019 視線の主たち
孤児院から数軒離れた2階建ての住宅の屋根の上からその庭の様子伺う2人の男。一人は初老を迎えた頃の男でもう一人は歳にして24、5と思われる青年だ。先ほどから初老の男は時が止まったかの様に動かず、一点を見つめている。彼の視界にいるのは一人の少女、メアルだった。 石像にでもなったかのような初老の男を見つめて 青年の方はため息をついた。
屋根に上る前はやれ歳だのなんだのボヤいていたのを宥めるのには苦労したのだ。いざ上がったら上がったで孤児院の庭にいるのは黒髪の男と数名の男の子達。黒髪の男は子供達に剣術を教えているようで、「こんなもん見たいんじゃない」とか不機嫌そうにぶつぶつ呟いていた。付き合わされている青年の方がたまったものではなかった。
青年は目が良く、魔導具が無くとも子供達の表情すらはっきりと分かる。唇の動きからおおよその会話の内容も知ることもできるが、そもそも興味が無いのでそんな事はしない。初老の男の方は魔導具"遠見の筒"を覗き込んでいた。
状況が変わったのは庭に女の子が出てきてから。水色がかった銀の髪の少女だ。あれだけブツブツいっていた初老の男が静かになった。それどころか魔導具越しに少女を見つめて動かず、青年が何を話しかけても反応が失くなったのだ。これが青年の師でなかったら拳骨を落としたいところだが、それは叶わない。何故ならこの初老の男こそこの大陸にて唯一の剣聖の称号を持つワイヤー・ビアンキその人だからだ。
青年の名はカテス。剣聖の数多の弟子の中に君臨する10人の高弟、世に"剣聖の十傑"と謳われる剣の達人達。その第10席にいる男だ。カテスは第3席のレネミーより「師がアマリアに向かわれたので至急合流せよ」との指示を受け、ここスタに着く寸前になんとか合流できたばかりである。勿論師の事情も目的も何も分からない状態だった。
ー ったくよー。任務が終わって暫く鍛練できると思ってたのによーなんだってんだ。師は何話しかけてもだんまりだし。この孤児院になにがあるってんだよ。こちらの殺気にも全く気付かない程度の男にガキども。はあ、帰りてえ。
カテスは師が動かなくなってから暇を持て余し、子供たちと一緒にいる黒髪の男に対し、殺気をぶつけて暇潰しをしていた。少しづつ殺気を強めていつ気付くのか試していたのだ。結果、まるで反応がない、つまり気付いてない。子供達に剣を教えている様だが、そもそも対した腕じゃない、とカテスは判断した。
「カテスよ、お主に頼みがある」
急に師に呼ばれて師の方を見たカテスはぎょっとした。師が泣いていたから。実は魔物かないかじゃないと思っていた師の涙にカテスは驚き、戸惑ったのだった。とは云え、この呼び掛けは師としてであり、弟子であるカテスは礼をもって応えなければならない。
「師よ、なんなりと」
「そうかそうか、持つべきものは優秀な弟子だな」
先ほどまで静かに泣いていた剣聖だが、カテスの言葉を受けて今度は上機嫌になった。こんな上機嫌な師は初めてではないだろうか、嫌な予感しかしないとカテスは思った。デフォルトが仏頂面なのだ。こんな晴々しい笑顔の師などまるで師らしくない。これが吉兆のはずがないのだ。そしてそのカテスの予感はすぐに正しかったと思い知らされることになる。
「孤児院にいらっしゃる銀の髪の御子様を丁重にお迎えせよ。よいか、くれぐれも丁重にな。傷一つ許すんじゃないぞ。もし御子様にかすり傷がひとつでもあろうものなら命がないと思えよ」
「は、必ず」
頭を下げながらもカテスは自身の予感の正しさにげんなりした。師なら本当にやりかねない。高弟なら全員知っているが剣聖は頭のネジが数本飛んでいるとしか思えないところがあるのだ。
しかし他国の孤児の少女を連れてこいとは穏やかではない。どの国でもそうだが、10歳未満の少女は養女に迎えることができない。巫女や聖女の可能性があるからだ。そんな事はカテスでも知っている。だから剣聖の頼み(命令)とは、拐ってこいとの意味だ。当然ながら少女を拐うのはリスクが高い。もし拐われたのが明るみに出ると直ぐに国境の関所は閉ざされるだろう。正規ではないがルートはあるにはある。大森林の中を突っ切って国境を超え、中立地帯に出るというものだ。カテス一人なら余裕だ。今までに何度もやってきた。しかし見るからに10歳にも満たない少女を連れてとなると、とたんに難易度は上がる。だが師の手前、カテスは「必ず」と答える他無かった。
「主に屋根の上に登ろうと言われた時は、とんでもない事をほざく男だと思ったが、お陰ではっきりとご尊顔を拝することができた。礼を言うぞ。さて、こうしてはおれぬ。お迎えする屋敷と部屋を整えなければな」
剣聖ワイヤーは梯子も使わずヒラリと屋根を飛び降り、しなやかに着地する。まるで重力など無かったかように。軽業師でもここまで自然な着地は出来いないだろう。剣聖の身体能力とその制御技術の高さが伺える。そしてそのまま早足で門の方に向かってしまった。屋根の上に残されたカテスは大きくため息をついた。
☆☆☆☆☆
「なんじゃ、カール坊がおるの。暫く見かけんと思っておったらこんなところで剣術指南とは。暇なのかの」
「どうにも縁があるな。嬉しいだろニース」
「言ってろアルジ」
剣聖達とは別の方向からBランク冒険者のアルジとニースもまた孤児院の様子を伺っていた。二人は魔物騒動後、無事に待機期間を明けて冒険者の日常に戻っていった。そんな彼らがまたスタにやって来て、こんな事をしているのには勿論理由がある。冒険者として依頼を受けたから、という訳では無く断れない頼みを引き受けたからからだった。そんな事情で密偵仕事をしている2人だったが、案外乗り気だった。
遠目が効くニースは直接、アルジは遠見の魔導具を使ってメアル達の様子を伺っている。さらにニースは自我を持たないごく弱い風の精霊を使役してカーライルの側に浮遊させていた。風の精霊を通じて会話を聞くのである。それに気付かないカーライルをニースは揶揄いたくなる。それになかなか面白い話を聞いてしまった。
「さてあの子がそうか。珍しい髪色だな」
「なるほどのう。納得いった。それに面白い話も聞けたしの」
「じゃあ、その話は後でゆっくり聞かせてくれ。ここは任せた。俺は周囲を見てくる」
「うむ。そっちは任せたぞ」
ニースが納得いくと言うのなら、あの少女にはそれだけの価値があるのだろう。ならば彼女を取り巻く環境をもっと把握しおくべきだ、とアルジは考えた。様子を探るのは、盗み見、盗み聞きが得意なニースに任せ、アルジは念のため周囲を警戒することにしたのだった。
その日の夜、宿屋の部屋でアルジとニースは報告と今後の打ち合わせをしていた。念の為かニースは風の精霊の力で防音し、二人の会話が部屋の外に漏れないようにしている。風の魔法(ニース曰く正確には風の精霊術とのこと)が使えるニースにとって造作もないことだった。
「ざっと見て回ったが怪しい気配は無かった。真剣に頼まれたから引き受けてはみたが退屈な仕事になるかもな。ま、まだ判断するには早いが」
アルジは周囲を見回った結果、今の所問題ないと判断していた。アルジは優秀な冒険者ではあるが、カテスの方が上手だったようだ。
「そうか、まぁ将来美人なる娘でしかないからの。拐ってまで手に入れようとまでは思わぬじゃろうの。周囲は」
「周囲は、か。ニースはさっき依頼に納得していたな。実際何があるんだあの娘に」
「アルジも見ただろうが、珍しい髪色だったじゃろ」
「ああ、初めて見る色合いだった」
「あれはアマリアの王家にしか出ない色じゃ」
「御落胤か」
「そうなるかの」
「ふーむ、確かアマリア女王には兄もいるな」
「正確にはいたじゃな」
「なる程、兄の忘れ形見を先の魔物騒ぎで見つけたって事か」
「加勢に来たのが騎士団長と王妹の聖女じゃなかったら見つけられんだったろうの」
「そうだな」
アルジは女王の妹であり、アマリア王国の騎士団長のパートナーの聖女フィセルナの真剣で切実な目を思い出していた。彼女は忙しい中、直接二人に会いに来た。彼女が真剣だったからこそ、今二人は頼みを聞いてここにいる。期間こそ長いがアマリア王家が約束した報酬も破格だったこともある。アルジとニースは善意だけで動くほどお人好しでは無い。
「女の子では10歳までは養子縁組もできないか」
「難儀な法律じゃ」
「アマリアだけに限ったことじゃないが、こればかりはな。なんにせよ聖女検査を受けたら養女にするつもりだろう。そこまでは守るさ」
「そうじゃな。じゃがそう思惑通りにはいかぬかもしれんぞ」
ニヤリと笑うニースは実に楽しそう。こういうときのニースは確実に何かを知っている。
「ニースは何を知っているんだ」
「うむ、アマリアの王家は兄の忘れ形見だから王族として保護しようとしておるのも事実じゃろうが、それ以上にあの嬢ちゃんの持つ色は特別なのじゃ。王家としては絶対囲いこみたいじゃろうよ。じゃのに特別だと知っていながら養女に迎えられると思うておる」
「どういうことだ。む? 先ほどニースは彼女の髪色が王家の色と言ったが、良く考えたらアマリア王家の髪に銀髪はないはずだ」
「アルジよ。やっと気付いたか。じゃがあの水色がかった銀の髪と、蒼い瞳はアマリア王家の色で間違いはないぞ」
「そう言い切れる根拠は」
「それは我がエルフだからじゃの。なぜかこっちでは伝え残っておらぬが、あの色は本当に特別なのじゃ。それにあの嬢ちゃんは我の放った精霊が見えていたようじゃ。きっとあの嬢ちゃんは聖女じゃ、それも特別の。じゃからフィセルナ殿は養子には迎えられんじゃろうよ」
「あの娘は聖女か。なら無理だな。聖女は国の宝、一公爵家ではどうにもならん」
「覆せるのは一人だけじゃが、この話はここまでしようかの。我らの考えることでは無いしの」
「確かに。で、その特別ってのはどう特別なんだ」
「聞いて驚けよ、あの水色がかった銀の髪と、澄んだ湖のような蒼い瞳は……初めの聖女様の色なのじゃ」
「はっ」
驚きの表情をまま固まるアルジ。驚くアルジをみて満足そうにニースは頷いた。固まったアルジが再起動するまで数泊の沈黙を要した。
「それは…それが本当なら確かにアマリア王家はなんとしても保護したいだろうな」
「こっちではアマリア王家が秘匿しているらしく、初めの聖女様については何かと伝わっておらぬようじゃし、知らぬ者にはただ珍しい色ってだけじゃ。だから単に美人じゃから拐われないようにって用心なのじゃろう。じゃが王家は表立っては動けぬからの、腕利き且つ暇な我らに頼むしかなかったのじゃな」
「なる程な。まあカーライルの奴が側にいるならそうそう事も起きぬだろうが」
「カール坊か。く、くくく」
「そういえば、奴はなんで孤児院にいるんだろうな」
「くくく。カール坊はのう。あの嬢ちゃんに頼まれて剣術を子供達に教えておるんじゃ。あの無愛想なカール坊がじゃぞ。しかもあの嬢ちゃんの言うことは何でも聞くようじゃ。くくく。あのカール坊が。ぷはははは」
二人がが知るカーライルは、けしてそんな優しげな人物ではない。口数は少ないし、愛想も良くない。なにより笑わぬ男なのだ。
会話を聞いていたニースは冒険者カーライルとあの場での優しげなカーライルとのギャップに笑いが止まらない。そんなニースを見ながらアルジも苦笑する。
「流石にそれは信じ難いな」
守るべき少女の色の真実より、優しげなカーライルの方が信じられないアルジだった。




