038 第一王女の焦り
アマリア王国第一王女ミリンダは男装の令嬢である。幼い頃より華美な装いよりも機能的な衣服を好む。対照的に第二王女のサーランは、より美しいドレスに心をときめかせる。そんな姉妹だが仲は良く、姉は妹を可愛いがり、妹は姉を慕っている。それはサーランが次代の女王だと正式決定ではないものの、姉妹の共通認識となった今でも変わらない。聖女検査を受けて以降、将来の進むべき道に悩んでいたミリンダだったが、サーランのパートナーとなるべく騎士を志したのだ。
ミリンダは元々体を動かすのが好きだ。王女としての責任感から勉学を疎かにはしないが、護身術訓練やダンスの練習の時の方が確実に機嫌が良い。本人は平静なつもりだがバレバレだった。尚、最近ではダンスの時間は男役としてサーランの相手を務めている。
さて、そんなミリンダだが、本日は近衛騎士団の特別訓練場に来ていた。騎士団長であるジェイコフはこの特別訓練場に籠って訓練することが多い。割りと秘密主義な男である。もちろん王国騎士の頂点だけあって、その実力は他の追随を許さない。そんな王国最強の男にミリンダは護身術を教わっていたのだが、断られるのを何度も頼み込み、粘り勝ちで剣を教えて貰える事になったのだ。因にこの時間はサーランも護身術の時間である。
「殿下、最初に伝えておきますが私の訓練は厳しいですぞ」
「ああ、弱音は吐かない。だから宜しく頼むルグンセル卿」
「その呼ばれ方はどうにも堅苦しくて好きではありません」
「では、叔父上とお呼びしようか」
血の繋がりは無いが、フィセルナの夫であるジェイコフは、確かに二人に(メアルにもとっても)叔父となる。そう、そうなのだが、そうでは無くて教わる者が、教える者に対して呼ぶ尊称があるでしょうと、ジェイコフは暗に言ったのである。敢えてとぼけた姪にジェイコフは態とらしくため息をついて見せた。
「それはそれでこそばゆいですな。そうではなくて殿下は私に教えを乞いに来られたのでしょう?しかも内密に」
「うむ、本来なら護身術の訓練の時間だ」
「あ、そこの所は陛下に絶対バレないようにお願いしますよって、そうでは無くて」
「ああ、先生も叔母上に漏らさないようにな。これでいいだろうか」
「そう、それ、その先生で」
ジェイコフは普段は騎士団長として取り繕っているが、元来気さくな男で、身分にあまり拘りがない。そのジェイコフは、最近孤児院となった屋敷で子供達に剣術を教えている黒髪の男が、子供達から「先生」と呼ばれているとフィセルナから聞いていた。今回ミリンダに剣術を教えるにあたり、自分もそう呼ばれたいと思っていたのだ。
「ふふ、わかった。先生」
「わたくしもよろしくセンセイ」
「サーラン殿下は今日は見学との約束でしたぞ」
「わかってますよセンセイ。静かに見学しているわ」
「サーラン、先生と呼びたかっただけだろ」
「はい、なんかセンセイって新鮮で」
王女二人は教師達を身分や家名で呼んでおり、先生という尊称は使ってこなかった。それ故先生と呼ぶのは新鮮に感じていた。
補足だが、サーランがここにいるのはミリンダと共に護身術訓練を受けているので外す選択肢は無いのと、ミリンダが将来サーランの聖騎士となるのならミリンダの動きを見ておいた方が良いからだ。護身術自体はミリンダの稽古が様になってきてからで十分間に合うし、そもそも現在が元々姉と一緒にいたいから参加しているだけで、体力作りしかしていなかった。
「ともかく始めますか。実戦は剣だけ強ければいいってものではありません。卑怯だろうが何だろうが、生き残った方が正義で、それは騎士だろうが剣士だろうが冒険者だろうが同じです」
「勝ち方にこだわるなと」
「半分は。只、騎士に相応しくない行為というものはあります。何時如何なる時も正々堂々とは言いませんが、例えば人質とるなど言語道断。騎士は国家の威信と名誉、民の信頼を背負っているのです」
「なるほど、騎士はそうでも相手はそうではないこともあるのだな」
「何の為に戦うにしろ勝たなかったら意味はないのはわかるわ」
「サーラン殿下の仰られたとおり、勝たねば意味はないのです。だからこそ騎士には、相手がどんな手段を用いようが対応できるだけの実力と、柔軟性が必要なのです」
「なるほど、理解った」
「では、まずは剣選びから始めましょうか。色々な剣を集めておきましたんで、自分に合いそうなものを選ぶといいでしょう」
ミリンダはいろいろ試した結果、ロングソードを選んだ。これは今の殿下には合わないだろうな、とジェイコフは思ったが口出しはしない。自分で気付けば上出来、最低でも助言を求められればアドバイスはする。しかし、親切の押し売りはしないつもりだった。
「さて始めましょうか。まずは最も基本の構えから」
ジェイコフは木剣を使わず、いきなり実剣での訓練を開始した。木剣に慣れるより実際に扱う剣に慣れる方が重要と考えているからである。実剣で構えとアマリア流の型を徹底的に体に叩き込む。当面はこれだけのつもりだ。
そして初日の訓練は、正眼の構えのまま動かないというものだった。ミリンダに実際に構えを見せ、同じ構えをとらさせた。ミリンダの構えの悪い点を修正させるとずっとそのままの姿勢を維持させる。騎士ならば、この姿勢を鐘一つ分でも二つ分(鐘一つ分は約2時間)でも維持できるよう訓練している。初めてのミリンダにはなかなかに辛い訓練だった。
ミリンダは今日は素振りとかからだと思っていた。体を動かすのは好きだが、静止状態のままでいるのは直ぐに飽きた。それにだんだん剣が重くなってきた。切っ先がわずかにでも下がるとジェイコフの叱責が飛んでくる。しかし、ミリンダは根を上げなかった。自ら騎士を志し、無理を言って指南して貰っているのだ。また、この程度で根を上げるなどミリンダの王女としての矜持が許さなかったのである。
サーランも動きのない訓練に直ぐに飽きて、つまらなそうに訓練所内をきょろきょろと視線だけで探り始めた。さすがに動き回るのは姉の邪魔になかもしれないと考えたからだ。そして次からは本でも持ってこようなどと考えていた。
☆☆☆☆☆
1ヶ月経った。その間ミリンダは一切弱音を吐かなかった。それどころか基本の構えと型は完全にマスターしていたのである。これにはジェイコフも驚いた。
ミリンダは頭で考える動きと、実際の動きに全くブレがない。試しに目をつぶらせて手を水平に上げさせたら正しく水平である。ここまでは少し練習すれば直ぐに体が覚える。目をつぶらせて剣の型を一通り何度も行わせた。切っ先の軌跡に全くブレがない。全く同じ軌跡を辿らせることができるものは天才という他ないだろう。
ジェイコフの予定よりかなり早く次の段階に入ったミリンダだが、第二段階で躓いた。ここでは型の動きに緩急をつけるのだが、疾く動くととたんに動きがブレるのだ。
ジェイコフにはその理由がわかっていた。単に武器が合わないのだ。自身の筋力に見合ってないのでどうしても遠心力に振り回される。もう少し軽い武器を使うべきで、いま人形を使った当てる訓練をすれば、当てた瞬間武器を落としてしまうだろう。しかし、ジェイコフは指摘しない。この判断は難しい。ミリンダは日々成長中で体も徐々に作られていく。いま使っている剣もいずれ丁度良くなり、やがて物足りなくなる。こればかりは自身で調整をし続けるしかないのだ。
有名な話がある。遥か昔、勇名を馳せた弓の名手がいた。誰にも引けない重い剛弓を易々と扱い、射抜けない物は無いとまで言われていた。人々はその者を流れ星すら射ることができると称え、星を討つ弓の達人の意で『討星弓』と呼び称えた。討星弓の元に多くの若者が集い、弟子となった。やがて歳を取った討星弓。ある日、数日ぶりに弟子の指導の為に弓を引いた。それまでは易々と引けた剛弓を重く感じた。何度か的を射て、弟子たちは感嘆の声をあげたが、討星弓は考えこんだ。僅かに的の中心からずれていたからだった。その直後、討星弓はもっと軽い弓に持ち替えて、何度か的を射てみた。その日以降、長年を共にした剛弓を手に取る事はなくなった。弟子達は、まだ引けるのにと惜しんだが、討星弓は身の丈に合ったものに変えるのは武人として当然の心構えだと弟子を諭したいう。
武人を目指すなら自身の扱う武具がその時の自身に見合うか判断できなくてはならない。それが出来なければ、戦場では簡単に命を落とすだろう。例え大国の王女であろうと騎士を目指す以上は、情勢が変わり戦場に立つことになった時、戦えなければならないのだ。それ故ジェイコフは口を出さない。それは誰もが通る道でミリンダだけが特別ではないのだから。
ミリンダはその日、挫けそうになっていた。一定以上速く動こうとするとどうしても体の軸がブレる。動きが頭で思っているより遅れる。一瞬静と動を制御できなくなる。ひょっとして武器が合わないのかとも思ったが、それを認めたくなかった。
ロングソードは騎士を象徴するといっても過言ではない武器である。(ミリンダがそう思っているだけで実際はそうでもない)サーランのパートナーとなるならそれくらい自在に扱えなければならないと考えていた。こんなところで躓いている余裕はない。しかしこのままではサーランのパートナーに選ばれるなど、夢のまた夢だと冷静に考えなくとも判る。母である女王ルーサミーは、決して認めないだろう。焦りは禁物だといくら頭ではわかっていても、気が焦るのをどうしても止められなかった。
「叔父様。そういえばお屋敷が孤児院になったのでしょう」
稽古中ずっとおとなしく時間潰ししていたサーランが、突然フェイコフに姪として話しかけた。
「ええ、フィセルナが急に孤児院を開きましてね」
「今度慰問に行きたいのだけど、いいでしょう?叔父様」
「サーラン急にどうしたんだ」
突然のサーランの要望に、焦りからつかの間解放されたミリンダは、姉の立場に戻った。
「だって、そこに従姉妹がいるのでしょう?ミランダお姉様も会ってみたくはないですか」
メアルの存在は秘密のはず。ジェイコフはフィセルナからそう聞かされていた。その秘密を知っていたサーランに驚きを禁じ得ないジェイコフだった。




