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大正殉恋録  作者: 猫塚ルイ


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2/10

第2話

帝都陰陽局、通称『黒宮』。


それは、文明開化の象徴である赤レンガの街並みの中で


異彩を放つ巨大な鉄筋コンクリートの城塞だった。


近代的な外観とは裏腹に、その内部には幾重にも及ぶ呪術的な防壁が張り巡らされ


一歩足を踏み入れれば肌を刺すような冷気と、澱んだ霊力が肺の奥まで侵食してくる魔窟だ。


私が連れてこられたのは、迷路のような廊下を抜けた先、地下深くにある第零取調室。


窓一つない、立方体の部屋。


中央には冷たく光る鉄製の机と、無機質な椅子が一つ。


四方の壁には、あやかしの力を封じ込めるための呪符が


まるで見せしめのようにびっしりと貼り付けられ


空気中には独特の苦い墨の匂いと、古い紙の湿った香りが充満していた。


「……名前は、火堂雲雀。年齢は十八。居住地は帝都十番街、古書店『月下堂』。身元保証人は店主の久兵衛。間違いはないか」


机を挟んで向かい側に座った界人さんが、感情を削ぎ落としたような声で調書をめくる。


店にいた時とは違い、彼は軍帽を脱いでいた。


露わになった深い青の髪が、天井の電燈に照らされて、夜の波打ち際のように静かに光っている。


その彫刻のような美しさに、この最悪な状況だというのに一瞬だけ呼吸を忘れてしまいそうになる。


けれど、彼がこちらを向いた瞬間


その瞳に宿る絶対的な冷徹さが、私の淡い意識を現実の絶望へと引き戻した。


「……はい。でも、さっきも言いました通り私は本当に何も……あれがそんなに恐ろしいものだなんて思わなくて、ただの、古い本だと思ったんです!」


「ただの本ではない。あれは、大戦期に失われたはずの呪物『返り咲きの歌集』だ」


「持ち主の精神を摩耗させ、過去の怨念を現世に引きずり出す触媒。……それを、お前は抵抗もなく素手で触れ、あまつさえ『開かずの時計』を起動させた。この意味がわかるか?」


界人さんがじり、と身を乗り出す。


彼が嵌めている黒革の手袋が、鉄の机と擦れてギチリと不吉な音を立てた。


「お前のその髪。その瞳。帝都を何年探しても見つからないような、あまりにも不自然な色彩だ」


「そ、そんなこと言われても…」


「……答えろ。お前は、自分が何者か分かっていてそこに座っているのか?」


「何者って……私はただ、捨て子だった私をあのおじいちゃんが拾ってくれて。今日まで、ただ本を売って生きてきただけで……」


「嘘を吐くな。あの黒檀の時計は、百年前の陰陽師が自身の全霊、そして命と引き換えに、帝都を焼き尽くそうとした『大あやかし』を封じ込めた檻だ」


「それが、お前が指先を触れただけで目覚めた。一世紀の沈黙を破ってな。…お前の中に、誰が潜んでいる何よりの証拠だ」


界人さんの追求は、氷の針となって私の心臓を執拗に刺してくる。


怖い。ここから出たい。


おじいちゃんのいる、あの埃っぽいお店に帰りたい。


拒絶の言葉が喉元までせり上がっているはずなのに、彼の紫苑の瞳と視線が絡み合うたび


私の内側で「正体不明の何か」が熱く、激しく疼きだす。


どこか懐かしい。どこか愛おしい。


どうしようもなく、この人に触れたい。


───私自身の記憶には一秒たりとも存在しないはずの狂おしい情念が


私の意識を乗っ取ろうと暴風のように吹き荒れる。


「……わかり、ません。でも……あなたを見てると、胸が苦しいんです」


気がつくと、私の右手は吸い寄せられるように、鉄の机の上へと伸びていた。


部屋中に貼られた抑制の呪符が、重石のように全身を押し潰しているはずなのに


私の芯にある「熱」がそれらすべてを焼き切ろうとしていた。


「あなたを……、ずっと前から知っている気がするんです。界人さん」


震える声でその名を呼んだ瞬間、界人さんの表情が、初めて劇的に崩れた。


鉄壁の冷徹さが剥がれ落ち、その下から覗いたのは


深い驚愕と、そして──抉り取られた傷口を見るような、あまりに悲痛な絶望だった。


「………もういい」


彼は私の手を荒々しく振り払うと、椅子を弾き飛ばすような勢いで立ち上がった。


そのまま、一歩で距離を詰め、背後の冷たい壁に私を追い詰める。


逃げ場はない。


彼の漆黒のマントが大きく翻り、その内側の鮮やかな緋色が私の視界を塗りつぶした。


「か、界人さん?」


「その名で呼ぶな」


地を這うような低い声が、至近距離で耳の奥を震わせる。


首筋に、彼の熱く乱れた呼気がかかった。


界人さんの指先がいっそ乱暴に私の顎を掬い上げ


逸らそうとする私の瞳を無理やり自分へと固定させる。


「お前は、俺が滅ぼすべき『あやかし』だ。百年前、俺の先祖がこの家系の誇りにかけて、その手で完全に葬り去ったはずの……」


強引に顎を掴んでいた指の力が、ふ、と抜ける。


そのまま彼の指先は、迷うように私の頬をなぞった。


それは、獲物を屠ろうとする者の手つきではなかった。


壊れ物を恐る恐る愛でるような


失ったはずの宝物を闇の中で探し当てたような、歪で、狂気じみた執着。


「……なのになぜだ。なぜ、お前の髪からは……あの時と同じ、焦げたような花の香りがする」


取調室の分厚い鉄の扉を突き抜けて、遠くから、あの時計の不気味な脈動が聞こえた気がした。


ガチリ。


一度動き出してしまった運命の歯車を、もう、止める術は存在しない。


「雲雀。お前は今日この瞬間から、この俺の『所有物』だ。あやかしとして処刑台に送られるか、俺の監視下に置かれるか……今ここで、選ばせてやる」


界人さんの瞳の奥で、紫苑の炎がゆらりと揺れた。

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