マッド・ダッシュ MLB選手 イーノス・スローター(1916-2002)
スローターは1942年から1945年まで兵役に就き、サイパン島では日本軍とドンパチやっていたにもかかわらず、復員した翌年には'300 18本塁打 130打点で打点王に輝いている。戦地では草野球に興じることもあったとはいえ、軍服からユニフォームに着替えて半年ほどでメジャーの舞台で第一戦に返り咲くのは奇跡に近い。スローターの名を不朽のものとした”マッドダッシュ”は戦場で銃火を潜り抜けてきた要領だったのだろうか。
「Slaughter(大量殺戮)」とは何とも物騒な名字だが、スローターはその名の通り相手チームにとってはデンジャラスなプレイヤーで、打てばシングルヒットを二塁打にし、走ればシングルヒットで一塁から生還する走塁技術は、かのタイ・カッブに匹敵する、と言われたものだ。後年のピート・ローズは彼のプレースタイルを踏襲している。
面白いのはこの三者ともに怪我のリスクが大きい全力プレーを身上としていたにもかかわらず、揃って四十歳過ぎまでレギュラーを張っていたことである。現役生活もカッブとローズが二十四年、スローターが十九年(兵役期間を入れると足掛け二十二年)と異例に長い。イチローが危険を伴うクロスプレーを極力回避することで、選手寿命を永らえてきたこととは対照的である。
一七五センチと当時のメジャーリーガーの中でも小柄なスローターが怪我に強かったのは、フットボールの下地があったからかもしれない。高校時代までのスローターはフットボールの花形選手で、ポジションはフルバックだった。地元ノースキャロナイナ州のアレンスビル・ハイスク-ルにフットボールチームがないという理由で、自宅から二十四マイルも離れたベゼル・ハイスクールに転編入したほどだから、よほど好きだったのだろう。大学からも声がかかりながら、フットボールを諦めてダーラム市のカルヴェル綿織物工場への就職を選んだのは、スローター家が貧しかったことによる。
この選択は正解だった。カルヴェル綿織物工場はセミプロの野球チームを持っており、彼はハイスクール時代に鳴らした野球を続けることが出来たからだ。スローター家の五人兄弟はいずれも野球好きで、全員セミプロチームでプレーするほどの腕前だったが、最も野球が上手かったのは長男のロバート(後にカージナルスのファームでプレー)で、次男のイーノスはその次だった。
ハイスクール時代には五割二分五厘という通算打率を残している強肩強打の外野手、イーノス・スローターの名は、やがてダーラム・モーニング・ヘラルド紙の運動部長、リチャード・ハネーの目に留まり、彼の口利きでカージナルスのファームキャンプに参加することが出来た。その時の格好がいかにも貧乏臭く、言葉も訛っていたため、最初は都会出の選手から馬鹿にされていたが、打撃センスと肩の良さは群を抜いていた。
マイナー時代はどこのチームでも最初は馬鹿にされながら、やがては一目置かれ、他の選手がアドバイスを乞うようになるという繰り返しだった。スタープレーヤーになってからも、気取らず垢抜けのしていないところは変わらず、チームメイトからもファンからも慕われる愛すべきキャラクターだった。後年、日本にやって来た時も人の良いおっちゃん然としており、メジャーリーガーの前では緊張感で硬くなっていた日本選手も、スローターとは和気あいあいだった。
一九三五年、プロとしてのスタートこそ月給わずか七十五ドルのD級リーグからだったが、翌一九三六年には1A,一九三七年には2Aと着実にメジャーへの階段を上って行った。特に2Aでは三割八分二厘、二十六本塁打と大活躍し、初年度の選手としては2A史上初の首位打者に輝いている。おかげで開幕時に百五十ドルだった月給は、二百五十ドルまで昇給した。月給二十ドルで綿織物工場に勤めていた頃が嘘のようである。
スローターの野球の腕前が急速に進歩していったのは、D級時代にみっちりと走塁の指導を受けたからである。後年、ベースランニングにかけてはメジャーリーグ内でも並ぶ者なしと絶賛されたスローターも、意外や意外、マイナー時代は走り方がドタバタしていて、守備範囲も狭かったのだ。
一九三八年、スローターはプロ入り一年目からレギュラー右翼手に抜擢された。前年度、新人ながら三割一分四厘という好成績を残したドン・パジェットに一塁手や捕手までさせて、海のものとも山のものともわからないスローターを起用し続けたフリッシュ監督の采配は一部から非難を浴びた。
結果は、スローターが二割七分六厘、八本塁打、五十八打点、パジェットが二割七分一厘、八本塁打、六十五打点、とほとんど同等だったが、長い目で見ればスローターに早くから経験を積ませたフリッシュに先見の明があったといえるだろう。メジャー在籍が十年で終わったパジェットに対し、スローターは十九年の長きに及び、四十歳までの十六年間はレギュラーだったからだ。
注目の二年目、捕手にコンバートされたパジエットは規定打席に届かないまでも、三割九分九厘、五本塁打、五十三打点という申し分のない成績を残したが、スローターも主砲メドウィックに次ぐ三割二分、十二本塁打、八十六打点とクリーンナップの重責を全うし、右翼手のレギュラーポジションを確保した。
この頃まではまだ守備は不安定で、外野手としてリーグ最多の十二失策を記録したが、走塁には積極さが加わり、前年度の倍以上となる五十二本の二塁打を放っている。前年度まで三年連続リーグ最多二塁打を記録していたメドウィックはこの年四十八本だったため、スローターが先輩の指定席を奪う形となった。
一九三九年から第二次大戦で応召されるまでの四年連続で三割を打ち、一流選手の証である年俸一万ドルに達したスローターは、四年ぶりにグラウンドに戻ってきた一九四六年のシーズンでも全くブランクを感じさせない猛打を披露し、初の打撃タイトルとなる打点王(一三〇打点)に輝いている。この年、カージナルスはリーグ優勝を果たし、MVPは惜しくも首位打者を獲得したスタン・ミュージアルに譲ったものの、ワールドシリーズでは先輩の意地を見せた。
ア・リーグの覇者レッドソックスとがっぷり四つに組んだワールドシリーズは、三勝三敗で迎えた第七戦、八回表まで終わって3対3の同点だった。八回裏のカージナルスの攻撃は、四番のスローターがセンター前に弾き返して出塁した後、次打者の犠打失敗で一死一塁となった。
六番ハリー・ウォーカーの左中間への低いライナー性の当たりは中堅のカルバーソンがうまく回り込み、シングルヒットに抑えたが、スタートの良かったスローターはすでに三塁の手前にいたため、外野からの返球は遊撃のぺスキーに戻ってきた。この時ぺスキーはスローターが三塁で止まっていると思い込んだのだろう、捕球してからゆっくりと三塁方向に目をやったが、スローターの姿は見えなかった。慌てて後ろを振り返るとホームを目がけて背番号9が突進していた。
この時、レッドソックスの中堅がメジャーナンバーワンの名手、ドム・ディマジオであれば躊躇なくホームにダイレクト送球したであろう。ところがディマジオは負傷で退いており、控えのカルバーソンだったのが運のつきだった。
とりあえずペスキーに返球したものの、ペスキーもシングル性の当たりで一塁走者がよもや本塁突入するとは全く想定していなかったたため、ホームへの送球がワンテンポ遅れてしまったのである。スローターは彼らの思い込みを逆手に取って、見事にホームイン。これが決勝点となり、カージナルスはワールドチャンピオンの栄冠に輝いた。
悔しがったのはドム・ディマジオである。この球場の外野は打球が転がりにくい、つまり球足が遅いことを熟知していたディマジオは常に塁上の走者の動静に注意しながら迅速な打球の処理を心がけてきたが、慣れていないカルバーソンに代わったとたんに、スローターがギャンブルを仕掛けてきたのだ。
「マッド・ダッシュ(狂走)」と呼ばれたスローターの激走は、ワールドシリーズ史上有数の名場面の一つに数えられており、今日ではカージナルスの本拠地ブッシュスタジアムの隣にマッド・ダッシュの像が建てられているほどだ。
ワールドシリーズにおけるMVPの表彰は一九五五年からであるが、もしこの時に制度化されていればスローターが選ばれていた可能性が高い。
スローターが全米オールスターチームの一員として来日したのは、一九五三年十一月のことである。三十七歳と最年長のスローターはレギュラーシーズンでも二割九分一厘、六本塁打、八十九打点と勝負強さは相変わらずで、日本チームとの試合でも三割九分三厘、六本塁打と全盛期の片鱗を見せている。
見た目は日本人選手と変わらぬ体格のオールドタイマーが、現役パリパリの川上、大下、中西らを凌ぐ強打と走塁を披露したのだから、全日本軍も形無しである。
巨人軍初代監督で評論家の三宅大輔は、「来日選手の中ではスローターの打撃技術が最も優れている」と賛辞を惜しまなかった。
来日時のインタビューでは、「あと二、三年は現役でプレーしたい」と言っていたスローターが引退したのは、六年後の一九五九年のことで、その前年に川上は引退していた。しかもスローターは四十歳を過ぎた一九五七年まではレギュラーで、控えに回った一九五八年ですら三割を打っていた。
現役通算打率は三割ジャストで、背番号9はカージナルスの永久欠番となった。
生涯成績 ’300 169本塁打 1304打点 2383安打
スローターの打撃タイトルは1946年の打点王だけだが、入営前の1942年の首位打者と見なす有識者も少なからずいる。これは1942年には現代のような規定打席制度ではなく、100試合以上の出場が打撃タイトルの対象となっていたため、安打数102で打率'330のアーニー・ロンバルディ(レッズ)が首位打者として表彰されたが、安打数188で打率'318のスローターの方が塁打数、打点ともに倍の数字を残していることによる(出塁率もスローターが上)。




