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短編シリーズ

書類を書くしか能のない俺が、世界の常識を無効にする

作者: 虹村玲
掲載日:2026/02/07

序章 追放は剣じゃない


追放は、剣で行われない。

紙で行われる。


王城の会議室は清潔だった。清潔すぎて、空気に体温がない。磨かれた机は汗も血も吸わない。だからここでは、人の人生が静かに切られる。声を荒げる必要も、刃を抜く必要もない。


判を押す音だけで足りる。


「結論から言う。君は勇者一行の補佐官を解かれる」


言ったのは王太子の側近だった。声は淡々としている。淡々とした言葉ほど人を傷つけることを、俺はここ数年で学んだ。


俺――カイは、椅子に座ったまま目だけを動かした。机の上に並べられた書類の束。すでに押された印章。俺の署名欄だけが、綺麗な空白だった。


「理由は?」


「忠誠心の欠如。君は王家の威信を軽んじた」


忠誠心。便利な言葉だ。数値化できない。だから証明できない。証明できないものを理由にすれば、誰でも切れる。切られた側は反論できない。反論した瞬間「まだ忠誠心が足りない」で終わる。


俺は息を吐いた。面倒くさい、と表情に出さないようにして。


「……軽んじてない。正しく扱っただけだ」


その瞬間、会議室の空気が一段だけ冷えた。

正しいことを言う人間は、場を面倒にする。場の面倒は権力者にとって不快だ。だから彼らは正しさを嫌う。


側近が指を鳴らす。控えていた衛兵が、半歩前に出る。足音が静かなのに、重い。


側近は紙の束をくるりと回した。

婚約契約書。王太子の婚約。今、国じゅうが祝福ムードに染まっている“聖なる約束”の文書。


俺はあれを――読んでしまった。

読めてしまった。

そして、気づいてしまった。


「婚約者本人の同意が成立していません。署名の日時が――」


そこまで言ったときの王太子の顔を、俺は忘れない。怒りじゃなかった。怯えだった。自分の足元に穴が開いていると気づいた顔。


彼らは穴を塞ぐ。

穴を指さした人間を埋めて。


「今後、君が持つ記録は国の機密だ。提出してもらう」


奪う、とは言わない。提出。優しい言葉で包む。包まれた側は窒息していることに気づきにくい。


俺は鞄の持ち手を握り直した。中にあるのは写し――いくつかの写しだけだ。本物は別の場所にある。俺は運が悪いが、馬鹿じゃない。こうなる可能性は、昨日から想定していた。


「提出は拒否します」


会議室が静まった。

衛兵の靴音が、近づく。逃げ道は一つだけ。


紙の端が指に刺さった。痛い。現実だ。


俺は衛兵に向かって苦笑いを作った。


「……書類を読める人間って、嫌われるんだな」


そうして、会議室は俺を“追放”という名の箱に入れて閉じた。



第一章 闇市で買うのは「人」じゃない


王都の裏街は、王城より正直だった。香を焚かない。人の臭い、酒の臭い、金の臭い。生き物が生きている臭いがする。


俺は路地を抜けながら、心の中で何度も同じことを繰り返した。


巻き込まれたくない。

関わりたくない。

俺はただ、静かに生きたい。


……そんなの、最初から無理だった。運が悪い。そういう体質だ。今日も、足が勝手に一番嫌な場所へ向かう。


闇市は、裏街のさらに奥にあった。灯りは少なく、声は低い。人間の“値札”がぶら下がる空気。


「ほらよ。元貴族だ。値は張るぞ」


奴隷商が檻を杖で叩いた。金属音が骨に響く。檻の中の女は顔を上げない。髪は銀色で、汚れすら光を反射してしまう。綺麗すぎて厄介だ。綺麗なものは狙われる。狙われたものは壊される。


俺は檻の前まで歩く。

女が、ゆっくり顔を上げた。


冷たい瞳。氷のように透明で、触れたら指が折れそうな色。

だが、その目は死んでいない。死んでいないというのは希望があるという意味じゃない。憎しみが残っているという意味だ。


「……買いに来たの?」


声は掠れていた。水も食も足りていない喉の声。それでも言葉の端が鋭い。刃物が錆びても刃物であることは変わらない。


俺は正直に言う。嘘をつくには、目が冷たすぎる。


「買う。……という形で、話をしに来た」


奴隷商が口角を上げた。金が動く笑い。

女――レイナは、俺を上下に見た。旅装。疲れた顔。剣も持ってない。権力の匂いもしない。


「助けに来たの?」


質問は期待じゃない。罠だ。

“助ける”と言えば次に“何が欲しいの?”が来る。レイナはそこまで見ている。


俺は息を吸った。


「いいや」


空気が少しだけ冷えた。


「俺が欲しいのは、従属じゃない。証言だ」


レイナの目がほんの少し細くなる。

奴隷商が「は?」という顔をする。彼にとって女は商品で、契約はこの場の金銭だけでいい。


俺は鞄から紙束を出した。短い条文。誓約具に付属する簡易契約。短いから誤魔化せない。


「条件付きで契約する」


「……条件?」


俺は指を折る。


「一つ。身体的危害は禁止。俺も、お前も、第三者も」

「二つ。発言権を保証する。黙らせない。嘘も強要しない」

「三つ。目的が終わったら解放する。ここから出す」


レイナは紙を取らない。目だけで読む。読み取る速度が早い。あざとい顔の奥に、計算の目がある。


「条文、見せて」


その言い方が、どこか“役所”のそれだった。

俺は紙を差し出す。


レイナは指先でなぞった。読んでいるというより、確認している。自分がまた“同意のない人生”に引きずり込まれないかを。


読み終えると、彼女は小さく笑った。


「……あなた、嘘をつくなら、もっと上手くやる」


信頼じゃない。判断だ。

でもそれで十分だ。


「同意する?」


俺が聞くと、レイナは目を閉じた。ほんの一秒。

その一秒で、彼女は今までの人生を数えて、ここで折り合いをつけた。


「……同意する。条件付きで」


奴隷商が「よし」と言い、俺が金を払う。痛い。だが死ぬよりは安い。死んだら証言が喋れない。


俺は檻を開けた。

レイナの手首に残る痕を見て、喉の奥が熱くなる。怒りだ。俺は怒りを表に出すのが下手だが、腹の底が煮えたぎる感覚は分かる。


俺は誓約具――簡素な指輪を彼女の指に通した。

金属がかすかに温かくなる。魔法というより、手続きが完了した通知みたいに。


レイナは指輪を見つめて、低く呟いた。


「……ねえ。これ、効くの?」


俺は苦笑した。


「効かなかったら、俺たちはただの馬鹿だ」


レイナは小さく鼻で笑った。毒舌の代わりに、初めて“人間の笑い”が出た。



第二章 役所は剣より怖い


役所の門は高い。

高いだけで、強くはない。高い門が守っているのは民じゃなく面子だ。


俺たちは正面から入った。裏口を叩けば相手の土俵になる。書類の戦いは入口から決まる。


窓口の役人が、俺とレイナを見て眉をひそめる。

「奴隷」を視界に入れると、人は目を細める。眩しいものを見るみたいに。


「用件は?」


俺は礼儀正しく言った。礼儀は武器だ。相手が礼儀を欠いた瞬間、こちらの正当性が増える。


「婚約契約に関する照会です」


役人が鼻で笑う。「またか」という顔だ。王太子の婚約は祝祭であり、役所にとっては厄介だ。嫉妬も嫌がらせも来る。


「一般人に回答義務はありません」


「一般人ではありません」


俺はレイナを見る。

レイナは、にこっと笑った。甘い笑顔。舌足らずな声。


「え〜? 一般人って、ひどぉい。わたし、当事者なんですけどぉ?」


役人の顔が一瞬で変わる。

変わったのに、すぐ戻そうとする。戻せない。動いた顔色は嘘をつくのが下手だ。


「……証明は?」


俺は誓約具と条文を提示した。

役人は渋い顔で目を落とし――口をつぐむ。


読める人間だ。読めるから効力が分かる。分かるから怖い。


「……何が知りたい」


レイナが、すっと声の温度を落とした。

あざとさが薄くなり、芯が出る。


「この婚約が、成立しているかどうか」


役人が眉を寄せる。


「成立しているに決まっている。王太子殿下の――」


「決まってる、じゃなくて条件を見てくださいよぉ」


笑顔のまま、刺す。

可愛いのに、トゲがある。相手は怒るに怒れない。怒った瞬間、自分が小物になる。


俺は写しを出した。婚約契約書の写し。

役人が目を細める。


「……署名の日時が……二つ?」


レイナが淡々と言う。


「片方は、わたしが拘束されていた日です」


役人の顔から血が引いた。


拘束されていた日。

自由意思で署名できない日。

同意が成立しない日。

婚約が“成立していることにされている”ための偽装が入った日。


役人は唇を噛んだ。怒りじゃない。恐怖だ。書類の恐怖は刃物より現実的だ。消せない。言い訳がきかない。


「……これを、どこで」


「答える義務はありません」


俺が礼儀正しく返すと、役人は黙った。

沈黙の中で、レイナが小さく息を吸う。その音が俺には“生きている”に聞こえた。


役人は書類を机に置いた。置き方が丁寧だ。丁寧な置き方は敗北の兆候だ。荒く置くのは強がりだが、丁寧に置くのは「これ以上壊れないように」という配慮だ。


「……照会ではなく、正式な申立てになります」


「構いません」


「……証言が必要です」


レイナが俺を見る。迷いじゃない。確認だ。

“ここで本当にやるの?”という確認。


俺は頷いた。


「契約した。発言権はある」


レイナは、ほんの少し笑った。毒じゃない。小さな皮肉。生きている人間の皮肉。


「じゃあ、言います」


彼女は役人の前に一歩出た。足が僅かにふらつく。それでも前に出る。それが尊厳だ。


「わたしは、その日、署名できる状態じゃなかった。同意してない。……だからこの婚約は成立してない」


役人のペンが止まる。

止まったペンは、世界を止める。



第三章 「無効」は静かに世界を壊す


数日後。役所の奥で、手続きが積み上がっていく。

手続きは遅い。遅いが確実だ。確実だから怖い。権力者ほど手続きを恐れる。刃なら防げるが、手続きは防げない。


役人が最後に言った。


「……無効です」


声は小さい。

世界が変わる音は、いつも小さい。


婚約者欄から、王太子の名が消える。

「削除」ではない。「訂正」でもない。

最初から無かったことにする“無効”。


俺は喜べなかった。喜ぶと、足元が揺らぐ気がした。

レイナは指輪に触れた。確認するみたいに。自分が今、誰にも無断で呼吸していることを。


「……約束通り、ね」


レイナが言った。

あざとい声じゃない。平坦で、冷たくて、でも少しだけ震えている。


「解放する」


俺が言うと、レイナは笑った。


「え〜? ほんとにぃ? 今さら手放すんですかぁ?」


舌足らずな甘さ。

急に戻った。わざと戻した。

自分が弱く見えそうになる瞬間、彼女は“可愛い”で鎧を着る。


俺はため息をついた。


「……そういう冗談、今はやめろ。追手が来る」


その通りだった。


婚約が無効になった瞬間から、俺たちは“触れてはいけない真実”を持つ人間になった。真実を持つ者は消される。剣で。紙で。


王都の路地を抜けるとき、矢が飛んだ。

壁に刺さる音。刺さった木片。殺意の軽さ。


「マジかよ……」


俺は歯を食いしばる。逃げ腰の声が出る。だが足は止まらない。止まったらレイナが死ぬ。俺はそういう場面で逃げられない。


レイナが、俺の袖を掴んだ。


「せんぱ〜い♡ なんとかしてくれますよねぇ? ね? ね?」


甘い声。

でも指は震えていない。

甘えは演技で、掴む力は本気だ。


「……言われなくても分かってる」


俺はレイナを引っ張って走った。


王都の門を抜ける直前、騎士団の鎧が視界に入る。

王太子派。追放を紙でやった連中が、今度は剣で終わらせに来る。


「止まれ! 国家機密の窃取容疑――!」


叫びが聞こえる。

俺は笑いそうになった。窃取? 機密?

勝手に機密にしたのはそっちだろ。


レイナが耳元で囁く。笑顔のまま、トゲのある可愛い声。


「ねえ、あの人たち、わたしたちのこと大好きですねぇ」


「大嫌いの間違いだ」


「ふーん……でも追いかけてくるって、そういうことですよねぇ?」


「今それ言うな!」


レイナは楽しそうに笑う。

怖いほど人間だ。怖いほど生きている。


俺たちは王都を捨てた。

逃亡が始まった。



第四章 契約の国を歩く


王国は契約でできていた。

土地は権利書で縛られ、人は誓約で縛られ、食糧は供給契約で縛られる。


読める者が“当然”を作り、読めない者は“当然”に従う。

だから不正が起きる。起きても気づけない。気づいても言い返せない。


俺たちは旅をした。

逃げるために。生きるために。

そして、気づけば――巻き込まれていった。いつも通りだ。


干ばつの村で、水利権の契約が偽造されていた。

港町で、労働契約に“賃金支払日の未記載”が仕込まれていた。

修道院で、寄進の誓約が“撤回不可”の一文で人を縛っていた。


俺は毎回、顔をしかめた。面倒くさい。

でも目の前で泣く子どもを見たら、通り過ぎられなかった。


「おい……これ、最初から騙す気じゃねえか」


俺が契約書を掲げると、村の長は青ざめる。

読めない人間は、紙を“神”みたいに扱う。紙に書かれたことは変えられないと思っている。


レイナは隣で、にこにこ笑っている。

そして、相手の弱みを一瞬で見抜く。


「え〜、村長さん。これってぇ……村長さんの名前、入ってますよねぇ?」


「そ、それは……」


「村長さんが責任者ってことですよねぇ? ふふ。大変ですねぇ。だってこれ、完全に……」


笑顔のまま、相手の喉元に刃を当てる。

怒れない。殴れない。可愛いからじゃない。“言ってることが正しい”からだ。


俺は横から一言だけ足す。


「署名の位置も変だ。ここ、後から書き足してる」


村長が崩れる。

崩れた後、レイナが優しく囁く。


「大丈夫ですよぉ。やり直せばいいだけですからぁ。ね?」


やり直す。

その一言が救いになる。


俺は思う。

こいつ、怖い。

でも――こいつがいると、救いの形が“現実的”になる。


俺は勝手に正義感で突っ込む。

レイナは勝手に現実で収束させる。

だから二人で一つになる。


旅の夜、焚き火の前。

俺がぼやく。


「……俺さ。結局、何が正しいか分かってねえんだよな」


レイナは木の枝で火をつつきながら、甘い声で言う。


「え〜? 先輩、悩むの好きですねぇ?」


「好きじゃねえ。……でも、敵の事情とか聞いたらさ。切れなくなる」


「優しいんですねぇ」


「優しいんじゃねえ。中途半端なだけだ」


レイナが、にこっと笑う。

その笑みが、少しだけ棘を持つ。


「あ、他の人にもそうなんですね〜? ふーん……」


「は?」


「困ってる人なら誰でも助けちゃう。へ〜」


「……何だよそれ」


「なんでもな〜い♡」


笑顔のまま、牽制。

独占欲の匂い。本人は認めないだろう。


俺は頭を掻く。

こいつの“可愛い”は武器だ。武器は狙いを持つ。

狙いが俺に向いているとしたら、俺は不運すぎる。



第五章 陰謀は「書類屋」から始まる


港町で、俺たちは「契約屋」の噂を聞いた。

偽造、脅迫、誘導。書類を作って人を縛る集団。誰が黒幕か分からない。だが、どこにでもいる。


レイナは、珍しく笑わなかった。


「……わたしの家が潰れた時も、同じ匂いがした」


夜の宿。狭い部屋。

レイナは指輪を見つめて、低く言った。


「可愛いって言われるの、嫌いじゃない。利用できるから。……でも、あれは違う。あれは、可愛いとか関係なく、人を“無かったこと”にする」


声が低い。真剣モード。

レア。だから刺さる。


「……わたし、ちゃんと責任取りますから。約束です」


その言葉は、俺の胸の奥に刺さった。

責任。

こいつは責任から逃げない。逃げないのに、可愛い顔をする。矛盾だ。人間だ。


俺はため息をついて、でも目を逸らさず言った。


「……責任って、背負いすぎると潰れるぞ」


「潰れません」


即答。

プライドの即答。


「潰れたこと、あるだろ」


レイナは一瞬だけ黙る。

それから、甘い声で逃げた。


「せんぱ〜い、しつこいですぅ」


逃げだ。

でも、逃げ方が上手い。可愛く逃げる。

俺はそれ以上追わなかった。追えば壊れる。壊したくない。俺はそういう人間だ。


――だからこそ、俺は決めた。

この件は見なかったことにできない。


「……契約屋を潰す」


レイナが瞬きを一つする。

感情が動く瞬き。


「え?」


「俺たちが持ってるのは、ただの一件の無効じゃない。……仕組みそのものが腐ってる」


レイナは笑う。

今度は、薄い笑い。


「先輩、面倒くさいの嫌いじゃなかったんですかぁ?」


「嫌いだよ。だから――終わらせる」


その言葉は俺の中から出た。信念じゃない。主義でもない。

ただ“目の前の最善”だ。


レイナは、笑顔のまま小さく言った。


「……じゃあ、わたしも」


甘えじゃない声だった。



第六章 裁きの書斎


王都へ戻る。

馬鹿だ。正気じゃない。

でも戻らなきゃ終わらない。


王太子派は罠を張っていた。

街角の影。宿の窓。食堂の隅。

いつ殺されてもおかしくない。


俺は舌打ちしたくなる。

面倒くさい。面倒の塊だ。俺の人生はいつもこうだ。


でも、レイナが隣にいる。

可愛い声で、笑う。


「先輩、背中、ガラ空きですよぉ?」


「見張ってんじゃねえか」


「見張ってますぅ。だって、先輩って放っとくとすぐ突っ込むからぁ」


「……うるせえ」


「え〜? 褒めてますよぉ?」


褒めてない。

でも、こういう会話ができる時点で、俺たちはもう“逃げるだけの二人”じゃない。


裁きの場は王城の大広間。

公開裁判という名の見世物。

見世物で勝つには、観衆を味方にしなきゃならない。


俺は壇上に立つ。

手が震える。震えを隠すのが下手だ。

でも、レイナは笑顔だ。笑顔のまま、震えを隠す。天才。


王太子が言い放つ。


「忠誠心の欠如! 国家を乱す者! 彼らは偽造書類で王家を――」


俺は思わず笑いそうになった。

偽造? お前らの得意技だろ。


レイナが一歩前に出る。

誓約具を掲げる。指輪が光る。派手じゃない。派手じゃないから効く。


「これは、わたしたちが選んだ契約です」


甘い声。

だが内容は鋭い。


「わたしは、同意していない契約で人生を奪われました。……だから今度は、同意して選びました」


観衆がざわめく。

“同意”。この言葉は民にとって難しい。だが、“奪われた”は分かる。奪われた話は刺さる。


俺は書類束を掲げる。

契約屋が偽造した条文の写し。

署名の癖。印章の欠け。日付の矛盾。

積み上げた“穴”の山。


「……こいつらは、紙で人を縛ってきた。読めないやつを相手に、好き勝手やった。『決まってる』って言えば、それで終わると思ってる」


声が荒くなる。

俺は演説が上手いわけじゃない。

でも腹の底が煮えたぎってるとき、人は上手い言葉じゃなくても届く。


「守るって何だよ。権力者の面子を守ることか? 違うだろ。守りたいのは――人だろ」


王太子が顔を歪める。

側近が割って入ろうとする。


だがレイナが笑顔のまま、先に刺す。


「え〜? 王太子殿下。これ、ほんとに殿下の印章ですかぁ? ねえ、役人さん。管理台帳、出せますよねぇ?」


役人が固まる。

台帳。管理。記録。

逃げられない言葉。


俺が畳みかける。


「出せ。出せば終わる」


空気が変わる。

観衆が“勝ち”の匂いを嗅ぐ。

勝ちの匂いを嗅いだ観衆は、裏切り者にもなるし、味方にもなる。今日は味方にするしかない。


役人が震える手で台帳を持ち出す。

印章の管理記録に、矛盾がある。

矛盾は刃より切れる。


側近が叫ぶ。


「貴様ら! 国家への反逆――」


レイナが、にこっと笑って言った。


「反逆ってぇ……こわぁい。じゃあ、これも反逆ですかぁ?」


彼女は別の書類を出す。

“契約屋”が作った偽造契約と、それが使われた案件の一覧。

被害者の名。日付。印章番号。


観衆が息を呑む。

名が並ぶ。名がある。名があると、人は現実だと理解する。


俺は最後の一撃を出した。

一行の矛盾。致命的な空白。


「ここに署名がない。つまり――成立してない」


“成立してない”。

この言葉が大広間を走る。


王太子が言い訳を口にしようとする。

しかし言い訳は、書類には勝てない。


その日、王太子は失脚した。

派手な断罪はなかった。血も出なかった。


ただ、印章が没収され、命令書から署名権が消えた。

権力者は“名前が消える”と弱くなる。

剣で倒すより確実だ。



終章 可愛いまま、責任を取る


王都を出た。

宮廷に残れば出世もできただろう。

でも俺は、そういう場所が苦手だ。空気が冷たい。息ができない。


レイナは隣で、いつもの調子に戻っていた。


「せんぱ〜い♡ ねえ、これからどうするんですかぁ?」


「……知らねえよ。とりあえず、歩く」


「雑ですねぇ」


「雑じゃねえと、やってらんねえ」


レイナが、笑う。

そしてふいに、棘を混ぜる。


「あ、でも〜。さっき役所の子、先輩のこと見てましたよねぇ? ふーん……」


「見てねえって」


「見てましたぁ」


「……お前、そういうのほんと早いな」


「天才なんでぇ♡」


可愛い。あざとい。面倒。

でも、俺はもう知っている。

この可愛さは逃げじゃない。武器で、責任で、鎧だ。


夕方、野道。

風が草を揺らす。遠くに村が見える。

また何か厄介事が待っている気がする。運が悪いからな。


俺がぼやく。


「……また面倒な匂いがする」


レイナが甘い声で言う。


「え〜? 先輩、行くんですかぁ?」


俺はため息をついて、肩をすくめた。


「行かないって言ったら、お前が行くだろ」


「行きますぅ」


即答。

責任おばけの即答。


俺は苦笑した。

逃げ腰の自分と、逃げないこいつ。

噛み合わないようで、噛み合っている。


「……じゃあ、行くしかねえな」


レイナは満足そうに頷いた。


「はい♡ せんぱい、よろしくですぅ」


そう言って、彼女は俺の袖を掴んだ。

その掴み方に、もう“商品”の怯えはなかった。

ただ、隣に立つ人間の掴み方だった。


指輪は、まだ彼女の指にある。

契約は、まだ生きている。


たぶん――終わりじゃない。

終わりじゃないから、歩ける。


俺たちは歩き出す。

世界の“常識”を、今日も変えていくために。


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