035 レネミーの受難
百世宮で行われた御前会議より遡ること9日前のこと。この日、剣聖は椅子にどっかりと腰をかけながらも苛立ちを隠さずにいた。ここはレネミー将軍の執務室。レネミーにしてみれば、自身が執務に集中できないので非常に迷惑だ。しかもこの状況は昨日から続いている。部屋から出ていかない師に付き合い、レネミーも徹夜している。師に出ていけとも言えないのが辛いところである。
剣聖は何をしているかといえば、剣聖は知らせを持っていた。メアルを無事保護したというカテスからの知らせを。その報告は残念なことにレネミーの元に届く手筈になっていた。なので剣聖はいち早く報告を受けるべく、レネミーの執務室に居座っているのである。そして昨日届く予定の知らせが今尚届かず、剣聖は苛立っていた。
「師よ、一睡もなさっておられないではありませんか。報告が届き次第お知らせします故、お休みになられては。隣に仮眠室がありますれば」
「それには及ばぬ。これしきで眠くなるような鍛え方はしておらん」
「重々承知していますが…」
剣聖はレネミーの提案をバッサリと切り捨てた。普段なら「二人の愛の巣にお邪魔する訳にはいかぬよ」などと返してくるのだが、全くとりつく島もない師の様子にレネミーはそれ以上の提案が出来なかった。ここまで苛立っている師を見るのは初めてだった。普段ならどんなに苛立っていようともどこか余裕がある師が、今日に限り冷静を装っているようにしか見えない。
「ビアンキ様、せめてお茶でもいかがですか」
「すまぬが小用が近くなるでな」
イデアの提案にも首を縦に振らない様子に、早く知らせが届く様にと祈るしかない二人だった。
剣聖が待ちに待った知らせは、それから鐘ひとつ分くらいの時間(2時間)が経った頃にもたらされた。本来はレネミー宛の文をレネミーが受けとる前に剣聖が引ったくった。驚き、戸惑う部下にレネミーは視線と首の動きで「構わないから退出しろ」と指示した。
レネミーはこの知らせは吉報ではないと思った。帝国、アマリア2国間の干渉地帯で待機させている商隊を装った部隊には、送信用魔道具を持たせている(シシン達スタ発の商隊はアマリアを出れないものとして最初から計画されていた)。その送信先はレネミーのデスクに置いてある受信魔導具にしてしている。10歳にも満たない子供を拐うなど正規の任務で行えるはずもないのだから当然極秘任務だ。なればこそレネミーは執務室でずっと待っていた。そして緊急以外の報告は持ってくるなと予め命じてあったし、執務の連絡はイデアを介して行う様にしていた。万が一にも部下に知られないために。
本来、魔導具で行われる予定だった報告が文で来た。つまり手配した部署以外からの報告であり、その心当たりがレネミーにはあった。魔の大森林の中でとある任務に当たっている十傑の第5席ウェクアズに、万全を期して協力要請を出していたのである。ウェクアズはレネミーの指揮下に無い。だからウェクアズの持つルートで報告をしてきたのだ。
レネミーの予想は正しかった。部下も即退出させたのも正しい判断だった。突如剣聖の体から凄まじい剣気が放出された。その剣気は怒気も混ざり、荒れ狂う。あまりに凄まじい剣気にレネミーは、咄嗟に隣にいるイデアの前に立ち、庇うほどだった。庇ったレネミー自身、も怒れる剣聖の剣気に辛うじて耐えている状態だ。イデアは庇われて直視せずに済んでいるにも関わらず、恐怖で全身が震えてペタンと座り込んでしまった。
次の瞬間、鈍い音と共に剣聖の目の前にあったテーブルが叩き斬られた。技も何もあったものではない。ただ力任せに剣を叩きつけられただけの破壊である。しかしテーブルの犠牲くらいでは剣聖の怒気は収まらなかった。
ーあやつに任せたのがそもそもの間違いだったか
言葉には出ていないが、荒れ狂う怒気は如実にそう語っている。机を叩き斬って剣気が収まり、怒気だけになったことで何とか余裕が出来たレネミーは、いつのまにか床に落ちている連絡の文を拾い、目を通す。やはりウェクアズからの連絡だった。ウェクアズは大森林の抜け道の途中でカテスを待っていた。しかし遅いと思って大森林の入り口まで行ってみれば、カテスが何者かに斬られ重体、ヒチガルは死亡、他には誰も居なかった。カテスは辛うじて一命は取り留めたものの、10席として再起は不能だろうとあった。少女は取り返され、スタの草も捕まったのだろう。正規の報告が何一つ来ない以上、ついでにシシン達も捕まったとみていい。待機部隊もそろそろ撤収報告を入れてくる頃。完全なる任務失敗だった。
発せられた時と同様、急に剣聖の怒気が消えた。ふらりと部屋を出る剣聖。レネミーはひどく嫌な予感がした。師が直接スタに向かうだろう事は直ぐに想像できる。剣聖は部屋を出るや否や廊下を駆け出した。レネミーは、後始末諸々をイデアに託すと直ぐに剣聖を追った。直ぐに剣聖に合流できたが引き留めはしなかった。下手に引き留めようとすれば斬られかねないとわかっていたからだった。
☆☆☆☆☆
そうして二人はスタまでやってきた。途中、帝国内の都市でイデアが手配してくれてあった冒険者のとしての身分証明を持って。道中、剣聖も冷静さを取り戻している。そして今、目の前には問題の孤児院がある。しかしなんだか静かだ。落ち着かない様子の剣聖が孤児院に突撃をかけそうだ。なのでレネミーは丁度近くを通りがかった少年に声をかけた。
「冒険者が何の用さ?」
「我々は帝国から渡ってきたばかりで、アマリア王国のことは詳しくないものだから疑問に思ってね。ここは孤児院だろう?にしては子供がいないみたいだが」
レネミーが話しかけた少年は、レネミーの質問に対し急に泣き出した。怖がらせてしまったかとレネミーは慌てて宥める。剣聖は、何をやってるんだとばかりに冷ややかな視線をレネミーに向けた。
「すまない。怖がらせてしまったか」
「ちが、ちがうんだよ。 メアルが、俺のメアルがいなくなっちまったんだー!」
レネミーが話しかけたのは、スタの自称ボス、ズイールだった。メアルに隊長と呼ばれていたズイールこと通称ズルは、泣きながら語った。2日前、急に巨大な飛空挺がスタ街横に着陸したこと。飛空挺から以前、魔物を倒してくれた騎士と巫女、あと数名の兵士らしき者が降りて来たこと。そして彼らは孤児院の子供達、数名の孤児院職員を連れていってしまったこと。孤児院に、子供は一人も残っていないこと。
「巨大な飛空挺が子供を全員連れていっただと」
「ひ!」
急に発せられた剣聖の怒声に、ズルが短い悲鳴を上げた。
「怖がらせてすまない。君に怒ったんじゃないんだ」
「え、あ、うん」
レネミーが慌ててフォローする。しかしレネミーから見ても、にわかに信じ難い話だった。だが、カテスを斬ったほどの者が、スタの一孤児でしかないメアルという名の少女についていたという事実。師は語らないが、この孤児メアルにはなにか秘密があるのだろう。そしてアマリア王国側もそれを掴んでいるのだとしたら。今回の誘拐の失敗でアマリアを刺激してしまったのでないか。極秘に開発していたのだろう巨大飛空挺を使ってまで保護に動き出した。レネミーはそう考えた、そして剣聖も同じ結論に至った。
「おぞましきアマリアめ、またしても…」
剣聖の呟き、おぞましきに籠められたあまりに深い憎悪にレネミーは不安を感じ、思わず振り替えって師を見てしまう。
「流石に王都まで突撃はせんよ」
剣聖は、プイと横を向いてレネミーに答えた。
「そ、そうか俺も王都にいけばいいのか」
そんなズルの言葉が横から聞こえてきたが、レネミーにはどうでもよかった。ズルを開放した後、孤児院に残った職員にも話を聞き、ズルの語った内容が事実だと判断した。街の酒場でも巨大飛空挺の話で持ちきりだった。
「しかしカテスを斬れる奴がこの世におったとはな」
「はい。急に孤児院に現れて居着いたという冒険者二人組か、黒髪の男か、どちらかでしょうね」
「儂が見た時には二人組の冒険者などおらんかったがな。黒髪の方は……ないじゃろ」
「そうですか。二人組の方には心当たりがあります」
誰が今回の作戦を妨害したのか、そんな話をしながら剣聖は、黒髪ではカテスを斬れないと下した自身の判断に、違和感をもった。何故かは解らない。思い出せないというのが正しいのだが、それすら剣聖にはわからないのだった。
☆☆☆☆☆
翌日、スタの街を出た二人。街を出てしばらく歩き、急に振り返った剣聖に合わせてレネミーも小さくなったスタを見た。レネミーは、巨大飛空挺の件は帝国を驚かせ、国防の見直しが行われるだろうと判断していた。その為、帰って待っているのが会議に次ぐ会議と書類の山という予測に、思わずため息をついた。何だかんだで師に気を遣うものの、この旅は忙しいレネミーにとって、ちょっとした息抜きだった。
剣聖はレネミーとは違い、スタを見ていなかった。見ていたのはスタの、その遥か先にある視界には写らない王都リリアーノだ。そこに自身が唯一尊敬したお方、そのお方の生まれ変わりが居る。そしてそんなお方と自分を裏切ったアマリア王家も。
ーしばしお待ちくだされ、必ず救い出して見せますぞ姫殿下。そしてアマリアめ、民ごと、都市ごと、地上から消し去ってくれるぞ。必ず、必ずな。
剣聖は再び帰路につく、もう振り返りはしなかった。




