第五章 -私とマユとトム-
トムと恋を叶える云々の話をしてから、既に一週間が経つ。何の変化もないまま、私はトムとの生活を続けている。ケンタとマユも相変わらずだ。マユはケンタのことはお構いなしに好き放題しているし、ケンタはそんな状況に疲れ果てている。私はその二人を何をするでもなく見守り、ケンタの愚痴を定期的に聞いてやる、という具合だ。
ケンタに何か変化があったりするわけでもない。私への接し方も、今までと何ら変わりない。私のことをどう考えても男としてしか見ていないような、そんな扱い方である。こんな調子で、本当に恋が叶うとは到底思えない。
「あ、サキ。今日お前暇か?」
ケンタが授業終了と同時に話しかけてきた。
「今日はまぁ暇っちゃ暇やけど」
飲みの誘いか、はたまた課題の協力を求めているのか、まぁそんなところだろう。飲みならばまだしも、課題の協力とあらば、一瞬で切り捨ててやる。
「今日マユがお前と話したいて言うてるんやけど、ええか?」
ケンタではなくマユか。それにしても、お互いにちゃんと連絡先を知っているのだから、マユも直接言ってくればいいものを。何故にケンタを通すのか。
ケンタはマネージャーか何かなのか。よく分からない。
「あぁ、マユか。別に大丈夫やで。あとで私から連絡するわ」
この前会った時から、ゆっくり話そうという話はしていたので、特に不自然なことはない。ケンタを通して連絡するというのも、大して不思議なことではない。まぁとにかくマユに連絡してみよう。
ケンタと別れ、携帯でマユに連絡した。
「あ、ケンタから聞いた? なぁご飯食べに行かん?」
とのことだった。
私とマユは前と同じように正門で待ち合わせた後、大学の最寄駅近くの居酒屋に行った。ここも、学生でいっぱいだ。しかも明日は休日ときている。団体の客があちらこちらで騒いでいる。喧しいことこの上ない。
「乾杯~」
それぞれのドリンクを手にして、私たちはとりあえず乾杯をした。私はいつも通り生中、マユはカシスオレンジだ。何なんだろうか、ドリンク一つで生まれるこの差は。
しばらくの間、私とマユはいわゆるガールズトークで盛り上がった。一応私も、女の子らしい話も出来るのだ。高校のときも、二人でこうしてよく話していたものだ。懐かしい。
「なぁサキ」
突然マユが小さな声で私を呼んだ。マユの顔を見ると、この場の雰囲気にそぐわない、悲しそうな表情を浮かべていた。何か思いつめたような、そんな表情だ。私の鼓動が、その顔を見た途端に加速したのを感じた。
「ごめんね」
しばらくの沈黙のあと、マユが私の目を見つめながら呟いた。その目は、ほんの少し潤んでいるように見えた。マユの大きな目に映った光が、キラキラと揺れている。
「何よ、急に。別に謝ることなんかないやろ」
心当たりがあると言えばあるが、ないと言えばない。長い付き合いの中でのいざこざの多くは、私が心の中で消化してきた。マユと付き合っていくには、私がそうするしかなかったから。
マユは、何だかやけに思いつめたような顔をして、俯いている。基本的にマユは恐ろしいほど楽天的なので、こんなことは滅多にない。暗い表情をされると、すごく心配になる。
「私……もうケンタと別れようと思うねん」
何だって? 私は耳を疑った。マユが、ケンタと別れる? 驚きのあまり、立ち上がってしまいそうなほどだった。
「ちょ……マユ? 何考えてんの?」
「私、もうあかんねん……」
マユは、今にも泣き出しそうな顔をしている。わけが分からない。まさか、トムの仕業なのだろうか。私が、トムに頼んだから、マユは突然こんなことを言い出したのか?誰も不幸にならないと言ったじゃないか。こんなことになるなら、マユが泣くようなことになるのなら、私はトムに恋を叶えるようには言わなかった。
「マユ、いいからとりあえず理由を教えて。落ち着いて、な?」
今にも泣き出しそうなマユをなだめて、ケンタと別れるなどと言い出した経緯を聞き出した。
前々から、ケンタとの関係に悩んでいたのだという。マユは、さすがに自分のわがままっぷりにも気付いていたのだ。そして、そのせいでケンタが悩んでいるということも。私が、そのケンタの相談に乗っているということも、何となく気付いていたのだそうだ。
それに気付きはしても、マユは自分の性格を変えることは出来なかった。どんなに気を付けていても無駄なように思えて、ケンタを苦しめることに変わりないのではないかと思うようになった。自分がどんなに頑張ってもケンタを幸せにすることは出来ないんじゃないかと思い、別れを決意したのだと、マユはぽつりぽつりと語った。
「サキの方が……きっとケンタを幸せにしてあげれると思うねん」
マユがそう呟いた瞬間、私の中の何かがぷつんと切れた。抑えがたい怒りに似た感情が、私の中に止めどなく溢れてくる。その怒りは、トムに対するものでもあり、マユに対するものでもあった。もちろん、怒りを感じている自分自身も、腹立たしかったのだが。
「ふざけんといてよ」
気付いた時には、そんな刺々しい言葉をマユにぶつけていた。自分自身、こんなことを言ってはいけないのは十分分かっていた。それなのに、感情が全くコントロール出来ない。どうしよう、涙まで出てきそうだ。マユが、怯えたような、不安そうな顔で私を見ていた。彼女が私に呼びかける声も、はるか遠くに聞こえる。自分の中で暴れている感情が渦を巻いている。こんな気持ちになったのは初めてだ。どうしたらいいんだろう。あぁ、泣きそう。嫌だ。堪えなきゃ。頭が真っ白になるとはよく言うが、今の私の頭の中はむしろ、真っ黒だ。何も考えられない。
そんなとき、トムの声が聞こえた。
『ねぇちゃん、我慢したらあかん。我慢せんでええんや。全部、このねぇちゃんにぶつけてもぉたらええんや』
トムは、力強い口調でそう言った。よくもそんなことが言えるものだと、私は心の中でトムを罵った。トムのせいで、マユがこんなことを言い出して、私に対してもこんなことを言い出したりしたのかもしれないのに。今更良い者ぶらないで欲しい。
『ねぇちゃん、あかんで。全部溜め込まんでええねん。言いたいことは、全部言うてしもたらええんや!』
だからもう黙っててくれ。
「サキ……ごめんな。私、もうケンタのこと、サキに……」
「ええ加減にせぇやあぁぁ!!!」
ついに、爆発した。やってしまった。さっきまでうるさいくらいに騒がしかったはずの店内が、しんと静まり返った。目の前にいるマユは、目を丸くして唖然としている。
しまった。とんでもないことをしていしまった。もうこの事態は取り返しがつかないぞ。まずい。まずすぎる。冷や汗が、体内から一気に染み出してきた。さっき以上に、何も考えられない状況だ。私にだけ聞こえる、悪魔の声が私の頭の中にこだましていた。
『ええぞ、ねぇちゃん! よぉやった! その調子で全部言うてまうんや!』
この悪魔め。家に帰ったら握りつぶしてやる。けれど、不思議なことに、私の心の中はやけにすっきりもしていた。というか、余りの事態のために、他のことを考える余裕がないから、すっきりしているように思うのだろうか。何か諦めに近い境地に私はいた。
もういいか。トムの言うように、全部言ってしまうのもいいのかも知れない。ここは、思い切って、全部言ってしまおう。そうしよう。
「マユ」
「は、はいっ!」
声が裏返ってますよ、マユさん。私は今、余程恐ろしい顔をしているのか、私を見るマユの顔が引きつっている。心なしか、身体も引き気味だ。まぁ今はそんなことは一切気にならない。とにかく、言いたいこと、全て言ってしまおう。
「あんた、ケンタのことがど~うしても好きで、付き合うことにしたんやろ? 私から奪ってまで。それやのに何や、いらんくなったら返品か。クーリング・オフか。私があんたのことをどんだけ考えたって、あんたのためにどんだけ悩んだと思ってんねん。私かって、ずっとケンタのこと忘れられへんかったんやぞ。あんたはそんなこと気付きもせんかったやろけどなぁ。まぁ私があまりにも優しいから? あんたのこと考えすぎてたから? 私はもうケンタのこと好きじゃないっていう体で別れたんやけどな。だからケンタ自身ももしかしたら気付いてへんかも知れへんなぁ。私はケンタが好きなんや。せやけど、あんたの、いやお前のお下がりなんかかなわんわ。絶対ごめんや。何で私がお前の代わりにケンタを幸せにせなあかんねや。言っとくけどそこまで面倒見切れんし、見る義理もないからなぁ。お前、自分がやったこと分かってんのか? お前は、私からケンタを、好きな人を奪ったんや。それがどんなに辛いことか分かるか? 自分のこと考えたばっかりのお前には到底分からんやろなぁ。いつまでもそんな温いところにおったらいつか痛い目見るぞ。私とケンタが、いっつもお前にどれだけ振り回されてることか。そらケンタもしんどなるわ。だから、私がケンタの分まで文句言うたるわ。お前なぁっ……!」
ふう……息が続かない。怒り任せに一気に話しすぎて、酸欠になりそうだ。
『ね、ねぇちゃん』
ちょうど少し気持ちが落ち着いたとき、トムが話しかけてきた。今はトムの相手をしている場合ではない。一度言うと決めたものは、言い切ってしまわないと気がすまない。ちょっと黙っとけの意を込めて、右腕にしがみついているトムを一瞥した。私の視線に、一瞬だけトムは怯んだように見えたが、負けじとトムは続けた。
『やれば出来るんやないか。わしもちょっとびっくりしたわ。せやけど、いっぺんちょっと落ち着いて、あっちの話も聞いたらんと』
マユの様子を改めて見てみると、怯えているというか、ドン引きである。あぁ、やっぱり私はやってしまったんだなと、改めて感じた。私に落ち着きを呼び戻してくれたトムに感謝した。
私は咳払いをして、改めてマユと向かい合った。
「ごめん」
私は真っ先にとりあえず謝った。が、マユと私の声が完全に重なって聞こえた。私は思わずうつむいていた顔を持ち上げてマユを見た。すると、マユも私と同じように、驚いたような顔で私を見ていた。
「マユ……別にマユが謝ることないやん。ごめん、言い過ぎた」
今まで誰に対しても、こんなにも酷いことを言ったことはない。言ったはいいが、そのあとどんな顔をすればいいのかが、さっぱりだ。よく分からないが、とりあえず謝るという選択をしたのだ。
「ううん、サキは悪くないよ。私が悪いから……ほんまにごめんな」
私たちの間に、それはそれは重い沈黙が訪れた。沈黙が長くなればなるほど、口を開くのが難しくなる。それを分かってはいても、何を言えばいいのか分からずに、黙り込んでしまう。見事な負の連鎖だ。あぁ、誰か助けてはくれないだろうか。誰かといっても、今はトムぐらいしかいない。その選択肢だけはありえないが。
「なぁサキ」
長い長い沈黙を破った勇者は、マユだった。何を言い出すのか少し不安ではあったが、とりあえずこの沈黙をやぶってくれたことには感謝だ。
「私……やっぱりこれからもケンタといるべきやと思う?」
マユは見るからに不安そうな顔で、私に尋ねた。何をまた馬鹿なことを、と一瞬そう思いはしたが、今一度冷静になって考えてみると、マユも辛い状況にあるのかもしれない。
「もうしんどいん?」
とりあえずマユの本心を知る為に、私は尋ねた。するとマユは少し間を置いてから、小さく頷いた。どうしてそう思うのかも、聞いてみた。
「だって……ケンタはもう私とおるのに疲れてて、私のこと好きやって思ってくれてないと思うねん。ほんまにしんどい思いしかさせられへんし……私もなんか、ケンタのことほんまに好きなんかどうか分からんくなっちゃって」
好きかどうか分からない。一年以上付き合っているカップルがよく陥る状況だ。そうなる気持ちは、私自身分からないでもない。しかし、こういうときに思い切って別れたりすると、必ず後悔することになるものだ。
「でも、今別れたら後悔すると思うで?」
気まぐれなマユお嬢様のことだ。あとになってから喚きだすに違いない。
そんなことは見え見えだ。そうなると、やはりケンタは別れを切り出すわけにはいかないのだろう。難儀なものだ。
「それも思うんやけどなぁ……でも、このまま付き合ってても、お互いしんどいだけで、なんか意味ないような気がするねん」
だから私に返しますと。本当にこの子は。
「マユ、今ケンタのこと好き?」
「好きか嫌いかで言うたら、そりゃ好きやけど……そこまでめっちゃ好きとかではない」
「そんなもんとちゃうん? 二人付き合いだしてちょうど一年ぐらいやろ? その時期はちょっとテンション下がってくるもんやって。考え直してみたら?」
私は、さっきまでの怒りなどすっかり忘れて、いつの間にか真剣にマユの相談に乗っていた。完全にマユのペースに持ってかれてしまった。まぁ今更どうだっていいか。
マユは、ずっと浮かない表情のままだ。普段、この手の話でこの流れになれば、一気に明るくなって、悩んでいたことなど忘れさせるくらいのテンションになるのだが。そうならないということは、何かあったのだろうか。そう、例えばケンタと別れなければならなくなるようなことが。いや、これは十中八九何かあったに違いない。
「何かあるん?」
私が出来る限り優しい声色でそう言うと、マユは私の顔を見て、そのまま涙をぽろぽろと流し始めた。
「ちょっと、どうしたんよ急に!」
あまりに突然の涙に、私は思わず驚いてしまった。まぁマユの涙自体は、もう見慣れているのだが。それでも、やたらと大泣きするマユに、私はすっかり弱ってしまった。これはどうやらただ事ではないらしい。
そんなことよりも、もうそろそろ周りの客からの視線に耐えられなくなってきた。女性客の二人連れが、片方がいきなりキレて怒鳴り散らしたかと思えば、今度はもう一人が尋常じゃない様子で泣き出す。そりゃあ見るわ。
「マユ、マユ。とりあえず出よか。今日はもう私ん家泊まっていき」
私がマユの肩を抱いて立ち上がらせながらそう言うと、マユは涙を拭い、嗚咽をあげながら頷いた。まるで、いつぞやの私みたいだと、ふと思った。
店を脱出し、マユの肩を抱きながら私の家までの道のりを歩く。コンビニに寄ろうかとも思ったが、何分マユがこの様子なので、とにかく先に家に辿り着くことが最優先事項だと判断した。ケンタの家にこの大きな荷物を投下してやろうかと思ったが、それは余りに悪魔的行為なのでやめておくことにした。
私の家に着いても、マユの様子は相変わらずだった。涙は枯れることを知らないかのように溢れ続けていた。床に崩れ落ちるように、マユは座り込んだ。全く、なんとも見ていられない光景だ。
コップにミネラルウォーターを注いで、うな垂れているマユに差し出した。
「ちょっと落ち着いてきた?」
静かに水を飲むマユに、私は尋ねた。小さく頷いたマユを見て、少し安心した。
それからしばらくの間、あえてケンタに関する話題には触れずに、至ってのんびりと過ごした。そうしている間に、マユが少しでも落ち着いて、きちんと話せるようになってくれればと思ったが故の行動だ。
しばしの沈黙のあと、サキが深いため息をついて、私を呼んだ。ようやく話す気になってくれたようだ。あまり刺激しないように、注意しないと。
「私……浮気してもぉてん」
突然の告白。思わずかっとなって、また怒鳴り散らしてしまいそうになったが、何とか抑えた。ゆっくりマユの告白を聞いて、全て受け入れてやろうじゃないか。視界の隅で、トムが心配そうに私の顔色を伺っているのが見えた。トムよ、何も心配はいらない。お前は黙って見ておきなさい。
「浮気って……どういうこと?」
私はあくまでも冷静に、マユに尋ねた。
「バイト先の友達に告白されて……それで……ヤっちゃってん」
何ということでしょう。それじゃ二股じゃありませんか。
「それは、いつのこと?」
「二週間ぐらい前」
トムがため息をついたのが聞こえた。いつもなら、けしからん! とか言い出すはずだが、それを言わないところを見ると、私の睨みが効いているらしい。そのまま何も言わずにいてくれるとありがたい。
「そのこと、ケンタは知らんのやんな?」
私が聞くと、マユは黙って頷いた。見たところ、かなり罪の意識があるようだ。マユはまた泣き出してしまいそうな顔をしていた。
「マユは、その浮気相手とケンタ、今どっちの方が好きなん?」
いきなり核心を突くのはどうかと思ったが、マユ相手にうだうだと説教をしても無駄だ。とにかく現状を変えてやらないといけない。マユ自身、どうしたらいいのか分からないのだ。私が、それを導く役割を担っている。
「ケンタは……私にとって大事な人やけど、今は……」
マユは再び俯いてしまった。なるほど。マユの心は、浮気相手の方に傾いてしまっているようだ。
私は一体、どうするべきなんだろうか。マユの親友として。ケンタの友人として。私は、今のマユに何と言ってあげるのが正しいのだろうか。彼らにとって最良の選択は、どうすることでもたらされるのだろう。
『ねぇちゃん、こういうもんは直感でバシッといくもんやで。そうした方が上手くいくことも、人生ではようけあるもんや』
人が真剣に悩んでるときに、このオッサンは。とことんお気楽なことを仰いますのね。やってられませんわ。
でも、トムが言うことにも一理あるような気がしてくるから不思議だ。ふと、今一度自分の直感とやらを確認してみる。一番最初に私が思ったのは。
「どうしても、もう無理やって思うんやったら別れてまうのも、ありなんかもしれんなぁ」
私はあえて独り言のように、小さく呟いてみた。マユの耳に届いたとしても、心にまでは届かないことを期待しながら。
マユの顔を見ると、少し驚いたように見えた。私がそんなことを言うのが意外だったのだろう。マユから視線をそらすフリをして、トムの反応も伺ってみた。
マユとは対照的に、トムは私の膝の上で偉く満足そうにしていた。脂ぎった顔に、満面の笑みをたたえて。よく言った、と言わんばかりだ。私の言葉に同意を示すように、トムは何度も頷いていた。何だかお父さんに褒められたような気がして、少し誇らしく思えて嬉しかった。不思議な気持ちだ。あんなに煩わしかったトムが、今や私の一番の味方のように思う。
「やっぱり、サキもそう思う?」
マユが、私が言ったのと同じくらい小さな声で言った。マユは自分の思いや考えが間違えているように思えるのだろう。私は彼女の背中を押すべきなのだろうか。さすがに少し迷った。
私はいつも、マユの気持ちを自分の気持ちよりも優先してきた。それなのに今の私は、自分の想いを叶えるために、マユの背中を何処かに押しやろうとしている。
何が正しいのかは分からない。でも今は、私が思うようにしてやろうと思える。私だってたまには、マユくらいわがままに振る舞ったりしてみたい。トムがいるおかげで、私は少なからず変われた気がする。
「だって、今は浮気相手の方が好きなんやろ? そんな気持ちで、ケンタとこれからも付き合っていってもしゃあないと思うし……まぁケンタがほんまのこと知ったら、やっぱり傷付くとは思うけど」
マユを深く傷付けてしまわないように細心の注意を払いながら、私がそう言うと、マユは「そっか」と、少し俯きながら言った。
マユにとって今一番辛いのは、ケンタを傷付けてしまうことに違いない。だからこそ、マユなりのせめてもの気遣いとして、マユは私にケンタのことを頼むと、そう言いたかったのだろう。自分勝手だとは思うが、ここはケンタの友人として、私がかってでるべき任務なのだろう。
「とにかく、もうちょっと考えてみ? ケンタのこと。ケンタのことも、やっぱりまだ好きではあるんやろ?」
私が出来る限りの優しい口調でそう言うと、マユは少し涙ぐみながら黙って頷いた。
もう時間も遅い。私たちは寝ることにした。
私とマユは、何処ぞの百合漫画のように二人でベッドに入って眠った。何故か私が腕枕をしながら。何だろう、この構図は。
マユはベッドに入ってから、私に何度も謝った。
自分のわがままのせいで、私に迷惑をかけてしまうことを、マユも一応気にかけてはいるらしかった。私としては、マユにその気持ちがあるということだけでも十分であるように思えた。私はつくづく彼女に甘い。長年こんな関係を続けていると、こうなるのも仕方ないのだろうか。
マユが私の腕の中で寝静まって、私もうとうとし始めているとき、トムが小声で話しかけてきた。
「ねぇちゃん、この子の心配はせんでも大丈夫やで。わしに任せとき。全部うまいこといくさかい。みんなちゃんとそれぞれで幸せになれるわ」
マユを起こしてしまうわけにはいかないので、声は出せない。私は黙って頷いた。
本当に、みんなが幸せになれればいい。私も、ちゃんと幸せというものにありつけるだろうか。思い返してみると、私は今までろくに幸せに巡り会えたことがなかった気がする。そんな私が手にする幸せとは、一体どんな形なんだろうか。
朝を迎えると、マユはバイトがあるからと言ってそそくさと帰っていった。感謝と謝罪の言葉を私に残して。
マユは、ちゃんと幸せを掴んでくれるだろうか。昨夜私が言ったことが全て正しいとは、私自身とてもじゃないが言うことが出来ない。私たちの運命の歯車が上手に噛み合って、いい方向に進んでいけたらいいのに。
再びトムと二人きりになったときにそんなことを話すと、トムは相変わらず自信満々の様子で、大丈夫と言ってくれた。不安ばかりの私に、トムのお気楽さはうざったい反面、心強くもあった。トムの言葉を信用するのは難しいが、溺れるものは藁をも掴む、そんな感じだった。