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ステ振り間違ったので冒険者やめてNPCになります。  作者: 黒田皐月
第一章 NPCやめて冒険者になります?
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第五話

「おい起きろ。飯だぞ」

 ロンの声がする。違うだろう、起きろなんてお前が俺に言われたことだろう。

「いい加減起きろってば」

 両肩をつかまれて、激しく揺さぶられる。

「んあ……?」

 目に入ったのはろうそくの明かりではなく日の光、ということは、

「朝…?」

「そうだって言ってるだろ。寝起きの悪い奴だな」

 そうか。昨日はずっと堂々巡りな想像ばかりしていて寝付けなかったのだ。

「そんなことはない」

「どっちでもいい、とにかく起きろ。飯を待たせてるんだよ」

 言い訳は聞いてもらえなかった。それどころではないらしい。俺がベッドから起き上がるのを見ながら、ロンは部屋を出ていった。すぐに蒼玉とレイナを連れて戻ってきて、食事も運ばれてきた。

 野菜の切れ端が少し入った粥と生の葉物野菜と、指くらいの大きさの細長い何かだった。

「よかったね。これはめったに食べられないものだよ」

 肉の匂いのする何かをじっと見つめている俺に、レイナが笑いかけた。珍しいものとはわかったが、やはりこれが何かはわからない。

 そんな俺を見かねたのか、レイナは先割れスプーンでそれを突き刺して口に運んだ。かんでいる様子を見る限り、固いものではなさそうだ。

「これはね、昨日みたいな潰した肉を洗った腸に詰めて焼いたものだよ」

「腸って何ですか?」

 反応の鈍い俺に代わって、黒猫が話に入ってきた。

「あたしもよく知らないけど、内臓のひとつみたい。肉よりは取れる量は少ないけど、べつに高級品でもないんだって」

「手間のかかる食べ方ですね。だからかな、おいしいです」

 レイナと黒猫で会話が弾む一方で、蒼玉はシャリシャリ葉物野菜をかんでいる。例の肉にはすでに口をつけているようで、俺の皿より一本少なくなっていた。

「蒼玉は、こんなの食べたことあるか?」

「いいえ。でも、これも好きです」

 口の中の野菜を飲み込んでから蒼玉は返事を返したのだが、その後俺の顔をじっと見つめている。何だろう。

「昨日も同じことを聞かれました」

 そう言えば、そうだ。これでは昨日から進歩していない。

「アキトさんは、どうですか?」

 昨日と同じになってしまうのかと沈みかけた俺だったが、そこに蒼玉から聞き返されたのだった。

「俺は…好き嫌いとかあんまりないな。まずいものはまずいって思うけど」

 好きなもの、うまいものは言われてもすぐに思い浮かばないが、どんなものでも平気で食べられるほどではないので、一応そう言ってみた。言ってすぐ、まずいものは思い浮かんだ。まだレイナとしゃべっている黒猫の顔に目を向ける。

「そうですか。私も…食事にはあまりこだわりはなかったかもしれません」

 それは蒼玉も黒猫も気づかなかったようだ。うまいものを食べている時にわざわざする話でもないだろう。

「なかったかもしれない?」

 それよりも蒼玉のその言い方が気になった。自分のことなのに自分のことではないような言い方は、いったい何なのだろうか。

「はい。おいしいものはおいしいと言うのが、今はいいと思えます」

 そう言うと蒼玉はやや目を伏せた。だがその声は沈んではいない。

 何となく、わかる気がする。俺の勝手な想像なのかもしれないが、俺と同じように無意識に押さえつけていた自分の気持ちが解放された感覚を、今実感しているところのかもしれない。もし本当にそうならば、蒼玉と出会えてよかったと思う。

「どういうこと? それって普通でしょ?」

「はい。普通ですね」

 ロンが割り込んできたことそのものは昨日と同じだったが、その雰囲気は昨日とはまるで違っている。

「普通がすごく大切って思えることも、あるんだ」

 余計なことかもしれないが、俺も声に出して言ってみた。

「そうかもな。普通じゃないのを見たがるのが冒険者だから、普通が逆に普通じゃないって思ったりもするかもな」

 そんな俺に別段気を悪くした様子もなく、ロンは笑って答えてくれた。ただ言ったことは、まだ眠りから覚めきっていないらしい俺の頭の中をぐしゃぐしゃにかき回してくれた。

 それで黙ってしまった俺をよそに、みんな適当に食べてはしゃべっているようだ。昨日の夜と今日の朝とで、どうしてこんなに違っているのだろう。これが、黒猫の言った慣れなのか。

 そうだ。黒猫の言っていた、俺がやらなければいけないことは。

「あのさ」

 それは俺が思っていた以上に大きな声だったらしく、全員が食べるのもしゃべるのもやめて俺に注目した。邪魔したようで悪い気がするが、でもこれは言わなければいけない。

「今日はウェスタンベースから村に行く。そこで一晩泊って、次の一日で山に入って病大虫と戦う。それでいいか?」

 言ってから、蒼玉、レイナ、ロンと順番に目を向けた。黒猫の反応を見るのが何となく怖くて、黒猫だけは無視してしまう。

「行くだけで一日かかるんだ」

 最後に目を合わせたロンが、行くことはもう決まっているかのような言い方をした。

「一日まではかからないけど、一日で山に入るのは無理だ」

「ここからまっすぐ山に向かったらどうなんだ?」

 言われてみればそうだ。村からウェスタンベースへの道以外に道があったようには見えなかったが、実はあるのかもしれない。

「川を渡る橋がウェスタンベースの道にしかないので、そっちを通るしかありません」

 すぐに答えられなかった俺に代わって黒猫が説明してくれた。さっきは避けたくせに、つい黒猫の顔を見てしまう。黒猫もそんな俺に気づいて、一瞬だけ笑って見せた。笑われているのではなくて、これでいいと言ってくれているような、そういう笑みだ。

「なら決まりだな。時間があるならウェスタンベースをちょっと見物してもいいか? 俺行ったことないし」

 どれくらいの時間をかけていいのか、ちょっと考えてみる。セントラルグランからウェスタンベースも、ウェスタンベースから村も、朝出発して日が中天に達するよりも前に着く。ウェスタンベースで食事をするくらいはできるはずだ。

「そうだな。休憩と飯がてら、ちょっと見ていってもいいだろう。ただ、見ると言ってもここほどいろいろはないぞ」

「それでもさ。そういう所ならそういう所って知っておきたいじゃん」

 依頼を持っているのが俺だけなのだから当然なのかもしれないが、すんなりとこれからの行動が決まって少し拍子抜けした。本当にみんな俺の言ったことを良しとしてくれているのだろうか。

 俺は内心戸惑っていたが、とにかく出発した。ウェスタンベースまでは西へ延びる道を行けばいいだけなので、俺が何も言わなくても迷うことはない。

「あ。ウェスタンベースに行くなら、そっちで法具とか見た方がよかったかな」

 レイナが突然大きな声を上げたので何かと思ったら、そういうことだった。しかしすでに金は使ってしまったらしく、気づいてももう遅かったようだ。

「うーん…あそこにそんないいものは売ってないと思います。まあ次に買い替えるつもりで見るのもいいかもですね」

「俺もあそこで武具を買ったことはないな」

 俺の場合は買い替える金が貯まらなかったからなのだが、黒猫と同意見だ。それに、スキル習得のために結局セントラルグランに行くことになるので、買い物もそこでということになってしまうと聞く。

 コボルトリーダーが退治されたためかコボルトが出てくることもなく、それがもう知れ渡っているのか冒険者を見ることもなかった。朝早くにセントラルグランを出たらしい旅商人の一団を追い越して、大きな荷車も楽に渡れそうな見るからに頑丈な石橋を渡った。

「意外と近いのですね」

 石橋を渡るとすぐにウェスタンベースが見えてくる。この川まで蒼玉は来ていたのだから、ちょっと足を伸ばせばウェスタンベースまで行くこともできただろう。

「こちら側にはコボルトはいないのですか?」

 俺はしばらくウェスタンベースを拠点にしていたが、この辺りでコボルトは見たことがない。言われてみれば、きれいに分けられすぎる。

「いない」

「川がやつらの縄張りの境目ってことか」

 ロンのその言葉で、今さらながら納得できた。

「そうだな。縄張りって考えればすっぱり分けられるな。それならこっちはリザードの縄張りだ」

 南の湖の近辺でたまに出没し、退治の依頼が出たりして、俺もそれを受けたことがある。それはコボルトよりもずっと厳しい戦いだった。

 しかし今は、怪物に遭うこともなくウェスタンベースの東の門に着いた。人通りのある道だからなのか、ここにはちゃんと警備隊がいる。まっすぐ行った先は市場で、今日も変わらず人がたくさんいそうだ。

 だが前方から聞こえてくる雑踏の音は、突然の後ろからの声にかき消された。

「たあっ、助けてくれえっ!」

 振り向くと、一人の男が息を切らせながら必死な様子で警備隊に叫んでいた。

「リザードが出たんだ。旅商人が襲われてて、数が多すぎて俺たちだけじゃ防ぎきれない。頼む!」

 男は旅商人の用心棒の一人のようだ。警備隊の一人がどこかへ走っていった。事は重大と判断してどこかに伝えに行ったのだろう。

「場所は?」

 膝に手をついて肩で息をしている男に、挨拶もせず話しかけた。

「おい! 俺たちには」

 後ろからロンが俺の肩に手をかけた。言いたいことはわかる。俺たちには俺たちの依頼がある。でも。

「だからって、放っておけないだろ!」

 その手を激しく振り払って、男に向き直った。

「南の道、湖の近く、橋の手前だ。頼めるか?」

「南だ。走るぞ!」

 男への返事の代わりに、俺は後ろに怒鳴って駆けだした。さっき通った門を抜けて右に曲がり、壁に沿って走る。壁が途切れて柵が見える。橋まではまだ遠い。

 横を見るとロンとレイナが俺の横にぴったりついて走っている。さっき俺を止めようとしたロンが、俺の視線に気づいてにやりと笑った。

 蒼玉はと目を走らせると、少し遅れて斜め後ろで黒猫と一緒に走っていた。

「橋はまだ遠い、全力は出すな」

 走る速度を緩めて蒼玉が追いつくのを待ち、そこからさらに速度を落とした。まだまだ長く走った先で戦いだ。今無理をさせてはいけない。

 蒼玉に並んで横目で顔をのぞきこむ。蒼玉はそれに答えることなく、ただ前だけを見て走っている。俺は再びロンとレイナの前に出て、先頭で走った。

 橋の手前と男は言っていたが、正確にどの辺りかはわからない。だがここはだだっ広い平地だ。何かがあれば遠くからでも見えるだろう。走りながらその何かを目で探す。

「あれだ!」

 やや右手に土煙が見えた。近づくにつれて人影が、そして倒れている者もいるのが見えてくる。戦況はかなり厳しいようだ。

「先に行きます!」

 息が乱れてきている俺を追い越して、黒猫が全力で走っていった。

「俺たちも!」

「待て! あいつらは、魔法を使う。やるなら三人一緒に、飛び込むぞ!」

「三人?」

 聞き返すレイナも、かなり息が上がっている。

「蒼玉はここで、息を整えてから来い! ロン、レイナ、突っ込むぞ。かき回して、魔法を使いにくくするんだ!」

「おう!」

 吠えるように答えたロンとうなづいただけのレイナと三人で、荷車の前方に飛び出した。防御魔法でリザードの魔法を食い止めている黒猫を尻目に、リザードの集団に突っ込む。

 ずっと走ってきて、腕に十分力が入らない。撫でるように剣を当てるのが精いっぱいだ。それでもリザードの集団は混乱を見せた。乱戦になれば仲間に当たってしまうかもしれない魔法をむやみに放てない。だが相手の方が数が多い。三人別々に取り囲もうとしてくる。

「シャアッ!」

 それを破ったのは、用心棒らしい冒険者たちだった。しかし彼らも戦い疲れているのだろう。リザードを乱しはしているが、倒せてはいない。

「みんな下がって!」

 そこに黒猫の叫びが耳に入った。

「黒猫!?」

 何かあったのかと思って振り返ると、黒猫の隣に杖をかざしている蒼玉がいた。魔法で一掃するつもりなのだろう。

「よし、下がれ!」

 俺はロンとレイナを巻き込むようにしてリザードの集団を斬り抜けた。冒険者たちも黒猫の魔弾の援護を受けて戻ってきた。

「ファイアーウォール!」

 その俺たちの目の前に火柱が立った。蒼玉の魔法がリザードたちに襲いかかる。近くにいた何体かが嫌な悲鳴を上げてその場に倒れたが、ほとんどは追ってくる火柱を避けて後退した。距離を置いて、一旦にらみ合いになる。

 いや、リザードは集団を組んで退いていく。なぜかと思った時、右手から地鳴りのような音が聞こえてきた。ウェスタンベースの警備隊だった。

「命拾いしたみたいだな…」

 冒険者たちは武器を手にしたまま、その場にへたり込んだ。回復魔法を使える者たちが倒れている者たちに回復魔法を送って回る。俺もその場に腰を下ろして、水筒の水を飲み干した。

「キングがいましたね」

 冒険者たちの手当ては警備隊に任せた黒猫が、俺たちのところに戻ってきてそう言った。

「キングは前に倒されて、それでリザードはほとんどいなくなったはずだったが…?」

 俺が知っているウェスタンベースは、そうだった。これだけの大集団は見たことがない。

「新しいキングが出てきたのでしょう。それが今までどこかに隠れて力を蓄えていたとすると、かなり厄介です」

「となると、この道も楽じゃなくなったってことか」

 回復魔法で元気を取り戻した冒険者が、話に入ってきた。

「リザードを倒せませんでしたから、あれだけの数がいるのは間違いないですね」

「そりゃまずいな…おっと、礼を言うのが遅れた。助かったぜ」

 冒険者はニカっと笑った。もう大丈夫なようだ。

「いや、どうも」

 何と言っていいかわからず、俺は言葉を濁した。

「私からもお礼を申し上げます。助けていただいてありがとうございました」

 警備隊と話をしていた商人も、そちらの話は済んだのか、俺たちの方に来た。しかし、疲れたような顔をしている。

「ですが申し訳ありません。お礼などはお出しできない始末でして……」

 頭を下げた商人の向こうで、他の商人たちが荷車から散乱した荷を乗せなおしている。どうやら売り物にならなくなったものも少なくないらしい。

「それはその、ご愁傷さまです……」

 用心棒の仕事と見れば、これは失敗だ。それにお礼をもらうことなど頭の片隅にも浮かばずにここまで走ってきた。

「代わりと言っては何ですが、どうでしょう、あなた方も用心棒に加わっていただくのは。それならばこれからの分の報酬はお出しできます」

 商人としては、今後またここを通ることを考えればそうするべきだろう。

「すみません。俺たちは今別の依頼を受けているので、そういう仕事は受けられません。せっかくのお誘いですが」

「そうですか。こちらこそ、無理を言ってすみませんでした」

 そんな話をしているうちに荷の積み込みが終わったようだ。行き先は同じなので、みんなでウェスタンベースへと歩き出した。商人と用心棒、俺たちと警備隊と、かなりの大人数になった。

「お名前を、おうかがいしてもよろしいでしょうか。何かのご縁があれば、その時はよろしくお願いしたいと思います」

 荷車の方に指示を出して、商人はまた俺の方に戻ってきた。

「アキトだ」

「私はバリスと申します。お見知りおきを」

 頭を下げて、バリスと名乗った商人は荷車へと戻っていった。

「そうか、アキトか。俺はサレナだ、よろしくな」

「はい。こちらこそ」

 用心棒の冒険者も商人と並ぶ位置へと戻った。道幅はそれほど広くないので、列は細長くなる。俺たちはいちばん後ろについた。


 風が出てきたようで、荷を覆う布がはためく音がする。散々走って戦って酷使した身体を、心地よく冷ましてくれる。

「あーあ、ただ働きだったか」

 ロンが思い切り腕を上げて伸びをした。槍が右に長い影を落として、俺がそれに刺されたようになる。実際、俺はそんな気がした。

「悪かった」

 みんながどう思っているのか、無我夢中だった俺はまったく考えていなかった。俺が勝手にみんなを引きずり回してしまったのだ。これは何をやるかを言うとかそういうことではない。

「俺が勝手だった。すまない」

 俺はみんなの前に回りこんで、頭を下げた。下げた頭を、上げられなかった。

「行こうぜ。置いてかれるぞ」

 横からロンに腕を取られて引きずられた。足元さえ見ていなくて転びそうになってしまったところを、ロンが引っ張って支えてくれた。

「何やってるんだよ。そんなに足に来たか?」

「いや」

 笑われてしまったので、乱暴に腕を振りほどいてとぼとぼ歩く。

「いいのか?」

「何が?」

「ただ働きで」

 荷車にかぶせられた布のはためきを見ながら、隣を歩くロンに話しかける。

「そういうこともあるさ。それにお前はそうやって走るのが好きみたいだからな」

 やれやれと言った様子でロンは答えた。別に好きとかそういうことではないが、わざわざ反応してまた笑われたりすることもないだろう。ロンから目をそらすように後ろに目を向けると、最後尾で蒼玉が黙って歩いていたので、そちらに移動した。

 隣に並んで何か話しかけようと思ったのだが、その前に蒼玉の方が俺の顔をじっと見つめてきた。疲れてはいるのだろうがそれは顔には見せず、ただまっすぐに俺の目をとらえる。そんな目で見られると、ただ謝るだけで済みそうには思えない。

「疲れさせて、悪かった」

 それでも俺にはそれ以外に言うことが思い浮かばなかった。

「私が足を引っ張ったから」

 蒼玉がそんなことを考えているとは思わなかった。いちばん足が遅かったのが蒼玉なのは間違いないので、そう思ってしまっても仕方がないのかもしれない。だがそれは責めるべきことではない。

「それは違う。俺が無理をさせたからだ。だからお前は自分が悪いなんて考えるな。それだけは、頼む」

 そんなことで引け目を感じてもらいたくない。誰だって得手不得手があって、不得手の部分で足を引っ張ったなんて言い出したら、パーティなんてやっていられない。それは嫌だ。

 蒼玉は俺から視線を外して、前に向いた。聞いては、もらえなかったか。

「わかりました、もうそれは言いません。だからアキトさんも悪かったなどと言わないでください」

 珍しく相手の顔を見ずに、蒼玉は答えた。重ねて悪かったと言ってしまいそうになって、どうにか喉元で抑える。そのまましばらく黙って歩いていると、蒼玉がまた俺の横顔をじっと見つめていた。

「どうした?」

 視線に気づいた俺が聞いてみても、今度はすぐには答えが返ってこない。黙ったままそのきれいな目で見つめ続けられるのはちょっと居心地がよくないのだが、だからといって逃げたいのでもなくて、どうしていいかわからなくなる。

 蒼玉は一度目を伏せて、もう一度俺に視線を合わせてから、意を決したように口を開いた。

「どうしてアキトさんは、珠季さんのことを黒猫と呼ぶのですか?」

 これは本当に意外だった。意外すぎて、思考が追いつかない。蒼玉の目には、思い切って言ったという強さがある。きちんと答えなければいけない。なぜ俺は黒猫のことをそう呼ぶのか、それは…

「初めて会った時、何となくそう思ったから、だ」

 きちんとした答えなのかどうかは別として、これが俺の偽りない理由だ。

「珠季さんの方が長く冒険者をやっているのでしょう? それを猫呼ばわりするのはどうかと思うのです」

 だが、やはりと言うべきか、そんなあいまいなことで蒼玉が納得してくれることはなかった。

「猫呼ばわりとかそういうつもりじゃないんだ。ただ初めて見た時にそう見えたから…」

「それでも、失礼なのではないでしょうか」

 蒼玉の言っていることはもっともなことだ。それでも俺にとって黒猫は黒猫で、だから答えることができない。蒼玉のまっすぐな目から逃げるようにうつむいてしまう。

「蒼玉さんも、黒猫って呼んでくれていいんですよ?」

 前を見ていなかった俺は黒猫がこっちに来たことに気がつかず、その声に驚いて黒猫を見つめてしまった。それに気づいた黒猫は一瞬だけ俺に笑いかけて、蒼玉に視線を戻した。

「私は、そういうのは…」

「特別な呼び方には特別な気持ちが込められていると、ぼくは思います。アキトさんはぼくを特別だと思って黒猫って呼んでくれてるから、だからぼくはアキトさんに黒猫って呼ばれるのは好きです。蒼玉さんにも特別に思ってもらえたら、ぼくは嬉しいですけど」

 蒼玉の口が、半開きのまま硬直した。いや、俺も同じ顔をしていたかもしれない。

 俺が黒猫を特別だと思っている、それは間違いのないことだ。だから俺は意識することさえなく、名前以上の思い入れを持ってそう呼ぶようになったのか。

「ごめんなさい。私にはやっぱり、珠季さんは珠季さんです」

 黒猫が返事をする前に、蒼玉が勢い込んで俺の方に向き直った。ちょっと戸惑ったように、声を出しかけた黒猫の口元が震えるのが見えた。

「アキトさんにもごめんなさい。私、何も考えないで失礼なことを言いました」

「いや……」

 謝られても、今度こそ蒼玉は何ひとつ悪くないのだから、返す言葉がない。

「ふぇっ!?」

 俺が返事に困っているところに変な声が上がって、思考は中断された。

 後ろ向きに歩いていた黒猫の両肩を、その背中からレイナが押さえたからだった。

「なーにいつの間に三人でお話ししてるのかな?」

 黒猫を捕まえたまま、前に向かせてしまう。あまり蒸し返したくない話だが、だからといって秘密などと言ってパーティの中に溝を作る訳にもいかない。何と答えればいいのか。

「ぼく、猫に見えますか?」

 左手で自分の頭を指差しながら、黒猫がレイナに問いかける。

「猫耳かぶった変わり者の子に見える」

「そういう話です」

「なあんだ」

 拍子抜けしたレイナが黒猫を解放した。確かにさっきまでの話をまとめると、そうだと言えないこともない。俺は呆れるばかりだった。

 畑を過ぎて南の門まで来て、長い列は解散になった。

「改めてお礼を申し上げます。それと用心棒の件、またお会いした時にはお願いしたいものです」

 商人がまた丁寧にあいさつに来てくれた。

「はい」

 約束はできない。だから俺は短い返事だけをして別れた。

 荷車と一緒に歩くのは本当に時間がかかる。もう日は落ちようとしていた。

「あーあ、もう夕方だぜ。見物どころじゃなくなったな」

「今日の宿を探さないとだね。どこかいいとこある?」

 そうだ、ここで宿を探さなければならないのだ。俺がよく行くところから断られて二日、状況は何も変わっていないのだから、そこには行けない。行く当てが思いつかない俺は、大通りの手前で足を止めてしまった。

「どうかしたのですか? この辺りには宿らしいものは見えませんが」

 最初に気づいて振り返ったのは蒼玉だった。その声を合図にするように、黒猫、ロン、レイナもその場で足を止めたのだが、夕方の人通りの多さのために大通りから曲がってきた通行人にぶつかりそうになってしまう。黒猫がみんなを道の端へと手招いた。

「実は…北の村から来た俺たちは毒を持ってくるからと言って、断られる店があるんだ」

「そうなのですか? 私は何ともありませんが」

 理解できない様子で、蒼玉が眉をひそめた。

「ぼくたちは何ともないのですが、実際村からここに来た人が熱を出して、看病してくれた人まで移ったことがあったんです。それで嫌がられているのですね」

「それであおりを食ってか、ひどい話だぜ。知らんふりして入っちゃえばいいんじゃないのか?」

「俺と黒猫は顔を覚えられてる」

「じゃあここには…、待って、断られる店があるって言ったよね。それって断られない店もあるってこと?」

「あることはある」

「ならそこに行けばいいじゃん」

 レイナの言うことはもっともなのだが、ひとつ気になることがある。

「それが…ちょっと古臭いところで、レイナや蒼玉にはどうかなって思うんだ」

「そんなに?」

「ああ。見た目から色あせてるし、椅子なんかも座るときしむものがあったりする。だけど汚いって訳じゃないんだ」

「ふーん。だったら行ってみようよ。見てまあいいかなって思ったらそこにしよう。蒼玉もそれでいい?」

 俺の言い訳にレイナは妥協してくれそうだ。

「汚くないのなら、私はそれでいいです」

 蒼玉にも声をかけてくれて、見てみることで話をまとめてくれた。大通りに近いその店には、すぐに着いた。

「うわ、確かに古臭いね。でもこんな通り沿いにあるってことは、長くやってるしっかりしたところなんじゃない?」

 全員でぶしつけに窓から中をのぞき見る。レイナとしては、外観の第一印象は悪くはないようだ。

「汚さそうな感じはしませんね」

「ああ。これで布団は真っ白に洗われてたりするんだ」

「あたしはここでいいよ」

「私もです」

 レイナと蒼玉はここでいいらしい。渋々といった様子さえ見せないのが意外だ。

「ロンも、ここでいいか?」

 ロンの意見を聞かないのは不公平だろうと思って、ここまで来て今さらとも思わないでもなかったが、聞いてみた。

「飯はうまいのか?」

「満足できるとは思う」

 味のことは俺はよくわからないので、そんな言葉でごまかしておいた。間違いなく満足できるのは、量の方だ。

「ならよし。入ろうぜ」

 言うなりロンは入口の扉を開けた。呼ばれて出てきた店主が、俺の顔を見て一瞬驚いた顔を見せた。

「なんだ、兄ちゃんか。まさかまた来るとは思わなかったぜ」

「五人で一晩、いいですか?」

「ああ、五人で250フェロだ。飯もすぐできる。そこで待ってろ」

 言うだけ言ってその場では代金を受け取ることさえせずに、奥へと引っ込んでいった。この前一度泊っただけなのに、信用してもらえているらしい。

 いちばん奥のテーブルに行き、それぞれ壁際に荷物を置いた。それからめいめい椅子に腰かける。

 ギイィ。

 忘れていた。この席にはきしむ椅子があったのだった。運悪くそれを選んでしまったのは、レイナだった。

「うわっと」

 音に驚いたレイナとそれにはっとした俺の二人が、慌てて立ち上がった。

「本当に椅子がきしんだよ。取り替えちゃえ」

 平気な顔で隣の席にそれを置いてしまう。そしてそこの椅子のひとつに座ってみてから、それを持って戻ってきた。

「お前が重いからだろ」

「失礼な。それならアキトがあんな慌てないって」

 ロンの軽口は俺の方に跳ね返されてしまった。

「悪い。この席に古い椅子があるのはこの前でわかってたはずだったんだ」

 真面目に謝った俺に、ロンとレイナはけらけら笑いだした。

「お金、用意しておきましょう」

 ムッとした俺が何か言ってやる前に、黒猫が話を変えてしまった。そして一人50フェロずつ出したところに、本当にすぐに料理が運ばれてきた。

 炊いた米と、今日は肉と野菜をごっちゃに煮込んだものだった。その肉にはやはり白い丸が模様のように見える。かむと固い軟骨なのだが、さっき俺のことを笑ったロンやレイナには昨日の意趣返しにそれは言わないでおいた。だがそれでは一人がとばっちりを受けることになることに、俺は気づいていなかった。

 その一人である蒼玉が、肉を口にする。かんでみて一瞬あごの動きが止まったが、すぐに音を立ててかみ砕いた。

「あ、これ煮込むと柔らかくなるんですね」

 黒猫もばりばり音を立てて軟骨混じりの肉をかみ砕いている。

「何これ。固いけどおいしいじゃん」

「煮汁もいい味しているな」

 レイナとロンもうまそうにばりばり食べている。出遅れた俺も一口肉を食べてみると、黒猫の言うとおりに焼いた時よりも柔らかかった。そして煮汁が本当にうまい。肉の味とか塩気とかとも違って例えようがないのだが、汁がうまいのだ。

「これは軟骨って言って、骨の一部らしい」

 当てが外れた俺は、正直にその正体を明かした。

「へえ、こんなのが食えるのか。食ってみるとまあ悪くないな」

「そういうところは今朝食べた腸と同じですね。食べてみると意外といけます」

 初めのうちはめいめい感想などを言ったりしていたが、煮込んで柔らかくなっているとはいえ、この軟骨は顎に力を込めてかみ砕かなければ食べられなくて、すぐに誰もしゃべらなくなった。軟骨をばりばりかみ砕く音だけが響いている。

 そのある種の沈黙を破ったのは、入口の扉が開く音だった。その向こうはもう暗くて、外は冷えてきているだろうに、扉を開けた二人は中に入ってこない。俺と黒猫と蒼玉の三人がその様子を見ていて、うっかり目が合ってしまったのだったが、向こうから外された。

「おい、女の子がいるぞ。店間違ったか?」

 前の男が後ろを振り返ってもう一人に声をかける。その声に、入口には気にせず食べ続けていたレイナとロンまでもが二人に注目してしまう。

「いや、間違ってないぞ?」

 後ろの男は確認するように店の看板を見て答えた。

「アハハ、こりゃ失礼。こんなボロ宿に女の子が来るなんて思わなかったからさ」

 二人はばつが悪そうな笑いを浮かべて、中に入ってきた。

「ボロとか言うんじゃねぇ。それにお客様に失礼だぞ」

 聞きつけた店主が出てくるなり二人に文句を言った。毎度毎度悪口は聞きもらさない。

「こっちだってお客様さ。俺らには失礼とは思わないのかい?」

「そういうことを言う奴は、お客様じゃなくてせいぜいお客だ」

 互いに気心が知れているように、ぽんぽん会話が飛び交う。どうやらこの二人はここの常連客らしい。金額も聞かずに代金を払っていた。

「お、いいね。今日は軟骨の煮込みかい。ってまた失礼。あんたたちは冒険者かな?」

 俺たちの隣のテーブルについて、早速話しかけてきた。そこにはレイナが交換したきしむ椅子があるはずだったが、二人ともそれは引き当てなかったようだ。

「そうだよ」

 いちばん近くにいたレイナが答えた。

「よくこんなところに泊まろうと思ったね。もしかしてそれ目当て?」

「こんなところって何だ、こんなところって」

 二人の分の食事を持ってきた店主が当てつけのように乱暴にテーブルに置いて、奥へ戻っていった。

「ここに来るとこれが食べたくなるんだよね。特別うまい訳じゃないけど、なぜか必ず思い出すんだよ。今日あってよかった」

 そう言って真っ先に軟骨混じりの肉をばりばり食べる。いくらおしゃべりな男でも、こればかりは食べながらしゃべることはできない。

「ここに来るとってことは、普段はここじゃないところにいるの?」

 だから話もなかなか進まない。

「ああ。普段はもっと西さ。今日は久しぶりにセントラルグランにスキル習得に来た帰りなんだ」

 話す方が食べるのを止めなければならないのはもちろん、聞く方もばりばり鳴らしていては相手の言っていることが聞こえなくなってしまう。話を進めるためには両方が口に物が入っていない時を待たなければならないのだから、かなり面倒だ。

「西は今、どうですか?」

「ん? 何だ?」

 それがかみ合わないと、こうなる。幸い、ここはもう一人が答えてくれた。

「素龍がいなくなってやっと採掘も安心かと思いきや、人馬族との小競り合いさ。勝って鉱山を取った方がいい武器を作れるからって、向こうもなかなか諦めてくれない」

 聞かない怪物の名前が次々に出てくる。

「そっちの方は、この辺でやってるのかい?」

「まだそれほどここに居ついてるってほどじゃないけど、北の山の病大虫を退治しようってやってるところだ」

 聞かれたのはレイナだったが、依頼を持っている俺が答えるべきだろうと思って割り込んだ。

「ここの北って確か、毒にやられるから誰も近寄らないんじゃなかったっけ?」

「だからこそ、その元になってる奴を退治しようと思ったんだ」

「物好きだねえ。そりゃこんなところを選ぶのもわかるわ」

 そう言って男は笑い出したが、すぐに笑いを止めて俺の方に向いた。いや、俺の手元を見ているのだろうか。

「さっきから食べる手が止まってるけど、軟骨は冷めると固くなるぞ」

 確かに焼いたものを食べた時もそうで、食べきるのには相当苦労したのだった。それは煮込んだ場合でも同じらしく、かんでみるとひときわ大きな音が口の中で響いた。これはゆっくりおしゃべりをしている場合ではない。俺は会話から抜けて食べる方に専念した。

 飯を食べ、軟骨をかんで、野菜を食べてはまた軟骨をかみ砕く。肉が器の下に沈んでいたのか、思った以上にたくさんある。割と口数が多かったロンとレイナも、同じようにばりばりやっていた。

 俺がようやく食べ終わったのとほぼ同時に、全員が食べきったようだった。蒼玉は相変わらず話にはほとんど加わらずにゆっくりだったし、ロンとレイナは本気になれば相当食べるのが早いらしい。黒猫は、そう言えば今日は割とおとなしかったが、食べる方に集中していたのか。

「じゃあな」

 店主に部屋に案内してもらう前に隣の二人に短く声をかけると、二人も食べるのに忙しいようで片手を上げて答えただけだった。

 案内された部屋はかなり広く、左右にベッドが三台とタンスが一組ずつ、真ん中にテーブルと椅子が置かれていた。テーブルと椅子は食堂にあったものよりも華奢に見えるが、ベッドとタンスは足からしてかなり太くて頑丈そうだ。そしてそれらが全部、それだけではなく部屋そのものからして、何かが染みこんで黒ずんだ木の色をしている。

「暗ぼったい部屋だねえ」

 レイナの第一印象はそれだった。

「よく言えば落ち着くって感じ? あ、本当に布団は真っ白だ。ふかふかー」

 ベッドのひとつに腰かけて、蒼玉を手招きした。そういう割り振りということだろう。

 木がきしむ嫌な音がしたのでそちらを見ると、黒猫がちょこんと椅子に座っていた。子供が座っただけでこれでは、この椅子を使うのはやめておい方がいいだろう。俺もベッドに腰かけた。

 顔を上に向けて大きく息をついたところにまた木がきしむ音が聞こえて、息が詰まりそうになってしまった。ロンが慌ててテーブルから両手を離すのが見えた。手をついただけできしむようでは物は置けないだろう。何のためにあるのかわからない。

「今日は村まで行けなかったけど、明日はどうする? 村を通り越して山まで行くのか?」

 テーブルから離れてやはりベッドに腰かけたロンが誰にともなく、部屋の真ん中に向かうように声を上げた。だが、これに答えられるのは俺と黒猫だけだ。

「一日でそこまでやるのは多分無理だ。だから明日は村まで、明後日に山に入ろうと思う」

「村まではどれくらいかかるの?」

「村までなら半日もかからない」

 残りの半日は、どうするか。

「だったらさ、ここをちょっと見物してからゆっくり出て、夕方までに村に着くようにするのはどうだ?」

 ロンの言うことも悪くはない。だがまた予想外のことが起こらないとは限らないし、早く行った方がいいと思う。

「時間が余ったらその時はその時として、明日こそ確実に村に入っておきたいって俺は思う。今日余計なことに勝手に手を出した俺が言えることじゃないかもしれないけど…」

「まだ気にしてるのかよ。あ、でも長居したらまたそういうことがあり得るってことか」

 ロンには悪気はないのだろうが、その言葉は俺には突き刺さるような感覚を与えた。何も言えなくなった俺に、みんな何を言えばいいかわからないのだろう、全員が黙り込んでしまう。

「それなら、こういうのはどうですか?」

 そんなもやもやした状態が長くなる前に、黒猫が沈黙を破った。部屋の真ん中にいる黒猫に注目が集まる。

「明日は山にちょっと入って、狂乱コボルトのサンプルを採取するのです」

 それはNPCだった黒猫が俺を山に慣れさせるためにわざわざ出した依頼だった。同じことをやろうというつもりなのだろう。

「狂乱コボルトって…あ、昨日言ってたヤツだっけ。で、サンプルって何?」

 急に出てきた耳慣れない言葉に、レイナが疑問の声を上げた。

「噂の毒で暴れ狂うようになったコボルトから毒のサンプルを採取して、サンプルをほしがっている村の薬屋さんに買い取ってもらうんです」

「サンプルって?」

 レイナがもう一度同じ問いをした。

「薬屋さんが毒の研究をするために使うもので、爪とか牙とか毛皮とか、そういう毒がついているものをちょっと拾っておくのです」

「へえ。お金稼ぎにもなるならいいんじゃない?」

「毒を、研究するのですか?」

 納得した顔のレイナに代わって、蒼玉が質問を発した。

「はい。毒を研究して、より効果の高い解毒薬を作ってそれに備えるのだそうです」

「そうなのですか」

 黒猫の提案にレイナが賛意を示したところで決定となっていたらしく、もういいも悪いも出なかった。

「それでは、普通の解毒薬は効果がないのですか?」

「ありますが、あそこで作っているものの方が効き目はいいです。だから解毒薬は村の薬屋さんで買っていきましょう」

「ものがいい分、高いのか?」

 そう言えば俺もあの特製解毒薬がいくらなのか知らない。

「いいえ、店と同じ100フェロで売ってくれます。試作だからなのか材料が自前だからなのかその辺はわかりませんが、お得ですね」

「安くはないんだな。でも解毒薬なんて絶対に必要なのか?」

「病大虫だけじゃなくて狂乱コボルトでも、傷ひとつ受けるだけで体が熱くてどうしようもなくなるほどの毒にやられる。だから絶対に必要だ」

 黒猫だけに説明を任せるのも悪いと思って、このロンの問いには俺が答えた。

「そもそも山にずっといるだけでコボルトが暴れ狂うようになってしまうほどなので、準備はしないといけないのです」

 しかし結局黒猫が説明を加えたのだった。

「珠季は解毒の魔法とか持ってない?」

「あることはありますが、あれは体に負担がかかるからちょっと使いづらいですし、魔法を使う余裕があるかもわかりません」

「では、みんな解毒薬を持っておいて、毒を受けたら自分で使うということになりますか?」

「はい。その解毒薬を使う余裕を何としても作らなければいけないのですが、それをどうするかが大事になると思います」

 俺と黒猫の二人で挑んた時は、黒猫が身を挺した防御魔法でその余裕を作ってもらったのだった。それは相当無理があったから、こうして人数を集めたのだ。

「だから、二手に分かれて挟み撃ちにするんだ。誰かが傷を負ったりしたらもう一組の方が引きつける。それに正面からやり合って勝てる相手じゃないから攻撃は後ろを取った側だ」

 蒼玉へ答えているはずの黒猫が俺の方に向いたのは俺にしゃべらせるつもりなのだろうと合点して、話を継いだ。

「そうするとして、どう分かれる?」

「ロンとレイナで後ろを狙ってほしい。俺と黒猫で正面はどうにかする。で、蒼玉は俺の後ろから魔法で攻撃。これでどうだろう」

 元から二人でやっていたロンとレイナを組にした方がやりやすいだろう。

「おいしいところをくれるって訳か」

「勝負を預けるってことなんだが」

 にやりと笑みを浮かべたロンの軽さが気に入らなかった俺は、わざとらしく渋い顔を見せた。

「わかってるって」

 ロンの返事はまたしても軽い調子だったが、これ以上しつこく言っても意味がないだろう。後は信じるだけだ。

「今度は相手が大きいからほとんどの攻撃は防げない。かわすことになるから、そのつもりでいてほしい」

 黒猫を挟んで向こう側にいる蒼玉に向かって言ってみたが、届いただろうか。

「はい」

 こんな距離でも、目が合うとまるで目の前にいるかのようにそれだけに見入ってしまう。不思議だ。

「そうと決まったら今日は寝ようぜ。走ったのとあれかみ砕くので疲れた」

 そう言ってロンは昨日と同じようにベッドに倒れこんだ。

「おいおい、昨日と同じようにそのまま寝るなよ」

 呆れた俺が声だけかけてようやく、ロンはもぞもぞと靴を脱いでベッドに上がったのだった。

「灯りは消す? それとも点けとく?」

 向こうからレイナの声がかかった。俺は点けておく方だし黒猫もそうらしいし、ロンも昨日消そうとは言いださなかったから点けたままでいいのだろう。

「暗くしないと眠れないか?」

「ううん、そっちがよければ点けておきたい」

「じゃあそうしよう」

 意見が一致したところで寝るかと思ったのだが、レイナの注文は簡単には終わらなかった。

「あ、でも全部そのままってのはちょっと明るすぎるかな」

 この部屋は、ベッドのある両側の壁の燭台に二本ずつろうそくが据えられている。それならばと俺がこちら側のろうそくの火を吹き消すと、向こう側だけが明るい程度になった。

「うーん…こっちのベッドの辺だけ明るいし、こっちも一本だけ消すかな」

「だったら、ろうそくを一本テーブルに置きましょう」

 布団に入ろうとしていた黒猫が起きだして、自分の革袋をテーブルまで持ってきた。光の届くところで中身を漁っている。

「でもこの燭台は据え付けだし、どうするの?」

「これに移します」

 小さなコップらしいものを持って、黒猫がレイナたちのいる方へと行った。黒猫が灯りの前に立ってしまったので、何をしているのかこちらからは見えない。

 しかしすぐに黒猫の顔が見えた。そのコップにろうそくを立てて戻ってきたのだ。服やズボンも黒の黒猫は闇の中に顔だけ浮かび上がっているように見えて、俺は一瞬ギョッとした。

 そんな俺の小さな身じろぎなどに黒猫が気づくことはなく、持ってきたろうそくをテーブルの上に置いた。

「いいの? コップをろうそく立てなんかに使っちゃって」

「はい。と言うよりこれ、ろうそく立てなんです。底にろうそくを刺す針もありますから、コップには使えません」

 俺も疑問に思ったことをレイナが代弁してくれた。太いろうそくと比べてろうそく立てが小さすぎたのか、黒猫は置いたろうそく立ての両側に小さな鍋と何かを置いて支えにした。

「いい物持ってるじゃん。って言うか、なんでそんなの持ってるの?」

 向こう側では、レイナが残りの一本の火を吹き消した。これで部屋に何があるのかが見える程度だ。

「まあ、好みといったところです」

「変わった好みだよね。ま、いいや。おやすみ」

 それからみんながすぐに眠れたのかはわからない。俺自身が思った以上に疲れていたようで、すぐに眠りに落ちてしまったからだ。

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