頭を抱える国王Ⅰ
その日の夜に城へ到着した。警備は厳重で、何人もの剣を携えた騎士が敷地内をうろついている。過去にあった暴動の影響だろうな、とエントランス前に立ち塞がる騎士を見上げた。
「王太子妃選考会に招待された者です。通してください」
「書状はお持ちですか?」
「こちらに」
付き添いのメイドがあの封筒を騎士に差し出した。騎士はそれを静かに受け取り、国王の筆跡を辿る。
「……確かに」
「それでは通していただきます」
「待て」
騎士の茶色の瞳は私ではなく、メイドを貫いている。
「貴女にはお帰りいただこう」
「何故です」
一歩前に出て、凄んでみる。しかし、騎士もそれでは引かない。
「外部の者はなるべく排除したい。侍女なら、こちらで用意します。凶器が潜んでいるといけませんので、手荷物も許可出来ません」
そこまで管理されてしまうのか。妃候補まで疑うのなら、安心して国を任せられないではないか。皮肉を言いたくなったけれど、喧嘩をしに来たのではない。
「分かりました。従いましょう」
「感謝します」
メイドに一瞥をくれて、一歩を踏み出す。ここからは私一人だ。もう後には引けない。
「お嬢様、どうか王太子妃に」
背後から小さな声が聞こえたけれど、歩みは止めなかった。「安心して」と心の中で呟いてみる。
エントランスを抜けた廊下の前には一人の侍女が佇んでいた。私を待っていてくれたのだろうか。私の姿を確認するや否や、彼女は頭を下げる。その拍子に、耳にかけた黒髪がはらりと落ちた。
「お疲れ様でございます。エレナ嬢、ですね? すぐにお部屋へご案内いたします」
「ありがとう」
端的に会話を終え、静かに進む侍女の後に続いた。
そういえば、城の中を見る余裕がなかったな、と階段を上りながら改めて辺りを見渡してみる。白い壁に、金の刺繍が施された紺の絨毯、頭上には見たこともない豪華なシャンデリア――思わず吐息が漏れそうになる。貴族たる者が城に圧倒されるなんて、恥ずかしいことかもしれない。しかし、没落貴族にとっては手の届かない荘厳で美しい場所なのだ。
それと共に気になったことが一つある。肖像画の類が一切見当たらないのだ。ここは王族の居城なのに。私の屋敷にですら、小さいながらも父と母と私の肖像画は飾ってある。何か理由があるのだろうか。
ぼんやりとしながら廊下を進んでいると、侍女がふと足を止めた。
「ここがエレナ嬢のお部屋です」
案内された部屋は広すぎる居室だ。立派なピンクの調度品が贅沢に並んでいる。ふわりと花の香りまでもが漂ってくる。王太子妃候補の部屋となれば、当然のことなのだろう。
心は休まらないかもしれないけれど、身体だけは休ませなくては。
「遠慮なく使わせてもらいます」
やっと冷たくて緊張感の張りつめた場所から抜け出せた。
一応断りを入れ、ソファーに腰を落ち着ける。侍女はピッチャーから水を注ぎ、そのグラスを私の前に置いた。
「これからエレナ嬢のお付きとなるセリスと申します。よろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしく」
毒が入っているかどうかも疑うことなく、乾いたのどを潤す。没落貴族令嬢を殺したところで、誰も得はしないからだ。
「エレナ嬢、ご質問はございますか?」
「今のところは何も」
「承知しました」
セリスは私にアイスブルーの瞳を向ける。
「明日は八時に朝食、十時には国王陛下との謁見が控えております。どうぞ遅れなきよう」
「心得ておく」
そう返事したところで異変に襲われた。強烈な眠気に視界が揺れる。諮ったな、と気づいた時には遅かった。もう起きていられない。ソファーにくずおれ、視界を閉ざした。
* * *
なんだか身体がやけに涼しい。何も纏っていないようだ。まだ冴えない頭をフル回転させ、布団に手を掛けた。やはり、思った通りだ。ドレスどころか、下着まで脱がされている。
「こんな筈じゃ……」
私の思考が後手後手に回っている。このままでは王太子の懐には入り込めないかもしれない。しっかりしなくては。髪をくしゃりと掴み、唇を噛み締める。
「失礼致します」
これまた計ったように扉が開く音が響き、セリスが姿を現した。申し訳なさや後悔といった感情は、その表情からは感じ取れない。堪った不満がとうとう爆発した。
「私に何をしたの?」
ここに来て初めて、自分に対する扱いで怒りを感じた。
「凶器を所持されていないか調べさせていただきました。王太子妃候補の皆様には実施されることになっています」
「そんな必要がどこに?」
「十数年前、貴族の暴動があったのはお忘れではありませんよね」
私が暴動に加担するとでも言いたいのだろうか。もはや滑稽にさえ思えて、冷笑してしまった。
「すぐにドレスを用意して」
「かしこまりました」
父が必死で資金を工面して買ってくれたドレスがただの布切れにされていないことを願う。背を向けるセリスを目で追いかけると、彼女は顔を拭ったように見えた。もしかすると、ただ冷たいだけの侍女ではないのかもしれない。
* * *
新調された水色のドレスを纏い、胃もたれするような朝食も摂らせてもらった。時間通りに玉座の間へと向かう。
城の中でも一際大きな白い扉を前に深呼吸を繰り返す。口を結び、覚悟を決めた。
「エレナ・アーデン、参上致しました」
声を張ると、騎士の手によって扉が開かれる。あまりの眩しさに目を細めた。
光の中で玉座に座るのは、私の父と大して歳の変わらない男性だった。金の長い癖っ毛を一つに纏め、ダイヤモンドが埋め込まれた王冠を被っている。紺の正装に、磨き上げられた黒い革靴――思い描いていた国王そのものだ。しかし、表情は曇っている。心ここに在らずで、頭を抱えたままだ。




