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第四章 -私と恋心とトム-

「ねぇちゃん、ちょっと話しよか」

 部屋の片付けと洗濯物を済ませたところで、唐突にトムが言った。

 話? まぁ勘繰るまでもない。私とケンタ、それにマユのことの話だろう。

「嫌や。そんなもん却下やな」

 私がきっぱりとそう言うと、トムは怒り出した。

「嫌やないわ!ちゃんとわしの話を聞いてみぃ!ええから一回そこに座ってみ」

 いつからこのオッサンは私に席を勧められるほど偉くなったのだろうか。今はトムがやけに真面目になっているので、突っ込まないでおくが。渋々、テーブルの前に座る。何となく、正座までしてみた。私が座ったのを見て、トムは一つ咳払いをした。

「ねぇちゃん、今からするんは、めっちゃ大事な話やさかい、真剣に聞いて欲しいんや。ええか」

「……はい」

 本当に、やけに真面目になっている。何だか調子が狂ってしまって、やり辛い。一体何の話をするというのだろうか。

 ケンタたちとの関係の話が、そんなに大切だとは思えない。そんなに真剣になる必要が、一体何処にあるのか。全く見当が付かない。トムは相変わらず、私に真剣なまなざしを向けている。

「ねぇちゃん。わしがあっちの世界から来たっちゅうんは、覚えてるよな?」

「う、うん」

「わしは、天使やっちゅうたんも覚えとるな?」

「……うん」

「わしが天使として出来ることが、一つだけある」

 天使として出来ること?まぁ私はトムが天使だということを認めてはいないのだが、まぁそういうことにしておくか。しかし、一体なんなんだろうか。天使として出来ることとは。

「何なん、出来ることって。何が出来るん?」

 私がそう言って急かすと、ちょっと待てというように、トムは手の平を私のほうに突き付けた。そして、一つ深呼吸をしてから、ゆっくりと口を開いた。

「恋のキューピッドって聞いたことあるやろ」

 トムが、似合いもしない真剣な顔で、似合いもしないメルヘンチックなことを言い出した。

「あるけど……ま、まさか」

「そのまさかや」

 トムが不敵な笑みを浮かべる。胡散臭さマックス最高潮だ。

「わしが出来ることは、誰か一人の人間の恋を一度だけ叶えることや」

 私は思わず自分の耳を疑うよりも前に、トムの発言を疑った。

「そんなん嘘やろ。ありえへんわ」

 私はそう言ってトムの発言を一蹴した。

「嘘とちゃう! ほんまや!」

 威勢良くそう言った直後、トムは急にしょんぼりとした。明らかに様子がおかしい。どうしたのかを尋ねると、トムはぼそぼそと呟いた。

「わしも……まだ一回もやったことないんや……」

「はぁ?」

 呆れてものも言えない。一回も試したことがないのに、よくも自信満々に恋を叶えるなど言えたものだ。新手の詐欺か。実証がないのなら、幾ら事実であっても、嘘と何ら変わりない。いや、トムの言うことだ。むしろ嘘をついているのだろう。

「やっぱり嘘なんやろ! この似非天使が!」

「なっ、何言うねん! そらいくらなんでも酷いんとちゃうか!」

 トムが負けじと食い付いてきた。

「ほんまや、これはほんまやねん。頼むから信じてくれ」

 トムがくねくねとしながら、懇願している。いくらそう言われても、信じがたいことには変わりない。世の中、何でもかんでもそう簡単に信じては、痛い目を見るものだ。

「まぁ、嘘かほんまかはとりあえず置いといて……何でそれを今私に言う必要があるん?」

「そんなもん決まっとるがな」

 トムがはっきりと言った。

「ねぇちゃんを幸せにするためや」

 こいつ、まだ私とケンタをくっつけようとしてやがる。

「トム、ほんまええ加減にしぃや」

「待て待て待て待て、ええからもうちょい話聞いてんか!」

 トムの余りの必死さを見て、頭の上まで無意識に振り上げていた右手を下ろした。それを見て、トムはまた一つ、咳払いをした。

「確かにわしはまだ一度も恋を叶えたことがない。でもそれにはちゃんと理由があるんや。あっ、下らん理由やないで。ほんまにちゃんとした理由や」


 トムの言うところのちゃんとした理由というのは、こんなものだった。

 人は誰でも人生に一度は、恋に苦しむ生き物である。誰もが死にそうな思いをして、身を焦がして、恋に溺れる。その様子を、トムのような天使というものは、上から見守っているのだという。

 人間の数と天使の数は、ほぼ等しくなっているらしく、それぞれの天使には見守る人間が決められており、その人間を見守りつつ色々な業務をしなければならないという、なかなか過酷な職務環境なのだと、トムは言う。

 そして天使たちは、観察の対象になっている人間が恋に苦しんでいるとき、人生の中で一度だけその恋を叶えることが出来るらしい。しかし、天使の側はただで叶えるわけにはいかないらしい。

「何なん、その代償って」

 私がそう尋ねると、今まで流暢に話していたトムが、突然言い淀んだ。俯いて、黙り込んでしまった。よほど大きな代償なのだろうか。それとも、余りに馬鹿馬鹿しくて言うことが出来ないのだろうか。後者であればいいのにと、私は咄嗟に思った。

「代償は……転生延期や」

 転生……生まれ変わることか。それが延期されるということだろう。トムに確認すると、やはり私が思った通りの意味のようだ。しかし、向こうの住人でない私には、その転生延期の重みがいまいちよく分からない。

「一度延期になったら、次のチャンスが来るのは、人間二人分の人生を見届けたあとや。しかも、それでほんまに転生出来るかは分からんのや」

 人生二人分というと、ざっと見積もってニ百年弱になるだろうか。なるほど、何となくその重みが分かったような気がする。

「だから、トムは今まで恋を叶えることはなかったんやな?」

 私がそう言うと、トムは深々と何度も頷いた。

「普通やったら、転生出来るまでにどれぐらい時間かかるもんなん?」

「五人分の人生を見届ける毎に、一回の転生チャンスが貰えるんや」

 なるほど、天使もなかなか過酷な状況なのだということがよく分かった。

 つまり、普通なら約五百年で転生出来るのが、人間の恋を叶えれば、それが約七百年に増えるのか。しかし、そんなデメリットがあるなら、恋を叶えようという天使などそう現れないのではないだろうか。

 けれど、実際はそうでもないらしい。天使の転生の審査というのは、生前の行いはもちろん、向こうでの仕事ぶりも大きく影響するらしい。つまり、ただ見守るだけでなく、どれだけ思いを込めて見守ることが出来たか(ここら辺で、私たちが言うところの勘とか運とかに影響が出るらしい)ということが重要らしいのだ。だから、生前の行いに自信のない天使たちは、積極的に恋を叶えようとする、という仕組みが出来ているらしい。

 私たちの恋の悩みは、一方では天使たちの千載一遇のチャンスにもなっているのか。何となく、理不尽なような気もする。

「なるほどねぇ。それでトムは、自分の転生のチャンスの確率を上げるために、私の恋を利用しようと」

 呆れたものだ。てっきり本当に私の幸せを考えてくれているのかと思っていたのに。今まで真剣に話を聞いていたが、一気に聞く気が失せた。思わずため息が出た。というか、私は一体何を期待していたのだろう。馬鹿馬鹿しい。

「ねぇちゃん、違う! わしはそんな風に思っとるわけやない」

 トムが訴えてきた。もはや聞く耳持たぬ! と一蹴してやりたいところだが、せっかくだし、最後まで聞いてやることにしよう。

「ええか。わしはほんまにねぇちゃんの幸せを願ってるんや。ねぇちゃんの人生見届けたら、わしは転生出来るんや! せやけど、わしは今のねぇちゃんを放っとけん!」

「そんなん……せやったら尚更、恋を叶えようなんて、こっちから願い下げや! さっさと転生して幸せなったらええがな!」

 意味の分からないトムの発言に、思わず頭に血が上った。私は恋を叶えてなんかいらないと言っている。トムは私の恋を叶えると、転生するチャンスを失う。それなのに、トムは私の恋を叶えたがる。何も辻褄が合わないじゃないか。ふざけるのもいい加減にしろといった具合だ。

 私とトムは睨み合った。トムも、一歩も譲れないという感じだ。眉間に皺を寄せて、険しい顔をしている。

「あんさんのお父ちゃんに、約束したんや。あんさんを、しっかり見守るて」

「お父さんは関係ないやろ」

「あんさんは分かってへんのや! お父ちゃんが向こうでどれだけあんさんのこと心配しとるか!」

 トムが、今まで聞いたことのない、強い口調で言い放った。怒って興奮しているせいか、トムは肩で息をしている。あまりの形相に、私は思わず怖じ気付いてしまった。

「わしは……あんさんのお父ちゃんに出会うまで、あんさんのこと一個も気にしてなかった。わしは生前も、向こうでも、ろくな奴やあらへんかったさかい、転生することなんか、諦めてたんや。もうどうでもいいと思ってダラダラ過ごしとったんや」

 そんなとき、トムはお父さんに出会ったのだという。お父さんは、向こうではかなり偉い立場の人で、天使を統制する側の人らしい。その時は忙しい時期で、お父さんは私たちの様子を自分で見に行く余裕などなかったのだ。そこで、私を対象としているトムに、接触したのだそうだ。しかし、私をちゃんと見守ってやって欲しいと言うお父さんの申し出を、トムは初めは断ったのだという。ダラダラと過ごすトムにとっては、お父さんの話は迷惑極まりないものだったのだ。

 それでもお父さんは、毎日トムに私のことを頼みに行った。トムもそうしているうちに徐々に私のことを気にするようになっていったのだ。

「見たらあんさんは、いっつも我慢して、不満を一人で溜め込んどる。心の色も、非常に悪い。こらあかんわってなったんや」

「でも今は全然元気やん。そんな心配されるような覚えないで」

 私がそう言って反発すると、トムはさも呆れたと言ったように、両手をあげた。

「そう思ってるんは、ねぇちゃんだけや。上から見てたらよぉ分かるんや。あんさん、このままやと一年もせんうちに壊れてまうで」

 背筋が一瞬ひやりとした。そういう心当たりが全くないわけではない。無理をしているのを自分で分かっていて、仕方ないと無理矢理本当の自分を閉じ込めてきた。そんな自分に、もう疲れてき始めていたのだ。トムの言うことがリアルに感じられて、急に怖くなった。

「だから何べんも言うてたんや。無理したらあかんて」

 トムと、トム越しではあっても確かに垣間見えるお父さんの優しさを、すぐ近くに感じられた。なんて温かいんだろう。お節介かもしれないが、今の私には必要なものだったのかもしれない。けれど、やはり私は。

「でも、やっぱり私は誰かを不幸にしてまで自分が幸せになりたいとは思わんわ」

 私が幸せになる。私の恋が叶う。それはつまり、マユの不幸を意味する。私が味わった苦しみをマユにも与えてしまうことになる。そうなることだけは、どうしても嫌だった。

「ねぇちゃん、心配なんかせんでもええんやで。わしら天使をなめてもらったら困るわ」

「どういうこと?」

 トムは、ニヤリと笑った。本人はカッコ付けてるつもりかもしれないが、私から見れば、その表情は不気味にも思えるものだった。

「わしらの力を使えば、誰かを不幸にすることなく、恋を叶えることが出来るんや」

「そんな都合よくいくわけないやん」

 私はトムの言うことを信じることが出来ず、反射的に言った。トムは私の反応を見ても、変わらず不気味な笑みを浮かべていた。

「それがうまいこといくんや。何も心配せんと、わしらに任せといたらオッケーや」

「そんなん言われても、信じれるかいな!私は嫌やで。リスクがでかすぎるわ」

 あまりに呑気なトムに腹が立った。そう、あまりにリスクが大きすぎるのだ。私がケンタとの恋を取り戻そうとしたら、ケンタとマユの関係はもちろん、私とマユの関係も崩れてしまう。そうなれば、もう二度と私たちの関係は元には戻らないだろう。そんなリスクを犯してまで、トムに賭けようとは思わない。こんな胡散臭い、わけの分からない自称天使のオッサンに。

「ねぇちゃん、大丈夫やて。信じてくれ。わしにもリスクはあるんや。それを押してまでねぇちゃんを幸せにするて言うてるんや。しかも、みんなが傷付かんように! しんどい目見るんは、絶対にわしだけで済む。頼む、わしのこと信じてんか!」

 このオッサン、ついに土下座までして、私に頼み込みだした。一体、どういう風の吹き回しなのか。

「ほんまにこの通りや、頼む。わしに任せてくれ。そやないと、ほんまにあんさんのお父ちゃんに会わす顔がないんや。あんさんのお父ちゃんの為や。……頼む!」

 どうしてここまで頼まれないとならないのか。何だかもう益々訳が分からなくなってきた。しばらくの間、額をテーブルにへばりつけているトムのハゲ頭を眺めていた。


 さて、どうしたものか。私の恋が、もしかしたら叶うかも知れない。一度は諦めたケンタへの想いが、再び実を結ぶかも知れない。本当に叶うなら、更に誰も傷付かずに済むのなら、私はどんなに幸せだろうか。しかし、何もかも確証はないのだ。本当に私の恋が問題なく、叶うかは分からない。ここで決断するのが、本当に正しいと言えるのだろうか。トムの真剣な顔を見る限り、トム自身が嘘をついているということはなさそうではあるが、そのことは残念ながら、まともな判断材料にはなりえないだろう。最終的にはやはり、私の決断にかかっているのか。

「トム」

 私が呼びかけると、トムが瞬時に顔をあげ、私を見つめた。そんなに熱い視線を向けないで欲しい。

「私は……ほんまに幸せになれるん?」

 究極の質問を、トムに投げかけた。この質問の答えが、私の中の全ての迷いと疑問の答えだ。

「もちろんや。わしがあんさんを幸せにするさかい」

 人に聞かれたら、何だか誤解を招きそうな答えだ。しかし、これで答えが出た。決意を固めよう。

「よし、決めた。トムに賭けるわ」

 さすがにもう我慢するのは嫌だ。どうせなら、思うように生きて、幸せになりたい。それを導いてくれる存在がいるのだから、ここらで一度くらい甘えても罰は当たらないだろう。

「ほんまか、ねぇちゃん! おおきに! おおきに!」

 トムは、テーブルの上でぴょこぴょこと跳ねて、大喜びした。私が指を差し出すと、小さな小さな、ミリ単位の手で私の指にしがみついた。まるで選挙運動をしている政治家のようだ。

「ほんまにおおきに! わし、頑張るよって!」

 どうしてトムはここまで喜ぶのだろうか。私はそこまでトムに愛されていたのか。それはそれで、嬉しいような、嬉しくないような。まぁ、人(?)が嬉しそうにしているのを見て、悪い気はしないし、良しとするか。


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