第00話「愚者 The Fool」
僕、アレフ・トライアンフは、魔法が使えない。
幸いにも裕福な家に生まれたので、友達と何か競争をする時以外は困ったことはないけれど、誰もが多少なりとも魔法の力を持っているこの世界から見れば、やっぱり僕は不具者に見えるらしかった。
父さんは有名な占い師や魔法研究者に来てもらって、僕の隠れた(隠れてなかったけど)魔法の才能を何とかして探そうとしたけど、僕が18歳になった時、やっと諦めてくれたみたいだった。
僕の18歳の誕生日、正にその当日に、当世最高の魔術師だと言われている厳つい顔をしたじいさんが「残念だがこの子には全く魔法の力を感じませんな、トライアンフ殿」と告げた時の父さんの顔は未だに忘れられない。
母さんは「私が悪いのです」と叫んで自殺しようとするし、妹は「友達を家に呼べない」と泣き叫ぶしで、家の中はわりと修羅場だったかなと思う。
使用人頭のマグリアを筆頭に、周りの皆がほっと胸をなでおろしたのは、僕自身が魔法の才能がない事にそんなに落胆した様子を見せないことだった。
それはそうだ。何しろ僕は物心付く前からとうに諦めていたのだから。
誕生日の夜、僕ことアレフ・トライアンフ18歳は、両親に別れを告げる事にした。
「父さん、母さん。 僕は魔法が使えません。 でも絵を書くことは好きだし、誰もが僕の絵を『魔法のようだ』と褒めてくれます。 僕は世界中を旅して絵を描く、旅の絵描きになろうと思います。 お願いです、僕のわがままを許してください」
以前から計画していた事とは言え、よくもまぁこんなに白々しい言葉がスラスラ出たものだと自分でも驚く。
直前に母さんの自殺未遂や妹の発狂具合を見ていた父には渡りに船の言葉だったんだろう。
「うむ、可愛い子には旅をさせろと言う言葉もある。 見聞を広めるのも良い頃合いだな」
威厳の有る顔を保とうと努力しながら、旅の資金援助の約束をしてくれた。 何しろ金は結構持ってる家なのだ。 トライアンフ家は。
次の日の朝は薄曇りの冴えない天気の日だったが、僕にとって、いや、家族にとっても最高の日になった。
僕にとっては「いつ魔法の力に目覚めるのか」という家族からの無言のプレッシャーと、腫れ物にさわるように扱う使用人達の哀れんだ目からの脱出の日。
家族にとっては「名家の長男が不具者である事を隠しながらの生活」からの開放をもたらした記念すべき日なのだから。
数日後に近くの街で聞いた噂によると「あの名家トライアンフ家のご子息は、ただ血筋だけで家を継ぐ事を潔しとせず、家名を継ぐのに相応しい偉業をなすための武者修行の旅に出た」のだそうだ。
噂好きのおばさんでなくても涙が出そうになる。 なんとも立派なご子息だと僕も思う。
どこに行くかも決めていない気ままな旅だったが、最近ゴブリンが出たという西の街道は避けて東へ向かう事にしたのは、我ながら幸運だったと思う。
いや、運の尽きだったのだろうか?
絵も描かないまま数日の旅をして、ふと立ち寄った街の酒場で、僕は妙な魔術師と相席になった。
酒場と言っても食事をするものと酒を飲むもの半々と言った感じの食堂だったし、僕も酒はあまり飲んだ事がないから、エビのたっぷり入ったスープとジャガイモのぎっしり詰まったパイをモリモリと食べていた。
旅に出てから食事が旨い。
相席になった魔術師は妙に時代がかった格好をしていて、深くかぶったフードの奥でワインをちびちびやりながら、僕が大量のパイを胃袋に収めるのを感心したように眺めていた。
「キミはアレフくんだよね?」
4つ目のパイを口に突っ込み、一息ついた僕に魔術師が話しかけてくる。 急に名前を呼ばれ、その声が若い女性の声だったのも合わせて、流石に僕も警戒した。
「……失礼ですが、以前にお会いしたことがありましたか?」
「え……あ、警戒しないで。私には未来を予見する力があるの。キミに旅の目的を告げるためにここに来たのよ」
……こういう輩は相手にしないに限る。 トライアンフ家の財産を何とか掠め取ろうとする手合には、子供の頃から何度も付きまとわれたことが有る。
僕はこう言う経験だけは豊富なのだ。
そもそも未来を予見するような強い力を持っている魔術師が、こんな田舎町で燻っている訳がない。
王立魔術院か金持ちのお抱え魔術師になって忙しく働いているだろう。
こんな平日の真昼間に酒場に居ること自体、まっとうな大人じゃないと自己紹介しているようなものだ。
……僕も含めて。
「それは素晴らしい。 その前にちょっとお手洗いへ、失礼します」
「……だから、私は未来が予見できると言っているでしょう?アレフくん」
椅子からおしりを浮かせるか浮かせないかの瞬間に、魔術師はテーブルをトントンと指で叩くと、僕のおしりは椅子に吸い寄せられるように落ち着いた。
……驚いた。
よく居る自称「預言者」の類かと思っていたが、ある程度は本当に予見出来るのかもしれない。 もしくは、僕の心を読んでいるかのどちらかだ。 それにしたってすごい能力だと言わざるをえない。
椅子に座らせられた簡単な魔法だって、元々魔法の力が廻りにくい僕を簡単に座らせたのだから大したものだ。
僕は改めて椅子に座り直し、もう2人前の料理とワインを注文した。
魔術師の名前はフランチェスカと言い、この街で魔法そのものの研究をしている「予見者」だった。
「キミは……ほら……あの……あれでしょう……。あの力が無いのでしょう?」
フランチェスカは非常に言いにくそうに、それでいてズバッと核心を突いてきた。
僕が傷つきやすい少年ならショック死しているところだ。
でもこれで確信した。僕に魔法の力が全く無いことは、家族と使用人のごく一部しか知らない事だ。 彼女は予見か読心か、何らかの強力な魔力を確かに持っている。
世界に何人も居ないそんな力を持つ魔術師が、この僕に何の用が有って会いに来たのか、逆に興味が湧いてきた。
まぁ言ってみれば僕だって世界に数人しか居ない何の力も持たない男な訳だけれども。
「えぇ、そうです」
「……あ、ごめんなさい。私はちょっと人と話をするのが苦手で。言い方を考えられないの、ごめんなさい」
早く話の続きが聞きたくて素っ気なく答えたのを僕が傷ついたとでも思ったらしい。 慌てて謝罪を繰り返す。
どうやら悪い人間ではないようだ。 僕はちょっとこの魔術師が好きになって来た。
「いや、いいですよ。 本当のことですし。 僕は気にしてません。 ただ、他言は無用でお願いします」
フランチェスカは2~3度咳払いをするとワインで口を湿らせ、続きを話しだす。
「私が魔法そのものの研究をしているのはさっき話したよね? その中でも一番の研究対象は、魔術の発生についてなの。 つまり、人はなぜ魔法を使えるのか。 人はいつ魔法を使えるようになるのか。と言うことよ」
人はいつ魔法を使えるようになるかだって? そんなの生まれた時からに決まってる。
僕は彼女の長年の研究の答えを教えてあげようと口を開きかけたけど、フランチェスカは気にする素振りもなく、そのまま話を続ける。
「私の研究では、人は平均で生まれてから3日以内に最初の魔法の力を発現させるの。 そして新しい力の発見は、だいたい15歳くらいまで続くわ。 多い人で50種類の魔法が使えたという記録が残っているの」
そうなのか、ずるいな。 その中の一つでも僕にくれればいいのに。
ちょっと悔しい顔をしてしまったのか、フランチェスカが話を止めて、また「ごめんなさい」と目を伏せた。
僕はひらひらと手で何かを掬うような仕草をして話の続きを促す。
「……重要なのは、生まれてすぐではなく、成長の過程で新しい魔法を発現させる人がたくさん居ることなの。 でも、その発現のトリガーが何なのか、未だに分かっていないわ」
フランチェスカの声がだんだん大きくなっている。 本当に好きで研究してるんだなと思う。
僕も昔は自分の書いた絵の、新しい筆使いをした所や初めて成功した色の説明をしている時はこんなだったなぁと懐かしく思い出した。
絵を書くのは今でも本当に好きだけど、今はそんな情熱もない。
「でも私は予見したの。その……キミに出会うことを。 そして、キミが魔法の力を手に入れる過程で、私は魔法発生の理論を手に入れるのよ!」
いつの間にかフードは後ろに跳ね上げられ、はちみつ色の可愛らしくカールした髪がフワフワと揺れていた。
ドヤ顔で大きな目をキラキラと輝かせたその顔は、素直に可愛らしいと思った。
僕の視線に気がついたフランチェスカは、ハッとしてフードをかぶり直す。
「……だ……だから、私と一緒に旅をしましょう? 私はキミが魔法の力を得る手助けができるわ。 どう?」
どう?と言われても、今の話だけでどう判断すれば良いと言うのか?
まぁどうせ何の目的もない旅だし、可愛い女の子と二人旅出来るのは願ったり叶ったりだけど。
「予見が出来るなら、僕がどう答えるのかも分かってるんじゃないの?」
若い女性だとは思っていたけど、どうも僕と同じくらいの年齢のようだ。 僕は面倒になっていきなり砕けた口調で軽口を叩いてみた。
「あ……そ……そう言う細かいことまでは……私の予見は大きな出来事の中のキーになる映像だけで……」
何やら言い訳をしようとしている。
別に責めてる訳じゃないんだけど、真面目なのか冗談を理解できないのか、とにかく今までの僕の友達には居なかったタイプであることは間違いない。
「いいよ、一緒に行こう。 僕はアレフ・トライアンフ。 18歳。 男。 彼女なし。 キミは?」
「私はフランチェスカ・ベート。 17歳。 もちろんレディーよ」
「自己紹介が一つ抜けてる。 彼氏は?」
「そっ! そんな事どうでもいいじゃない!」
「おっけ。 彼氏なし。 と。 よろしくねフランチェスカ」
「キミは……!」
「おっと、キミはやめてよ。 アレフでいいよ」
可愛い女の子かどうかは別として、魔法の力が本当に手に入るなら、僕は何でもやる。
自分でもとっくに諦めたと思っていたけど、こうして可能性を見せられると、全然諦めきれていないことを痛感させられた。
悔しいけど、やっぱり僕は魔法を使ってみたい。
ずっと、ずっと、昔から。 ずっと、ずっと、今でも。 本当は魔法を使ってみたかったのだ。
僕らは宿を取ると、まずフランチェスカの家を引き払う手続きをした。
「いいの?フランチェスカ?」
「ええ、どうせそろそろこの街で研究できる事は少なくなって来ていたのよ。 それに、私たちはこれからセフィロトの樹に示された22の小道を進まなければならないの。 それがどの位で終わるのか、その後どうなるのかは私には見えていないわ。 ……こんな頼りない情報でも大丈夫?」
両手でフードの縁を引っ張り、出来る限り顔を隠そうとしているフランチェスカの顔を歩きながら体を傾けて覗き込む。
「頼りない予見者だね。 んー、そうだなー。 一つ約束をしてくれるなら」
「な……なにかしら?」
「……フードで顔を隠さないこと……かな」
チラッと見えた頬をフード越しでも分かるくらいに真っ赤にすると、フランチェスカは更にフードを引っ張って顔を隠す。
「~~~~~……」
フランチェスカは5秒くらいそのままでいたけど、意を決したようにフードを跳ね上げて顔を逸らした。
頬はやっぱり真っ赤なままだった。
「別に! 今までだって隠してた訳じゃないんだから!」
「うん、そうだね。 そのほうがいいよ」
僕は、今までも楽しかったけど、これからの旅はもっと楽しくなると確信した。
僕にも予見の能力が発現したかと思うほどの確信だったけど、それを言うとフランチェスカとの旅が終わっちゃいそうなので黙っていることにした。
二人旅へ向けての買い物と美味しい食事を終え、宿の部屋に入った僕らは旅の相談をすることにした。
「で? 具体的に僕は何をすればいいの?」
全く忘れていた根本的な質問を、僕はこの時やっと聞くことが出来た。
「あ……」
フランチェスカもそこを説明していないことに気付いたらしい。 バッグをゴソゴソかき回すと、中から手品で使う大きなトランプのような、真っ白なカードの束を取り出した。
「この22枚のカードにアレフの見つけた道を描いて欲しいの。 一つ一つがアレフの体と世界を取り持つ道になるわ。全てのカードが揃った時、魔法の力が身につくはずよ」
白いカードを受け取り、僕は途方に暮れる。
道ってなんだ?何をかけばいいんだ?
「とりあえず、何を描けばいいのか全くわからない」
「そうね、まずはアレフ自身を描いたらいいんじゃないかしら……? 全ては自分を知ることから始まるものよ」
自分自身……。 そんなものを描くことになるとは思わなかったけど、何だか今はそれを描くのが正しいことのように思えた。
僕は一枚のカードを手に持つと、組み立て式の小さなイーゼルにそっと載せた。 絵の具を広げフランチェスカにおやすみを告げると、ふり返りもせずに筆を取り、真っ白な紙に最初の色を載せた。
久しぶりに本気で絵を描きたい気持ちになっていた。
右へ左へ。 上へ下へ。
手が別の力に操られるように色を広げて行く。
やっぱりこの瞬間だけは、僕の手に魔法の力が宿ったように感じる。
僕は何も考えずに、筆を奔らせ続けた。
真夜中過ぎに絵を描き上げると、フランチェスカの小さな寝息が聞こえる。僕は描き上げたカードの下に番号と名前を書き入れることにした。
1番……と書こうとして、僕は筆を止める。
まだ旅は始まっていないじゃないか。 まだ僕らは1番目の道にすら至っていない。
迷った末に0番を書き込み、タイトルを「愚者」とつけ筆を置く。
「改めてよろしく。僕」
久しぶりに満足した気持ちでベッドに入り、ランタンの火を消した。
「改めてよろしく。フランチェスカ」
僕は、すぐに深い眠りに落ち、早朝にフランチェスカの驚きの歓声で起こされるまで、ぐっすりと眠り続けた。
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0.愚者(The Fool)
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■正位置の意味
自由、型にはまらない、無邪気、純粋、天真爛漫、可能性、発想力、天才
■逆位置の意味
軽率、わがまま、落ちこぼれ