45 二人の愛のはじまり 3
アルヴァン王子は、執務室でシグルドと共に報告の確認を行っていた。
「婚礼の儀で、貴族たちの様子は把握できたか?」
「はい。おおむね、二割が肯定的、二割が否定的、残りは大勢に従う様子でした」
「──予想どおりの結果か」
アルヴァンの声には感情がこもっていなかったが、その顔には険しさが滲んでいた。
王子としての責務が、彼の肩に確かにのしかかっていた。
エルディア王国は、一枚岩の国家ではなかった。
国王は大きな兵権を有していたが、各地の貴族にも領地が与えられており、その防衛を名目として軍を保有することが容認されていた。
そんな中で、権力基盤を持たないティーナと結婚するためには、国王を頂点とする、より盤石な中央体制への移行が不可欠だった。
だが──その事情を、アルヴァン王子はティーナに一言も伝えていなかった。
純粋な彼女に、不安を与えるような話はしたくなかった。
なにより、この冷たい権力闘争の渦に巻き込みたくはなかった。
ティーナを守るための嘘──そのつもりだった。
だが、その嘘が本当に正しいのか、真実を語るべきではないのか。
アルヴァンの心は、迷いに満ちていた。
この急な婚約の儀は、アルヴァンの純粋な愛から始まった。
だが同時に、それは王国の秩序を保つための戦略でもあった。
この国に牙を剥こうとする者たちをあぶり出すための、緻密な計略でもあった。
──それは、すべて『ティーナと結婚するための策略』だった。
学園でも、アルヴァン王子の婚約は大きな話題になっていた。
「ティーナって子と婚約したんだって」
「え、ティーナって……この学校のティーナ?」
「違うみたいよ。その子はすごく美人で、スタイルも抜群だったって、うちの父が言ってた」
「国王の前であれだけ堂々と接する女性なんて見たことがないって、感動してたよ」
「……それ、ティーナじゃないよね。可愛いけど、美人って感じじゃないし、スタイルも普通だし。なにより、王様の前で堂々となんて、絶対に無理だよ」
「それにしても、アルヴァン王子と婚約するなんて、どんな立派な貴族なんだろう?」
「でも、誰も知らないらしいよ。家名も初耳だし、今までその女性を見たことがある人、誰もいないって」
「ええ? そんな人が、王子様と婚約?」
「しかも、すごかったんだよ。王子がその場で自らプロポーズして、そのまま婚約が認められたんだって」
「うそ……そんなの……!」
「素敵すぎるし、ミステリアスすぎ!」
「作り話じゃないの?」
「うちのパパが嘘をつくわけないでしょ」
「……憧れるよね~」「ね~」「ね~」
そんな女子たちの羨望の声が、校舎の中をふわりと包んでいた。
一方、男子たちはというと──
「かっこつけすぎだろ、王子……」
「それはないわ。そんなことされたら、プロポーズのハードル、爆上がりじゃん……」
「マジ勘弁してくれ~!」
この学園は、勉学の場でもあったが、将来の伴侶を求め合う場でもあった。
男子にとっては──そのハードルが、少し高くなりすぎてしまったのかもしれない。
ざわめく教室の中で、ドンパッチは平然を装い、前を向いて座っていた。
その隣で、ティーナはうつむきながら、心の中でそっと願っていた。
──どうか、顔が赤くなりませんように。気づかれませんように。
その隣では、一人の逞しい男子生徒が椅子に座ったまま背筋を伸ばし、顔を真っ赤にしながら足を震わせていた。
クラスのみんなは、その生徒を不思議そうに見つめていたが、
彼のまとう空気がどこか張り詰めていて、誰も近づこうとはしなかった。
王子との婚約が正式に認められたあとも、ティーナは変わらずバルティネス男爵家で暮らしていた。
ティーナ・バルティネスとして──家族と共に、以前と同じ日常を送っていた。
彼女の身分「上位貴族」となったことで支給される金銭は、すべて侍女のベアトリスが管理していた。
万が一、本当に王子と結婚という運びになった場合、その準備には相応の費用が必要となる。
結婚式の衣装、舞踏会の正装、各種の式典や訪問に備えた服装──それらを最低限そろえるだけでも、並の資金では追いつかない。
支給金だけでは心もとないと、周囲は内心で案じていたが、ベアトリスは何の迷いも見せずにこう言った。
「かしこまりました」
その一言に、不思議な安心感が宿っていた。
──そして、今回の“ティーナは美人でスタイルが良い”という評判の裏には、すべてベアトリスの手腕があった。
衣装の選定、化粧の仕方、髪の整え方、アクセサリーの合わせ方、そして歩き方にいたるまで──
すべてにおいて、ベアトリスの卓越した技が注がれていた。
それらは、もともと“可愛い”と評されていたティーナの印象を、“美人”へと魔法のように変えていった。
さらに、その小柄な体つきでさえ、巧みに整えられた装いと姿勢によって、見事にスタイルの良さとして際立たせられていた。
仕上がった姿を前に、ベアトリスは静かに目を細めると──心の中で、ひとことだけ、そっと呟いた。
「……完璧」




