終わった魚を一口大に分解しながら、フランチェスカは上目づかいにこっちを見る。
僕はニッコリ笑って最後のトナカイ肉を飲み込むと、ナフキンで口を拭いて立ち上がった。 今夜の宿や食事の心配をしなくても良くなったんだし、元々急ぐ旅じゃない。 もう宿でじっとなんてしていられない気分だった。
「早く食べちゃいなよ、フランチェスカ。 宿に居たって女帝が訪ねてきてくれるとも思えないし、せっかく初めての街に来たんだ、一緒に出かけよう」
「え? あ、うん。 ちょっとまって」
慌てて魚を食べるフランチェスカをさんざん急かし、最後には彼女の取り分けた魚を勝手に3切れ食べた末に、僕らは街へ繰り出した。
まず僕らは新しい防寒着を買い求めた。
最北の街「トリンチェスク」で買ったマントのような安い毛皮は、流石に街中で羽織るのは憚られるし、何より可愛くない。 フランチェスカに似合う服を買ってあげようと、僕は気合を入れて服を選んだ。
中央の市場では見ないような毛皮やキルトをふんだんに使った暖かそうな上着、手袋、帽子、ブーツ。 もこもこに着ぶくれした僕を見てフランチェスカは笑う。
彼女にも温かい服を買おうと思ったんだけど、断固として違うデザインのローブは着ないと断られた。
「どうして? それだけじゃ絶対寒いよ」
絶対にフランチェスカに似合うと確信したコートを手に、僕は少しムキになって聞いた。
彼女は困ったように、そして少し照れたように笑って答える。
「これは師匠の流れをくむ魔術師の証だから。 ……それに私の〈予見〉に現れるアレフの隣には、いつも魔術師が居るの。 とても信頼しあっているように見えるわ。 そして……その魔術師はいつでもこれと同じローブを着ているのよ」
……それって僕と一緒に居られるための願掛けってこと?
そんなことを言われたことがない僕は、街の寒さに凍りついたように固まってしまった。
やがて凍って固まった体は顔から吹き出した火でしゅっと溶け、僕は真っ赤に火照った顔でコートを店の棚に戻す。
「ば……ばっかだなぁ」
手袋、ブーツ、ボンネットをフランチェスカに手渡す。
「ほん……ほんと、ばっかだなぁ」
しゅんとなるフランチェスカの肩にレースのリボンとファーの付いた丈の長いケープをふわっとかける。
「おばさん、これ全部ください」
自分の着込んだ服と、フランチェスカのケープ、そして彼女が抱えたものを指さして、毛布に埋まるようにして店番をしている店員に声をかける。
「……これならローブを変えなくても暖かいよ」
ぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに頷くフランチェスカから目をそらし、僕は店員のおばさんの方へ向きなおった。
財布からお金を出しながら、なんとなく思い出して「そう言えば、この辺で『女帝』って知りませんか?」と聞いてみる。おばさんは興味なさげに「知りませんねぇ。 はい、全部で金貨7枚と銀貨2枚になります」と言った。
「ですよね」
僕らは気にせず、その後も市場のあちこちを廻り、時々思い出したように「女帝」についての情報集めもした。その答えは全て「知りませんねぇ」だった。
「あー今日は疲れたー」
人でごった返す酒場の小さなテーブルに、僕は腕を伸ばして突っ伏した。
今日一日で市場の中の全部の店を回ったんじゃないかと思うくらい、僕らは歩きまわっていた。 買い食いも沢山してお腹はいっぱいだったし、別に喉も乾いていなかったけど、もうとにかく座りたかった。
一番弱そうなお酒とチーズを注文してフランチェスカを見ると、ケープの端を広げたり裏返したりして、目を輝かせている。 今日は気が付くと一日中そうしていたように思う。
女の子っていうのは不思議な生き物だなぁと思ったけど、彼女を一日中眺めては笑っている僕と、やってることは同じかなとも思った。
飲み物が運ばれてきたので体を起こし、フランチェスカと乾杯をして一口飲む。 甘い香りのお酒は、やっぱり北国らしくアルコールが強くて、僕はクラクラした。
彼女もちょっと驚いたようにグラスと僕を見たけど、楽しそうにお酒を飲み、時々ケープの感触を確かめていた。
「振り向かずに答えろ。 お前が『女帝』を探ってる小僧か?」
急に後ろの席から小さな声が聞こえた。 慌てて振り向こうとした僕の背中にチクリと冷たいものが触り、僕は固まった。
「振り向くなと言った」
辺りの喧騒の中、その低い声は何故か良く聞き取れたけど、すぐ近くに居るフランチェスカには聞こえていないようだった。 魔法かもしれない。
「もう一度聞く、お前が『女帝』を探ってる小僧か?」
「……はい……探して……ます」
「チッ、小僧が……。まぁいい、会わせてやるから3分以内にこの店の裏に来い」
声とともに後ろの気配はすっと消える。 一呼吸置いて緊張の解けた僕が振り返った時には、もう誰が声をかけてきたのか分からなくなっていた。
「どうしたの? アレフ」
真っ青な顔をしている僕にフランチェスカが怪訝な顔を向ける。
「フランチェスカ、すぐここを出よう」
「え?」
……なんだこの状況? なんだこれ? なんなんだ?
僕はちょっとふらつきながら立ち上がると、テーブルに多すぎるくらいの代金を置き、フランチェスカの手を引いて店を出た。
「ちょっとまって、ねぇアレフ! どうしたの?」
引きずられるようにして外まで出た所で、彼女は僕を引っ張って足を止める。 どうしたのって……どうしたんだろう? 僕だって何でこんなことになったのか全然わからない。
「たった今、僕に魔法を使って声をかけてきた人が居るんだ。『女帝』を探ってるのはお前か? って。会わせてやるから3分以内に店の裏に来いって。 でも、すっごくヤバそうな雰囲気だった」
とりあえず店の外に出たのはいいけど、そのまま逃げ帰ろうか、店の裏に向かおうか僕はまだ決めかねていた。
あれは絶対ヤバい人たちだ。昔、僕や妹を誘拐しようとした人たちと似た雰囲気……いや、もっとヤバい雰囲気がプンプンした。 ダメだ、やっぱりフランチェスカをあんなヤツと会わせるわけにはいかない。
「フラン……」
「すごいわ! アレフ! 急いで行きましょう!」
口を開きかけた僕の腕を思いっきり引っ張りながら、フランチェスカは満面の笑みで飛び跳ねた。
「はやく! ね! はやく!」
腕を上下にがくんがくんと振り回されながら、フランチェスカに引きずられた僕は、いつの間にか裏路地に入ってしまった事に気付く。
「ちょっ……待ってフランチェスカ!」
気付いた時にはもう遅かった。 喧騒が急に遠くに離れた様に小さくなり、冷たい夜風が頬の火照りを冷ましてゆくのを感じると、グレーの地味な服を着た男が僕とフランチェスカの背後に一人ずつ張り付いて、背中に鋭く尖った武器を押し付けていた。
「バカヤロウが、大声出すんじゃねぇ。次はねぇぞ」
さっき酒場で聞いたのと同じ声が背中から静かに告げる。
突然の恐怖に囚われて体が竦み、白い息と共に小さく「ひっ」と叫び声をあげたフランチェスカを先頭に、僕らは夜の闇より濃い暗闇へと連れ去られた。