004 メアルと隊長
メアルと自称保護者の三人は孤児院へ向かっていた。だが、アンが街からいなくなると知り、足取りは重い。
「まさかアン姉がなあ」
「だよなあ」
「ホントまさかだよね」
三人は本当の事情を口にしない。アンから口止めされているのだ。もし誰かに聞かれたら、こう答える――「王都の商人学校に入ることになった」と。
メアルはというと、出そうになるあくびを何度も手で隠していた。朝がめっぽう弱いのだ。
--アン姉様ったら、私が聖女学園に行くって思ってるのね。まだ検査も受けてないのに気が早いわ。
歩くうちに目が覚めたのか、メアルはそんなことを考えてふふっと笑みを浮かべた。また会えると言われたのが嬉しかったのだ。幼馴染たちと別れることになるとは、まるで考えていなかったが。
「アンがどうしたって?」
横合いから威勢のいい声が飛ぶ。ズイール――通称ズル、スタの“ボス(自称)”である。子分を引き連れていた。
「なんだ、ズルか。なんでもないさ」
ヨロイが面倒そうに答える。リカレイもミランも顔をしかめた。
昔、彼らが孤児院に来たばかりの頃、ズルと大喧嘩したことがある。お互いに強く、決着はつかなかった。止めに入ったメアルにズルが一目惚れしたせいで、うやむやになったのだ。それ以来、保護者三人にとってズルは鬱陶しい存在となった。
「なんだじゃないだろ。で、アンがどうしたって」
「……まぁ、どうせ知られるんだし言ってもいいか」
「そう……だね」
渋々といった様子の二人。そんな中、メアルが割って入った。
「隊長、おはようございます」
「おお、メアルか。おはよう」
尊大な口調に、三人は細い目でズルを睨む。エラの張った四角顔に自信満々の笑み――暑苦しさ満点だ。
「隊長は朝のパトロール中なのね。お疲れさまです」
「ああ、俺は街のボスでパトロール隊の隊長だからな。毎朝欠かさないぜ」
「さすが隊長だわ」
「ふっ、たいしたことじゃないさ」
「やっぱりスゴい人」
ズルは頬を赤らめ、ますます暑苦しい笑顔を見せた。リカレイとヨロイはため息をつき、ミランもげんなりしている。
「私も隊員なのにパトロールしなくていいのかしら。でも朝が弱くて……」
「ああ、メアルは弱っちいからいい。その代わり、その……」
「なあに?」
「……要するに、隊にいてくれればいいってことだ」
「まぁ、ありがとう。でも手伝えることがあれば言ってね」
「お、おう」
初々しいズルの想いなど、メアルはまったく気付いていない。
「じゃあ行くか」
「うん、行こう」
「ちょっと待て! アンはどうしたんだ」
「ちっ、誤魔化せなかったか」
「アン姉様は王都に行くのですって」
「それじゃ伝わらないって」
「王都? 王様のいる街か。旅行か?」
「いや、商人学校に入るから住むんだ」
「今日出発だってさ」
「なんだと! 行くぞ!」
ズルは子分を引き連れ、アン宅の方へ走り去った。
「隊長もお別れの挨拶に行ったのね」
メアルは目元をこすった。三人は(それは違う)と思ったが、面倒なので黙っていた。
☆☆☆☆☆
一方その頃
子供たちの会話を耳にした男がいた。警護隊のジーキスだ。今日は早番で、同僚と巡回中である。
ーーふーん、スライ家のお嬢さんが王都の商人学校に? 先日十歳になったばかりだろ。
ジーキスは頭をかき、違和感を覚えた。誕生日直後に急な入学――水面下で準備していたにしても、情報が全く入ってこなかったのは不自然だ。
「おいジーキス、どうした?」
「いや、いつものガキどもに見慣れないのがいたんでな」
「ああ、妹分だって話だな。将来は別嬪になりそうだ」
「へぇ、孤児か。ま、将来はどこかの妾ってか」
軽口を叩きながらも、ジーキスは次の行動を考えていた。
「ちょっと寄り道してくる。先に戻ってろ」
「立ちションは禁止だぞ」
「わかってるって」
数分後
ジーキスが入ったのは、大通り沿いの酒場『酔いどれ亭』。この店はいつも早朝に閉まる。今日も酔い客が数人、床やテーブルに突っ伏していた。
「おう、ジーキスじゃねえか。悪いな、もう閉めるとこだ」
「わかってる。ちょっと奥を貸してくれ」
「いいぜ。勝手に使いな」
ジーキスは代金を置き、店の奥へ消えた。
☆☆☆☆☆
同じ頃 スライ家の庭先
「アン! 勝負だ!」
ズルは息を切らせながら門を押し開けた。子分たちも後ろで息を荒げている。
「……また?」
庭の水やりをしていたアンは、呆れたように眉をひそめた。
「今日は遊んでる暇はないんだけど」
「遊びじゃねえ! これは決闘だ!」
ズルの目がギラギラと光る。
「決闘ねぇ……ズル、前回は覚えてる? あんた泥だらけで泣きそうになってたよね」
「泣いてねえ!」
ズルは顔を真っ赤にし、胸を張った。
「今日は違う! これが最後の勝負だ!」
アンはため息をつき、じっと彼を見つめる。
「最後、ね……」
その一言にズルはさらに力を込めた。
「俺はあんたに勝つ! 勝って、街の真のボスになる! そして――」
言いかけて、ズルは慌てて口をつぐむ。
「そして?」
「……なんでもねえ!」
アンは口元をわずかにゆるめる。
「わかった。五分だけ相手してあげる」
その瞬間、ズルの背筋に冷たいものが走った。
過去の連敗が脳裏をよぎる。それでも、メアルの笑顔を思い浮かべると、拳に力が入った。
「来い、アン!」
「じゃあ――行くよ」
言うなりアンが踏み込んだ。
☆☆☆☆☆
翌日 孤児院前
「で、結果は?」
ヨロイが退屈そうに聞く。
「……五秒」
ズルの子分が小声で答えた。
「……五秒?」
リカレイとミランが顔を見合わせる。
「うん、開始五秒で隊長が宙を舞って、ドンッて」
子分は手振りで説明する。
「……あー、想像つくわ」
ヨロイはあっさり納得し、靴の泥を払った。
「でもその後が長かったんだよ」
「……は?」
「何度も立ち上がって挑んでは、また投げられて……十回くらいかな」
子分が肩をすくめる。
「気づいたら隊長、こんな顔になってた」
そのとき、ズルが孤児院の門の前に現れた。
顔は青あざだらけ、鼻に絆創膏。
それでも笑顔はやたらと晴れやかだった。
「おはよう隊長」
「おう! 俺はまだ負けちゃいねぇ!」
三人は同時にため息をつく。
唯一、メアルだけが心から感心した声を上げた。
「隊長って、本当に元気ね。スゴいわ」
ズルの顔がさらに赤くなった。
――負けても負けても立ち上がる、それが隊長である。