029 メアルを巡る攻防8
カテス一行は、大森林の入り口まで来ていた。そしてメアルは未だ夢の中。メアルを腹に括っている男、ヒチガルが馬から降りても起きないのだから、幼いながらなかなか大物なのかもと、ヒチガルは呆れつつも感心してしまった程だった。
「おい、お前」
「お、俺か」
「他に誰がいる」
「俺はジーキスってんだ」
「お前の名なんぞはどうでもいいんだよ、んな事より子守りを代われ」
「わ、わかった」
高圧的なヒチガルの物言いに、抗議したくともジーキスには出来なかった。警護隊に勤めているジーキスはそれなりに武具を扱えるし、なんなら弓に関しては隊の中でもかなり上位の腕前だ。しかし逆によくサボっていただけあって剣の腕に自信はない。そんなジーキスには、今一緒にいる男達は怒らせてはいけない格上の存在に見えた。そしてその見立ては正しく、ヒチガル一人の相手でも10秒と命を保てない程に実力差があった。
ジーキスはスタの街を出るために、外套や路銀、干肉、水袋などを旅用の小型背負い袋に詰めて騎乗する予定の馬に乗せていた。その背負い袋の中から外套を取り出すと、その外套を利用してメアルを背負いながらも両手が自由になるように縛った。
ジーキスの準備が終わり、さて森に入ろうかというタイミングで、突然カテスは来た道を振り替えった。
「ちっ、もう来やがった」
そう告げると即座に武器を構えた。その反応の早さは流石は剣聖の十傑である。一拍遅れてヒチガルが、そんな二人を見たジーキスも慌てて剣を抜く。数秒と待たない内にジーキスにも
何かがこちらにやってくるのが見えた。
ーありゃ黒い馬か?にしては何か違うような。ああ馬具の鎧なんかつけてるのか………にしてもあの馬、えらく速いな。なんだ?あの馬、鎧をつけてるにしちゃぁ変だな。
馬が駆けてくる。遠目に鎧をつけた軍馬のように見えた。そしてその背には当然乗り手がいる。遠目に冒険者らしき男に見える。
ジーキスが気になったのは草としての職業病か、かなりの駿馬らしき異様な黒い馬だ。しかし乗り手には気がいかない。一方カテスはジーキスとは違い乗り手に意識を向けた。
ーあれは孤児院の男か、そしてこの馬は召還馬。ってことは実は聖騎士だったってことか? いやまて、何故聖騎士が孤児院に。いやいや、そもそもこいつは雑魚で間違いないはず。
召喚馬。その呼び名の通り召喚により呼び出された天界の馬。その性能は素晴らしく荒れ地であっても易々と駆ける。しかし、それを喚べるのは聖女のみ。だから召喚馬に乗るのは聖女か、そのパートナーである聖騎士だった。カテスが騎手を聖騎士と思ったのはそういった理由である。そして召喚馬はそもそも見た目が一般の馬と違う。見た目が全身鎧を身に付けた馬に見えるが実際は異なる。召喚馬を覆う全身鎧の継ぎ目から見えるのは光、眩しくはないが実体は見えない。しかし今接近してくるこの馬は艶のない黒い全身鎧を纏い、鎧の継ぎ目からも漏れるのは闇だった。
召喚馬を駈るのはカーライルだ。馬はカーライルが何故か所持している召喚馬だった。記憶の無いカーライルには何故か持っているとしか言いようがない。ともかく持っていたのだ。尚カーライルは聖騎士ではない。更には本来召喚馬を呼ぶにも、走らすにも魔力が必要なのだが、その魔力もカーライルは持たない。しかしカーライルがこの馬でここまで追いかけてこれたのには勿論からくりがある。が、後述とする。
武器を構えるカテス達と距離をとって、カーライルは召喚馬を止めた。 ヒラリと馬を降りたところで召喚馬はスーと空気に溶けるかのように薄くなって消えていった。
「うお、馬が消えた」と召喚馬を見たことがないジーキスは驚き、乗って来た当の本人であるカーライルは「魔力切れか、早いな」と呟いた。
「どうやってここが判った」
カテスは迷っていた。カーライルの実力が読めないのだ。今でも自身の見たてでは雑魚にしか見えない。しかし召喚馬に乗って来た事実からすれば聖騎士。そしてアマリアの聖騎士ということになる。孤児院には聖女らしき女はいなかっ…いや、いた。だがあの女のパートナーはアルジだ。この男に召喚馬を貸すだろうか。自分達で使うはず。いや待て、そもそも何故元テリア国の将軍で聖騎士だった男が孤児院にいたのか。師が拐えといった少女にそれだけの価値があるのか。瞬時に考察し、状況的に目の前の男が聖騎士の可能性が高いと判断するも、どうにも大して実力があるように見えないのが気にかかるのだ。結果どうでもいいような質問を投げてしまった。
「その子の居場所が判るようにしている。簡単に言えばマジックアイテムだ」
「なるほど、で、わざわざ死にに来たか」
「…何故俺が死ぬ。子供を拐うしかできないつまらんお前らがまさか俺に勝てるつもりか」
「おいおい、マジかよ。このクソ雑魚が、ガキがど」
うなってもいいのかとシチガルは続けるつもりだったが、出来なかった。カキンとなにか硬質な音がしてシチガルの足元に何かが転がったのだ。
それは投げナイフのような刃物だった。ような、としたのは、それが柄にグリップも鍔もない金属だけの投げに特化した刃物だったからだ。槍の穂先だけのようにも見える。見るものが見れば、遥か東方に島にある国の武器でクナイと呼ばれる手裏剣の一種だとわかるが、カテスもシチガルも知らない武器だった。
「な、てめぇ、ぶっころ」
ぶっころすとと叫ぶつもりだったが今回も最後まで言わせてもらえなかった。代わりにシチガルは不本意ながら後方に跳んだ、というか跳ばされた。そしてシチガルは最早どうにも出来ない。その資格を永久に失ってしまったから。
ーなに、見えなかった。 この俺が…2度も
カテスは今起きたことが信じられなかった。カーライルが刃物を投げたのは判ったが、それもカテスの動体視力をもってしてもハッキリと見えた訳ではない。だがしかし、横目に見えた後方に跳ぶシチガルの額には投げナイフような刃物が刺さっていた。シリガルも剣聖の弟子の一人、武に生きる者だ。構えをとっていたにも関わらず、何も出来ずに倒された。この男は雑魚ではない、とカテスは認識を改めざるを得なかった。
「ひぃ」
却って冷静になったカテスとは違い、一瞬で倒された仲間を見たジーキスは悲鳴をあげた。もしもカテスまで敗れたら自身には到底太刀打ちできない。背負っているメアルを人質にしようとする前に、そこに転がっているシチガルと同じようになるだけと、ジーキスにだってわかる。孤児院の子供達と一緒にいた男。その男が無造作に人を殺し、表情ひとつ変えない。恐ろしかった。ジーキスの足はがくがく震えだして力が入らず、徐々に腰が下がってやがて尻餅をついた。尚、その背にはメアルがいるのだが、それでもメアルは起きなかった。
「そのまま動くな。おまえは一応スタの警護隊員だからな。殺しはしない。が、逆らうなら話は変わる」
カーライルはジーキスの方など見ずに脅したのだが、ジーキスはカーライルと目が合った気がした。返事をしようとしたが場の緊迫感に声が出せず。大きく何度も頷いて答えた。
「それでいい」
カーライルは気配だけでジーキスが何度も頷いているのを察して適当に返事をしつつ、だが意識はカテスに向けている。冷静にカーライルを強敵と認識し直したカテスは、剣聖の十傑として油断無く構える。そして剣気の圧を強めていく。ジーキスが声を出せなかったのはカテスの剣気の強さ故でだった。声を出したら斬られる。そんな冷たく非常な気がこの場を支配していた。
対してカーライルはカテスの剣気を平然と受け流していた。そして剣気を受け流しつつ無造作にナイフを投げた。ただし常人では捉えきれない速度で、だが。
いつ得物を持ったのか。男は素手のはず。からくりはわからないが、何らかの方法で隠しもっていたのだろう。しかしそれはこの際問題ない。問題なのはともかく男が恐ろしく早い投擲をしてくるという事実。その脅威がわかっていればいい。カテスは自身の勘と経験でカーライルの投げたナイフを踏み込みながら弾いた。流石の技量だった。
カテスは双刀使いだ。一方の得物でナイフを弾いたところで、大きな隙は出来ない。しかし武器を弾く刹那、ほんのわずかにカーライルに向けていた意識が武器を弾く方に向いた。そしてその一瞬で起きた変化にカテスはわずかに顔をしかめた。
カーライルが武器を持っている。どこから取り出したのか、反りの入った片刃のブレードをいつの間にか持っているのだ。その刀身は黒く、切っ先がカテスの心臓に向かっている。
ナイフを弾いたあと一気に間合いを詰めるつもりだったカテスだが、黒い刀身を見て理解した。そして既に重心が前に向かっている為そのまま前に踏み出す。
ーこいつ、異能持ちか。投げナイフなら隠し持ててもあんな長いブレードが急に出てくる筈がねえ
瞬時に距離が詰まる。迷わず突きを繰り出すカーライル。その狙いは変わらずカテスの心臓だ。その切っ先は正確にカテスの心臓を捉えていた筈だった。
ガキン、硬質音が響く。
刹那カテスは一方の刀をカーライルの顔めがけて振り落とした。カテスの得物は刀というよりは斧か鉈に近いと言える。先端にいくに従って幅広くなっていき切っ先は無い。だが当たれば只では済まない。カーライルは冷静に添え手側の手甲でカテスの攻撃を弾いた。
心臓を刺した筈が、代わりに得た異質な手応えに、カーライルは一撃では殺れないと判断した。只、この突きで体を伸ばしきってはいなかった。だからそのまま更に剣を突き出す。
カテスは自身の胸に少しだけカーライルの刃が刺さっている事に驚きつつ、そのまま付き出そうとするカーライルに合わせて片足で後方に跳ぶ。跳びつつカーライルのブレードを持つ手目掛けてもう一方の足で蹴りを繰り出した。いつの間にか靴の先から刃物が出ている。
「うお!」
声を上げたのはカテスだ。蹴りは失敗した。カーライルの突きによる押し出しの方が速く、カテスは吹き飛ばされたからだ。それでもカテスは蹴りだした足の遠心力を利用し、宙返りして着地。カーライルとは少し距離ができた。
カーライルも体を伸ばしきってしまい、更なる追撃はできなかった。カテスが着地するのとカーライルが構えを取り直すのは同時だった。そしてそのままにらみ合いに移行するかと思われたが、カテスが挑発の為か口を開いた。
「おまえが異能持ちなのは判った。が、がそれは俺も同じだ」
カテスは不敵な笑みを浮かべた。




