第三話
起きた時には部屋に朝日が差しこんでいた。のどが渇いたので水をもらおうと、まだ眠っている黒猫を残して部屋を出た。
どこに水があるだろうかと探しながらとりあえず店の入口まで出ていくと、足音を聞きつけたのか後ろから白衣の男が入ってきた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。悪いが、まだ朝食の用意はできてないぞ」
「朝食までお世話になってありがとうございます。それで、すみませんが、お世話ついでに水をいただけないでしょうか」
「外の樽に共同井戸の水をくみ置いてあるから、それを使ってくれ」
「ありがとうございます。それなら俺がくみ足しておきましょうか」
井戸は村の真ん中くらいのところにあるのは見ている。
「客人がそんなことをしてくれるには及ばないが…」
「いえ、お世話になりっぱなしですし、朝食の用意ができるまで時間がありますし、このくらいはやります」
「わかった。なら、頼もう」
話が決まると白衣の男は奥へと戻っていった。俺は入口から外へ出て、家の脇にあった樽から手で水をすくって一口飲んだ。
樽にはまだ半分以上水が残っているが、そのそばに置いてある桶二、三杯分くらいは減っている。俺は桶を手に井戸へと向かった。
薬屋は村の中で一軒だけ離れていて、近くには何もない。家どころか、畑さえも薬屋から離れている。畑を過ぎて家の並びが見えて、さらに歩くと道端に井戸があった。
こんな朝からに水をくみに来る人などいないのか、待つこともなく水をくむことができた。桶に水を入れるついでに自分の水筒にも水を入れておく。黒猫の分も持ってくればよかった。
戻る途中、畑に目をやる。昨日の話にあったように、歩幅程度の間隔で杭が打たれ、それに足元と上端の二か所で横木が通されている。確かにこの程度では、大きな動物が暴れれば壊れてしまうだろう。
薬屋まで戻ると、樽のところで黒猫が待っていた。
「ご飯、できたそうです」
途中で足を止めたりしたせいか、けっこう時間がかかってしまったらしい。
「そうか」
樽はまだ満杯ではないが、待たせるのも悪いので、水くみは終わりにした。桶を脇に置いて、樽にはふたをする。
「水くみなんてしてもらって、ありがとうございました」
店に入ると、薬屋から礼を言われた。しかしたった桶一杯のことで、礼など言われるのが恐縮なくらいだ。
「いえ。桶一杯だけなので、ほとんどお役に立てず」
「それだけでも一苦労だったでしょう。なにせ井戸まで遠いもので」
確かにそうだ。これでは水くみだけでも一仕事だろう。
薬屋に促されて、昨日と同じようにカウンターを挟んで座り、朝食をもらう。炊いた米と、畑で取れたものらしい野菜をいくつかまとめて焼いたものだった。肉は見当たらないが、肉を焼いたような匂いと味がする。
「お口に合いませんでしたか?」
野菜を一口食べては肉を探して皿をのぞきこむ俺を不審に思ったのか、薬屋が声をかけてきた。ちょっと恥ずかしい。
「いえ、おいしいです。肉の味がすると思って…」
しかし誤解されないためには、正直に言うしかなかった。予想はしていたが、やはり笑われた。
「猪の脂で炒めたものですから。ほら珠季、料理の工夫ってこういうものだぞ」
なぜか話が黒猫に飛び火して、黒猫はそれが気に入らないのか、話を無視して黙って食べ続けていた。
「ところで、どうしてここは一軒だけ村から離れているんですか?」
たまには黒猫に恩を売ってやってもいいだろう。話題を変えようと、俺は気になっていたことを薬屋に聞いてみた。
「俺たちは毒により効果のある解毒薬の研究をしていて、そのために昨日もらったような毒のサンプルを扱っている」
答えてくれたのは白衣の男だった。
「つまりここには毒があるんだ。それが間違いが起こっても広がってしまうことのないように、わざわざ離れた場所にしてある」
「毒の対処の基本は、まず離れる、近づかないということです。だから、毒がひどくなった人がここへ来て養生してもらうこともあるんです。他の人に広めないために」
病大虫から傷ひとつ受けただけで、身体が燃えるように熱くなるほどの毒だ。それくらい大事として考えなければならないのだろう。改めてこの依頼の重大さが身に染みた。
「それでは、毒を扱っているあなたたちは大丈夫なのですか?」
そうだとすればこの二人はどうなのか。心配になった俺が聞いてみると、
「毒と同時に解毒の薬草なんかも扱ってるからな。それに不思議と、毒に触れていると多少毒に慣れてくるものらしい。病大虫から直接毒を受けたお前も、もしかすると少しは慣れているかもしれない」
「慣れてしまえば平気なのですか?」
それならば、次に戦う時は前よりも有利なのかもしれない。しかし、その考えは甘かった。
「多少と言っただろう。影響が人より少し弱いだけで、毒を受けないなんてことはない」
「すみません。ではやはり、病大虫を退治しないと解決にはならないですね」
「そうだな。もっともそうなったら、俺たちもお役御免なのだが」
「毒の研究は、でしょう。毒なんかない方がいいですし、それに研究成果の解毒薬を作るのは終わりにはなりませんよ」
白衣の男が口元だけで笑ったのを薬屋がたしなめた。毒などない方がいいという意見は俺もそのとおりだと思うが、その一方で毒があるから研究して解毒薬を作るなどという考え方があることには、驚きだった。
話に乗り損ねたのか、結局黒猫は最後まで話に入ってはこなかった。朝食を終えて身支度を整えて、改めて薬屋の二人にお礼を言った。
「お世話になりました。必ず、戻ってきます」
「いえいえ。こちらこそ、よろしくお願いします」
「お前なら大丈夫だろうが、気をつけてな、珠季」
「はい。行ってきます」
朝食の時にからかわれたことなどなかったかのように、黒猫はにこやかにお辞儀をしたのだった。
俺たちは村を出て山を下りる方向、南のウェスタンベースを目指して歩き始めた。
「人っていろいろだな」
あの二人と会って思ったことを、言わずにはいられなかった。
「はい。そうですね」
こういう時、黒猫はただ聞いてくれる。
「毒があるから駄目だ、消さなきゃだけじゃなくて、それを研究してみようだなんて、そんなのがあるとかな」
「ぼくはずっとお世話になってて、それでこう言うのも悪いかもですが、変わった人たちです。でも、そんな人に会えてよかったなって思います」
「そうだな。会えてよかった。俺もそう思う」
そんなことを思ったことがあっただろうかと、ふと思った。少なくとも、ここのところはない。会った人と言えば依頼人であったり店の人であったりで、そんな名前で表された関係でしか接していなかったと思う。
だが、あの二人とは薬屋と客という会い方ではなかった。だから関係が決めるような形などない接し方になった。それを今、俺はよかったと思っている。
「なんでだろうな。当たり前のことなのに、そういうの、全然見えてなかった」
今まで俺は何をやっていたんだろう。それが後悔のように重くのしかかってくるのではなくて、ただただ不思議だ。
「アキトさんはちょっと焦ってただけですよ。大丈夫です」
いや、不思議なのは、独り言のようなはっきりしない俺の言葉から俺の心の内を拾ってくれる、この黒猫だ。その黒猫が大丈夫だと言ってくれれば、本当に大丈夫な気がしてくる。
ただそれに甘えそうになるのは気恥ずかしくて、つい言ってしまう。
「お前、大丈夫ってよく言うけど、根拠なんてあるのかよ」
「うーん……」
黒猫はちょっと考えるようにつぶやいた。ただ視線を泳がせることはなく、縫いつけたように俺の顔に真っすぐ向けられている。俺の顔色から答えを決めようとでもいうのか。
「大丈夫だから大丈夫なんです。ぼくはただ、それを口で言っているだけです」
そして意味のわからないことを笑って言った。俺の顔にはそんなことが書いてあるのだろうか。
「お前なあ……」
俺はそれを認めるまいとことさら苦い顔をしてみせたが、やはり黒猫には通じない。
「根拠なんていちいちあるはずないじゃないですか。アキトさんなら大丈夫、アキトさんだから大丈夫なんです」
笑顔そのまま、ひとつも悪びれる様子もなく、聞いている方が恥ずかしくなるようなことを言ってのけた。やってられない。俺は横を向いて話を打ち切った。黒猫もそれで満足したのか、それ以上言い募ることはなかった。
なだらかに降っていくにつれて周囲の木々が増えていき、歩いているところが道だとはっきりしてきた。登っていくほど木々が減るのも、病大虫の毒の影響なのだろうか。
その木々をぬって、何かが駆けてくる音がする。
身構えると同時に飛び出してきたのはコボルトだった。先を取られたが、俺も黒猫もそれぞれ横に跳んでかわした。コボルトもすぐに俺たちに向き直り、にらみ合いになる。だが、様子がおかしい。
目が血走っていないし、よだれもダラダラ垂らしていない。そして俺が剣を抜いたのに明らかな反応を見せて、もう一度飛びかかってきた。
振りかざされた爪を剣で弾く。体勢が崩れたところに黒猫の放った魔弾が命中して、コボルトは横に吹っ飛んだ。
この程度では終わらないだろうと剣を構えなおしたが、コボルトは吹っ飛んだ勢いからそのまま逃げだしていった。つまり、普通のコボルトだった。
「普通のコボルトだったな」
「普通でしたね。群れからはぐれたといったところでしょうか」
正確には、一体だけというところが普通ではなかった。コボルトは本来群れで行動するもので、勝てないとわかるとすぐに逃げてしまう臆病なものだ。
「あれが山に紛れこんで病大虫の毒にやられると、ああなるのか」
「そのようです。人も毒を受けすぎるとああなると聞きました」
ひとつ間違えば俺も熱に浮かされて暴れ狂っていたのかもしれないのだという。改めて聞かされると、ぞっとする話だ。
「やっぱり、早くなんとかしないとな」
「はい」
足を速めた俺に、黒猫も合わせて歩き始めた。並んで歩くのに、別段苦もない様子だ。
道が平坦になってきて、さらに木立がなくなって突然見晴らしがよくなった。日もだいぶ昇っていてまぶしいくらいに明るい。向こうに町を囲う壁が見えてきた。
町からは四方に道が伸びているが、東西には大きな荷車でも余裕をもってすれ違えるほど広い道が通っているのに対して、南北には大きな荷車では通れない程度の狭い道しかない。俺たちが今通っている北の道など、村を過ぎてしまうともう道と言えるような確かなものさえない。
その道の広さに応じてか、東西の道には時々人が通っているのが見えるのだが、俺たちは誰ともすれ違うことがない。もちろん、後ろから追い抜かれることもない。
「どうする? 町に入るか、町の周りで何かやってる冒険者を探すか」
何かの退治の依頼などやっている冒険者ならば、町の外ではそれらしい行動をするだろう。町中でただ歩いている時よりもそれとわかりやすいはずだ。ただし外に散らばる分、誰かに出会える可能性は大きく下がる。どちらを取るかだ。
「町に行きませんか? 補充しておきたいものがあるのです」
しかし黒猫の意見はどちらでもなくて、まずは自分たちの準備ということだった。確かに、俺も狂乱コボルトのサンプル集めの間に精神力回復薬を使ってしまっていた。いつ使う時があるともわからない。
「そうだな。俺もだ」
自分の焦りに気づかされた俺は、一呼吸してから黒猫の意見に乗ることにした。
北の門からウェスタンベースに入った。何の警戒もなく開け放たれている両開きの大きな扉を通って、町の中へと歩いていく。
冒険者向けの雑貨屋に行くのだが、黒猫はこの町のこともよく知っているらしく、迷いなくそちらに向かっている。
「ここのこともよく知ってるんだな」
「はい。時々こうして村にはないものを買いに行かないといけないので」
それは黒猫だけでなく、村の人たちもそうらしい。そんな話をしているうちに、雑貨屋に着いた。
奥にはいろいろなものがあるらしいが、たいていの冒険者がこうした店で買い求めるのは、各種回復薬だ。だからそれらは店先の棚に大量に並べられている。
赤い色が体力回復薬、澄んだ青い色が精神力回復薬、濁った緑色が解毒薬だ。俺も含め、たいていの冒険者は赤青一本ずつ持って歩く。解毒薬は場合によってだが、今回は相手が相手なので持っておくべきだろう。
俺は青と緑の瓶を一本ずつ取ったのだが、そこで横から黒猫に声をかけられた。
「解毒薬は村で買った方がいいです。病大虫の毒のために作っているものですから、そちらの方が効くでしょう」
黒猫の言うとおりなのだろう。黒猫からもらったあの解毒薬は、目の前にあるものよりも色が濃く、どろどろしていた。つまりあれはただの解毒薬ではなく、特製ということだ。
俺は青を一本、黒猫は赤を一本買った。どちらも100フェロ、標準的な値段ではあるが、これが冒険者にとって安いものではない。
「あと、空瓶を一本ください」
100フェロを払った黒猫が、店主にそんなことを頼んだ。俺は何なのかと疑問に思ったのだったが、店主の方はわかっているようで、頼まれたとおり空瓶が渡された。金は取らないらしい。
財布をしまい、回復薬を腰の革袋のひとつにしまった黒猫は、空瓶を手に店を出た。
「すみません。もう一か所、つき合ってください」
そしてそう言うなり、町の中心部に向かって歩き出した。
「空瓶なんて、どうするんだ?」
「米とかを入れて持ち歩くんです。一昨日みたいに必要な時のために。で、一昨日の瓶はコボルトのサンプル入れに使っちゃったから」
なるほど用意がいいのはこういうことだったのか。
「でも、野宿なんてしばらくしないと思うぞ?」
しかし今の俺に、一日で戻れないようなことをやっている暇はないのだ。黒猫もそれに気づいたのか、突然歩を止めたのだった。そのまま道の真ん中で考え込んでしまったので、邪魔にならないように隅まで引っ張ってやった。
「そうかもしれませんが…何となく、そういうの持っておきたいなって」
結局、黒猫が意見を覆すことはなかった。まあそういう用意があったところで何かの支障があるでもないし、ここは黒猫のやりたいようにさせることにした。
米と言った黒猫の行き先は市場だった。町の中でも特に人通りが多いが、冒険者には用のない場所であるため、俺も含めてたいていの冒険者は避けて通る場所だ。人が多すぎて隣に並んで歩くことはできず、俺は黒猫の後ろについた。
黒猫は、米を瓶一本分と、さらにこぶしふたつ分くらいの乾燥肉を買った。乾燥肉は雑貨屋にもあったのだが、こちらで買った方がいろいろ選べるのでいいということだった。
それも腰の革袋にしまって、ようやく準備が整ったらしい。ちょうど日が中天に達した頃らしく、足元に映る自分の影が短い。
「どこかで何か食べませんか?」
市場を抜けたところで黒猫がせわしなく周りを見渡してそう言った。そう言われると軽く腹が減った気がする。しかし、
「そんなことをしてる暇はないだろう。このたくさんの人の中から冒険者を、仲間になってくれそうなのを、早く探さないと」
食わなければ食わないで、日中程度はがんばれる。今はその暇も惜しむべきだろう。
「でも、そういう人もお昼になればご飯を食べます。だったら、そういう所へ行ってみた方がいいでしょう」
言われてみればそれは道理だ。俺だってこの時間に町にいれば、そうしている。
「よし、何か食って元気つけてから行くか」
わざとらしくそう言ってから、俺も飯屋を物色し始めた。だが、ここはまだ市場に近く、冒険者よりも町の人向けのきれいなところが多い。
ここでもないあそこでもないとお互い意見が合わないまま、元来た北の門が見えるところまで来てしまった。この町のギルドがここにあり、そのために冒険者向けの飯屋兼宿屋が多い、俺にもなじみのある場所だ。
もう町を出てしまうからと強引に、俺は黒猫を引っ張って何度か泊めてもらったことのある店に入った。
「あ、いらっしゃい」
店主の娘らしい女の子が、俺の顔を見て笑いかけた。覚えてくれているらしい。すぐに空いている席に通された。
「小間肉炒めと川魚の干物、どっちにする?」
ここは注文で何かを作ってもらえることはない。言われたものから選ぶだけだ。味の方は俺にはよくわからないが、手早くて安めのために人気があり、いつ来ても誰かしら客を見かける。
「じゃあ肉ふたつで」
黒猫の意見も聞かず、俺は肉炒めを頼んで二人分の代金を払った。女の子はくるりと店の奥に向かったが、すぐに別の客に呼び止められた。つまり、それくらい忙しい。
「いかにも冒険者向けって感じですね…」
店に入ってからずっと静かだった黒猫だったが、ちょっと圧倒された様子だった。みんな食べながらも何かをしゃべっていて、それが総じてがやがやした音と化している。こういうのは、黒猫は嫌いなのだろうか。
「嫌だったか?」
「いえ。こういうの、久しぶりだなって思って」
黒猫が笑ったそう言ったところに、水と料理が運ばれてきた。野菜の切れ端を入れて炒めたような米と、辛そうな匂いのするたれがかかっている焼いた肉だ。
「早い」
「まずは食おうぜ」
黒猫が驚いている間も女の子はくるくる店の中を動き、客は出たり入ったりしていく。行く当てもなく入った店だったが、このせわしなさでは人を探すのには向いていないかもしれない。
「辛い。でもおいしい」
俺がちょっと後悔している間に、黒猫はもう半分近く平らげていた。味がよくわからないのは辛さでごまかしているからだと、前に誰かから聞いたような気がする。
それも冷めてしまってはおいしくない。俺もとにかくいただくことにした。やっぱり味はよくわからないが、温かいものが食えるのはありがたいし、まあまあうまいと思う。
辛さに息を弾ませて途中から大減速していた黒猫に追いつくように、二人同時に食べ終わった。コップに残っていた水を飲みほして一息ついたところに、隣の席からの声が耳に入った。
「次は何やるか」
「ここのギルドも依頼少なくなったからね。別のところに行く?」
冒険者らしい男二人組だった。俺と同じくらいだろうか、それほど長くやっているようではなさそうに見える。
黒猫はまだ真っ赤な顔ではふはふ言っていて、周りを見ている余裕はなさそうだ。そんな黒猫を置いて、俺は一人で席を立った。
「なあ、お前たちも冒険者か?」
「もって、あんたもか。ああ、そうだ」
突然声をかけたのにも気を悪くする様子もなく、気軽に返事をしてくれた。
「立ち聞きして悪いけど、今何も依頼をやってないなら頼みがあるんだ」
「へえ、何?」
冒険者同士で頼み事など珍しいはずだが、それを怪しむこともなく聞いてくれそうだ。手応えを感じた俺は、そのまま依頼の話を持ち掛けた。
「北の山にいる病大虫の退治を、手伝ってもらいたいんだ」
依頼の話題から入ったので、パーティに加わってもらうとかよりもそういう頼み方をしてみた。
「どんなのだ…?」
「ちょっと待って」
さっきから返事をしてくれている男を、もう一人が止めた。探るような目で俺を見上げる。どう思われたかわからないが、目をそらしてしまったら印象は悪くなるだろう。俺は口をつぐんで止めた方の男に向き直り、何を言うかを待った。
「北って確か、毒がひどいんだよな?」
その噂は、俺もそれで村のことを知ったくらいなのだから、広く知られているのは間違いない。
「ああ。それをまき散らしているのが、病大虫っていう大きな虎の怪物だ」
だが、それが怪物のせいであること、そしてそれが虎の怪物であることは、多分あまり知られていない。それを明らかにすれば不安も和らぐだろうと思い、短く説明をした。
それを聞き、止めた男の方が考え込む。さっきまで俺と話してくれていた男も、その男の返事を待つようにそちらの顔をのぞきこんだ。俺は返事を待つしかない。いつの間にか黒猫が席を立って俺の隣にまで来ていたが、二人ではなくその向こうに目をやっていた。
にぎやかだった店内がここだけ静まりかえっているのが異様らしく、いつの間にか俺たちに店内の視線が集まっていた。それは気分のいいものではないが、だからといって逃げることなどできない。俺は内心気を入れなおして、他の何も見ないように二人だけを見つめた。
「悪い、その話は乗れない。見える敵ならまだしも、毒はさすがに怖い」
返事は否だった。
「そうか。食事の邪魔して悪かった」
嫌と言うものを無理強いするほどの理由はない。俺は軽く頭を下げて自分の席に戻った。
「悪いな。まあまた何かの時は声をかけてくれよな」
「はい。そちらも何かの時にはです」
もう一人がすまなそうにそう言ってくれたのに、黒猫が答えていた。声には出さなかったが、俺も振り返ってうなづいて答えた。
店内の雑音はまだ抑え気味で、俺たちは遠巻きに見られているらしいが、それはどうすることもできないし、どうにかしようとも思う気力もない。椅子に腰かけると、どっと疲れが出た。
「だめだったな」
「はい」
黒猫も何と言っていいかわからないようで、珍しく言葉がなかった。
そこへ水を持ってきてくれたのは、女の子ではなく店主のおばさんだった。
「あんたたち、北の村から来たの?」
親切かと思ったが、眉根が寄っているあたりよく思われていないようだ。
「そうだけど…」
それでも話を聞かれていた以上違うとも言えず、俺はしぶしぶ答えた。
「……今日はしょうがないけど、もうここには来ないでもらえないかな」
「どうして?」
向こうも遠慮がちではあったが、言われたことは想像もしなかったほど厳しいことだった。俺はつい声を荒らげてしまう。さらに勢いで席を立とうとしかけたが、それは黒猫の声で制された。
「あそこから来た人は毒を持ってくる。近くの話なんだけどね、昨日あそこから来た人が高熱を出して、看病した人まで熱が移って大変だったみたい」
「誰ですか、それは!?」
それを聞いて今度は黒猫が机に手をついて立ち上がった。俺の方はそれに驚くだけで、止めることはできなかった。
「ごめんなさい、誰かなんてわからないですよね。それ、どこですか?」
しかし黒猫は自分で自分を落ち着かせたようで、そう聞きなおした。店主はすぐに店の名前を答えた。
「ぼく、行きます」
それを聞いた黒猫は、店を飛び出してしまった。俺も追いかけようとしたが、あっけにとられた店主にまだ返事を言っていなかったことに気づいて思いとどまった。
「迷惑をかけてすみません。毒が収まった時には、また来させてください」
「ああ、そうだね。そうなったらまた来てちょうだい」
俺のことを大切な客の一人だと思ってくれているような、温かみの残った返事だった。だが俺にそれに返事をする余裕はなく、黒猫を追ってその店に向かった。
町の中心に向かって数軒離れたその店も、同じような飯屋兼宿屋だった。そろそろ食事時も終わりで、店内にはそれほど人はいなかった。応対に出てきた店員に熱のことを話し、部屋へ通してもらった。
その部屋には、ベッドで休む男とその脇に立つ黒猫がいた。やつれているのでそう見えるのかもしれないが、黒猫と並べて親子だと言っても通じそうなくらいに見える。何人かが熱を出したという話のはずだが、ここには他に誰もいない。
「お邪魔します」
俺が声をかけると、その人は会釈はしたが不審そうに俺を見た。
「ぼくの旅の仲間の、アキトさんです」
知らない人がいきなり来れば、誰だって不審に思うだろう。黒猫が紹介してくれて改めて互いに挨拶をしたのだが、不審そうな表情はそのままだった。
「旅って、どういうことなんだ?」
それは今度は黒猫に向けられたものだった。確かにそれは昨日始まったことなのだから、その時村にいなかった人が知っているはずがない。黒猫は聞かれるまま、病大虫退治のことを話した。
「そうか。それはまあ、ちょっと寂しいな」
そうして話している様子は、高熱が出たというほど具合が悪いようには見えない。
「あの、今さらの話かもしれませんが、高熱が出たと聞いたんですけど、大丈夫でしょうか?」
話が一段落したところで、俺は口をはさんだ。
「はい、薬屋の解毒薬を持ってきていたので。今日一日休めばもう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「いえ」
頭まで下げられるとかえって恐縮だ。
「看病してくれた人も熱を出したって聞きましたが、そちらは?」
俺が疑問に思ったことを、黒猫が先に口にした。
「解毒薬を分けたのが効いたみたい。さっきの店員さんももう大丈夫みたいだし」
俺を案内してくれた店員がそうだったのは意外だった。店員の様子など見ていなかったが、熱を出しているようではなかった。あれなら、大丈夫なのだろう。
「突然押しかけてごめんなさい。ぼくたち、そろそろ行きます。ゆっくり休んでください」
大事ないとわかって安心したらしく、黒猫が別れを告げた。
「こういう時に知ってる顔に会えてうれしかったよ。病大虫のことは、よろしくお願いします」
知っている顔ではない俺にまで丁寧に頭を下げてくれる。しかし依頼のことはまだ何も進展はないので、俺の方は黙って頭を下げるしかなかった。
店を出ると日がまぶしくて、一瞬だけ目がくらんだ。
「ごめんなさい、勝手に飛び出しちゃって。あっちのお店の方は大丈夫でしたか?」
黒猫の方はそのフードのおかげかそんなこともない様子で開口一番で謝ってきたのだが、それがその一瞬にかぶさったために俺は謝られたことがすぐにはわからなかった。
「あっちの店……ああ、嫌って言われちゃもうどうしようもないだろう。噂が立ってるかもしれないから、あの辺には泊まれないかもな」
まさかここらの店全部に俺たちのことが言いふらされていることもないだろうし、どうにかなるだろう。
「その辺はまあ何とかなるでしょう。あと食事代出してもらっちゃったのも、ごめんなさい」
「あそこはぐずぐずしてるのは嫌われるんだ。子供にはちょっと強烈だったか?」
なんだかんだ言って何でもよく見ている。いつも感心ばかりしているのもしゃくなので、たまにはちょっとからかってやった。
「ぼくだってあれくらい大丈夫ですよ」
そう言って笑顔を作った黒猫だったが、目が笑っていない。それがちょっと面白かったが、笑うのはやめてやろう。
「せっかく近くにあるので、ギルドに行ってみませんか?」
「俺たちは他の依頼なんか…いや、そうだな。ギルドならいるのは確実に冒険者ってわけだ」
さっき断られた冒険者は、依頼が少ないと言っていた。依頼を探しているような冒険者に頼めればいいのかもしれない。早速俺たちはギルドへ入った。
冒険者を物色するのかと思いきや、黒猫は真っすぐカウンターに向かってNPCに話しかけた。
「珠季か。北の方は毒がひどいって噂を聞くけど、実際どうなんだ?」
「何か噂がすごいことになってますね、行ったらそれだけで危ないってくらいに。そのせいで誰も近づきたがらないみたいで、これじゃあNPCも開店休業です」
「それで、実際は?」
「ぼくはこのとおり元気です。何もないとは言ったら嘘ですけど、でもその程度です」
どうやらNPC同士の近況報告らしい。長くなりそうなので俺はカウンターを離れ、何となしに壁に貼られた依頼書とそれを物色しに来た冒険者たちを眺めた。
ウェスタンベースは今は平穏らしく、怪物退治の依頼は何かの残党狩りくらいしかなさそうだ。他には旅商人の用心棒だったり、力仕事の手伝いだったり、面白そうなものは見当たらない。
そのせいか訪れる冒険者も多くはない。そして来たとしても人数の揃ったパーティばかりで、こちらのパーティに入ってくれと頼めそうな雰囲気はない。
じっと待つのが嫌になって思わずつま先で床を叩いてしまうと、その音を聞きつけたのか黒猫が駆け寄ってきた。
「またごめんなさい、長話しちゃって」
「ああ、いや…悪いな、話してたところ」
黒猫が俺を置いて一人でおしゃべりしていたことが気に入らなかったのだろうか。自分の声が思った以上に尖っていて、少し焦る。
「ここの掲示を使って何かできないかって話になったんですけど、悪い噂がひどくて紙に書いた文だけじゃ見てもらえないだろうって言われて……」
黒猫は黒猫で何かをしようとしていたらしい。それなのに俺はその邪魔しかしていない。
「そうか……。悪い。お前がそういうことしてくれてたのに、俺はただぼけっとしてただけだ」
自分のことが、情けなくなる。
「お互い、空振りでしたね。でももうちょっと、ここで粘ってみましょうか」
黒猫はそう言うと、隅にあるテーブルの下にしまわれた椅子をふたつ引き出した。二人して椅子に腰かけてじっくりと待とうという姿勢だが、俺は焦りでむずむずするようだった。
「ねえアキトさん」
そんな俺に黒猫が声をかけてきた。その声に俺は黒猫の方に顔を向けたが、黒猫は向こうの壁に視線をやったままだった。話でもしながら待とうというつもりだろうか。
「何だ?」
それならと俺も依頼書の方に目を戻して、短く答えた。
「何人くらいいたら、行けると思いますか?」
しかし予想に反して、とても雑談で済ませられる話ではなかった。俺はもう一度黒猫に向き直ったが、黒猫の方は向こうに目をやったままだった。ちょうどいいと言うべきか悪いと言うべきか、その先には誰もいない。
「俺が傷を負わされた時、お前は攻撃を防ぐので手いっぱいで、結局そのまま押し負けた。攻撃と援護の組み合わせがもう一組あれば立て直しもできると思うと、最低でもあと二人は要るだろう」
あの時もしも攻撃を引きつけてくれる誰かがいれば、黒猫が回復魔法を使う余裕があったのではないか。そしてその誰かの方にも、同じように援護が必要だろう。そんな戦況が、頭の中に浮かぶ。
だが今はその誰かなど誰もいなくて、それは想像にすぎない。そうだ、想像なんかしている場合ではない。想像を振り払って意識を目の前に戻したが、そこに都合よく誰かが現れることはなかった。
「二人二人の四人かあ……。ちょうどあんな感じですね」
俺の顔をのぞきこんだのかと思ったが、その向こうの入口に来た一団に気づいたということだった。俺も横目でそちらを見やると、俺と同じくらいの軽めの鎧を着こんだ男と女、いかにも魔法士らしいローブを着た男と、見た目からはクラスが判断できない軽装の女の四人が入ってきた。
「できあがっちゃってるパーティは、誘いづらいですねぇ」
「そうだな」
人数がそれなりにいるともう入り込める余地がないように見えてしまうのは、気おくれのせいなのだろうか。
四人は新しい依頼がないかだけを見に来た様子で、依頼書の壁を見てそれがないとわかるとすぐに出て行ってしまった。隅の椅子に座っている俺たちのことなど、目にも入っていないようだ。俺も黒猫も、そんな四人をただ見送るだけだった。
さらに誰か来ないか待っていたが、期待に反して誰も入ってこない。座っている尻の辺りがむずむずして苛立ってくる。いやイライラしているからじっとしていられないのだろうか。
横から光が差しこんできたのがきっかけでそれが限界に達し、俺は椅子を跳ね飛ばすように立ち上がった。だいぶ日が沈んできていて、窓の外は青から赤に変わろうとしていた。音に驚いた黒猫が、俺を見上げている。
「悪い…」
また、情けないところを見られてしまった。俺は力なく椅子に座りこみ、うなだれる。
黒猫の視線をまだ感じる。今は嫌だが、追い払う気にもなれなかった。
「行きましょう」
今度は黒猫が席を立ち、俺がそれを見上げた。
「もう夕方です。明日、仕切り直しましょう」
静かな顔を俺に向けて、黒猫は言った。俺はのろのろと立ち上がった。NPCは奥に引っ込んでしまっているのかカウンターには誰もいなかったので、俺たちは挨拶もせずにそのままギルドを出た。
足元を鳥の影が通り過ぎる。つられて空を見ると、カラスが日の沈む方へと飛んで行った。カラスさえも北の山には近づかないのかと思うと気分がさらに沈んでしまい、ため息が漏れてしまう。
「大丈夫です」
聞きとがめられたかのようで、黒猫のその声が嫌だった。しかし無視することもできず、俺はひそめた横目で黒猫を見やる。だが相変わらず黒猫はそんなものにこたえた様子もなく、どこかへ歩いていく。俺はそれに何となくついていっているだけなのだが、何か当てでもあるのだろうか。
町の中心部に向かっているので、人とすれ違うことも少なくない。通りから路地に入っていくのは、町の住民なのだろう。そしてそこここから雑多な匂いが漂ってくる。よく知っているはずの町の夕方が、どこか遠い。
「うーん……」
市場の大通りに出る手前で黒猫が足を止めて、首をひねった。
黒猫がどこに行こうとしているのかわからない俺には、何を悩んでいるのかわからなかった。横から顔をのぞきこんでも本当に困っている感じがしないのだが、それが長く続いたので当てずっぽうで声をかけてみた。
「行きたいところがどこにあるのか、忘れたとかか?」
「いえ、そんなんじゃなくて……どこに行こうかなって」
「え? どこかに行こうとしてるんじゃなかったのか」
当てもなく黒猫についていっていただけの俺も俺だが、まさかその黒猫も当てもなく歩いていたとは思いもよらなかった。
「まあ、その…何となく」
面食らった俺の顔がおかしかったのか、黒猫は眉根を寄せた顔から小さく笑った。その顔が変に歪んでおかしくて、俺も笑ってしまった。さらにそれにつられるようにして黒猫も笑う。
「笑ったらちょっとすっきりしました。今日はもう宿を探して休みましょう」
本当に行く当てなどなかったらしく、ひとしきり笑った黒猫はその場でくるりと反転した。町の北の門に向かう道には、飯屋兼宿屋の看板がいくつも見える。
「俺たちを泊めてくれるところ、探さないとな」
その中で北の村から来た俺たちを断らないところを選ばなければならない。
「そうですね。じゃあ、お昼のところからちょっと離れたこの辺で」
そう言って黒猫が指さしたのは、いちばん近い看板だった。周りと比べてちょっとくすんだ色合いに見えるのは、年季が入っているからだろうか。
「お前の知ってるところか?」
「いえ、ぼくが知ってるのはお昼に行った村の人が泊まってるところくらいです。あそこは噂が立っちゃってるでしょうから、今日のところは適当に」
何の気もなく選んだということは、黒猫は古臭いとかそういうことは気にしない方なのだろう。俺もそうだ。
「そうか。まあ頼んでみよう」
俺が先に店に入ると、奥から威勢のいい声が飛んできた。くすんだ色合いが、かえってろうそくの火の暖かさを醸し出している。
「二人、一晩頼めますか?」
まだ時間が早いのか、いくつか置かれたテーブル席には誰もいなかった。
「いいぜ、二人で100フェロだ。ただ、まだ飯の準備ができてないから、ちょっと待ってもらうぞ」
「はい。よろしく」
あっさりと泊めてもらえることになった。黒猫が二人分をまとめて払おうとしたので、俺は強引に自分の分を出てきた店主に握らせた。
いちばん奥のテーブル席に座ると、木がきしむ音がした。慌てて別の椅子に座りなおして、その椅子には腰から外した剣を立てかけた。
「よかったですね。断られなくて」
やはり心配はあったのか、黒猫が安心したようにため息混じりに言った。黒猫が小さいせいか当たりの椅子だったのか、そちらからはきしむ音は聞こえなかった。
「そうだな。噂ってのも、案外みんな知ってるって程じゃないのかもしれないな」
「そうかもしれませんね」
誰もがみんな北と聞いただけで神経質になってしまうのではないのならば、希望は持てる。ここに泊めてもらえるというたったひとつのことが、今日一日で沈んでしまった気持ちをほんの少しだけ軽くしてくれたような、そんな気がする。
何となくろうそくの火をぼんやりと見ているところに入口の戸が開く音がして、思わずそちらを見てしまった。入ってきた三人の冒険者らしい男たちと目が合ってしまう。
「珍しいな。ここに客がいるなんて」
三人ともかなり長いこと冒険者をやっていそうな身なりなのだが、そのうちの年かさの一人が俺たちにではなく奥に向かって声を上げた。
「珍しいなんて言うんじゃねぇや。そう言うお前らこそ、今日は早いじゃないか。どっかで飲んできたりはしないのか」
客が来ないと言われたことが気に入らなかったらしく、店主がわざわざ奥から出てきて言い返した。
「明日出発だからな。酒は抜いておかないといけねえ」
「そうか、明日だったな。ちょっと待ってろ。もうすぐ飯ができる」
しばらくこの宿にいるらしく、代金とかそんなやり取りはなかった。
「あんたらも物好きだね。こんなボロ宿選ぶなんて」
三人は俺たちの隣のテーブルまで来て、ドカッと椅子に腰かけた。椅子は嫌な音を立てたが、気にする様子はない。
「ボロとか言うんじゃねぇ」
奥から店主の声が飛んでくる。よく聞こえるものだ。
「適当に選んだんです」
俺がどう答えたものかと迷っているうちに、黒猫が笑って答えた。
「そっちの兄ちゃんは冒険者っぽいけど、まさかお前も冒険者なのか? こんな小っこいのに」
「そうですよ。ところで明日出発って言ってましたけど、お仕事ですか?」
「ああ、俺たちは旅商人の用心棒をやってるんだ。ずっと西の方から、セントラルグランまでな」
「ずっと西って、怪物もここよりもずっと強いって聞きます。お強いんですね」
「まあ慣れだな。アハハ」
おだてられていい気になったところを他の二人に笑われて、自分も一緒になって豪快に笑っていた。気のいい人たちなのだろうが、ちょっと苦手だ。行き先が決まってしまっているために誘うことができないことに、俺は安堵してしまっていた。
俺一人が取り残されているところに、食事が運ばれてきた。炊いた米と煮込んだ野菜は普通だったが、焼いた肉の分厚さが目を引いた。分厚いだけでなくところどころ白いのだが、それが丸くなっていたりする。
「固っ」
脂身かと思って普通にかんだら、かみ切れないどころか固いものに当たってしまった。
「そりゃ軟骨だ。がんばって食ってみな、慣れるとこれもこれでうまいぜ」
向こうから笑われてしまった。人のことを笑うだけあって、三人ともばりばり音を立ててかみ砕いている。
「本当だ。固いけど、がんばればかみ砕けそうですね」
黒猫も肉の端をかじって軟骨にぶつかったらしい。
「子供は無理するな? 歯がダメになっちまうぞ」
俺は言われたとおりがんばってかみ砕いているのだが、確かに黒猫には無理かもしれない。それで、これが肉とも脂身とも違っていて、特別うまいのでもないが、もっと食べてみたいような味がある。
「細かいのだったらいけますね。コリコリしておいしい」
「子供のくせに大人の味がわかるなんて、生意気だな」
「それはどうも」
わざとらしくお辞儀をしてみせた黒猫に、俺以外の四人が笑った。知らない人とでもこんな調子でしゃべれるのかと、またしても取り残された俺は一人で感心する。
「じゃあな、兄ちゃんたち。軟骨は冷めると固くて食えたもんじゃないから、ほどほどにしとけよ」
長いことやっている冒険者は歯からして強いのかと思ってしまうくらい、三人ともあれだけあった軟骨混じりの肉をきれいに食べきっていた。黒猫は黒猫で、かみ切れない太い軟骨は捨てながら肉を食べている。いつまでもがんばっていた俺が一番最後になってしまった。
食事が終わってから、部屋に通された。そこもやはり年季が入っていそうな見た目なのだが、ベッドに乗せられた布団だけが不釣り合いなくらいに真っ白でふかふかだった。
そのベッドはさっきの椅子と違って見るからに頑丈そうで、腰掛けてもきしむ音などはしなかった。これなら安心して眠ることができそうだ。
「おいしいけど顎が疲れますね、あれ」
まったくそのとおりだ。意地になって全部かみ砕いてやった俺など、しゃべることすらままならなくて、うなづいて答えるだけしかできなかった。
布団の上に大の字に倒れこんで、天井を見上げた。床から壁から天井まで、全部が全部同じようにくすんだ色をしている。汚いというよりもそういう色合いでできているようで、どこか落ち着く。
ふと何かがかぶさった感覚がして、上半身を起こした。起き上がってずり落ちたそれは、黒猫のマントだった。
「あ……?」
「身体、冷やしますよ」
落ち着くどころか、どうやら意識までもあのまだら模様の中に溶け込んでしまっていたらしい。俺は無言で黒猫にマントを返した。
「今日は寝ましょう。また明日です」
「ああ」
言われるまま、俺は布団にもぐりこんだ。ふかふかで暖かくて、心地よく包んでくれる。




