033 公爵様の暴走
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「おい!フィセルナなんだこれは!」
バン!と扉が勢いよく開かれるのと同時に大声を上げたのはフィセルナのパートナーで騎士団長のジェイコフだった。いきなりの大声に、執務中だったフィセルナは一瞬だけジェイコフを見たが、すぐに書類に視線を戻した。ここは騎士団長の執務室、つまりジェイコフ自身の部屋だ。なのでノックは必要ないし、だからフィセルナもその点を指摘しなかった。そしてこの時もちょうど(運良く)補佐官は席を外してした。ジェイコフは、書類にサインをしていたフィセルナに向かって大股で近づき書類を突き出す。
目の前に突きだされた書類に目もくれることなく、フィセルナは次の書類の処理に取りかかる。何の件の話なのかフィセルナには判っている。わざわざ見る必要がないのだ。なんならこの展開も予想通りたった。今さら騒ぎ立ててももう遅いが。フィセルナはあまりに予想通りなジェイコフの行動が、少し可笑しくなって思わず口角が上がってしまう。パートナーの為に時間を割く気になったので視線をジェイコフに向けた。
「やれやれ、何って見ての通りよ」
「おま、見ての通りって何で大型飛空挺の使用許可出してんだ。補佐の…なんだったか」
「レビンよ。呆れた、名前も覚えてないなんて。いくらなんでも可哀想だわ」
いかに普段から執務をフィセルナに任せきりにしているのかよくわかる問答である。
「そうだレビン…ってそれはどうでもいいんだよ。そのレビンが一応確認って訓練所に駆け込んで来てこいつを見せられた」
ジェイコフはつまみ上げた書類をパンパンと叩く。それは飛空挺の使用申請書だった。申請者はフィセルナ。そして許可を出しているのもフィセルナ。本来は騎士団長のサインが必要なのだが、フィセルナも代理だが決定権限を持っている。持っているからこそジェイコフの代わりに執務をしているのだ。そしてフィセルナは今回それを有効活用した。前回のスタの魔物討伐の時も申請者フィセルナ、許可フィセルナで飛空挺を運用したのである。前例があるのだから何も問題はない、とフィセルナは考えていた。
「スタの魔物討伐の時と同じよ。何の問題もないわ」
「同じな訳あるか! 大型のは機密中の機密だ。それに目的地スタってなんだ。そんな所まで飛ばしたら帝国を刺激するだろうがよ」
「はん!向こうが先に喧嘩売ってきたのよ。驚かせるくらい可愛いものだわ。せいぜい皇都でブルブル震えていればいいわ」
「はぁ?フィセルナ一体何があった」
アマリア王国の機密中の機密、大型飛空挺は輸送人数30名、王都ースタ間なら2往復は航続可能な最新鋭の飛空挺だ。帰りを考えなければ帝国の皇都ガーハットまで飛ぶことができるのだ。巨大ながら小型の飛空挺(輸送人数2名)の3倍の航続距離を誇る。アマリアはこの巨大飛空挺を3挺建造予定でり、先日1台目がテスト終えて王国軍に配備されたところである。現在は2台目を建造中だ。
そもそも飛空挺を所有するのは6強国の中でもアマリア王国のみである。他国も開発中であるが実用化に至っていない。アマリアに次ぐ魔導技術を持つ、6強国”魔導王国ジ・セル”ですらようやく操縦する魔導士一人乗りの飛空挺を数百メタ(数十メートル)の低空飛行に成功させたといったところである。そんな中で、騎士団を輸送するの為の長距離航続可能だろう飛空挺の存在が明らかになるのだ。他国にすれば脅威だろう。それをスタ方面に飛ばす。即ちガレドーヌ帝国方面だ。はっきり言って帝国に軍事的威嚇と捉えられる可能性が高い。ジェイコフはその点を心配したのである。
「帝国がスタで女児を誘拐しようとしたのよ」
「それは…だからといってこれはやり過ぎだ」
「いいじゃない。どうせいつかは公表するんだから」
「それを決めるのは陛下だ」
「そうね。でも残念、今更よ。今ごろ出航準備も終盤。明日には出発するわ」
「はぁ?まさかフィセルナが乗るのか」
「もちろん。というか貴方も迎えにいくのよ」
「俺もかよ、ってか迎え行くって…まさか、その誘拐されそうになったって子をか?」
「メアルよ。スタの孤児院にいるの。メアルと一緒に行きたい子は全員連れて帰るわ。分かったでしょ大型でないと駄目なのよ」
「普通に護衛でいいじゃないか」
「駄目よ。道中が長いもの。また狙われるかもだし、かと言って護衛の数を増やすのも却って敵に教えている様なものだわ。敵は帝国の剣聖とその弟子、まともにぶつかればどれだけの被害がでるか…だから絶対に手が出せない飛空挺なのよ。それに大型の飛空挺はカモフラージュって意味もあるわ」
「……そうまでする理由はなんだ。帝国に狙われるその子にどんな理由がある」
さすがにジェイコフも気付く。全てはスタのいるメアルという子の為。そこまでする理由や事情がメアルにはあると。
「…お兄様の忘れ形見よ」
「……そうか」
その一言にジェイコフも一応は納得した。いろいろと言いたいことはあるけども。だが何を言ってもここまで手回しされた今となっては後の祭りである。自分を含め、スケジュールの変更も手配済みだろう、と諦めの境地にジェイコフが達したその時、新たな大声が執務室に響く。
「フィー これは一体何!」
「あら陛下、本日もご機嫌うるわしゅう」
怒鳴る女王ルーサミーに対し、席を立ち優雅に臣下の礼をとるフィセルナ。その余裕ある態度から、この展開も折り込み済みだと伺える。ルーサミーは先ほどのジェイコフのように大股でズカズカと進み、頭を下げているフィセルナに書類を突き出した。直立不動で右手を胸に当て、軍礼中のジェイコフは陛下に対しても何かやったのかと少し顔が引き攣っていた。
「顔を上げなさい」
「あら、ルー姉様、そちらの書類をどうして?何の問題もな無い筈ですわ」
目の前にある書類を見て、白々しく、そう本当に白々しくフィセルナは答える。その様子にルーサミーは大きなため息をついた。
「書類に問題はないわ。あくまで書式の話だけどね。問題は内容よ。大臣がこれをもって相談に来たわ」
そう言い放つと、ルーサミーはジェイコフに視線を向けた。
「騎士団長、よかったわね。これからは孤児院で暮らせるわよ」
「は? 陛下それは一体…」
「公爵邸が孤児院になるってことよ」
「は?」
言われている内容に頭がついてこれず、ジェイコフは混乱した。ルーサミーとフィセルナを交互に見返してしまう。この時のフィセルナといえば、うんうんと頷いていた。
「ルー姉様、これが最善よ。法に触れずメアルを保護できるわ。もちろん転属手続きも済んでるわ」
「知ってるわ。その書類も見せられたからね」
王都の孤児院にメアルを移してもフィセルナは安心できなかった。もちろんスタよりは誘拐の難易度は高くなる。けれども不可能ではないはずだ。しかし、そもそも厳重な警備体制下にある公爵邸が孤児院だったら。現騎士団長と公爵にして聖女である王妹の住む屋敷である。当然王宮並みの警備体制を敷いている。しかも来客が来ない屋敷だ。というのも二人は来客をこの騎士団の応接室で済ませてしまう。というか、二人の立ち位置の特殊性から客を屋敷に来させないようにしているのだ。尤も、アマリアの貴族中、現在最高位にあるフィセルナに対し、その意向を無視して公爵邸に押し掛ける王国貴族はいないが。
フィセルナの屋敷を孤児院として登録する。これは悪しき前例になりはしないかとルーサミーは危惧した。したが、真似をする者はいないだろうと最終的に判断した。普通の貴族なら孤児と一緒の屋敷で暮らすなど考えないし、プライドが許さないだろう。そして肝心な事だが、孤児の移動は書類審査が厳しいし、それは国の管理下にあるのだ。まして聖女、巫女の資質を持つ者はごく稀で、国からの手切れ金を狙う一攫千金にしては、勝率は極めて低いのが現実だ。回収率が極めて低い投資とも言い換えれるだろう。
そういえばここ数日使用人達が忙しそうにしていた、あれはフィセルナの無茶振りに対応していたのだとジェイコフは今さらながら気付いた。屋敷の事もフィセルナに任せっきりだった。来客を来させない公爵邸であるが客室は存在する。そもそも貴族の屋敷とはそういうものだ。ただ公爵邸に限れば使われていないだけ。それをグレードダウン方向に改装し、メアル達孤児達に割り当てるのだ。メアルにだけ特別に最上階の豪華な部屋を密かに用意し始めた。聖女検査が終わって正式に養女にした時の為の準備である。
「いくら帝国がちょっかいだしたといっても、やりすぎは否めないわね。でも、ま、いいでしょう」
「ありがとう。ルー姉様」
「で、王都まで連れてくるのはどうするつもり?」
「もちろん考えてあるわ」
姉の疑問に対し、曖昧に返す妹。姉はこのパターンを何度も経験済みだ。たいてい知られると都合の悪い何かを隠しているパターンだ。どうせあとで知られて怒られるというのに。そしてその秘め事を教えてくれたのは妹の夫だった。ルーサミーはジェイコフに渡された書類に目を落とすと、やがてワナワナと震えだした。まるで火山の噴火前の予兆であるかのように。
「フィセルナ!!!」
こうしてその日一番の怒声が騎士団長の執務室に響き渡ったのだった。
フィセルナはその日、長時間に渡るルーサミー説教を受けた。が、それ以上のお咎めは無かった。ルーサミーは女王の名の元に大型飛空挺をスタに飛ばすことにしてくれたのだった。




