表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/56

007 襲撃後

 風を斬る音が、静まり返った空気の中にひときわ鋭く響いた。

 黒髪の男が手にしたブレードを、無造作に払った音だ。血を振り払う仕草に見えたが、その刃にはもとより一滴の汚れもない。光を反射した金属の輝きが一瞬だけ眩しく、すぐに鞘へと収まる。淡々としたその動作が、この場における戦いの完全な終結を告げていた。


 「……大丈夫か」


 短く落ち着いた声。数拍遅れて、それが自分に向けられた言葉だとヴァルケンは理解する。


 「あ、ああ……なんとか。しかし……」

 「そうだな。もう少し早ければ被害は減っただろうが」


 黒髪の男は周囲へ視線を走らせる。その目は冷静で、しかし何も見逃さない鋭さを帯びていた。

 森と草むらに挟まれた狭い街道のあちこちに、十数の骸が無残に転がっている。刃の光を浴びてなお温もりを残す鎧、血の海に沈んだ槍の穂先、草葉に引っかかったままの布切れ。生々しい鉄と血の匂いが、湿った風に乗って鼻腔を刺した。


 風が吹き抜けるたび、衣擦れのような音が骸からもれ、耳に不気味な残響を残す。


 「いや……助かった。俺……いや、俺たちでは守りきれなかった」

「そうか」


 それだけの返事だったが、責める響きはない。


「皆をひとところに集めたい。手を貸してもらえるか」

「いや、俺がやる。あんたは中の貴人を安心させてやれ」

「……かたじけない」


 男は言葉を継がず、静かに動き出した。肩にひとりを担ぎ、重さをまるで感じさせぬ足取りで道端の草原へと運ぶ。倒れた者の鎧が擦れる音、血の匂い、それらを嫌悪するそぶりも見せず、一人また一人と丁寧に安置していく。その背中はどこか祈りにも似た静けさを帯びていた。


 ヴァルケンは馬車へ歩み寄り、固く閉ざされた扉を叩いた。


 「候補様、ご無事です。襲撃者は撃退しました」


 中から小さな悲鳴にも似た音がし、すぐにガタリと揺れが伝わる。しかし扉には外から閂が掛けられており、わずかに揺れるだけだ。


 「その声……ヴァルケンさんだよね。扉を開けて」


 かすかに震えた少女の声。聞き慣れたそれに安堵しつつも、ヴァルケンは警戒を解かない。


 「あ、もう少しお待ちを。まだ安全とは言えません」


 短い沈黙。だが次の瞬間、内側からためらいがちに問いが飛んでくる。


 「あの、イナクさんは……」


 兄ではなく、弟の声が返ってきたこと。それだけで、彼女の胸に暗い予感が広がったのだろう。


 「……兄貴は……」


 十歳の少女に告げるには、あまりに重い現実。しかし、いつまでも隠すことはできない。ヴァルケンは唇を噛み、言葉を絞り出した。


 「……準騎士イナク・レイノス以下、護衛は私を除き殉職しました」


 「……え……うそ……」


 馬車の中で、何かが崩れるような気配があった。沈黙が、耳を塞ぎたくなるほどの重さで落ちる。遠くで草を揺らす風音さえ、痛みを伴って胸に刺さった。


 「以後は従騎士ヴァルケン・レイノスが引き継ぎます。命を賭して必ず王都にお連れします」


 返事はなく、やがて押し殺した嗚咽がわずかに漏れる。ヴァルケンは扉の前から動かず、しばしその場に立ち尽くした。


 「終わったぞ」


 背後から声がして振り返ると、黒髪の男が立っていた。表情は変わらないが、肩には微かな疲れがにじむ。

 馬車の中も、いつの間にか泣き止んだのか静まり返っている。


 「中のお嬢様はどうした」


 先ほど「貴人」と呼んでいたその口ぶりに、ヴァルケンは一瞬警戒心を強めた。しかし、もし敵であれば、とっくに自分の命もなかったはずだ。


 「なぜ、それを」

 「ああ、助けを求める声が聞こえたんでな」


 男は迷わず閂を外し、馬車に向かって声をかけた。


 「あー、アンお嬢ちゃんだったな。もう出てきていい」


 車内で小さく動く気配。しばらくためらった後、おそるおそる声が返る。


 「……………………誰?」

 「覚えてないか。あんたと一緒にいたメアル嬢ちゃんに名前をもらった、記憶喪失の男だ」


 「…カ……カーライル……カールさん!」


 勢いよく扉が開かれた。

 姿を現したアンの目は赤く腫れ、頬には涙の跡がまだ乾かず残っている。その顔は、泣き疲れた幼い少女の痛ましさと、それでも立ち上がろうとする決意が入り混じっていた。


 「久しぶりだな。巫女候補様だったとはな」

 「え、なぜそれを」

 「祈りの声が聞こえた。巫女や聖女は、高い魔力と強い祈りの力を持っているというからな」


 「……私の祈りが、カールさんに届いた?」

 「ああ。たまたま近くにいたから間に合ったが、正直ぎりぎりだった」


 もっと早ければ――その悔しさが喉まで出かかったが、アンは飲み込んだ。


 「辛い現実だろうが、助けられてよかった。メアル嬢ちゃんを悲しませずに済んだ」


 「あの……お二人は知り合いなのですか」


 「ええ、一応は」


 簡潔な説明のあと、三人は道端に並べられた犠牲者たちの前で静かに祈りを捧げた。

 草むらの上で、騎士たちの鎧が夕光を受けて鈍く輝く。風が通り抜けるたび、鎧の留め具や武器がかすかに鳴り、それがまるで彼らの最期の言葉のように思えた。


 「……イナクさん……私のせいで」

 「兄も他の者も、務めを果たしただけです」


 平行線のやり取りに、カーライルは小さく息を吐いた。


 「相手は相当の手練れだった。運が悪かったとしか言えん。命を賭けてくれたんだ、忘れないでやってくれ」


 「……うん。忘れない。絶対に…」


 カーライルは懐から札を取り出すと、血判を押した。


 「それは?」

 「これか?これは浄化と鎮魂の札だ。アンデッドにならぬようにな」


 地面に置かれた札が、淡い光を放ちながら音もなく消えていく。血と鉄の匂いが薄れ、代わりに清らかな空気が満ちていく。アンは胸の奥で、どうか安らかにと祈った。


 三人は短く相談し、来た道を戻ることを決めた。先に進むのは更なるの襲撃の危険が高い。なにより一刻も早く都市の騎士団支部に報告し、遺体を回収してもらたいとのアンとヴァルケンの想いが強かった。


 道中、森の影が長く伸び、遠くで鳥の鳴き声が夜の訪れを告げていた。馬車の車輪が小石を踏むたび、規則正しい音が響き、互いの沈黙を埋めていった。


 途中トラブルも無く、一日で都市キノに到着した。報告と事情聴取を終えるころには、街は茜色に染まり、灯りがともり始めていた。


 支部の前で、カーライルはアンとヴァルケンに再び向き合った。


 「これでお役御免だな」

 「御助力に感謝します」

 「恩人を助けただけだ。で、これからどうするんだ?」

 「王都から迎えが来ます。飛空挺です」

 「それは安心だな」


 「カールさんは?」

 「そうだな、特に予定はないが……」

 「だったらメアルの様子を見てきてくれないかな。元気だって伝えてくれるだけでいいからさ」


 「……いいだろう。覚えていてくれるといいが」

 「あはは、忘れてるかも」

 「アン嬢ちゃんも忘れてただろ」

 「一応覚えてたって。お嬢ちゃんはやめて、アンでいいよ」


 「わかった、アン。しかしコバ村は……」

 「メアルは今スタの町の孤児院にいるよ」

 

 「……そうか。それは不義理だったな」

 「そうだよ。謝っておいてね。ともかく頼んだよ」

 「ああ。じゃあ達者でな」


 カーライルが背を向ける。アンは小さく拳を握りしめた。


 「……カールさん、助けてくれてありがとう。私、みんなの命を無駄にしないよう頑張るから」


 カーライルは振り向かず、片手を軽く振って応えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ