039 孤児院慰問1
ルグンセル公爵邸には鍛練場がある。孤児院兼の本邸から離れの平屋の建物だが、なかなかに広い。もちろんこれはジェイコフ専用なので、子供達が使える訳ではない。しかし、今ここにはメアルら孤児達がいた。それだけで無く王女ミリンダとサーランもいる。そして皆、中央に立つ三人を遠巻きに囲んでいた。中央に立つのはこの鍛練場の主、ジェイコフとアルジ、そしてカーライルだ。ジェイコフとカーライルは向かい合っていて互いに武器を持っている。そう、これから二人は戦うのだ。
戦うといっても殺し会いではなく、真剣での手合わせである。中央にいる3人目の男、アルジは審判役で二人から少し離れて二人の中間位置にいた。
「さーて、やるか。本気で来いよ」
「…お手柔らかに騎士団長殿」
ジェイコフはロングソードを構えた。片手剣といっても通常より幅は広く、長めである。相当の業物らしく、剣を見たアルジが思わずホウと唸った程だ。
「アルジ殿とも手合わせ願いたいところだが、許可がおりなくてな」
「その方が楽でいい」
好戦的なジェイコフに対し、アルジはさして興味ないとばかりに肩を竦めて見せた。
カーライルが手にしているのは鍛練場に置いてあったサーベルで、細身のもの。ジェイコフの剣をまともに受けたら簡単に折れそうである。カーライルは左足を半歩引いてジェイコフに対し、体を斜めに向けている格好だ。そしてサーベルの切っ先はジェイコフの心臓に向けられている。お互いに構え終えた。
「では…始め」
アルジのさして勢いの無い、開始の合図がなされた。
☆☆☆☆☆
時は少しだけ前遡る。
サーランの思い付きの孤児院慰問。それとなくジェイコフが妻のフィセルナに言ってみたところ、フィセルナは大乗気だった。フィセルナにもこれに乗じてメアルに接しようとの思惑があった。となればフィセルナは迅速に行動を起し、姉ルーサミーの許可を取った。女王の許可が降りたことでフィセルナの補佐官達の苦労の末スケジュール調整がこれまた迅速に行われた。王女達は未成年であり公務はない。そちらのスケジュールはすんなりと変更された。
慰問と言っても、行き先は公爵邸。非公式扱いでの慰問である。いくら王権が強力とは云え、身内贔屓との批判は避けられない内容である。貴族家への配慮の為、フィセルナが体調を崩し、王女達が叔母の見舞いに来たという設定となっていた。当然ながらフィセルナはすこぶる元気だ。
そしてサーランが待ちに待ったと言っても10日程だが、孤児院慰問の日、護衛役(という設定)のジェイコフと共に公爵邸に王女達はやってきた。体調を崩している(という設定の)フィセルナに出迎えられて。合流した一行は公爵邸の孤児院エリアに向かった。
孤児院の子供達には敢えて知らせていなかった。王女達の招待を隠して突然の訪問にしたのは従姉妹となるメアルの普段の生活にも興味があったからだ、フィセルナが。
さて孤児院エリアに足を踏み入れた一行だったが、肝心のメアルは部屋に居なかった。職員や屋敷の使用人達に聞けば、男の子達と裏庭にいるという。この裏庭は使用人達のスペースであり、庭園ではない。とは云え無駄にスペースは広く、スタの孤児院の庭よりも格段に広い。子供達はそこでカーライルの剣術指導を受けていた。
一行が裏庭に着いた時、リカレイとミランが木剣で手合わせ稽古の最中だった。メアルは二人を応援していた。メアルの側にはニースが居て、アルジもまた別の子供達に剣の指導をしていた。ここでは護衛一人で十分だとニースに言われて暇を持て余しての行動である。
そこで問題が発生した。子供達に知らせずに集団で貴族が押し掛けたのである。木剣ではあっても、まともに当たれば怪我はする。一瞬集団に気を取られたリカレイは、ミランの攻撃への反応が遅れた。これが真剣ならば死んでいただろう。その事を一番実感したのはリカレイだ。リカレイは直撃は避けられないと思った。
その瞬間、メアルは思わず目を瞑ってしまった。サーラン、フィセルナもだ。が、しっかりと顛末を見届けた者達もいた。ミリンダ、ジェイコフ、ニースである。なおアルジはそもそも背を向けていた。
カン!
攻撃が当たる筈のその一瞬、ミランの木剣は間に入ったカーライルの木剣に止められていた。片手でひょいと出された剣にだ。子供とはいって12歳で孤児たちの中では一番力が強いミランの一撃に打ち落とされるでもなく、受け止めて微動だにしない。むしろ大木に打ち込んだかなような衝撃にミランの手が痺れてしまった。
さて問題なのは、あわや事故が起きるところだった点ではない。問題なのはそれを止めたカーライルの動きである。ジェイコフから見て疾くはあったが目で追えないほどではない。だがあまりにタイミングが良すぎた。まるでこうなるのが判っていたかの様な動きに見えた。そしてジェイコフはカーライルに興味を持った。手合わせしてみたいと思う程に。
☆☆☆☆☆
「では…始め」
アルジのさして勢いの無い、開始の合図がなされた。
合図と同時に間合いを詰めたのはジェイコフ。ジェイコフの剣はアマリア流剣術と元々自身で鍛え上げた剣術を融合し、昇華させたさせた独自のもの。通常ならいきなり大きな隙が出来る大振りはしないものだ。更には大振りは体力の消耗も激しい。実戦では使いどころが難しい。それをジェイコフはいきなり放った。その剣は疾かった。が、当たらない。その軌道もタイミングも知っていたかのようにカーライルは避けた。
通常なら後の先をとった形のカーライルのターンとなるのだが、そうはならない。カーライルが避けた直後に返しの剣がカーライルを襲った。しかしそれすらカーライルは余裕で躱す。
「ほう、疾いの。 あんなに大降りなのに隙が出来んとはの。これではカール坊は手も足も出んかものう」
「まぁ」
そう言いながらもニースはニヤリと笑った。隣にいたメアルは真に受けて心配になった。
ジェイコフの攻撃は続く。大降りの連続攻撃は、カーライルに届かない。が、ジェイコフに焦りはない。それくらいの実力があるのは先の動きで判っていたことだ。
ーさて、俺の方はこのまま攻める。さぁ転じて見せろ
ジェイコフは流石にアマリア王国騎士団の頂点に立つだけの実力者だった。しかも異常にタフだ。この大振り連続攻撃をまだまだ余裕で続けられる。しかも本来なら更に疾くできるし、緩急をつけることも、攻めのスタイルを変えることも出来る。いくつもの攻め手を持つ変幻自在の剣。それがジェイコフの本来の剣のスタイルだった。今はカーライルを試す為の大振りの連続攻撃。屠るのが目的では無かった。
ー面倒だな
一方、カーライルの方はただただ面倒だった。なのである程度で適当に終わらせるつもりだった。もちろん勝敗に拘りなどないので負けるつもりである。メアルに心配をかけないように武器を落とす格好で勝敗をつけるつもりだった。その為に細身のサーベルを選んだ。
ー凄い。先生の剣は見えない疾さなのに当たらないなんて
ミランダはカーライルの動きに魅入っていた。こんな風に自分もなりたいと思う程に。どうしたら同じ様に動けるのか。まるで全て予測し備えていたとしか考えられない程にカーライルの動きには迷いが無い。それにしてもあの細身のサーベルでどう対応するつもりだろうか。本当に動きの予測で躱しているのなら、あの武器の選択はないのではないだろうか、とミリンダは思った。
躱し続けるカーライル。しかしジェイコフに隙は生まれない。ひたすら斬撃がカーライルを襲う。
「やっぱ当たらんのう。躱し身は本当に流石じゃ」
「ニースさんはカール様が戦っているところを見たことがあるの?」
「ああ、あるぞ。アルジの奴がカール坊に手合わせを申し込んだことがあってな。我に弟子入りする為の条件にされて、カール坊は仕方がなく応じたのじゃ」
「どうなったの」
「それが今の状況と同じでのう。あやつは躱すだけで仕掛けてこん。そのうちアルジが飽きて終いじゃ。だからあやつの本気を見たことは無いな」
「そうなんだ」
その時、ニースに天啓が降りた。
「そうじゃ、メアル。ちょっとあやつに声をかけてみれくくれんか。メアルの応援なら本気出すかもしれんの」
「そうかしら、何て応援すればいいの」
「もちろん…」
カーライルは、途切れること無く放たれる斬撃を躱しながら呆れていた。大振りの攻めでありながら隙のできない連続を攻撃をしてくる技量にではなく、何時まで続いても止まらない勢い、つまりその馬鹿げたスタミナにだ。
ーだが、そそそろ頃合いか
そろそろ武器を叩かれて落とそうかと思った瞬間、思いがけないことが起きた。
「カール様負けないで」
メアルの負けないでの一言にカーライルは反応してしまった。
「な!」
気付けば、ジェイコフノ首に触れるか触れないかというところでサーベルの切っ先は止まっていた。
その場に居た誰もが驚いた。それが見えたのはジェイコフと審判だったアルジだけ。カーライルはジェイコフノ振り下ろしの斬撃で武器を落とされる予定でいたが、メアルの負けないでの一言で思わず勝ちにいってしまった。
振り落としの一撃を躱しながら、返しの剣を一瞬遅らせる為に振り下ろされた剣をサーベルで打ち据えた。そして返しでジェイコフの首元に切っ先を寸止めしてみせたのである。
「剣気による強化か」
「勝負あり!そこまで」
ジェイコフが呟くのと、アルジの結審は同時だった。




