第02話「女教皇 The High Priestess」(前編)
降り続ける雪が踏み固められ、氷のようになった狭い道の地吹雪の中を、僕らは乗り合いの馬車で南へ向かっていた。
緑に溢れたフランチェスカの住んで居た街「マギアバート」から、王国最北の街「トリンチェスク」までの1ヶ月の船旅は劇的で、世界の時間が早送りされているような気分にさせられたし、船の中の生活も楽しかったけど、今はもうそれどころではない。
この旅始まって以来の危機的状況に、僕らは陥っていた。
「女性の教皇様ですか?」
乗り合いの馬車で一緒になった旅の商人は、分厚い手帳をパラパラとめくりながら答えてくれた。
「……少なくとも王国と交易関係にある国の噂では聞いたこと無いですね。 まぁ、あまり有名ではない新興宗教になると、専門家ではないもので分かりかねますが」
商人は手帳をパタンと閉じると「それはもしかして金になる話かい?」と言う目でこっちを見る。 父さんがお役人と世間話をしている時と同じ目だ。
「そうですか。ありがとうございました」
ちょっとした嫌悪感を感じながら、こちらも商人用の笑顔でニッコリ笑ってお礼を言う。腰をかがめながらフランチェスカの隣の席まで戻ると、僕は硬い板のベンチに深く腰掛け、真っ白なため息を付いた。
「やっぱり居ないって」
正面へ顔を向けたまま、目だけフランチェスカの方へ向けてそう言うと、ちょっと期待を持っていたらしい彼女は、大きな鳶色の瞳にあからさまな落胆の色を浮かべて目を伏せた。
「だって……〈予見〉では女性の教皇様に出会って、必要な知識を得るって出たんだもの……」
右手の赤い指輪を左手でくるくると回しながら、拗ねたように口をとがらせる姿は小さな子供みたいで可愛らしかったけど、流石に今は笑う気にもなれなかった。
フランチェスカの予見に従って、北へ向かった僕らは、生まれて初めての旅に興奮した彼女の暴走に近い提案によって、船で一気に最北の街まで向かう事を選んだ。
確かに船旅は楽で良かったけど、北の街に到着して気付いたのは、この街までは父の、トライアンフ家の商業網は到達してなくて、お金も引き出せなければ情報も貰えないっていう事実だった。
また1ヶ月かけて船で帰る気にもなれないし、そもそも船に乗るにはお金が足りない。陸路で帰るとなると3倍以上の時間がかかるらしかった。
仕方なく僕らは北で最も栄えている商業都市「ハイエスブルク」へと向かう乗合馬車に乗って南へ向かっている、と、そう言う状況だ。
まったく、〈予見者〉が聞いて呆れる。
会話もないまま更に1時間ほど馬車に揺られ、そろそろおしりの痛みが限界に近づいた頃、馬車はゆっくりと停車した。
「到着しました。アペルキスクです。何方様もお忘れ物無きよう、お気をつけてお降りください」
アペ……なんだって?
僕は最北の街トリンチェスクよりも寂れているように見える寒村の馬車着き場に立ち尽くし、地吹雪にもまれていた。
「……ちょ、ちょっとすみません。この馬車はハイエスブルクへ向かう馬車だと聞いて乗ったのですが」
僕は忙しそうに馬の装具を外す御者に駆け寄り、掴みかかる勢いで聞いた。 こんな所で放り出されては死んでしまう。
「はい、向かいますよ。 ただし、馬を休めるために出発は2~3日くらい後になります。 地吹雪がひどくて代わりの馬車が到着していないものですからね。 吹雪の状況によっては出発はもう少し遅れます。 ……あ、ご乗車なされる前にそちらのお嬢様に説明したはずですが……?」
御者の指差す先には、小さな体を更に小さく畳んでしゃがみ込み、ミトンの手袋に息を吹きかけるフランチェスカの姿があった。 こうなってはもう溜息を付くしか無い。 僕は頭を抱えた。
「では、馬を厩へ入れてやらねばなりませんので、これで」
「あ、すみません、この辺に宿はありませんか?」
馬を連れて立ち去る御者の背中に、僕は慌てて声をかける。
彼は背中を丸めたまま、振り向きもせず、ただ左の方向を指さした。
「ありがとうございました」
僕は雪だるまになりかけているフランチェスカの横を通り、ただ「行くよ」とだけ言うと、御者の指さした方向の真っ白で何も見えない吹雪の中へと歩き出した。
明かりのついた小さな宿兼酒場に飛び込むと、暖かい空気と美味しそうなご飯の匂い、そして沢山の人の喧騒に、僕らはほっと肩の力を抜いた。
「あぁ! お客さん! もう、雪は落としてから入ってくださいよ!」
厨房前で僕らくらいの年齢の女の子と話をしていた宿のおばさんは、僕らの姿を見ると大きなモップを持って走り寄って来て、足元に積もった雪を大急ぎで片付け始めた。
「すみません、雪に慣れていなくて。 ところで宿を1部屋お願いしたいんですが……」
おばさんは、厨房の方に向かって「あぁイオナ、魚はそこに置いて行っておくれ。 ウチの人に言ってご飯も持って行きな」と叫ぶと、こちらに向き直り「すみませんねぇ、今日はもう部屋が空いてないんですよ。 この吹雪でねぇ」と食堂内を手のひらで指し示した。
確かに、この人数が宿泊しているとしたら、ベッドの数より数倍の宿泊客が居ることだろう。
「それじゃあ他の宿を紹介してくれませんか?」
「……それがねぇ、この村には宿はここ1軒きりなんですよ」
「えっ?! 何とかなりませんか? 吹雪を避けられるだけでも良いんです。 おねがいしますよ」
「そう言われてもねぇ、馬車でいらっしゃるお客様には事前に予約を頂いていますしね。 それ以外のお客様にも厩まで貸してしまって、本当に泊まる場所が無いんですよ……。 あ、はいはい! おかわりですね! ……では、すみませんね。またのお越しを」
おばさんはテーブルの客と二言三言言葉をかわすと、忙しそうに厨房へ消えていった。
馬車のお客様には事前に予約を頂いてるだって……?
呆然とする僕に、少しは責任を感じているらしいフランチェスカがそっと近づいてきた。
「アレフ……泊まるとこ……ないの……?」
「無いみたいだ」
「……野宿?」
「死ぬね」
「どうしよう……」
「……」
外に出る踏ん切りもつかないまま宿の入口に立ち尽くし、温かい宿の中の美味しそうな匂いを嗅いでいた僕達に、突然横合いから声がかかった。
「あの、もしよろしければウチに来ませんか?」
先ほど宿のおばさんと話をしていた、僕らと同じくらいの年齢の女の子だった。名前は確かイオナと言ってたはずだ。
「それは願ってもない話だけど、良いの?」
「なんのお構いもできませんが、吹雪を防ぐ屋根壁と、暖炉は有ります。 見ればお連れの方は随分お疲れのようですし、粗末な家ではありますが、お二人さえ宜しければ、ぜひどうぞ」
僕はちょっと迷ったけど、フランチェスカが「おねがいします!」と即答してしまったので、僕も「じゃあ、お願いしようかな」と答えるしか無かった。
宿で食事を買い込み、吹雪の中を小走りで駆け抜けると、イオナの家まではすぐだった。真っ白な吹雪の中に黒々とそそり立つ大きな教会。 とても「粗末な家」とは呼べない建物だったが、どうやらここで間違いないようだった。
熾火に空気を送ると、暖炉の火はすぐに暖かく燃え上がった。
暖炉の前に低いテーブルと、形の違う3つの椅子を引き出すと、イオナはキルト地のひざ掛けを数枚抱えて持ってきてくれた。
「挨拶が遅れました。 僕はアレフ・トライアンフ。旅の絵かきをしています。 こちらは一緒に旅をしているフランチェスカ。 魔術師です。部屋をお貸しいただきましてありがとうございます。 助けていただかねば凍え死ぬ運命でした。 感謝します」
ひざ掛けを受け取った僕は慇懃にお礼の言葉を述べる。 一応名門の家で育ったのだ、こう言う無駄な挨拶をするのは得意分野とも言える。
僕のかしこまった挨拶に合わせて、フランチェスカも頭を下げる。 背筋を伸ばしたイオナも同じように丁寧な挨拶を返す。
「こちらこそ挨拶が遅れましてすみません。私はイオナ・ギーメルともうします。 この古い教会の管理をしております。 何もありませんが、石炭だけはたくさんありますので、吹雪が収まるまで何日でもご滞在ください」
とりあえず、きちんとした挨拶を交わしておくのは大事だ。これでつかみはオッケーと言うことにして、僕はニッコリと笑って普段の口調に戻した。
「珍しいね。 石炭の暖炉なの?」
「珍しいですか? あぁ、南から来られたのですね。 この辺りの樹は杉ばかりなので、薪としてくべると火の粉が飛んで危険なのです。 ですから昔から石炭の暖炉が普通ですわ。 それに、この村は昔、炭鉱の町として栄えていました。 ご覧のとおり吹雪で輸送に支障をきたすことが多くて、今では打ち捨てられてしまいましたが、廃坑の周りに行けば小さな石炭はいくらでも拾えますので、私のような者としては助かっていますわ」
「へぇー、そうなんだ」
地域が変われば色々変わるものだ。 もう少し煙が少なければ、中央でも流行るかもしれないな、 石炭ストーブ。 設置と石炭の流通を一手に引き受ければ……っと。 何を父さんみたいな事を考えてるんだ僕は。
「イオナは一人でここに住んでいるの? ご家族のかたは?」
暖炉の火で両手を炙っていたフランチェスカが周りを見回しながら尋ねる。 おいおい、そこは聞くとしてももう少し馴染んでからだろう。 フランチェスカは本当に会話の機微ってものを理解していない。 でもまぁ気になるところでは有る。
「はい……。 両親は3年前に……私が12の時に流行病で亡くなりました。 兄は北の街で漁師をして、時々仕送りをしてくれます。 私は父の遺志を継いでこの教会を管理しているのです」
管理していると言うところにちょっと違和感を覚えた。普通司祭とか修道士とか言う人たちは、「神にお仕えしています」みたいな事を言うものだ。
なんか気になるけど、僕はフランチェスカじゃない。 不躾にずかずかとイオナのプライベートを聞くつもりはなかった。
とりあえず僕は宿で包んでもらった魚のパイを取り出し、フランチェスカとイオナに一つづつ渡す。恐縮しながらパイを受け取るイオナを見ながら、どうせ吹雪が過ぎれば通り過ぎるだけの村だ。 寝る場所と暖炉を提供してくれるなら、彼女が神職でもそうでなくてもどっちでもいいじゃないか。 と、僕はそう思った。