50 ファリーナ14歳
ファリーナがつかつかとティーナのもとへ歩み寄ってくる。
シグルドは少し困ったような表情を浮かべていたが、国王の娘に口を挟むことはできなかった。
近づいてきたファリーナは、ティーナを見て驚いたように声を漏らす。
「あれ、こんなに小さかったっけ? それに……前に会ったときと顔が違う?」
本来なら、もっと強い言葉をぶつけるつもりだった。だが──
ティーナは、ぱっと花が咲いたように微笑みながら口を開いた。
「ファリーナ様って、とても素敵です。アルヴァン様と同じ目の色なんですね」
そして、ふと視線を落としながら続けた。
「私も、ファリーナ様のようになれたらよかったのに」
「私なんかじゃ、アルヴァン様にはふさわしくないですよね……」
それは皮肉でも自嘲でもなく、ただの素直な言葉だった。
ファリーナは、まだ幼いながらも王宮で育った少女。人の心の本心を、ほんの少しだけ、感じ取ることはできていた。
ファリーナが嫌味たっぷりに返す。
「あら、よくわかっているのね、おちびちゃん。お兄様には不釣り合いよ」
ティーナは素で寂しそうに返す。
「はい、わたしは背が小さくて。アルヴァン様にはもっと相応しい人がいると思います」
「なら、お兄様との婚約は破棄すれば?」
シグルドは切れかかっていた。「"神"に何たる暴言」と。
でもティーナが全く気にしていなさそうなので、堪えていた。
「はい。アルヴァン王子様からそう言われたら、そうします」
「でも私は、ファリーナ様のお兄様のアルヴァン様が大好きなんです」
「ファリーナ様は、あんな素敵なお兄様がいてうらやましいです」
ファリーナは、とうとう投げ捨てるように言い放った。
「……私は、あなたが嫌い」
その言葉にも、ティーナは表情を曇らせることはなかった。
むしろ、いつものように小さく首を傾げて、静かに応じる。
「私は、ファリーナ様のこと、好きです」
そのまっすぐな声音に、ファリーナの眉がわずかに動いた。
「……あまりお会いしたことはなかったと思うのですが、もし、何か気に障ることをしてしまったのなら……ごめんなさい」
ティーナの言葉は、誠実で、どこまでも素直だった。
そこに計算も敵意も、反論すら含まれていない。
ファリーナは、言葉を失った。
どれほどの強気な言葉も、鋭い言い回しも──
この子の前では、ただ空に散っていくようだった。
最強の会話とは、攻撃でも皮肉でもない。
無垢な誠意と、心からの思いやり──それが人の心を動かす。
けれど、気持ちで負けていれば、どれほどの言葉も届かない。
ど天然でありながら、揺るがぬ強さを持つティーナは、会話においてもまた“最強”であった。
ティーナのまなざしは、どこまでもまっすぐだった。
どんな言葉を重ねても、この子には届かない──そう悟ったファリーナは、黙って視線を逸らすしかなかった。
「……もういいわ」
そう言い捨てるようにして、ファリーナは逃げるようにその場を後にした。
心には困惑が残っていた。どれほど言葉を尽くしても、効果がない──通じない。
この相手には、理屈でも感情でも勝てないと、どこかで悟っていた。
だからこそ、ファリーナは次の手を考える。
それは──ドレスを汚すこと。定番ではない常識である。
まだお酒は飲めないファリーナは、代わりにジュースのグラスを手にして、ティーナのもとへと向かった。
心の中では、「これは私にしか思いつかない作戦よ」と、どこか得意げに微笑んでいた。──その思考回路は、まるで兄のアルヴァン王子の”消しゴムを落とす”に似ていた。
「ティーナさん、さっきはごめんなさい。これ、持ってきました」
そう言って、わざと足をもつれさせ、ジュースをかけるつもりで転びかけた──その瞬間。
目の前にいたティーナが、自然な動きで彼女を支えていた。
「ファリーナ様、大丈夫ですか?」
心配そうな声とともに、倒れかけた身体をそっと支える細い腕。
「それ……私に取ってきてくれたんですか? このジュース、大好きなんです」
「ファリーナ様、ありがとうございます」と言って、美味しそうに飲んでいる。
言葉も、行動も、すべてが素直だった。
ファリーナは頭に血が上っていた。自分用のジュースをティーナに素早くかけようとしたが、温もりのある手で優しく腕をつかまれていた。
「すみません。こぼれそうだったので……」
ティーナは、ファリーナの手にそっと触れながら微笑む。
「綺麗な手なんですね」
──ファリーナの理解は、すでにとうに追いつかなくなっていた。
あらゆる手段を尽くし、従者たちにもさまざまな働きかけを命じていたが──
彼らが動こうとしたその瞬間には、ティーナに支えられていた。
一方でティーナは、心の中でただ静かに考えていた。
「皆さん、なんだか少しお疲れなのかな。気をつけないと……グラス、壊れてしまいそう」
そして、とうとうファリーナの精魂は尽き果てていた。
さすがに他の人を巻き込むような、バケツを使った強行策までは踏み切れず、
もはや策も尽き、手も尽きた。
顔色は悪く、立っているのもやっとという様子だった。
そんな彼女に、ティーナが心配そうに声をかける。
「ファリーナさん、お顔の色が……。大丈夫ですか? お兄様を呼びましょうか?」
ファリーナはもはや戦意を失い、諦めにも似た穏やかな笑みを浮かべて小さく首を振った。
「ティーナさん、大丈夫です。ありがとう」
そう言って、すっと席へと戻っていった。
そのやり取りを横で見ていたシグルドは、ティーナの力だけでなく、その聖なる心までもが──やはり“神”であると確信していた。
宮廷楽団の奏でる音色が変わり、宴の終盤を迎えることを来賓の耳に穏やかに響かせていた。




