023 メアルを巡る攻防2
カテスはスタを発つと、翌日にはアマリア王国の地方都市キノに着いた。常人なら3日はかかる距離である。カテスは密偵任務を主とし、アマリア王国には何度も来ているのでアマリアの地理に明るい。そして此処キノはアマリア北方における交通の要所であり北方最大の都市である。余談となるがキノを治めるのは、古くからアマリア支えるトェンポールズ侯爵家で、何代にも渡り聖騎士を排出してきたアマリア王国有数の武門の名家である。カテスがキノを訪れたのは、此処がガレドーヌ帝国諜報機関キノ支部があるからだ。ここキノ支部はアマリア北方方面の情報が全て集まる拠点だった。
カテスを目の前にして、諜報機関キノ支部長ダレンは先日の件だろうと思った。先日の件とは、スタを発った巫女候補の護衛団を襲撃し巫女候補の誘拐に失敗した件である。襲撃したのは剣聖の門下の剣士3名。そして誘拐失敗しただけでなく全員死亡したのだ。いずれ詳細を聞かれるだろうと思っていたが、まさか十傑の一人が直接来るとは思ってもいなかったのだ。ダレンは内心の焦りを一切表情に出さずに兎も角カテスをもてなそうとしたが、カテスは不機嫌そうに勧めた席にも座ろうとしない。ダレンはいよいよ覚悟を決め、問われる前に報告することにした。
「カテス様が直接お越しになられたのは先日の件でしょうか。こちらでその後の調査を進めてはいますが、相手に相当の手練れが居たとしか…」
「おい、何のことだよ」
突然に預かり知らぬ事の報告を始めたダレンに、カテスは困惑を隠そうともせずに眉間にシワを寄せて言葉を遮った。別にカテスは諜報機関の長ではないし、アマリア王国の諜報担当は第3席レネミーである。カテスにとってはどうでもいい事だ。何やら都合の悪い報告のようだが、それはレネミーに詰問されればいい。カテスとしては最後まで聞くのも面倒で、時間が惜しかった。
ちなみにカテスが不機嫌さを敢えて見せているのは子供じみた理由からである。今自分が師の無茶振りに苦労しているのは目の前の男がもたらした情報が元凶かと思うと、愛想よく相対する気になれないだけだった。
「では、カテス様のご用件とは」
別件だったかと、内心安堵したダレン。その安心は早計なのだが、尤もダレンにわかる筈がない。
「そっちの事情は知らねえが、こっちも最優先任務だ。だが手数が足りねえ。そこでイーリキ達を貸してくれ。というか貸せ」
先の安堵はぬか喜びだった。しかしこれはダレンの責任ではない。ではないのだが理解してくれるかどうかはカテス次第だ。
「それは、その…おりません」
「は?別任務か。だったらすぐに呼び戻せよ。俺が最優先任務と言った意味がわからねえのか」
ダレンはカテスに言われるまでもなく重要任務の重さをわかっている。カテスとは何もこれが初顔合わせではない。カテスの任務に何度か協力してきた。カテスは第10席とはいえ十傑の一人だ。そのカテスに任務を与えられる者は限られる。同じく十傑でダレンの上司でもあるレネミーよりの任務でさえ最優先任務と言われたことはない。そしてカテスは別に帝国に仕えている訳ではない。カテスの出身は帝国より南方の小国だ。ならばカテスが最優先でこなさなければならない任務を指示した人物など只一人しかいない。
「仰られた意味は重々承知しております。ですが、その…イーリキ、ニケン、サルゼの3名は先の任務にて死亡を確認しました」
「嘘だろ。イーリキを殺れる奴がこの国にいるのかよ」
「先ほどの報告はその件でして」
「はあ、ついてねえな」
ダレンはカテスに斬られる覚悟をしてのだが、カテスはため息をついただけだった。隠密行動に長けたカテスではあるが、同時にカテスは剣士だ。ニケン、サルゼは兎も角、イーリキ程の剣士がと信じられない思いがあるものの、戦いに絶対は無いことも自身の経験として知っている。それに同門であっても数多の弟弟子の一人でしかない。ああそうかと思うだけだった。そういったカテスの冷めた性格にダレンは救われる結果となった。カテスは知らない。イーリキ達を斬ったのが、自身が雑魚と判断した黒髪の男だと。
「それで、如何致しましょう」
「そっちの報告はレネミーにしろ。しかし参ったな…」
以降黙り込んだカテスは敵の戦力を考える。孤児院にいた黒髪の男は戦力にもならない。しかし常駐し始めた冒険者2名は手練れ。そしてその冒険者2名の正体にカテスは気付いていた。特にヤバイのはエルフだ。弓の名手で夜目が利き、その上魔法(厳密には精霊術)まで使う。
「しかたねえ、囮にするのは勿体ねえが。シシン、ゴラデヴ、ロックマイヤ、ヒチガルを呼べ。今すぐにな」
ダレンはカテスが黙り込んでから、邪魔をせずただ待った。そしてイーリキ亡き今、貴重な荒事要因の剣士を4人使い捨てにすると言ったカテスに対し、「直ちに」と頭を下げ、指示のために部屋を出た。荒事要員についてはレネミーに相談し、新たに派遣してもらうしかない。面倒なことだとダレンは思う。しかしダレンとっても、貴重と云えど消耗品の部下というだけである。生き残れるかは4人次第としか思わなかった。
☆☆☆☆☆
「よお、久しぶりだな」
「あんたか」
「なんだ、客だっつーのに愛想悪いな」
「ここは酒場だ。飲まん奴は客じゃないな」
「はっはー、そりゃそーだ」
「で、いつものなら空いてるぞ」
カテスはスタに戻ると酒場『酔いどれ亭』に向かった。早朝の酒場は酒に飲まれた客たちが床に転がっている。この酒場ではいつもの光景だ。カテスはめったに来ない上に、毎回早朝にやってくる酒以外が目的の客だ。
「いや、今日は違うんだわ。マスターに教えて欲しいことがああって来た」
「俺に? ま、いいさ。だが答えられるかどうかは責任もてないぜ」
「へぇ、素直だな」
「まだ長生きしたいんでな。詮索するつもりもないさ」
「いい心がけだ。で、俺と同じく常連がいるだろ。そいつの居所が知りたい」
「ああ、ジーキスって野郎だ。警護隊に勤めてるぜ」
「わーった。ありがとさんよ」
互いにそっけない会話を交わし、カテスは酒場をあとにした。カテスの気配が完全に消えると酒場の主はため息をついた。
ージーキスの奴、何か巻き込まれやがったな可哀想に
酒場を開く前は冒険者だった酒場の主は、何度も死線を潜り抜けている歴戦の強者だった。そんな強者がヤバイと感じる名も知らない男。そしてそんな男に目をつけられたジーキス。ジーキスは早朝の客でもあるが、普通の客でもあった。カテスよりは情が沸く。しかし酒場の主は何かをするつもりは無い。冒険者を引退したのだ、だったら長生きしたいと思う。酒場の主は客を一人失ったな、と思うに止めた。客商売をしていれば急に来なくなる常連など何人もいる。そいつらの顔など、どうせ忘れるし、実際もはや名前すら思い出せない者もいる。ジーキスもそんな中の一人になるだけのことだった。
☆☆☆☆☆
ジーキスは困惑していた。ネタ集めの為に自分から面識の無い奴に声をかける事はあっても、知らぬ者からの訪問を受けるなんて初めてだった。どうにも心当たりがはっきりしない。可能性としては先日の魔物騒動とアマリア王国のアーマ・ドルの件。
「おおジーキスか。久しぶりだなあ」
「ごふ」
顔を会わせるなり、見知らぬ大男がジーキスに近づき回り込むと、力強く背中をバンバンと叩いた。ジーキスも警護隊にて剣術の訓練を積んでおり素人ではないが、男は動きは自然でいながらジーキスに避ける動きを許さなかった。背中を叩かれたジーキスは思わず痛みで膝をついてしまった。
「なにしやがる」
「おいおい、ちょっとした挨拶じゃないか。それくらいで情けないな」
差しのべられたゴツい手と差し出した大男の顔を見たジーキスは思わず悲鳴を上げそうになった。ジーキスを見る大男の目はまるで虫けらでも見るかのように冷たかったからだ。拒絶を許さないと言いたげな表情にすっかり怒気を抜かれたジーキスは恐る恐る大男の手を取った。
「話を合わせろ。俺をシシンと呼べ」
力強く引っ張られ立ち上がる時、小声で大男の指示が聞こえた。
「いたた、シシン少しは加減をしてくれ」
「はっはっは。お前の鍛練が足りないんだ。せっかく警護隊んにいるならもっと励めよ」
「はぁ、相変わらずだな」
会話から二人が昔馴染みだと判断した周囲はジーキスの客に警戒を解いた。
「久しぶりだ。今夜は一杯付き合えよ」
「え、ああ、わかった」
大男が回り込んで背中を叩いた事で、周囲からは大男の背中しか見えない。つまり大男の冷たい視線はジーキスにしか見えていない。その視線は語っていた『逃げるなよ。死にたくなければ従え』と。
ジーキスに許されたのは承諾だけだった。




