032 大人にお任せ
約束を交わして以降、カーライルとメアルは無言で道を進んでいく。メアルはおんぶされながら暖かい気持ちに包まれていた。安心できた。これ以上ない安心感に、どうしてだろうと考えてしまう程に、それは離れがたい暖かさだった。こうして無言で甘えて許容してくれる相手は、メアルにとって今はカーライルだけとなっていた。父も母ももう居ない。何故血縁でもないカーライルがそこまで甘えさせてくれるのか、メアルは不思議でならない。そして同時にカーライルは裏切らないと根拠の無き確信がメアルにはあった。これもどうしてなのかは判らないが。
このままのんびりとカール様と暮らせたらな、とメアルは思う。そしてそれはきっと叶わないとわかっていた。おっとりとしてうっかり且つ、たまに変な思考をするメアルだが、頭は悪くないのだ。カーライルは兎も角、アルジとニースが孤児院の護衛で雇われたのではないと気付いていた。そして恐らく二人はメアルを最優先し、他の子供を犠牲にすることも厭わないだろう事も。だから一人で抜け出す選択をしたのだ。しかしメアルは自分の力をあまり理解していない。孤児院を一人で抜け出せたのはニースの眠りがたまたま深くて運が良かったくらいにか考えていない。普段ならメアルが夜中にふと眼が覚めてしまった時、隣で寝るニースに優しい言葉をかけらるほどニースは気配や音に敏感だった。
どれくらい進んだだろうか。無言で進むカーライルだったが、前方から何かが走ってくるのに気付いた。一瞬警戒し、武器をいつでも出せる様身構えたが、それがアルジとニースであると気付くと緊張を解いた。
「カール様?」
「アルジさんとニースさんが迎えにきたようだ」
「まぁ、怒っているかしら。もしそうだったら一緒に怒られてね」
「ああ、約束したからな」
「ふふふ、カール様と一緒なら怖くないわ」
そんな会話をしていた二人だが、それは杞憂だった。実際にアルジとニースの二人が合流して最初に発生した音はニースの吹き出し音だった。
「ぶふ」
「いきなり失礼だな」
「いやいや失礼した。カール坊、実によくに合ってるの」
「それはどうもありがとう」
棒読みで返すカーライル。そんな二人に苦笑するアルジ。そこにメアルを責める空気は無く、ニースに揶揄われるカーライルが可笑しかったメアルはうふふと笑った。
「ふむ、その笑顔をみる限りメアルも無事そうじゃの」
「はい。お手数をお掛けしました」
「これも仕事のうちさ」
「あの…私は…これからも孤児院にいてもいいの?私がいたらこれからもみんなに迷惑かかるって私でもわかるわ」
唐突な質問。それはメアルは先程まで考えていたこと。誰が自分を保護しようとしているのかはわからないけども。でも今回の件でスタの街に置いておけないと考えるでは、と。メアルは法律だのそういった方面の考えがない。だから簡単に別の場所に移動させられると考えていた。そもそも聖女検査を受ける前の女児に対する親権移動やら、移住の制限などわかっていない。なるべく女児の登録変更関連は認めないのが国の方針なのだ。その観点からすればメアルはこのままスタの孤児院で皆と今までどおりの生活ができるだろう。しかし、メアルにだって自分を守ろうとアルジとニースを遣わしたのが偉い人なのはわかる。だから単純にもっと目の届く場所にに移動させられるのでと考えてた。実際メアルを保護しようとしているのは王家だ。今回の件を受けて特例を出すくらいはするだろう。
アルジとニースもまた同様に考えていたし、そう提言するつもりだ。いくらなんでもスタにこのままというのは出来ない。
「そうだな。俺らの立場ではそうだと断言はできないが」
「王都の孤児院に移動にはなりそうじゃのう。あくまでたぶん、じゃが」
「…そう…もう皆とは一緒にいられないのね」
アルジ達の断言ではないとはいえ、肯定されてメアルの気持ちは沈んだ。だが、そんなメアルの悲しみ(の原因)を許さない者がいた。もちろんカーライルだ。
「メアルは皆と一緒にいたいんだろ?」
「うん、でも…」
「なら、そう言えばいい。みんなと一緒でなければどこにも行かないと」
カーライルの発言に驚いたメアルだったが、そう言っても許されるのならと、一緒にいられないのかな、から一緒じゃなければ言うことを聞かないに一気に気持ちが傾いた。
「うん、わたしみんなと一緒でなければどこにも行かないわ」
「おいカーライル」
「く、くくく。そうじゃ、そうじゃのう。その通りじゃ」
「おいおいニースお前もか」
カーライルがメアルの悲しい気持ちをぶった斬った。それがあまりに痛快でニースは笑ってしまった。一緒に寝食を共にして情がわいたのもあるが、そもそも周囲の勝手な都合にメアルが振り回されるのがニースには面白くなかった。だから賛同してしまった。メアルを囲いたいならそれくらい解決するべきなのだ。王家という絶大な権力を持っているのだから、法律だの金銭だのは大人が考えればいい。特に王妹は養子にしたがっているのなら、メアルに嫌われないように必死になればいいのだ。
「ああ、痛快じゃ。カール坊の言う通りじゃ。メアル、考えるのは大人に任せればいいのじゃ」
「ということだから、大人のアルジさんがしっかり雇い主にメアルの望みを伝えてくれ」
「のじゃ。アルジよ」
「一番の年上っていうならニ」「その先を言うてみよ。わかっておろうの」
「……うむ、なんでもない」
「じゃ、任せるぞぇ大人のアルジ殿」
「お願いしますアルジさん」
メアルの期待のこもった「お願いします」にアルジは苦笑した。まあ、アルジとしては要望を伝えるだけである。実際に手続きだのを苦労するのは王家側だ。それにアルジもこの流れが気に入らなかった。この天真爛漫な少女の笑顔を守れるものなら守りたいのだ。
☆☆☆☆☆
アルジからの一連の報告書と要望書を騎士団長の執務室で読みながら、王妹であり公爵、且つ騎士団長のパートナーでもある聖女フィセルナはものすごい形相で目を見開いていた。現在フィセルナ以外は誰も居ない。補佐官は丁度フィセルナに渡された決済書類に関する指示を出すべく一般執務室にいた。怒れるフィセルナを目の当たりにせずに済んだのは補佐官にとっては幸いだった。
「このジーキスってスタの雑草はどうしてくれようか」
ジーキスはスタに連れ戻されるなり、当然ながら牢屋入りとなった。未遂にお終わったものの、女児誘拐の罪だ。ジーキスは協力しただけだと弁明したが、認められなかった。誘拐犯と一緒にいたのだから実行犯の一人と判断された。アルジとニースの持っていたフィセルナからの特別依頼証も有り、アルジ達の証言が正とされたのだった。現在ジーキスは日々警護隊の仲間に散々に罵られ、軽蔑されながら警護隊の牢屋の中で、王国の兵士に引き取られるのを待っている。
「見せしめにスタで公開処刑かしらね」
報告書を捻り、紙に八つ当たりしながらフィセルナは呟く。もちろんフィセルナに刑を決定する権限はない。だからフィセルナの発言はただの憂さ晴らしだ。ジーキスへの処罰は司法機関が法に則り決定するのだから。尤も女児誘拐未遂だけなら死刑にならないのだが、ジーキスにはスパイ容疑もかけられている。ジーキスが酒場にある通信の魔導具を頻繁に利用していた事実も判っている。警護隊の給料以上に水準が高い生活をしていたこともだ。なのでジーキスはスパイとして死刑になる公算が高い。もちろんフィセルナは裏から手を回さずともどうせ死刑になると判っている。判っているからどうせなら公開処刑なんて考えてしまったのだった。
尚、酒場の主は大っぴらにしていなかっただけで、正規の手続きを経て通信の魔導具を持っているのでお咎めは無しである。ただジーキスの通信先については今後調査の対象になるのだが、特定は恐らく無理だろう。
フィセルナが怒っているのは、誘拐劇が起きた事に対してではない。苦労をしているだろう姪が孤児院の皆と離ればなれになるのを悲しんでいる。皆と一緒にいたいと望んでいるとの一文にである。誘拐さえ起きなければ姪が悲しむような事態にならなかったのである。しかもこの誘拐の背後にいるのは剣聖だとアルジは聞いている。つまりはガレドーヌ帝国だ。メアルをこのままスタに置いておく選択は絶対にとれないのである。だからこそフィセルナはメアルの心情を察し、全ての発端だろうジーキスに対して激昂しているのだった。
「よし、いいでしょう。姪の願いは叔母たるこの私が叶えるわ。絶対にメアルに悲しい思いなどさせない」
決意に満ちたフィセルナの発言は幸か不幸か誰にも聞かれることがなかった。




