薔薇に落ちる影Ⅰ
珍しく、朝早くに目覚めてしまった。小鳥のさえずる声が聞こえ、カーテンから朝日が漏れている。
予定が入っているのは午後だ。二度寝してしまっても良いのだけれど、今日は何となく起きていたい気分だ。冷水を飲み干した後、カーテンを開け放った。
「朝日って、良い気分」
部屋から見える庭の草木には朝露が煌めいて見える。青い紫陽花も風に揺られ、見ているだけで心がほっこりする。
セリスを呼んで、ドレスの着替えに取り掛かった。今日は紫陽花と同じ薄青のドレスだ。
「エレナ嬢が早起きするなんて、今日の夜は星が降ってくるかもしれません」などと、ちょっぴりからかわれてしまった。冗談を言えるほどに、セリスとの仲は深まっているのだろう。
午前中は気もそぞろに読書に勤しむ。期待していたリュシアンとの対面も、不安だったオーレリアとイザベラの介入も、何も起きずに終わっていった。
* * *
睨みつけてはいない。ただ、前方を見据える。
宣言を果たした後に開かれた扉は、重い蝶番の音を響かせた。眩しいほどの光が玉座に座る国王を照らしている。
一歩一歩、ヒールの音を立てながら国王に近付いていく。今日こそは、国王の瞳も私を捉えていた。跪き、視線を落とす。
「エレナ・アーデン、参上いたしました」
「うむ」
穏やかではあるものの威圧感のある声に、静かに瞬きをした。
「何用だ?」
「オーレリア殿下とイザベラ嬢が、私の身辺を調べておられます」
「ああ、それはオーレリア本人から聞き及んでいる」
それならば話が早い。顔を上げ、国王のそれ色の瞳を見据えた。
「なんとかならないものでしょうか」
ぐっと口を結ぶと、国王も唸り声を上げる。
「何とかと言われてもな……。貴女は罪人の家柄――」
「祖父は冤罪なのです」
国王といえども、いや、国王だからこそ、祖父を悪人と決めつけないで欲しい。悔しくてドレスを握り締める。
国王は咳ばらいをし、視線を横へと流した。
「人の話は最後まで聞きなさい。貴女は罪人の家柄とされている。その身分は今すぐにどうとなる問題ではない」
含みのある言い方に疑問が浮かぶ。まるで、祖父を冤罪だと知っているかのような口ぶりだ。首を傾げても、国王はこちらを向いてくれない。
代わりに控えていた執事が国王の元へと近付く。国王は何か長文を伝えると、執事は頷き、元の位置へと戻った。
ようやく、空色の瞳は私を捉える。
「オーレリアには、とある貴族の隠し子、とでも情報を流しておこう。そうすれば、ノワゼルの名は多少遠ざかるだろう」
「いつまで誤魔化しきれるでしょうか」
「それは私にも分からないな」
そうだよなと思いながら、鼻から息を吐き出した。ノワゼルの名を知られるのは時間の問題か――私も覚悟を決めなくては。
「……王妃の件はリュシアンに聞いたか?」
「はい。近々、奪還作戦が始まると」
「ああ、そうだ」
国王は周囲を気にしながらも、小さく、しかしはっきりと言葉を繋ぐ。
「王妃さえ私の元に戻れば、ノワゼル復権も夢ではない」
「えっ? それはどういう……」
「言葉以上の意味はない」
祖父の冤罪は、王妃と繋がっているということだろうか。これは重大発言だ。心にしっかり留めておかなくては。
「他に用はあるか?」
「いえ、ございません」
「私も用事が立て込んでいてな。下がってくれると助かる」
国を揺るがすとんでもない作戦を立てているのだ。不用意に国王の時間を消費する訳にもいかない。
「ありがとうございました」
礼をし、優雅に身を翻す。疑問は確信に変わることなく、玉座の間の扉は背後で閉じられた。
すぐに薔薇庭園へと向かおう。既にリュシアンは待っている筈だ。紺の絨毯を踏み締め、はやる気持ちを押さえる。
ところが、先客がいたのだ。薔薇のアーチをくぐると、何やら男女の話し声が聞こえてきた。リュシアンと――誰だろう。何を話しているのかまでは分からない。
姿を見せても良いだろうか。迷っている間に会話は止まり、足音が近付いてきた。
黒髪に緑の瞳――間違いなくイザベラだ。逃げては不審がられるだけだろうと、イザベラの前でドレスを摘まむ。
「イザベラ嬢、ごきげんよう」
「あら、エレナ。私、邪魔でもしてしまったでしょうか」
小さな高笑いが癪に障る。まあ、私が表情に出さなければ良いだけだ。リュシアンの元へ急ごうと、足を出す。そんな時に、イザベラが口角をにやりと上げた。
「リュシアン殿下は、皆に優しく振舞っているだけ。貴女もリュシアン殿下にとってはその他大勢なのです」
私を好きなだけ見下していればいい。自信喪失させられるものと思っていればいい。私は、私以外には見せないリュシアンの明るい笑顔を知っているのだから。そんな言葉になんて屈しない。
反発も、返事もしない私に苛立ちを覚えたのか、イザベラは「ふん」と睨みを利かせる。そのまま薔薇庭園から姿を消した。
リュシアンは大丈夫だろうか。イザベラにきついことを言われていなければ良いのだけれど。
薔薇庭園の真ん中にある広い空間にリュシアンはいた。その瞳はどこか物悲しい。
「リュシアン殿下、どうなさったのですか?」
「いや、何でもないよ」
私を傷付けないためなのか、リュシアンは作り笑いを浮かべる。絶対に何かあったな、と思いながら、これ以上聞き出すことは出来なかった。




