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短編童話シリーズ

幸福論

作者: 八代 秀一
掲載日:2025/11/24

 何をやってもうまくいかない。

本当に欲しいものは何も手に入らない。

寄る年波に夢は潰え、希望は失われ、気力は尽き果てた。

どうしてこんな風になってしまったのだろう。

たった一回しかない人生だというのに――。


 己が人生に絶望した女は、夜をさまよい、気づくと深い森の中にいた。

ここがどこなのか、どうやってここまでやっていたのかもわからない。

が、今となってはそんなことはもうどうでも良かった。

住み慣れた我が家の布団で眠りについたところで、また代わり映えのない明日がやって来るだけだ。

食う為に働き、働く為に食う。

何の為に生きているかもわからない毎日に、一体何の意味があるというだろうか。


「……こんなはずじゃなかった」


 月明かりも届かない森の奥で、女は誰にともなく呟いた。


 若い頃は自分の将来に期待をしていたし、それを叶えるだけの時間もあった。

が、どんなに努力しても彼女が望んだものは何ひとつとして手に入らなかった。

愛も、富も、地位も、名声も――。


 ただ、無為に年を重ねただけ。

そうして嫌というほど身の丈を思い知らされた。

自分がどうしようもなく平凡で、人並みだということを――。


 現実とは非情で、時間とは無情なものだ。


「私はただ、幸せになりたいだけだったに……」


自暴自棄に陥った女は自分が何の為に生きているのかもわからず、一歩、また一歩と死に場所を探すように森の奥へと歩を進めていった。


 ――と、そんな彼女を憐れに思ったのだろう。

生い茂る木々が枝葉をすり合わせて、囁くように女に問い掛けたのである。


「幸せとは、何だと思う?」


 ――幻聴だろうか。


 誰もいないはずの森の中で、確かに何者かの声を聞いた気がした。


 普通ならば不気味に思うところなのだろう。

だのに、そう思わなかったのは単に会話に飢えていたからか。


 しばし逡巡した後、女は悟ったような口ぶりで言った。


「お金があれば幸せよ。お金で買えないものなんて何もないもの。一生食うに困らないだけのお金があれば、きっと私は幸せになれるはずだわ」


 言下、どこからともなく一陣の風が吹き抜け、生い茂った草木を激しく揺らした――かと思うと、森が彼女の願いを聞き届けたかのように目の前に金塊の山が現れたのである。


 ――これは一体、どうしたことだろうか。


 俄かには信じがたいと頬をつねるも、どうやら夢ではないらしい。


 警戒する気持ちがないわけではなかったが、どのみち何をやってもうまくいかない人生なのだ。

だったら、怪しくとも目の前の金塊を持ち帰らない手はない。


 天の恵みと金塊を持ち帰った女は、それから数年、思いつく限りの贅を尽くした。

一生手にすることはないだろうと諦めていた高価な装飾品に身を包み、美味しい食事に舌鼓を打つ日々。

しかし、それで幸せだと思えたのは初めのうちだけ。

金は尽きずとも、日ごとに心は虚しくなるばかりだった。


 ――いくらお金があっても幸せにはなれない。


 それと悟るや、女の足は自然といつかの森へと向いていた。

厚かましくも、またぞろ願いを叶えて貰おうと考えたのだろう。


「幸せとは、何だと思う?」


 帳の下りた森の奥、葉鳴りの問い掛けに女は即答した。


「誰もが振り返るほどの美貌があれば、きっとみんなに愛されて幸せになれるはずよ」


 金で懐を満たしても幸せになれないのなら、愛で心を満たしてやればいい。


 森の力で絶世の美女となった女は、たちまち世の男たちを魅了した。

虜となった男たちが、来る日も来る日も彼女に言い寄り、その美貌を褒め称える。

が、そんな生活も当たり前となると、どういうわけか空しさが募るばかりだった。


 ――どんなに美しくても幸せにはなれない。


 そうして女は三度森へと赴いたのである。


「幸せとは、何だと思う?」


 お決まりの問い掛けに、女は迷うことなく言った。


「この世のすべてが欲しいわ。そうよ。この世のすべてを手に入れることができれば、今度こそ幸せになれるはずよ」


 しかし、どんなに願いが叶おうとも女が幸せになることはなかった。

その証拠に、この世のすべてを手に入れたはずの女は、今夜もまた森を訪れている。


 深く沈んだ夜の底、不幸な女は森に尋ねた。


「幸せって、何なのかしら?」


 ここにきて、まさかの逆質問だ。

思わぬ展開にそれまで静まり返っていた森が葉鳴りを響かせ、抱腹さながらに木々をしならせた。


 ――三度願いを叶えて貰って、まだわからぬか。


「幸せとは、極々有り触れたささやかなもの。だからこそ、当たり前すぎて気づき難い。例えば、共に笑い、悩み、泣いて、時には喧嘩をして、それでも同じ歩幅で人生を歩むことのできる恋人や友人がいたとしたら、人は幸せだと感じることだろう。だが、それが当たり前になってしまった時から、人の目は曇り、見えていたはずの幸せさえ見失ってしまう。幸福のフィルター越しに幸せを探しても見つかるはずがないのにね」


 そうして森はさも答え合わせでもするかのように、再び女に問うたのである。


「貴方にとって、幸せとは何だと思う?」



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