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アオイハルの、罪人ども  作者: ゼットン
プロローグ
1/28

六月透の、供述〈前文〉

 

 この度は、大変な騒動を起こしてしまい、すみませんでした。


 自分が起こしたことの重大性は、理解しています。その上で、どうしてあのようなことをしたのか。その経緯について説明するため、僕の持論について言及させてください。


 僕は、ヒーローが嫌いでした。

 

 ただし、画面の向こう側で跳梁跋扈する悪を倒し、活躍するヒーローではありません。ここで僕が指すヒーローとは、自分自身にもヒーローと同じ才覚、能力があると過信して正義感を振りかざす輩のことです。

 

 虚構(フィクション)とは違って、現実(ノンフィクション)において悪を正すことは難しく、例え万人が見ても悪としか映らない場面に遭遇したとしても、多くの人が損得を勘定します。

 

 自分がそこに異を唱えたとして、自分はどうなるのだろうか。他人には? 自分を取り巻く環境にはどんな影響が及んでしまうのか。冷静にそれらを精査して、結果として多くの人が損をするという結論に至ると考えます。

 

 僕はそれを恥ずかしいことではないと思います。自分や自分の大切なものを守るための行為であって、決して非難される謂われはないからです。

 

 しかし、いつの場合も例外は存在します。

 

 眉目秀麗で成績優秀、運動神経抜群。他人と同調せずとも、人並み外れた才能を発揮する人は、あるていど好き勝手に行動しても非難されることはありません。僕の知り合いがそれに該当する人物で、その人はある悪を看過することができず、正義を為そうとしました。

 

 しかし、どんなに優秀な人間であっても不特定多数が生み出した悪を成敗することはできず、その人は失敗し、大きな過ちを犯しました。

 

 それを傍観していて、僕は確信しました。あの人ですらもヒーローにはなれない。ならば身のほどを弁えて振る舞うことこそ、現実世界における正しいことなのだと。

 

 そう、思っていたんです。

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