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アオイハルの、罪人ども  作者: ゼットン
二章 堕天使の、傲慢
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05 噓偽りのない、本音

 

 空を飛ぶ。


 恐らく、この行為に淡い憧憬を抱いていたのは僕だけではないだろう。


 翼を広げ、泳ぐように青空を飛び回る鳥を目にして、なんとなく自分も飛んでみたいなぁと思った経験は多くの人があるはずだ。


 はっきり言おう。ずばり、空を飛ぶロマンなんてものは――幻想である。


「――っ、あぁ……!?」


 大気を切り裂き、猛然と空を突っ切る衝撃に、僕は短い悲鳴を漏らす。

 イメージとしては夏に扇風機の風を顔で浴びるときの感覚に似ており、それの数十倍にもなる風圧が僕を襲う。ろくに瞼すら開かず、僅かに口の隙間さえあれば突風が入り込むものだから、呼吸すらままならない。


 そのため、冗談でもなんでもなく死にかけた僕だったが、七星がどこかの地上に降り立つことで、呼吸を取り戻す。


「っ、はぁ……はぁ……っ!?」


 喘ぐように酸素を取り込み、僕は咳き込む。


 涙すら滲むくらい苦しいが、どうにか助かったようだ。たっぷり時間をかけてコンディションを整え、ようやく状況の把握に努める。


 殺風景という一言があてはまる、荒廃した場所だった。


 割れて、薄汚れた地面。錆びて、朽ちた金属の柵。ところどころ生える雑草が僅かな彩りを添えるだけの、寂れた空間。頭上に展開する夕焼けの空があまりにも鮮やかなだけに、一層物悲しさが際立つここは、建物の屋上のようだった。


「は、廃ビルかなんかか……?」


「そう、買い手もなくて取り壊しすらされずにほったらかされてるビルよ」


 僕としては独り言のつもりだったのだが、親切にも捕捉が飛んでくる。


 声のしたほうを辿ると、錆びた柵に寄りかかる七星の姿があった。


「……なぁ、空を飛ぶの雑じゃないか? 危うく死にかけたんだが」


「贅沢言わないで。あのサキュバスにも翼がある以上、追いかけられる可能性もあったんだから、全速力で逃げるに決まってるでしょ」


「……まぁ、そうか。ごめん、助かった」


「まったくよ。堕天使だからか、この翼で飛行できる時間にも制限があるし。それにプラスして、人一人を抱えて飛空なんてするもんじゃないわね」


 お陰様で翼が凝るわ、とこれみようがしに翼を揉む七星。生憎僕には翼が凝る感覚は理解できないが、肩が凝るようなものだろうか。だとしたらファンタジックな見た目とは裏腹に夢のない代物だとまた一つロマンを打ち砕かれるなかで、七星が一息つく。


「ひとまず、逃げ切ったわね。あのまま追いかけられると思ったけど……」


「あぁ。七星にぶっ飛ばされて、起き上がったときには僕らが空を飛んでたんだろうな。視界に映らなくて混乱しているみたいだった」


「……混乱、っていうか……」


「ん?」


「……なんでもない。とりあえず助かったんだから、君は早く帰りなさい。あの子のことは、私に任せて」


「任せて……どうにかできるのか? サキュバスになった四葉は話が通じる感じでもなかった。……いや、そもそもなんで四葉が人間の状態とサキュバスの状態に切り替わるのかもわかんないんだ。そんな状況で、どうにかなるのか?」


 別段、七星を疑っているわけじゃない。ただ、サキュバスと化して暴走する四葉を目撃した身としては、今回の件は七星の手にも余る気がしたのだ。


「……なら」


 すると、七星の瞳が細くなる。僕を敵視するように強い眼光で睨み据えて、言う。


「君が、助けてくれるの?」


「……っ」


「優へのいじめを見て見ぬ振りして、見殺しにしたひとりである君が、助けてくれるのかって聞いてるのよ」


「そ、れは」


 思いがけない点を突かれて、僕は答えあぐねる。そうだ。僕は……。


「私があの子……四葉うららをマーキングしていた理由は、あの子が有名な問題児だったからよ。たとえ他人の彼氏であろうと、男なら誰彼構わず誘惑して、自分の物にしてしまう悪女。教師にまで手を出しているっていう話で、学校中の女子からは嫌われ、男子からは都合のいい女として見られている。まったく罪人に相応しい子よね」


「……」


「そんな彼女に関わること自体、世間体と他人からの評価を気にする君にはリスクなの。それでも、私に協力してくれるっていうの?」


 あえて僕――六月透が一番に忌避したがる事態を教える七星翔子。試すような口振りから、僕という人間が協力相手に見合うかを見定めているであろう七星を前に、僕は黙考する。


 そうだ。こんな面倒なこと、なかったことにすればいいんだ。堕天使になった七星とサキュバスになった四葉と出会ったことは悪い夢だと切り捨てて、またいつもの日常に戻ればいい。


 三枝がいて、長谷がいて、桜庭がいて、水野がいて、成田がいて。空気を読んで、顔色を窺って、キョロキョロと忙しなく周りを見渡す、毎日に。あとはあの屋上にさえ行かなければ七星には会うことはないし、時折出現する四葉の手錠も無視すればいい。


 たったそれだけのことで、僕の平穏な生活は保証される。


「……そうだな」


 なにを悩んでいたんだ。堕天使やサキュバスなんていう存在に頭がパンクして、大切なものを見失っていた。冷静に考えれば、どう立ち振る舞うことが正解かは明らかだろうに。


「悪いけど、手伝うことはない。今回のことは僕には無関係だったってことで、よろしく」


「……そう」


 七星の瞳が失望の色に満ちる。落胆するように肩を落として、笑う。


「まぁ、そうよね。君は……君たちは、そういう人間だもんね。昔、人は変わることはできない、だからあるがままを受け入れてあげるんだよって優は言っていたけど、私はそう思わない。人は変えれる。変わることができる。だって、優が私を変えてくれたんだから」


「……」


「私は、他人に合わせない人間よ。空気を読まず、自分の意思を突き通そうとする人間。成績優秀だとか容姿が端麗だとかで憧れの対象ではあったはみたいだけれど、私と対等な友達になろうとする人間はいなかった。でも、優は違った。私みたいな人間であっても受け入れてくれた。私には……優と同じことをできる自信はない。それでも、四葉うららを変えてみせるわ」


 確固たる決意を宣誓する七星。一種の挑戦状にも聞こえるそれに、僕は肩を竦める。


「そうかい。まぁ、精々頑張ってくれ」


「……君なんかに言われなくても、頑張るわよ。精々、君は変わることなくあの窮屈な世界で生きていくのね」


 互いに憎まれ口を叩いて、僕たちは背を向け合う。そして僕は足を踏み出し、七星は翼を開いてそ

 れぞれの道を行く。


 ……これでよかったんだ。僕はいつもの日常を、七星は自分の意思を守るために生きている。なら

 その道が交わらないのは当然で、歩み寄る必要も義理もない。


 あとは別れればこの話は終わり。さようならと七星と別れる僕の足は、動かない。


「なんでだよ」


 どうして、動かないんだ。この期に及んで、僕はまだ迷っているのか。


『……そんなの、おかしいよ。なんで、お兄ちゃんはわたしの味方をしてくれないの? 昔は、絶対味方してくれたのに』


 明の訴えが、魂を揺さぶる。


『優へのいじめを見て見ぬ振りして、見殺しにしたひとりである君が、助けてくれるのかって聞いてるのよ』


 七星の問い掛けが、胸を刺す。


『六月君……たすけて』


 二条が、助けを求めてくる。


『ぼくもヒーローみたいになりたい!』


 幼い僕の無垢な願いが、記憶の彼方より聞こえてくる。


「……ちくしょう!」


 叫び、僕は踵を返す。腹にムカムカと溜まるやり場のない苛立ちをバネに地面を蹴って、飛翔間近の七星の腕を掴む。


 ちゃらりと、七星にかけられる漆黒の手錠が揺れた。


「な、なに!? 離しなさい!」


「……う」


「は?」


「僕も、手伝う。僕も四葉を……助けるのに協力する」


「……どういう風の吹き回し? まさに今、断ったばかりじゃない」


「気が変わった。だから、協力する」


「ふざけないで。そんなの信用できると思う? 結構よ。私ひとりで、なんとかするもの」


 僕の言葉には聞く耳持たず、七星が掴む手を払い落そうとする。


 無論、七星の反応は正しい。


 以前から僕はそういう人間だ。本音を抑えて、本性を押し殺して立ち回ることを正しいとしてきた人間だ。加えて、僕を試す七星の問い掛けにも応えようとしなかったのだ。ふざけるなと一蹴されても仕方ない。


 それでも、僕が手を離すことはない。


「……そういうところが、ダメだったんだろ」


「ちょっと、君いい加減に――」


「お前のそういうところが、ダメだったんだろうが! 自分にはできる。自分にはやれる。いじめに遭っている二条を救うことができるって。その傲慢があったから、二条を救えなかった!」


「……言葉には気をつけなさい。私が馬鹿正直な女なのは知っているでしょ? 君を殺したいと思えば、すぐにでも殺すわよ?」


「やればいいだろ! そうやってまた一人になればいい! 一人で勘違いヒーローでも気取ってればいいさ」


「……君ね」


「でも、お前は変わるんだろ!? 傲慢な自分から! お前を堕天使なんかにした奴がどうしてお前の贖罪に人助けを選んだのか、なんとなくわかった。人を助けるなんてこと、一人でできっこないんだ。必ず他人の力を必要とする。自分の信条を曲げて、自分のなにかを犠牲にしてでも他人と協力しない限り、人を助けることなんてできない。それはお前が一番知ってるだろ? 七星」


「――っ」


 七星が、動揺に身を硬くする。瞳をぐらつかせて、唇を噛んで。僕の手を振りほどこうと暴れていた腕から力が抜ける。


「……変わりたいって……心のどこかで、思うんだ。いじめに苦しんでいる子を助けずに、保身だけを考えて動くような人間から……抜け出したいって。いまでも、思い出すんだ。放課後の下駄箱で、僕はずぶ濡れになった二条と出くわして……。最初、二条はトイレに入ったらバケツの水をかけられちゃったって笑ってたけど……次第に泣き出して。僕に、『たすけて』って言ったんだ。でも、僕は黙って二条の隣を横切った。……あのとき、もし僕が手を差し伸べられていたら……二条が死ぬことは、なかったのかなって」


「……だから、屋上に……」


「僕は、嫌なのかもしれない。そんな自分が死ぬほど嫌いで……でも、すごく臆病で弱いんだ。もし、自分が二条みたいな風になったらって思うと……怖くて、身が竦む。だったら見て見ぬフリをしたほうがずっと楽で安全で……。それが正しいって、自分の臆病さを正当化していた。そうやって僕は生きてきたから、定着した価値観は直せないかもしれない。もしかしたら、結局変われないかもしれない。やっぱり僕には無理だって、七星に協力することを投げだすかもしれない。それでも、僕は変わりたいって……本気で、思ってる」


 嘘偽りのない、自分の本心。


 普段、屋上で吐き出している負の感情の本心ではない。それよりももっと愚かで身勝手で、いつもの

 僕なら絶対に唾棄するであろう、心の恥部。それをぶちまけて、僕は七星の腕を引き寄せる。


 中途半端に宙に浮いていた七星の足が、地面につく。


「六月くん……君、相当メチャクチャなこと言ってるわよ? 変われるとははっきり言えず、ひょっとしたら変われないかもしれない。全面的に私に協力はできないけど、変わりたいって思うから協力をする……って」


「あぁ。それが……僕の、本音だ」


 自分でも呆れる。こんな我儘、地団駄を踏んでおもちゃをねだる子供と大差ないじゃないか。取り付く島もなく拒まれるに決まっている。


 しかし、数瞬後に七星が起こしたリアクションは――


「ぷっ……あはははっ」


 爆笑だった。腹を抱えて、可笑しくてたまらないといったような。


 こんな七星の顔は初めて見るので、僕は拍子抜けしてしまう。


「普段、なに考えてるかわからなくて、浮かべる笑顔も胡散臭いから食えない奴って印象だったけど……意外と下らない人間だったのね。子どもみたいで、馬鹿みたい」


「なっ、ば、馬鹿って……お前なぁ!」


 言っていいことと悪いことがあるだろ! と叫びかけて、七星がどういう人間かを思い出す。そうだ、こいつは馬鹿正直な女だった……。


 遅れて、七星に笑い飛ばされた自分の発言についての羞恥心が全身を駆け抜け、僕が七星の腕を離そうとしたときだった。


 今度は七星が僕の手を取って、捕まえる。


「……でも、知らなかった」


「……なにを?」


「君が、優の件を悔いていたことなんて、知らなかった。ずっと、私は他人に無頓着で冷血な、薄情な人間だって思ってた」


「……実際、その通りだけどな」


「そうかもしれない。でも、後悔している気持ちがあるなら、変わることはできる。心のある人間なんだって思える。だから、いいわよ。君を信じるわ」


「いい、のか?」


「狡猾で小賢しい奴よりかは、臆病で我儘なバカのほうがマシよ」


 それに、と七星が続けて、


「私も、他人に歩み寄る必要性を……知ったから。じゃないと、君の本心を知ることもなかったもの」


 小さな声で呟き、七星が柔らかく微笑む。そんな七星の表情が新鮮で、不覚にも僕の心臓が跳ねる。


「そ、そっか」


「えぇ。だから……その、よろしく……六月くん」


「お、おう。よろしくな」


 ぎこちなく挨拶しあって、僕たちは黙りこんでしまう。


 夕陽が地平線に沈み、亀裂が走るコンクリートに映る二つの影が絡む。耳が痛くなるような静寂が降りて、僕は七星の瞳に吸い込まれる――ところで、不意に音が鳴り響く。


 ぐぎゅるるというその音は、アニメやコメディ映画で登場するような腹の虫であり、目の前の七星の顔が、真っ赤に染まる。


「ね、ねぇ……六月くん。協力関係になってさっそくで悪いんだけど、ご飯……ご馳走になってもいい?」


「はい?」


「私、両親とは別居していて……一人暮らしで。この身体にされてから一週間、買い物にも行けないからなんとか家にある備蓄で賄ってきたんだけど、限界来ちゃって……」


「……あぁ、なるほど。うちは、いいけど。どうせ両親帰るの遅いし、妹も……まぁ大丈夫だから。その姿は、誰にも見られないし」


「ほ、ほんとう? なら、お願い……します」


 こうして、僕と七星は手を結ぶ。


 周囲の顔色を窺って、空気を読んで同調する人間と、周囲には目もくれず、自分の意思を押し通す人間。互いに忌み嫌い、決して交わらないはずの人種同士での関係が築かれる。

 ……まぁ、最初の協力内容は、思っていたものとは違ったけれど。




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