第三章 -私とケンタとマユとトム-
次の日、案の定授業の時間を寝過ごしてしまった。昨日飲み過ぎたのが災いした。頭が重くて仕方ない。トムの甲高い声が、いつも以上に鬱陶しく感じる。
「ねぇちゃん遅刻やないか! さっと用意して、さっと学校行かんかいな!」
あぁ、うるさい。お父さんでも、こんなごちゃごちゃ言われることは滅多にないのに、どうしてトムはこんなにもうるさいのだろうか。
家を出る頃には、すでに授業が始まって二十分ほど経っていた。トムに急かされて、学校までの道のりを駆ける。正門の前で、見慣れた後ろ姿を見つけた。――ケンタだ。どうやら、奴も寝過ごしたようだ。仲間がいると、遅刻をするのも心強い気がする。
「おはよう」
ケンタに追いついて、声をかけた。ケンタも二日酔いなのか、顔色が異様に悪い。物凄く眠そうな顔をしている。返事はしたものの、声はガラガラだし、いつもよりも一オクターブくらい低いような気がする。
「ちょっと、何でそんなしんどそうなん? 昨日あのあと寝たんじゃないん?」
私の声がちゃんと耳に届いているのか不安になるほど、ケンタはボーっとしている。大きな欠伸をしてから、ようやくケンタは質問に答えてくれた。
「お前帰ったあと、寝ようとしても寝れんかったんじゃ。中途半端に酒飲んで、微妙なテンションやったからさぁ……結局寝たん明け方やったし。しかも眠り浅くて、疲れ全然取れてないし。最悪や」
ケンタはまた大きな欠伸をした。
「授業サボって寝てたら良かったのに。代返したるやん」
「眠り浅かったんやって。寝ようにも寝れんねん」
哀れだ。そんなにマユのことが精神的に響いているのだろうか。さすがに少し心配になった。
私たちはゆっくり歩いて、校舎に向かった。結局、教室に入った時には、授業は半分近く終わっていた。まぁ、大して気にすることはないが。
授業中、ケンタはずっと突っ伏して居眠りをしていた。遅刻をしてきたかと思えば、睡眠学習とは。最悪な学生だと思う。かく言う私も、何度か意識が飛んでいたが。
授業後、まだあと一つ授業が残っていたが、ケンタと相談した結果、サボることにした。出席しなくても特に支障のない授業だ。帰ろうとしていると、ケンタの携帯にマユから連絡が入った。当然、ケンタは眉をひそめた。電話でしばらく話したあと、ケンタは言った。
「今から俺ん家来たいって。今サキとおるって言ったけど、お構いなしや。サキやったら分かってくれるからいいやん、やってさ」
「ほう、ほんま言いよるなぁ」
あのお嬢様は、本当に私のことを召使か何かと勘違いしているのではないだろうか。堪ったもんじゃない。
「まぁとりあえず行くとするか……サキも正門まで一緒に行くか?」
「あーそうしよかな。最近マユと会ってへんしなぁ。顔だけ拝みに行くわ」
特に用はないのだが、顔を見るくらいは友人としての義務とでも言えるのではないだろうか。私のテンションが、マユと会うことでどうなるかは分からないが、まぁ大丈夫だろう。
ということで、ケンタの後ろについてマユの待つ正門に向かう。
正門付近の人混みの中に、マユがいた。私とは正反対のマユ。スカートをはいて、長い髪を頭の上でお団子にまとめている。メイクもばっちりで、大きな目がはっきりと見える。マユが、私たちに気付いて、大きく手を振った。
「サキ! 久しぶりやん。元気やった?」
マユが無邪気な笑顔を振りまいた。こうしてみると本当に可愛い子だと思う。私たちがマユのところまで歩いていくと、マユは私の腕をキュッと握り、やけにはしゃいでいた。まるで幼い少女のようだ。
「おかげさまで。マユは相変わらずアホそうやな」
「えぇ、ひどーい」
私はいつもこうしてマユと戯れている。すねているマユは本当に可愛い。しかし、こんな風に誰にでも可愛がられているから、とんでもないわがまま娘になってしまったんだろうなと、心の片隅で思わずにはいられなかった。
「ケンタとちゃんと仲良くやってんの?」
何だか悔しくて、鎌をかけてみた。ケンタが一瞬表情を硬くしたのが、視界の端で見えた。が、気にしない。この質問にマユが何と答えるのか、見物である。しかしマユは、ケンタとは違い、少しも表情を変えずに柔らかな微笑をたたえたまま答えた。
「当たり前やん、うちらはずっと仲良しやで。な?」
マユはケンタに同意を求めた。しかし案の定、ケンタの表情は固まっていた。まぁ無理もないか。ケンタは、曖昧な返事をしたが、マユはそんなことを少しも気にしていないようだった。うむ、恐ろしい程自己中心的で、幸せな奴だ。
「それは何よりやな。あんまりケンタのこと困らせたらあかんで?」
私はそう言って、マユのお団子頭を軽く撫でた。事実はどうであれ、マユが幸せならいいか。それで更に、ケンタも幸せであれば、もう何も言うことはないのだが、現実はそううまくはいかないようだ。頑張れ、ケンタ。
「じゃあ、二人の邪魔したら悪いし、もう帰るわ」
「え、もう帰るん? もうちょっと喋りたいー」
私がそそくさと帰ろうとすると、マユが駄々をこねてきた。しかし本心ではないだろうと思う。きっと、彼女は早くケンタと二人きりになりたいに決まっている。私は彼女の隠された要望に静かに答えるべきなのだ。
「いいよ。今日は二人でゆっくりしい。また今度二人でゆっくりしよや」
そう言うと、マユは渋々私の申し出を受け入れてくれた。まぁ渋々、という風に見えるだけだろう。別れ際にケンタの顔を見ると、やけに恨めしそうな顔をしていた。気にしない。気にしても仕方ない。ごめんよ、ケンタ。
私は二人に別れを告げて、さっさと家路についた。
帰り道の途中、トムが話しかけてきた。
「ねぇちゃん、あのにぃちゃんの彼女と仲ええんか?」
マユと私か。まぁ仲がいいと言えばいいと思う。実際、そこまで嫌いなわけでもない。トムにも、そういう風に答えた。
「ほんまかいな。あのマユって子ぉが、目の上のたんこぶになっとるんちゃうんかいな」
「もう、だから別にそんなんちゃうて。ケンタのことはもう別にどうでもいいんやし」
トムにケンタのことを突っ込まれると、やけに腹が立つのはどうしてなんだろうか。自分でもよく分からないから困る。
「ねぇちゃん、昨日も言うたけど、我慢せんでもいいときはあるんやぞ」
トムは一体私に何をどうして欲しいのだろうか。マユからケンタを略奪して、悪者になれと言っているようなもんじゃないか。それが腹が立つ理由だろうか。
何かトムに言い返してやろうかと思ったが、あまりそんな気にもなれない。トムに何か言ったところで、どうにかなるとは思えない。言っても言わなくても同じならば、言わない方がましな気がする。だから、何も言わない。
「ねぇちゃん、わしはねぇちゃんに幸せになってほしいんや」
なんだなんだ。急に臭い台詞が飛び出してきた。まさかトムがこんなことを言うとは。
「何をくっさいこと言うてんよ。恥ずかしいからやめてや」
「冗談やあらへんぞ。わしは本気や。ねぇちゃんが幸せになってくれんと、あっちで待ってるねぇちゃんのお父ちゃんに顔向け出来へんのや」
お父さんの話を出されると弱ってしまう。こんな小さいおっさんの言うことなど、基本的には信用できるはずがないのだが、お父さんの話だけはどんなに現実味がなかったとしても、出来る限り信じたい。だから、どれだけ突っ張っているときでも、お父さんの話が出ると、つい耳を傾けてしまうのだ。私もトムに負けず劣らず、不器用な奴だと思う。
そんなことを話しているうちに、家に着いた。
章の分け方をミスってました;
すみません。
修正しました。