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008 ある冒険者の悲劇1

 アンがスタを発って二日後。


「おはよ、リカレイ、ロヨイ、ミラン」

「おはよう、メアル」

「ミラン、今日も一緒なのね」

「あはは、まぁね」


 孤児院の庭にメアルが顔を出したのは、昼にはまだ早いが、すでに「朝」と呼ぶには遅すぎる時刻だった。朝の爽やかな冷たい空気もすでなく、暖かだ。メアルはどうしても朝が弱い。挨拶に返事をしたのは木の棒で素振りをしていたミランで、リカレイとロヨイは木剣を打ち合わせるのに夢中だった。


 カン、カン、と木の響き。毎朝の稽古はもう習慣になっており、ミランも最近は加わるようになった。もっとも最後までやりきるのはリカレイとロヨイくらいで、他の子供たちはとっくに飽きて離れている。庭には小石や小さな花が点在し、踏み込むたびに柔らかい土が足裏に触れる。ミランは稽古の合間に足元の草を払った。今日も結局、勝負がつかないまま二人は木剣を止め、息を切らした。


「メアル、おはよう。……相変わらず寝坊助だな」


 ロヨイが額の汗を拭いながら呆れ顔を見せる。


「早く起きようと思うのだけど、不思議ね」


 メアルは気にした様子もなく笑い、桶を差し出した。彼女の髪は日の光を受けて柔らかく輝き、頬は少し赤い。ロヨイの苦笑など、効き目はまるでない。


「はい、手拭い」

「ありがとう、メアル」


 孤児院の暮らしは、決して豊かとは言えないが困窮もしていなかった。アンの実家からの寄付や国の補助もあり、食事や衣服には余裕がある。子供たちは勉強時間や手伝いをこなしつつ、思い思いの時間を過ごす。庭では小鳥たちが水飲み場で羽をばたつかせ、風に乗った木の葉がカラカラと地面に落ちる。


 メアルは不器用なところもあるが手先は妙に器用で、繕い物を任されることが多かった。針を持つ指先は驚くほど器用に布を扱い、色の組み合わせや縫い目の美しさに子供たちはよく感心した。料理の手伝いもする。煮炊きの香りが小さなキッチンから漂い、湯気の向こうで小さな手が器を運ぶ様子が見えた。


「そういえばメアル、昨日の繕い物どうした?」

「……あ」

「やっぱり忘れてたか。ほんとにもう」

「ミラン、いつもありがと。今からやってくるわ。みんなは薪割り頑張ってね」


 笑いながら小走りに去っていくメアルを見送り、庭には再び子供たちの声と木剣の音が響いた。木々の影が徐々に短くなり、強くなっていく日差しが庭を温めていく。子供たちは笑いながら競い合い、時折転んで土まみれになり、それでも互いに手を貸し合った。


 アンが居なくなっても、孤児院の生活は変わらない。少なくとも孤児達はそう思っていた。


☆☆☆☆☆


 その頃、スタから離れた大森林の縁。


 冒険者リーリックは、相棒のエスオタン、そして臨時に組んだアルジとニースのパーティーと共に薬草を探していた。依頼は「薬草の採取と採取地図の作成」。難易度こそ高くないが、受注条件はBランク以上とされていた。理由は単純だ――依頼の背景に、公表されていない「黒苦死病」の存在があるからだ。


 森は静かだが、木々の間を吹き抜ける風の音、枯葉が触れ合う音、遠くで鹿が草を踏む音が混ざり、注意を怠れない空間を作っていた。太陽は木々の葉を通して斑に地面を照らす。湿った土の匂い、樹液の香り、苔の湿った香りが鼻をくすぐる。


「しかし助かったぞ、ニース殿。地図の作り方からして俺たちには心許なかった」

「まったくじゃ。地図も描けぬ、草の見分けもできぬで、よく依頼を受けたものよ」


「……義理があってな。断る方便のつもりで“レンジャーをつけろ”なんて言ったら、お前さんたちが現れてしまった」

「はは、それでか」


 会話は軽口めいていたが、内心は誰も気を抜いてはいなかった。森はまだ浅いが、かつてコバ村の狩人たちが活動していた狩場でもある。葉の隙間から光が差し込み、地面に映る影は常に揺れ、何が潜んでいるか分からない。夜は獣も徘徊する。ニースがいなければ到底、受けられる依頼ではなかっただろう。

 ここは奥地向かえば、戻ることは叶わないと言われる地、魔の大森林の南端。奥地は、ここと比較できない程危険な生物がいるのだと言われていた。


 黒苦死病で全滅したコバ村が、スタにある商会(アンの実家)に納めていた薬草は、国にも流通していた重要な薬草である。今回その採取地を確定し、今後は冒険者ギルドを通じて定期的に収穫できるようにしたい、国からの依頼なのである。Bランク以上の冒険者限定で指定されたのも、依頼の性質上、慎重を要するためだ。


 魔の大森林の入り口付近では危険は少なく、かつてコバ村の狩人たちが活動していたエリアを順調に調査していった。薬草の採取は問題なく進み、浅いエリアの採取ポイントも確認できた。地図作成できるのはニースのみ。彼女が慎重に地形や植生を記録していく。


「お、これは別報酬のハーブじゃの。この葉で淹れた茶がスタでは人気らしい。これは我が貰っていいか?」

「おいニース」

「アルジさん、いいって。ニースさんには足向けて寝れないくらいに助かってるからな」


 ニースを嗜めようとしたアルジをエスオタンが止める。


「まったくじゃ、殆ど我一人でやってる依頼じゃ。アルジも感謝するがよいぞ」

「いやはやニースさまさまだ」


 調子にのるニースに呆れるようにアルジは返した。


 日が傾き、これ以上の行動は危険と判断されたため、森を少し離れた草原に夜営を設けた。焚き火の赤い炎が揺れ、四人の顔を照らす。火の周りには小石や枝が散らばり、周囲の草は夜露でしっとりと濡れている。空には夕暮れの淡い橙色が広がり、鳥たちが眠りに向かう中、遠くの山の稜線が静かに影を落としていた。


「ふぅ……やっと腰を下ろせるな」


 エスオタンが干し肉を噛みちぎりながら、火に背を預ける。口の端にほんのり焦げた匂いが漂った。


「しかし、なんで俺たちがこんな面倒な依頼を……」

「仕方ないだろう」


 リーリックが低く答える。火の揺らめきに顔が赤く照らされ、瞳に炎が映る。


 「ギルド幹部から直接頼まれたんだ。断ることはできないさ」


 彼は火の向こうの二人を見やり、続けた。


「結果、俺たちの思惑は外れてこうして合同パーティーになった」


「俺たちも偶然タイミングが合っただけさ」

 

 アルジは薪を火にくべながら淡々と応える。


「依頼の難度はともかく町の外で1週間待機なのが一番面倒じゃの」


「コバ村……黒苦死病で全滅した村、か」


 エスオタンが吐き捨てるように言う。


「ただの薬草採取にBランク以上の指定。説明を聞いて納得した」

「内容を聞けば、報酬額も納得じゃ。聞いたら最後、受けるしかなくなったがの」


 コバ村は大火災で全滅ということになっている。野党の一団に襲われたのかもしれないと。「黒苦死病」の事実は伏せられている。だから口の固い者にしか依頼できず、また万が一に黒苦死病にかかる危険性をわかった上で依頼を受けてくれる者。それがBランク指定の理由だった。


 アルジは淡々と言い放つ。


「ま、依頼を果たす。それだけだ」


 実はリーリックとエスオタンのみ、さらに別の報酬がある。今年の騎士登用試験の受験資格だ。ギルド推薦枠に二人を入れる条件がなければ、本来は専門外の依頼なのだから話すら聞かず流しただろう。この条件に釣られて詳しく聞いてしまったのが彼らの事情だった。もっともリーリックと違い、エスオタンは推薦枠の辞退の代わりに報酬額の増額を望んだが。エスオタンには今入れ込んでいる女がいるのだった。


 ーー騎士になれたら…ってまずは受からなければか


 リーリックは焚き火の揺らめきを見つめながら深く息を吐いた。夜の虫の声が周囲を満たす中、焚き火の赤と森の濃い青の対比が幻想的で、彼らの緊張と疲労をさらに際立たせた。草の匂いや焚き火の煙、虫の羽音や遠くで鳴く獣の声が混ざり、夜の森の息遣いを感じさせる。四人はそれぞれの思惑を胸に秘め、明日の行程に備えた。

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