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ステ振り間違ったので冒険者やめてNPCになります。  作者: 黒田皐月
第一章 NPCやめて冒険者になります?
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第六話

 目が覚めると部屋には日の光が差しこんでいた。これならばもうろうそくの灯りは要らない。火を消そうとベッドから出た最初の一歩で、床がきしむ音を立ててしまった。

「あ……おはようございます」

 その音で目を覚ましてしまったのか、蒼玉が慌てる様子もなくベッドから起き上がった。その声で目が覚めたようで、他の三人も続々とベッドから身を起こす。

「起こして悪かったな」

「悪かったって言われてもねえ、もう朝でしょ。もしかしてアキト、寝ぼけてる?」

「そう言えばこいつ、昨日も寝起きが悪かったな」

「いや、そんなことはない」

 勝手にそういうことにされては困る。俺は不必要なくらいにはっきりと断言して、ろうそくの火を吹き消した。早速黒猫がろうそく立てからろうそくを引き抜いて、元の燭台に戻す。

 黒猫がろうそく立てを片付けるのを待って食堂へ移動するために部屋を出ると、ちょうど廊下に出てきた店主と鉢合わせそうになってしまった。

「おっと。飯、できてるぞ」

「はい。それと、また水筒に入れる水をください」

 会ったついでに水を頼んだので、俺たちも水筒を取りに一度部屋へ戻ってから食堂に出た。そのやり取りが聞こえたからか、昨日の二人も食堂に出てきて、昨日と同じように隣のテーブルについた。

「おはよう。本当に早いね」

「何となく」

 どう答えたらいいかわからずに、それこそ何となくそれだけ答えた。それに今日は急ぐ必要もないので、本当に何となくだ。

「昨日あれだったってことは、今朝はあれが食えるぞ」

 楽しみそうにそう言ってくれたが、何のことかわからない。返事に困ってみんなを見回してみたが、あんな言い方でわかった人は誰もいないようだった。

「待たせたな。水は後で持ってくる」

 店主が運んできたのは昨日の煮込みの汁を使ったらしい粥と、肉の切れ端を焼いたものだった。

「やっぱりな、これがまたうまいんだ。とにかくまず食え」

 勧められるままに一口すする。

「これは、うまい」

「だろう?」

 ロンの感嘆の声に、二人はまるで自分のことのように自慢げに言った。二人のところにも同じものが運ばれてきたところで、おしゃべりよりも大事とばかりにしゃべるのをやめて粥に口をつけた。

「さすがにおいしい煮汁で作った粥は違いますね」

 熱いのが苦手で息を吹きかけて冷ましていた黒猫が遅れて感想を口にしたのだが、その時にはみんな食べるのに夢中で、誰もそれに答えなかった。

「そうだな。昨日の腸詰めとは違って、手間はかかってなさそうだけどな」

 放っておくのもちょっと寂しそうだったので、遅れてしまったが声をかけてみた。

「おいしいにもいろいろあるんですね」

 まだ熱いのか、息を吹きかけていた黒猫が嬉しそうに俺に笑いかけた。そこへ店主がやかんをもってこっちに来た。

 手間がかかっていないと言ってしまった俺に文句のひとつもあるかと冷や冷やしたが、おとがめはなかった。その代わりか、愛想もなかったが。

 しゃべるのを忘れて食べてばかりいたので、熱いのが苦手でなかなか食べるのが進まない黒猫以外の四人が食べきるのは早かった。まだ食べ終わっていない黒猫の水筒にも、二本とも水を入れておいてやる。

「ん、ありがとうございます」

 ようやく黒猫が食べ終わった頃、隣の二人も食べ終えていて、先に席を立った。

「じゃあな。また会うことがあったら仲よくしようぜ」

「ああ。西で会った時は、よろしく」

 今は名前を聞くほど親密ではないが、同じ味を知る者同士、通じ合えそうな気がする。それぞれ自分たちの部屋へ戻り、身支度をして店を出た時には、もう向こうは出発した後だった。

 店主に笑顔で送り出されて通りへ出る。今日も空は明るくて、路地から人が出てきてはめいめいどこかへ歩いていく。

「行こう」

 町の中心、ここからだと南へ向かう人は多いが、逆に北へ向かう人は少ない。しばらく人をよけながら歩くことになったが、ギルドを過ぎるともうそちらに用のある人はいないのか、人通りそのものがほとんどなくなる。

 昨日のことがあって警戒をしているのだろう、北の門には先日とは違って警備隊の姿があった。その目は外に向けられていて、俺たちが町から外へ出るのを止めたりすることはなかった。

 しばらく歩くと木立が見えてくる。そこでロンが足を止めて後ろを振り返った。

「どうした? 何かやり残したことでもあるのか?」

 何が気になっているのかまったく想像がつかなかったので、変な聞き方になってしまった。やり残しも何も、ロンはウェスタンベースに来たのは初めてなのだ。

「誰も通らないなと思ってさ。誰も行きたがらないくらい噂になってるんだろうな。そんな所、本当に大丈夫なのか?」

 噂が噂を呼ぶとは、こういうことなのかもしれない。不安に思ったら避けたくなるのが普通の感覚だろう。俺の何かがしたいという欲でみんなをこんなところに引きずり込んで、本当にいいのか。

「今さら怖気づいたの? 行くよ」

「そんなんじゃないさ。それだけ大物ならやりがいがあるってことだ」

「ふーん」

 レイナに軽くあしらわれて機嫌を損ねてしまったのか、ロンは先に立って歩きだした。頭の中がぐるぐる空回りしていた俺は、置いていかれそうになって慌てて小走りで追いついた。

 木立の中に入ると道は登りにさしかかってくる。まだこの辺りは道がはっきりしているので、ロンに先頭を歩かせておいていいだろう。一度遅れかけた俺は、何となくいつもパーティの後ろの方を歩く蒼玉と並んで歩いていた。

「変ですね」

 しばらく周りを見回していた蒼玉が、俺の方を向いてそう言った。俺は無言のまま、視線を蒼玉に返して続きを促す。

「中に入るほど木がまばらになるなんて、見たことありません。それにまるで生き物がいないようです」

 俺が最初に不審に思ったのは、村を過ぎてさらに登ってからだった。さすがと言うか、よく見ている。

「これが、毒のせいだということですか?」

「そうらしい」

「その病大虫は、もう近いのですか?」

「いや、この先の村を過ぎてさらに登ったところにいる」

「遠くても影響があるということは、ものすごく強い毒なのでしょう。村は大丈夫なのですか?」

 蒼玉の言うことには筋が通っていて、心配はもっともなことだ。その村を、俺は何日も放ってしまっている。もしもその何日で大変なことになっていたら、それは俺のせいだ。その想像が怖くなった俺は、返事どころではなかった。

「まあなんとかといったところでしょう。何ともないなんてことはありませんが、みんな毒にやられてるってほどでもありません」

 頭の後ろあたりが冷たいような気がして答えるどころではない俺に代わって、俺と蒼玉の間に入りこんできた黒猫が答えた。それから俺の顔をのぞきこむ。俺が黙ったままでいることに不思議そうな顔をして、それでもずっと俺のことを見ている。

 俺の不安を人に押しつけてはいけない。でもそうやってずっと見つめられていると、つい俺の目も黒猫に吸い寄せられてしまう。

「本当に大丈夫なのか? この前はよくても今はダメとか……」

 こらえきれずに言ってしまった。

「みんなそれぞれがんばってます。だから大丈夫です」

 また黒猫に甘えてしまった。しかも蒼玉たちのいるところでだ。

「もうすぐ村に着きます。見ればわかりますよ」

「そうですね」

 黒猫の言葉に蒼玉が答えて、思わぬ声に俺はうつむいていた顔を上げた。横を歩く蒼玉、前を歩くロンとレイナを順に見回したが、ただ歩いてただしゃべっているだけのようで、俺のことを気にしている様子はない。そのことに俺は深く安堵した。

 最後に黒猫の横顔を盗み見るとすぐに気づかれたようで、一瞬だけ目を細めて笑って見せたのだった。

「あ、家だ。でも一軒だけ。まだ村じゃないの?」

 ロンと並んで歩いているレイナが薬屋を見つけて声を上げた。

「それは薬屋だ。村のはずれまで来たな」

 さっきまでの不安を誤魔化すように、ちょっとわざとらしく声を上げた。

「ホントだ。向こうに何軒か見えてきた」

「これだけか? 小さい村だな」

 セントラルグランやウェスタンベースと比べると、そのほんの一角程度でしかない。そんな小さな村なのだが、よく見ると見覚えのないものがある。家並みの向こうはそのまま木立だったはずだが、その間に目の前の畑にあるものと同じような柵が見える。

「おう、珠季か」

 畑から声をかけてきたのは、先日ウェスタンベースで熱を出して寝込んでいたというあの村人だった。すっかり元気になったようだ。そしてそのことは、黒猫が村は大丈夫だと言ったことの証明でもあった。

「調子は、どうですか?」

「おかげさまでよくなったよ。そっちも、戻ってきてくれたんだね」

「はい」

 村が無事なことがわかって安心した俺は言葉に詰まってしまい、遅くなった詫びも何も言えなかった。

「あっちの柵は、みんなで作ってるんですか?」

「ああ、少しずつな。これでここも少しは町っぽくなるか?」

「そうですね」

 そんな俺をよそに、黒猫と村人の間でお互いの近況などの話をしていた。

「今から行くのかい?」

「いえ。今日は準備とかして、明日行こうと思います」

「そうか。皆さん、どうかよろしくお願いします」

「はい」

 黒猫にではなく俺の方に向き直って頭を下げたので、俺も短い返事と共に軽く頭を下げた。

「ぼく、サンプル用の空瓶を薬屋さんからもらってきますので、ちょっとここで待ってもらえますか?」

 畑を過ぎて共同井戸まで来たところで、黒猫が足を止めた。

「だったら俺は村長に挨拶してくる。みんなはここで待っててほしい」

 村が無事なことを見てようやく、挨拶をしなければ失礼だろうと気づいた。そんなずるい自分が、嫌になる。

「私たちもご一緒しましょうか?」

「いや、今はただ挨拶だけだから、大勢で行っても迷惑だろう。すぐ戻るから待っててくれ」

「それならぼくと一緒に薬屋さんに行きましょうか」

「そうします。後でここで落ち合いましょう」

 黒猫たち四人は、今来た道を引き返していった。俺だけ一人逆に歩き、村長の家に入った。今度もすぐに村長に会わせてもらえた。

「戻ってきてもらえましたか」

「遅くなりました。そちらは、どうでしょうか」

 さっきの村人から聞いてわかっているのにそれを聞くのも、いかにも気遣いを見せていますと主張しているようでずるいと思う。

「毒は相変わらず流れてくるようで、こちらも少しは抵抗しようと動物よけの柵なども作ってみていますが、結局あなたにお願いするしかないようです」

 他の誰かに依頼しようにも、誰も来ることはなかったようだ。

「ですが、お一人ですか? 珠季が一緒だったはず」

「珠季は今薬屋に行っています。それと他に三人連れてきています。それで、今日は村に泊めてもらって明日行こうと思います」

 俺一人だけということに不安を感じるのは、当然だろう。俺はこちらの状況を簡潔に話した。

「そうですか。重ねて、よろしくお願いします」

「はい。今日は挨拶に伺っただけですので、これで失礼します」

 依頼を果たせていない依頼主と長く顔を合わせているのは、居づらい。俺は言うだけ言って村長の家を辞した。

 井戸まで戻ると、黒猫たちが待っていた。ひと休みといった様子で、レイナが井戸の水を汲んで飲んでいた。

「どうでした?」

 真っ先に黒猫がこちらの様子を聞きたがった。

「改めて頼まれたよ。そこまで俺のことを信じてもらえてるなんてな…」

 一度は依頼に失敗した俺だ。そんな俺でも信じるということは、そうしなければならないほど苦しいということだろう。

「毒が酷いって噂を聞いてもこんなところに来る物好きなんか、他にいないってことか」

「そうだな」

 ロンの言うとおりだ。だから俺が、違う、俺たちがやらなければならない。

「山へ行きましょう。サンプル持ってくる約束で先に解毒薬をもらっちゃいましたので」

 言うなり黒猫が村の奥へ向かって歩きだした。

「あ、これアキトさんの分です」

 すれ違いざまに解毒薬を手渡された。

「信じてもらえてるんですよ。大丈夫です」

 同時に、俺だけに聞こえるくらいの小声でささやいたのだった。


 木立の手前に立てられた柵は、山へ入ることを考えているのか、道らしいところだけ開けられている。そこを通って木立の中に入っていく。

 一度入ったことがあるとは言え、俺も山のことはほとんどわからない。黒猫に行く先を任せて、俺はまた蒼玉と一緒に後ろを歩いていた。怪物を警戒しているのか異様な様子を見ているのか、蒼玉はちらちらと周りを見回している。

 木々は密生しておらず葉も生い茂るほどではないので、日の光が届き、陰に隠れて見落とすこともそうそうなさそうだ。そして物音がないので、何かが動けばすぐにわかる。

 地面を蹴立てる音が耳に入ってそちらを向くと、いた。こちらに向かって猛然と駆けてくる。

「来るぞ!」

「コボルトが、一体だけで?」

 俺は一声叫んで剣を抜いたが、セントラルグランの周りにいるコボルトしか見たことがないロンたちにはこの状況が信じられないようで、反応が遅れた。

 隙とかそんなことなど一切構わず、コボルトはただ突っ込んでくる。俺がかわせば誰かがまともに攻撃を受けてしまう。やむなく振り下ろされた爪を正面から盾で受けた。それでもコボルトは止まろうとはせず、さらに前のめりになって俺の肩にかみつこうとしてきた。

「マジックショット!」

 かわすにかわせず、剣で受けるなり払うなりも間に合わず、やられるかと思った時、コボルトは横から黒猫の魔弾を受けて吹っ飛んだ。だが倒れはせず、すぐに体勢を立て直してしまう。そこで足を止めて、うなりを上げた。ロンたちもようやく、構えを取った。

「何これ…気持ち悪い」

「ええ……」

 レイナのつぶやきに、蒼玉も戸惑ったような声で答えた。それはそうだろう。毛並みなどとは言えないほどぐしゃぐしゃ、絶えず荒い息をしながらよだれを垂らしているその姿は、どう見てもまともな生き物ではない。

 今怯えを見せているこの二人が狙われたら、攻撃をかわすことができないかもしれない。コボルトが動きを見せるかを慎重に見ながら、俺はコボルトと二人の間に入った。

 間合いに入ったと見たのか、それに合わせてコボルトが飛びかかってきた。後ろにレイナと蒼玉をかばっている俺は、再び盾を構えた。

「ストーンショット!」「ブランチビート!」

 だがコボルトの爪が俺に届く前に二人の魔法が放たれた。下から石に打たれ、上から枝に叩かれて、コボルトはもんどりうって倒れた。

「もらった!」

 それでもコボルトはまだ起き上がろうともがいていたが、俺より先に飛び込んできたロンの槍に貫かれてようやく動かなくなった。

 俺が指に剣を突き立てて爪を落とし、黒猫がそれを空瓶に入れる。まずはひとつ、サンプル採取だ。

「狂乱コボルトって…これ本当にコボルトなの?」

 黒猫はサンプル採取でまだしゃがんでいるので、俺が聞かれることになる。

「毒が回るとこんなに狂っちまうんだそうだ」

「本当に、狂っているのですね。だから群れて行動しないし、恐れて逃げることもないし、躊躇がないから力も速さも全力以上のものが出せる、ということでしょうか」

「こんなのが群れで取り囲んでこないだけ、マシだってことか」

 そういう見方があるのかとちょっと感心したところに、さらにとんでもない問いが飛んできた。

「これに解毒薬を飲ませたりしたら、普通のコボルトに戻るのかな」

 驚いたのは俺だけではなかったようで、蒼玉とロンまでもがそれを言ったレイナの方に振り向いた。

「やってみようとは言わないよ。解毒薬がもったいないし」

 無言で注目を浴びて居心地の悪さを感じたか、レイナは手を振って否定した。

「まあ無理でしょうね」

 答えようのない話に全員が黙ってしまう中、サンプルの瓶を革袋にしまった黒猫が立ち上がりながら答えた。

「人の場合ですが、あんなに暴れ狂うようになったらもう手遅れだそうです。多分、コボルトも同じでしょう」

 黒猫が歩き出したので、また黒猫を先頭にして山を登っていった。

「コボルトがこんなだということは、病大虫はもっと酷いのですか?」

 隣を歩く蒼玉が、珍しく俺に話しかけてくれた。

「いや。あいつは毒を出す側だから、狂ったりはしていない。そこは普通だな」

 だがせっかくのことなのに話を継ぐことができなくて、それきりとなってしまう。未練がましく蒼玉の横顔をちらりと見たが、その注意はもう周囲へと回ってしまっていた。

 何か、臭いにおいがする。それが確信に変わった時、黒猫が足を止めた。動物のような茶色い何かが、転がっている。

「死んでるのか……? 何だこれ!?」

 槍を構えて近づいたロンが、裏返ったような変な声を上げた。そこにあったのは、血を流したコボルトの死骸だった。それだけではない。その体には爪でひっかいたような傷がいくつもある。

「同士討ちなの…?」

 同種の怪物同士でそんなことが、あり得るのか。

「そうかもしれませんし、あまりに苦しくて自分でひっかいたかもしれません。どちらにしても、そんなになるまで狂ったということでしょう」

 みんなが遠巻きに見ている中、黒猫は躊躇なく近づいて、丸まった毛玉を空瓶に入れた。倒してからサンプルを取るのもすでに死んでいるものからサンプルを取るのも、同じことだというのだろうか。

「よく平気だな、お前」

 平然としている黒猫に、呆れたようにロンが言った。死骸から離れる黒猫を半歩下がってよけたのは、気味が悪いと思ったからかもしれない。俺も最初はそう思ったが、あまりに平然としている黒猫を見ていて慣れてしまったのだろうか、今はそんなに怯えなくてもと思ってしまう。

「動物をさばいて食べるのと大差ないですよ」

 真顔でもなく笑うでもなく、力を抜いたような表情で、黒猫は答えた。俺は慣れてようやく平気になったが、黒猫にとってはそれ以前に当たり前のことなのかもしれない。そこに差を感じて、また黒猫のことがわからなくなる。

「同士討ちだとしたら、近くに別のコボルトがいるのではありませんか?」

 蒼玉の問いに黒猫はすぐには答えなかった。足元を見て、何か考えている様子だ。危険でもあるのか。

「足跡がぐちゃぐちゃで、わかりません。いないとも言えないので、蒼玉さんの言うとおり、気をつけた方がよさそうです」

 気をつけろと言いながら、自分は緊張感のない様子だ。そんな黒猫を先頭に死骸を離れたのだが、今度は登る方向ではなかった。

「そっちに何かがありそうなのか?」

 方向を変えたことに、ロンが疑問を呈した。

「いえ。あまり登ると帰りが大変かなと思って、適当に」

「全然道とかないけど、帰りは大丈夫なの?」

「はい。この辺ならばだいたいわかります」

 黒猫がこの山に慣れているのはわかっているが、何の目印もなさそうな山の中でどうやって自分の位置を把握しているのかはまるでわからない。特に何かを見ているようにも見えないが、俺が気づいていないだけなのだろうか。緩い風に背中を押されながら歩いていく。

 しばらく歩くと、水の流れる音が聞こえてきた。木に遮られてまだ川は見えない。その前に見えたものがあった。

「二体か。俺とレイナで一体やるから、アキトはもう一体を頼むぜ」

 ロンがそう言い捨てて、片方のコボルトに向かって走った。真っすぐ突き出した槍は、かわされてしまう。

「ウィンドショット!」

 コボルトの次の行動を読んだようにレイナが魔法を放ったが、コボルトはロンを襲わず、さらに離れた。俺に向かっているもう一体も、急角度に走る向きを変えた。陽動か?

「くぅっ?」

 狙われたのは黒猫だった。魔弾を放とうと上げた手を下ろし、軽く右左に跳ねて攻撃をかわす。しかしコボルトもさらに挟み撃ちにするように黒猫だけを狙い続けた。

「動きが早い……」

 杖をかざしている蒼玉だが、黒猫に当たってしまうことをためらっているのか魔法を使うことができずにいる。俺は剣ではなく、盾を構えて走った。向こうからロンが同じように駆けてくる。そのロンが、顎をしゃくって見せた。それにうなづいて見せた俺は、走る速度を落とさずに狙いを変えた。

 互いに黒猫を通り過ぎて、その向こう側から黒猫を狙っているコボルトに突撃する。それは向こうの意表を突いたようで、コボルトは俺の盾に跳ね飛ばされた。すかさず黒猫が足を狙った魔弾で転倒させ、さらにレイナの魔法が追い打ちとなって、それきり動かなくなった。

 もう一体は、ロンと激闘を繰り広げていた。次々と繰り出される爪をロンが槍ではねのけ、隙をめがけて突き出される槍は跳躍でかわされる。

「ブランチビート!」

 蒼玉の魔法が横からコボルトを襲ったが、それもかわされて逆に飛び込まれてしまう。

「待ってたぜ、それを!」

 しかしロンが横に振り抜いた槍の柄が横っ腹を強打して、コボルトは見事に吹っ飛んだ。起き上がる間もなくロンの槍に突き刺され、絶叫を最後に動かなくなった。

「これ本当にただのコボルトなのかよ。リーダー並みに強いぞ?」

「そう言う割には、一人で渡り合ってたじゃないか」

 リーダー相手にはレイナと二人がかりでも苦戦していたことと比べれば、その言葉は言い過ぎに聞こえる。

「俺も強くなってるってことさ。敵の強さもわからないほど間抜けじゃない」

 自慢げに笑うロンの脇で、黒猫がサンプルを採取していた。自分一人が狙われて大変だっただろうに、何事もなかったかのようだ。

「大丈夫か?」

 瓶を革袋にしまった黒猫に手を差し伸べたが、黒猫は俺の手につかまることはせず、一人で立ち上がった。

「そろそろ村へ戻りましょう。その前に川で手袋を洗っていきたいのですけど」

 それは拒絶などではなくて、毒に触れた手で俺に触ることを嫌ったのだった。音がしていたように川はすぐ近くにあって、黒猫は手袋ごと流れに手を浸してこすり洗いをした。

「そんなことをしたら、手袋が固くなってしまいませんか?」

「はい。手袋でいろいろ触るから、どうしてもこうなっちゃうんです。だからしょっちゅう買い替えています」

 革の手袋をしている割にはよく手先で細かいことができるものだと思っていたのだが、薄手の安いものだからだったのだ。黒猫はその手袋を手から外して、軽く絞った。

「お待たせしました。行きましょう」

 さすがに濡れたままの手袋をつけることはせず、手に持ったまま黒猫は歩き出した。また違う方向に向かっているらしく、さっきとは景色が違うような気がするが、相変わらずよくわからない。日が傾いてきたからそう見えるだけかもしれない。

 本当はどうだったのか、ともかく空が赤くなりかけた頃には俺たちは村に戻っていた。この村の宿屋は共同井戸の近くにあるのだが、それを通り過ぎて薬屋に入った。

「ああ、アキトさん。ご無事で」

 さっきはいなかった俺の顔を見つけて、薬屋が挨拶してくれた。

「はい。ようやく、戻ってきました」

 それから黒猫が差し出した革袋を受け取る。

「四つか。ちょうど解毒薬分だけの働きだな」

「はい。ちょうど間に合いました」

 薬屋は口元だけの嫌味な笑いを見せたが、それがわかっているのかいないのか、黒猫は笑って答えていた。

「まだ空瓶はあるけど、持っていくか?」

「いえ。明日は余計なものは持たないでいたいので、やめておきます」

「そうか。皆さん、お気をつけて、よろしくお願いします」

「今度こそ、退治します」

 丁寧に頭を下げられて、薬屋を出た。

 夕方になって、少し風が出てきたようだ。風に揺れてさわさわと音を立てる畑の作物を、黒猫が歩きながら眺めている。

「どうした?」

 周囲に注意を払っている時でなければだいたい誰かとしゃべっていそうな黒猫がそんな何でもなさそうな景色をじっと見ていることが意外で、何か気になるものがあるかもしれないのに声をかけてしまった。

「いえ、何でもないです」

 もちろん黒猫は振り向いて返事をしてくれる。俺が邪魔をしたのかもしれないのに、そんな素振りはまったく見えない。

 謝るのも変だと思って何も言えないうちに、宿屋に到着した。

「話は聞いてるよ。でもごめんね、お代はいただくよ。大したものは出せないから、一人40フェロね」

 俺が一人で来た時にも世話になった女店主が、すまなさそうに言った。

「お世話になるのですから、そんなことは言わないでください」

「お世話って言ってもねえ。病大虫の退治でこっちがお世話になるんだから」

「それはそれ、報酬だってもらうのですから」

 悪いと思われるとかえって悪い気がする。それに前に来た時は50フェロだったのが値下げされているのだ。だから押し問答はさっさと切り上げて、五人分の代金を渡した。

「うん、それじゃ遠慮なくね。ご飯はすぐできるからそこで待ってて」

 ここも作りは町の宿屋と同じで、入口を入ったところが食堂になっている。剣などそれぞれの荷物を隅にまとめて、背もたれのない椅子に座った。

 本当に話が伝わっていて俺たちが来るのがわかっていたのだろう、すぐに食事が運ばれてきた。野菜を混ぜて炒めた米とあぶった乾燥肉という、値下げ相応と言うか、質素なものだった。味付けも特にないが、乾燥肉は元々味と塩気が濃い目なので、味気ないというわけでもない。

「ここはたまにしか肉が手に入らないから、乾燥肉を食べることが多いんですよ」

 味の感想など言いようがなくてみんな黙ってしまったのを見かねてか、黒猫がそんな事情を話してくれた。

「珠季ってここのことよく知ってるよね。それに村の人とも知り合いみたいにしゃべってたし、ここの人なの?」

 黙ったままというのも居心地が悪かったか、誘われたようにレイナがしゃべり始めた。

「そうではないのですが、最近までしばらくここにいたので、それでです」

「お前とアキトは一度病大虫と戦ってるんだよな。それか?」

 ロンも同じなのだろう。自分もという勢いで会話に入ってきた。

「ぼくはその前から、ここでNPCをやっていたのです」

「こんなところで?」

 俺と黒猫の二人で病大虫に挑んで逃げ帰った話はしているが、その前の出会いの話は意図的にしていない。それだけは二人だけのものにしておきたい。だから黒猫が元々NPCだったということも、伝わっていなかったのだ。

「はい」

「冒険者なんか全然来なくて仕事にならないんじゃないの?」

「まあ薬屋さんが使う薬草集めもやってたので、そんなに気にしていませんでした」

「暢気なもんだね」

 何でもない顔をして答える黒猫に、呆れたようにレイナが笑った。まったくだ。

 黒猫は並大抵のことは深刻には考えない。それは鈍くなければできないだろうと思うのだが、でも俺に見せてくれる気遣いは、鈍さとは正反対のものだ。やっぱりわからない。

「では、病大虫がどこにいるかもわかるのですか?」

 レイナの笑いが収まるのを待って、蒼玉が口を開いた。

「はい」

「病大虫がどのようなものか、知っていることを教えてほしいのですが」

 黒猫の返事を聞いてすぐに次の質問だった。本当に聞きたかったことはそっちだったようだ。

「毒を持った大きな虎という話はしましたよね」

 黒猫はそう言って、蒼玉、レイナ、ロンに順に目を向けた。三人ともうなづいて答える。

「獣らしく飛びかかって爪でひっかいたり、かみついたりしてきますが、それでかすり傷を負っただけでも毒にやられてまともに動けなくなります」

「それも聞いた。すごい熱が出るから、解毒薬を買ったんだよな」

「はい。ですがただの獣ではなくて、囲もうとしても横に跳んで逃げたり、後ろに回りこんでも後ろ足で蹴り上げたり、尻尾を振り回して叩きつけてきたり、いろいろやってきます」

「後ろに回りこんでも油断するなってことか」

「ああ。でも相手は一体だ。前側で注意を引きつければ、後ろはおろそかにはなるだろう。なんとか、その隙を狙うしかない」

「一体って、そう言えば手下みたいのはいないの?」

「いません。コボルトは勝手に山に入って勝手に毒にやられているだけで、病大虫とは関係ないみたいです」

「あと、叫び声で風を吹かしてくる。魔法みたいな攻撃ではないけど、目の前でいきなり風を吹きつけられて、目潰しをくらったみたいだった」

 俺が知っているのはこの程度だ。他に注意するべきことは特にないらしく、黒猫からの補足もない。話はここで一段落となり、一旦沈黙が降りる。

「あの…ちょっと聞きづらいのですが……」

 そこに蒼玉が遠慮がちな声を上げた。全員の注目が集まって一度口をつぐんでしまったが、意を決したようにもう一度口を開いた。

「どうして虎なのに虫という名前なのでしょうか」

「あ」

 ロンとレイナが同時に間の抜けた声を上げた。最初から虎だと聞かされていたので、気にしていなかったのだろう。それを知らなかった俺は、直前になって黒猫からそう聞かされて混乱したものだった。

「わかりません。そう呼ばれているというだけで、その理由は聞いたことがないです」

 黒猫もそれは知らなかった。ただその口ぶりからは、黒猫も気にしたことがなかったのか誰も知らないのかまではわからない。

「そうですか…変なことを聞いてごめんなさい」

「いえいえ、気になったことは何でも言ってください。仲間内で遠慮はなしなのです」

 ちょっとうつむき加減の蒼玉に、黒猫は笑顔を見せて答えた。

「はい」

「そうだよ蒼玉、今のはよかったよ。あたしにはガツンと来たよ」

 レイナにも笑顔を向けられてようやく蒼玉は顔を上げて、ぎこちない笑顔を見せた。何かずるいと俺は思ったのだが、どういうことだろう。

 今度こそ病大虫の話は終わり、部屋に案内された。食堂がそれほど広くないように部屋も少なく、五人部屋がふたつしかない。レイナが店主にねだって、それを両方とも使わせてもらえることになった。

「今日は落ち着いて眠りたいからなんて言ってたけど、安くしてもらっておいて言うことじゃないぞ……」

「いいじゃありませんか。病大虫退治に期待してる村のみんなの心尽くしってことで」

 ぼそっと言った俺の愚痴は、黒猫にしっかり聞かれてしまっていた。

「ひとつ聞き忘れてた」

 他愛もないやり取りが、ロンの真剣な声に遮られた。

「大きいって、どれくらいなんだ?」

 どうしてそんな大事なことを言っていないことに気づかなかったのだろう。俺にはそれが衝撃で、すぐには答えられなかった。

「病大虫の顎がぼくの頭の上に乗っかるくらいです。もちろん四つ足で立っている時で」

「それでか。盾を持ってるお前が攻撃を防げないって言ってたのは」

「そうだ」

「そうか。そりゃ、やりがいがあるな」

「だから少しずつでも傷を負わせていって、動きを鈍らせることになると思う」

「そうだな」

 ロンはそれ以上は何も言わず、今日はおとなしく布団に潜りこんだ。明日に備えて十分に休むべきだろう。俺も黒猫もそれにならって、すぐに布団に入った。

 だがやはり、すぐには寝つけなかった。どうしても明日のことを考えてしまう。本当に勝てるのかという不安を拭い去るために、どのように戦うかを想像する。どのように病大虫をいなし、どのように攻撃するのか。しかしいくら想像してもそれは想像にすぎなくて、そのとおりにできる気がしない。

 想像に行き詰って目を開ける。横を向くとフードを取った黒猫の寝顔が見えた。黒猫に何かを言ってほしくて声をかけてしまいそうになったが、それはどうにか抑え込んだ。

 今はとにかく眠らなければ。今度は何も思わないように思って、目を閉じた。でも、そう思うことがすでに何かを思っているということだった。

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