054 次なる一手
四名の囚人を乗せた護送馬車が、護送兵とともに街道を進んでいた。行き先はアマリア王国の王都リリアーノ。まだ朝靄の残る街道は静かで、馬車の軋む音と馬の鼻息だけが響いている。今回の移送には、通常と異なる事情があった。
本来、犯罪者の処罰は犯行地の領主の権限で行う。しかし今回の囚人はスタの街で罪を犯した者たちだ。スタは領主のなり手がなく、王家直轄とするには遠く、利益も薄い。だが帝国との交易路において国境手前の補給地としては重要で、国家としてはなくては困る場所だった。そのため特例として自治が許されている。しかし自治権があっても刑事権は軽犯罪まで。重罪人は王都で裁かれるのが決まりだった。
移送中の四人は女児誘拐と、帝国と通じるスパイ活動が確定している。裁判はこれからだが、判決が覆る余地はない。護送兵の表情に緊張が滲むのも無理はなかった。敵国の手先は本国に戻るためにあらゆる手段を取る。つまり護送任務は単なる運搬ではなく“戦闘任務の延長”だった。
囚人を移送する馬車は、いわば車輪のついた檻で中の囚人たちは外から丸見えだ。縄で拘束された四人は思い思いに沈黙していた。格子にもたれてふてくされた顔のジーキス。中央で周囲の気配を細かく観察するシシン。俯いて黙り込む二人の御者役だった配下。
ジーキスはシシンを横目に見て、内心で毒づく。
ーー畜生が、こいつがスタにこなけりゃ、今ごろ俺は…
視線に気づいたシシンと目が合うと、ジーキスは慌てて逸らした。そのわずかな反応だけで二人の上下関係は決定的だった。シシンは興味を失い、すぐに外の音へ意識を戻す。
シシンは脱走の機会を伺っていた。だがそれだけではない。自分が“不要”になった瞬間、口封じの使者が来るかもしれないという恐怖が胸の底に常に燻っていた。食事や水をごく少量舐めて毒を確かめるのも、習慣というより生存本能の発露だ。
一方でジーキスは自棄そのものだった。スタの牢では旧同僚たちから白い目で見られ、罵倒され続け、逃げ道は完全に塞がれた。女児誘拐だけなら十年の禁固で済んだ。しかし帝国の手先と関わっていたことで未来は閉ざされた。ジーキス自身も理解している。自分はもう助からない。王都で待つのは処刑台だ。
俯いている残り二人の配下も同じだ。ただ、組織の情報だけは一言も漏らさなかった。生き延びるためではなく、“漏らした瞬間の死”が想像できるからだ。
☆☆☆☆☆
キノの都市を通過し、いくつかの街や都市を過ぎた。王都の影響圏内に入ったのだろう、街道は広なった。その街道は今、月光に照らされていた。夜風は冷たく、草むらがざわめくたびに護送兵たちの指が槍を握り直す。移送は順調に思われていた――その瞬間までは。
最初に異変に気づいたのはシシンだった。
気配が違う。獣ではない。足音が散っている。複数――いや、もっといる。動きが軽い。訓練された者たちだ。
来た、と内心で舌打ちしつつ、生存計算に切り替える。鍵は兵士が持っている。“殺す側”ならまずそこを狙うはず。鍵が外れる一瞬が自分の賭け所だ。飛び出し、武器を奪い、力でねじ伏せる。
しかし襲撃は彼の予想の半分しか当たらなかった。襲撃者は確かに兵士を狙った。だが――
派手すぎた。
「襲撃だ!」
「迎え撃て!」
「信号あげろ!」
怒号とほぼ同時に、魔導具から発光信号弾が打ち上げられる。夜空を引き裂く光が60メタ(6m)上空で炸裂し、圧倒的な光量で周囲を照らす。さらに二段目が上空へ伸び、闇を切り裂いた。これで近くの駐屯地にも知らせが届く。
襲撃者たちは軽装で素早い。顔を覆って素性を隠しているが、冒険者ジャネットなら王都襲撃の連中とすぐに気づいただろう。発光弾でも怯まず殺到してくる。
ジーキスは混乱し、怒号と光に目を見開く。動けないまま、頭だけが回る。
ーーこりゃぁ上手くすれば脱走できるんじゃないか
同じ光景を見ていながら、シシンは逆に悪態をつく。
ーーチッ! 何だこの派手な襲撃は! 下手すれば全滅だろうが。
襲撃者の剣に対し、槍を構えた兵士は明らかに有利だった。さらに兵士たちは普通の兵ではない。フィセルナが潜ませた腕利きの準騎士。動きが洗練され、迎撃は早い。襲撃者たちは想像以上の強敵に焦りを見せ始める。
少し離れた場所で、戦況を見守る二人の男がいた。一人は愉快そうに嗤う。
「クヒヒ。これは嵌められーたんじゃーない? ゲッカルト」
「どうやらそのようですね。騎士が兵士に扮して犯罪者の護送をするとは」
「アマリアを本気で怒らーせたみたーいね。これーは出番かしーら。クヒヒ」
「…あとでその理由教えてもらいますよ。ウェクアズ殿」
「なーら檻の中のひーとりはちょうーだい。実験体あつーめるの大変なーのよ」
「かまいませんよ。ジーキスとかいう草なら持っていってください。こちらの計画には不要です」
「クヒヒ。交渉成立ーね」
剣を抜いた二人は、次の瞬間、風よりも早く視界から消えた。
☆☆☆☆☆
「全滅?…それで囚人達は」
「は、囚人4人全員、襲撃者に連れ去られたものと」
「…あとは報告書を読むわ。下がってよろしい」
部下が下がり、部屋は静かになった。フィセルナは報告書を開き、一字一句を飲み込むように読む。読み終わると、そっと背もたれに身を預け、瞼を閉じた。
ー今回の移送につけたのは腕の立つ準騎士。それが全滅。足跡は多数……でも斬り口は二人の仕業。
メアル誘拐組織の手がかりを掴むどころか、有能な部下たちを失った。得たのは敵の力量が恐ろしく高いという事実だけ。帝国の剣聖の息がかかった者たちだとは聞いていたが、ここまでとは。剣聖の十傑が関わった可能性もある。だとするとこの襲撃はそれだけ敵にとって重要であったことになる。なんにせよ情報が足りない。しかし、それよりも今は10名もの部下達を死なせた事実がフィセルナの肩に重くのしかかっていた。
ー正騎士を、いや聖騎士を入れるべきだった。有能な騎士たちを死なせたのは私の判断ミス…
「まずは陛下に報告ね」
フィセルナは静かに目を開け、秘書官を呼ぶ魔導具へ手を伸ばした。




