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ステ振り間違ったので冒険者やめてNPCになります。  作者: 黒田皐月
第一章 NPCやめて冒険者になります?
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第一話

 村を出て山中に入っていくことしばらく、道と言っていいのかわからないが他より通りやすそうなそれは川から離れ、木々が乱雑に立つ登り坂になっていった。

 足元が陰るほど木々が生い茂っているほどでもないのに、下草が少ない。村からそれなりに離れたはずなのに、怪物はおろか、動物さえまったく目にしない。

 妙に静かだとようやく疑問に思って目を上げた時、それを否定するかのように少し先に黒くて丸い動物らしいものが見えた。目を凝らして見ると、頭の上に三角の耳らしいものがある。

「黒猫……?」

 小さくつぶやいただけのはずだったが、それが向こうに聞こえたらしい。草を揺らす音を立てて、それは動いた。いや、立ち上がり、こちらに駆け寄ってきた。

「似合うでしょう?」

 そいつ、その子供は、俺に笑いかけてからその場でくるりと一周回ってみせた。黒い毛皮のマントが少し重そうにゆらりと揺れる。かぶっている猫耳フードと揃いらしく、遠目で背中向きでは動物のように見えたのも仕方がなかったのかもしれない。

「こんなところに来たってことは、病大虫ですか」

 なぜわかったのかと一瞬思ったが、村の人間であれば誰でもわかることなのだろう。俺はうなづいて答えた。

 するとその子供は、品定めでもするかのように俺を眺めまわした。

「それなら、ぼくの依頼を受けてもらえないでしょうか」

 何なのだろうかと内心思ったのを察したかのように、子供はまた俺に笑いかけた。病大虫退治の依頼を受けていることがわかっていて依頼をするとは、どういうつもりなのだろうか。

「急ぎ、なのか?」

 こんなところにいる子供が、急ぎの用事など持っているとは思えない。俺は少しだけわざとらしく不快げに聞いてやったが、そいつはそんなことなど意にも介さないように答えてくれた。

「病大虫の方も、今日明日ということでもないでしょう。それなら先に、その手前で片付くことなどどうでしょうか?」

 そこまで事情がわかっていて屁理屈をこねられると、面倒だ。顔をしかめた俺に構わずに、そいつは自分の話を続けた。

「病大虫が毒をまき散らしているという話は、お聞きでしょう。その毒を、研究している人がいるのです」

 確かに、村の他の家からやけに離れた一軒の家にそんなことを言っていた薬屋がいた。

「そのために毒持ちのサンプルがほしいのです。病大虫そのものは無理なので、ここらにいる狂乱コボルトから」

「狂乱コボルト?」

「はい。病大虫の毒のせいで暴れ狂うコボルトが、この辺りにはいるんです。その爪とか牙とか毛皮とか、そういうのを集めるのです」

 つまりは、その手伝いということか。

「お前、狩人か何かなのか?」

 それらしい武器は持っていないので、意外だった。

「いえ、ぼくはここで薬草採りです。コボルトに会っちゃったら、まあ何とかしてサンプル持ち帰るのですけど」

 子供は手にした革袋を揺すって苦笑した。袋からは柔らかいものが擦れるような音がする。

「それでどうでしょう。この山に慣れるって意味でも、先にぼくの依頼を受けてもらえないでしょうか」

 確かに俺はここに来たばかりで、この辺りにどの程度の怪物がいるのかもわかっていない。村が困り果てている様子なので病大虫退治の依頼を受けたが、目的の病大虫がどこにいるのかさえ知らない。

「わかった。その依頼、受けよう」

「ありがとうございます」

 別の革袋を渡されたのだが、それには瓶が詰まっていた。五本は空だが、二本だけ液体が入っている。

「コボルト一体ずつ別々に、爪一枚くらいでいいので、空瓶に入れてきてください。残りは解毒薬、前報酬の代わりです」

「つまり、五体分取って来いってことか。群れで出てくればそれで終わるな」

 簡単な依頼だと思ったのだったが、そうではないらしい。

「それが狂乱コボルトは普通とは違っていて、群れを作らないのです。あと、普通のなら臆病で逃げ出すことも少なくないはずですが、そういうところも狂っているのか、最後まで怯むことがないのが厄介なんです」

 それでもコボルトはコボルト、大したことはないだろう。

「それと、もちろん毒を持っているので攻撃は受けないように、それからサンプルを回収する時も素手では触らないでください。解毒薬は毒を受けた時に使ってもらえれば」

 さっきから俺の考えていることが見透かされているような感じがする。そう思ってわずかに眉をひそめたのも見つかったのか、そいつは微笑んで見せた後、真面目そうな顔になった。どちらがわざとなのだろうか。

「依頼書にサインをお願いします」

 腰に下げた革袋のひとつから依頼書2枚と鉛筆を取り出して、俺に差し出した。子供だと思っていたが、ちゃんとNPCの手続きをするらしい。

 依頼内容、狂乱コボルトのサンプル採取5体分。報酬、解毒薬2本と300フェロ。けして高くはないが、安すぎるほどでもないところが、やはりNPCらしい。2枚を横に並べて、両方にかかるように記名する。相手の記名はすでにあったので逆に並べて読んでみると、珠季と書いてあった。

「それでは、よろしくお願いします。ぼくはこの辺りで薬草採りをしているので、終わったらここにお願いします」

 依頼書の片方を受け取って、子供は茂みの方へと入っていった。俺も依頼書を受け取った革袋に入れて、とりあえずさっきまで進んでいた方向へと登っていった。


 最後の一体と思って粘ったのがいけなかった。依頼の五体めを見つけた時にはもう空は赤く、切り倒して爪を回収した時には暗くなりかけていた。

 木が織りなすまばらな陰が視覚を狂わせたか、あるいは焦りで攻撃が雑だったせいか、コボルトの爪を腕に受けてしまっていた。傷は大したものではなかったのだが、あの子供の言っていたとおりに毒があるようで、傷口は次第に熱を帯び、頭までぼうっとしてくるようだった。

 たまらずもらっていた解毒薬を飲む。町で売っているものよりも苦い気がする。だが効果はあるらしく、ふらついていた足取りも落ち着きを取り戻した。張り出した木の根などにつまづきそうになっていたのが嘘のようにスッキリしてきた。

 急がなければ、夜になってしまう。しかし足を速めれば、今度は暗くなった足元が何かに取られ、またしても転びそうになる。焦りながらも、足元への注意は怠れない。

 まばらに木々の立つ下り坂、そろそろあの子供とあった場所くらいなのだろうか。

 そう思いつつ前方を見渡すために目を上げると、赤い光が目に入った。あれは火、なのか。

「あ、戻ってきた。おーい」

 聞き覚えのある声とともに、黒い猫耳が駆け寄ってきた。

「お前、まだいたのか」

 もうとっくに村に帰っているだろうと思っていたのに、いた。しかも焚火まで用意してある。

「依頼を出しておいて先に帰っちゃうのも、ねえ」

「俺も村に戻ってくるとは思わなかったのか? 危ないだろう、夜にまでなって一人だなんて」

 何の気もなさそうに笑いかけるそいつに、子供に言い聞かせるように言ってしまう。

「まあ、何となく」

 だが本当は、人がいて、灯りがあることに、安堵していた。それを隠すように、俺はサンプルを入れた革袋を渡した。

「うん、五体分ありますね。あ、使ってない解毒薬はお返しします」

 火のそばでしゃがみこんで中身を検分する姿は、やはり猫のようだ。差し出された解毒薬を俺が受け取ると、今度は同じ袋に入っていた依頼書を取り出し、腰の袋から自分の分の依頼書と鉛筆を取り出して、依頼内容のところに完了のチェックを入れた。

「ありがとうございました。これ、報酬です。受け取りのチェック、お願いします」

 300フェロの硬貨が2枚の依頼書に乗せて渡された。依頼人が依頼内容にチェックを入れるように、俺たち冒険者は報酬のところにチェックを入れる。依頼人分の一枚を返して、それで手続きは完了だ。

「山の中を夜歩くのは危険です。今日はここで一晩明かしませんか?」

 硬貨を財布にしまった俺に、そいつは言った。俺の意向を聞いているような聞き方だが、焚火まで用意されているのだから、すでに決定事項ではないだろうか。だが、俺には何の用意もない。

「俺、野宿の準備なんて何もしてないぞ?」

「そこはまあ何とか」

 向けられた笑顔にからは強制の意図は見えないが、もし断ればこの子供はどうするのだろうかと思うと断ることはできなかった。

「なら、そうしよう」

 俺が腰を下ろすと逆に子供は立ち上がって、腰に提げた袋をいくつか外し始めた。出てきたのは、小さな片手鍋と乾燥肉、ナイフと水筒だった。いやに用意がいい。

「そうと決まればご飯です。と言っても、ご飯と言えるほどのものはお出しできないのですが」

 そう言いながらナイフで乾燥肉を削ぎ、鍋に入れていく。乾燥肉などそのままかぶりつくものとしか認識していなかった俺は、ただその様子を眺めているしかなかった。

「握りこぶしくらいの同じ大きさの石をみっつほど、探してもらえませんか?」

 こちらを見もせずに、突然そんなことを頼んできた。手持ち無沙汰だったので気紛れにちょうどよかったのだが、意外とすぐに見つかってしまい、またしても手持ち無沙汰になってしまった。

「ここに置いておけばいいか?」

「はい。ありがとうございます」

 やはりこちらを見もせずに、今度は別の袋から薬草らしいものを取り出しては戻したりしていた。複数の種類を、少しずつ摘んであるようだ。

 しばらくして目的のものが見つかったらしく、葉を小さくちぎって鍋に入れ、水筒の水を注いだ。

「煮立つまで、もう少し待ってください」

 俺が拾ってきた石の真ん中に焚火の火を分けてそこに鍋を置き、ようやく俺に顔を向けて笑いかけた。

「慣れてるんだな」

「はい。そういうスキル持ちなので」

「つまり、探検家か」

「まあそんなところです」

 言葉を濁されたようでもあるが、まあ納得はできた。それならば怪物に出会ったとしても、ある程度の心得はあるのだろう。そしてこの手際の良さも、こんなところでこんなことをしていくのに必要なのだろう。

 そう思っているうちに、いつの間にか手にスプーンを持っていて、鍋の中身を軽くかき混ぜていた。不格好なくらいに腰からいくつも革袋を提げているのも、これだけいろいろ持ち歩いているのならば納得だ。

 しかし、それでもそいつにとっては十分ではないらしい。

「すみませんが取り皿がないので、お先に、鍋ごとどうぞ」

 鍋の取っ手を俺の方に向けてから、手にしていたスプーンとは別のスプーンを俺に渡してきた。

「いいのか?」

 何の用意もないとは言え、俺は一方的にもてなされるだけだ。

「はい。ぼくが頼んでこうなったのですから。あ、熱いから気を付けてください」

 言われたとおり鍋を火から上げて、しばらく待つ。熱い湯気に混じって、ツンと鼻に通るような香りがする。煮立てられて濃い緑色に変色しているのは香草なのだろうか。

 その緑色が染み出た煮汁をスプーンにすくって、口に運ぶ。

「…うまい」

 苦い。だが、俺の口から出た言葉は、それだった。

「ありがとうございます」

 笑って見せる前に一瞬だけ、キョトンとした顔になったのが見えた。それに何と言ったらいいのかわからなかったので、見なかったふりをして先割れになっているスプーンで肉片を突き刺して口に入れた。

 水で戻して柔らかくなったと言えば聞こえはいいが、ふやけて味がなくなっていた。それが煮汁の塩気になっている。だがその味気よりも、解毒薬のような苦みの方が勝ってしまっている。明らかに乾燥肉の方が分量が多いのにこれなのだから、ある意味すごい。

 それでも、うまいと思ったのも嘘ではない。それが不思議で肉を食い、葉混じりの煮汁を飲むが、やはり苦くてまずい。なのに温かくてうまい。

 無言でそうしているうちに半分近く腹に入れてしまったので、鍋を火の上に戻し、取っ手を向けなおした。

「もう、いいですか?」

「ああ、ありがとう。このスプーンはどうする」

「後でまとめて洗うか拭くかしますので、ちょっと持っていてください」

 よほど腹が減っていたのか、俺の返事を待たずに鍋を手に取った。温めなおす時間さえも惜しかったのか。

 一口煮汁を口にして、しかめた顔を俺に向ける。

「やっぱりおいしくないじゃないですか」

 その声までが、苦そうだった。

「そうだな」

「なあんだ、何か奇跡でも起こったのかなって思ったのに。でも、おいしいなんて言ってもらえたの、嬉しかったです」

「苦いけど、うまいと思ったんだ」

「もしかして、苦いのが好みですか?」

 しかめた顔が、今度は怪訝そうに歪んだ。あんな言い方では、そう思われても無理はない。

「そうじゃない。確かに苦くてうまくなかった。でも、うまいって思ったんだ」

 言ってみたものの、これでは説明になっていない。

「そう……、ありがとうございます」

 だが、伝わったらしく、また笑ってみせた。

「喋ってると冷めるぞ」

 さっきからなぜか、もてなされている俺の方が礼を多く言われている。それを俺は、そんな言葉で誤魔化すことしかできなかった。

「お気遣いありがとうございます。でも本当は、熱いのが苦手で冷めるのを待っていたんです」

「そうか」

 それさえもそんな感じで返されてしまう。俺はもう、黙るしかなかった。しかし、

「あの…聞いてもいいですか?」

 向こうから話しかけてくる。

「ああ」

 それがうっとおしい訳ではない。ぶっきらぼうになってしまった返事がそう聞こえていなければいいが、そういう心配はどうもこいつには無用らしい。

「アキトさんって、呼んでもいいですか?」

 依頼書を交わしているのだから、互いに名前はわかっている。それに、聞きたいことは呼び方のことではないだろう。俺は無言でうなづいて、続きを促した。

「アキトさんは、ずっと一人なのですか?」

 そのことが意外そうな聞き方だった。だが別に、そういう冒険者も珍しいほどではない。

「そうだな…まあ、そうだ」

「そうなんですか……意外です。何か訳が、あるのですか?」

 続く問いがやや遠慮がちに聞こえたのは、俺がそうあってほしいと思ったからだろうか。過去のことは、あまりしゃべりたくない。

「どうしてそう思うんだ?」

 しかし俺の口からは、拒絶の言葉は出なかった。

「アキトさんはすごく人に気を遣う人だから…そんな人が一人でいるのはもったいないと思って」

 首を傾げて、さらに続きを促してしまう。

「そういう人がパーティを組めば、もっといろんなことができて、もっと楽しいと思うんです」

 また、見透かされているかのような感じだ。

「俺も駆け出しのころはそう思ってた。その頃は剣士三人でパーティを組んでいたんだ」

 それに答えてしまっているのは、なぜだろうか。まるで自分でない何かがしゃべっているような、不思議な感じだ。

「三人が三人とも自己主張が強くてな、セントラルグランのNPCからも警告されたんだけど、まだ大したレベルでもないのに無理してコボルトリーダー退治の依頼を受けたんだ」

 今度は向こうが無言で続きを促してくる。こちらをまっすぐ見ている顔からは、ただ聞いている以上の何かはうかがえない。

「結局コボルトの群れに遮られて逃げ帰ることになって、そこでもっと戦えたとか依頼を受けたのが間違いだったとか大喧嘩になって、そのままパーティ解散だった」

「それで、それからずっと、ですか?」

「ああ。あんなのはもう懲り懲りだ。だから俺は、パーティならばもっといろいろできるなんて思ってない」

 俺の話はそれで終わりのはずだったが、向こうは納得できない顔をしていた。時々下を向いて、うーん、などと小さくうなったりしている。

 何を考えているのかわからないが、何にしてもとっくに終わったことだ。それに俺のことなど関係ないだろうに、何をそんなに考えることなどあるのだろう。

「きっと、その時はたまたまうまくいかなかっただけと思います。やっぱりアキトさんは一人でいるべきじゃないです」

 俺の目を見据えて、きっぱりと言い切った。迫力があるなどでもないのに、どうしてか否定も疑問も浮かばない。

 これまで一人で戦えるように、強くなるために、ずっと地味な依頼を重ねてきた。いつか他の冒険者たちに追いつき、活躍できるようにと、ずっと望み続けていた。

「これはぼくの思い込みかもしれませんが…」

 きっぱり言い切ったところから次の言葉を少しためらうかのような様子の変化に、引き込まれるかのように俺の視線が吸い付けられる。

「アキトさんは一人でいるのが好きなんじゃない」

 虚を突かれたようでもあり、そう言われるのがわかっていたような気もした。混乱から返事ができない俺に、さらに続けられる。

「そんな人があんなものをおいしいだなんて、言えるはずがありません。人の気持ちに寄り添える人が、一人でいいなんて、思えるはずがない」

 それはどこか哀しげで、決して大きい声ではないのに叫んでいるかのように俺には聞こえた。

「やめろ」

 対する俺は、本当に大きな声を上げてしまった。

「…ごめんなさい」

 それきり、言葉は途切れた。町での人の営みも森での動物の息遣いも、ここにはまったくない。残った音は焚火の燃える音くらいだった。身じろぎひとつでさえ、衣擦れの音でわかってしまう。そのことさえも怖くなって、俺は強く目を閉じた。

 その暗闇の中で感覚がとらえたのは、鼻に通る香りだった。それが弱々しいのは、鍋が手元にないからだけだろうか。

「おい」

 声をかけると、向こうも顔を上げた。首から下は、鍋とスプーンを手にしたまままったく動いていない。

「冷めるぞ。いや、もう冷えちまってるだろう」

「そうですね」

 そう言って、鍋を焚火の上にかざした。やはり手馴れている。

 残り少ない鍋はすぐに湯気を上げた。息を吹きかけながらそれを口にしていくのを、俺は黙って眺めていた。

「スプーン、持っていてくれてありがとうございました」

 硬い笑顔で伸ばした手にスプーンを返すと、水筒に残った水を鍋とスプーンにかけて流し、ズボンのポケットから取り出した布切れで拭いた。それが終わると、再び音がやんだ。

 夜も更け、冷えてくる。二人とも焚火に顔を向けて、黙って暖を取っていた。

「なあ」

 その横顔に声をかけると、やはりきっちり顔を向けてくれる。

「さっきは悪かった」

「いえ、ぼくが余計なことを言いました」

 俺は口だけなのに、向こうは頭まで下げてくる。そんなことをさせたいのではない。

「そうじゃなくて…」

 苛立ちと焦りが、かえって言葉を失わせる。もどかしい。俺がそうなのに、向こうは平然とただ待っている。俺だけが醜態をさらしているようで小憎らしくもあり、同時にちゃんと聞いてくれる安心感もある。こいつにだけ感じる、不思議な感覚。

「なんでお前は、俺のことを見透かしたようなことを言うんだ?」

 違う。

「不快なことを言って、ごめんなさい」

「そうじゃない」

 重ねて謝ろうとするのを、声を荒らげて押しとどめた。驚いたようで、頭を下げた格好から首だけを上げた変な姿勢になっている。

 どう言えばこいつに謝らせる以外のことができるだろうか。何を伝えれば俺の気持ちは収まるのだろうか。

「俺は、意固地になっていたのかもしれない」

 会話では、また謝らせるだけにしかならないとしか思えなかった。俺はうつむいて相手を見ず、独り言としてしゃべり始めた。

「一人でやってやるってずっと思ってきた。できてるつもりだった」

 向こうがどうしているかなど見てもいないが、聞いてくれていることはなぜかわかる。

「だけど、大きな依頼は無理だった。細かい依頼をずっとやり続けて、それでちゃんとやってるんだって、思い込んでたんだ」

 でも俺は何も見ても聞いてもいないのだから、聞いてくれているというのも思い込みかもしれない。

「でも本当はもっと大きく、何かしてみたかった。だから他に誰も手を出していない、病大虫退治の依頼を受けた」

 焚火にくべられた枯れ枝がはぜる音がして思わず顔を上げると、目が合った。その目はただ俺を見ているだけで、何も訴えかけていない。それでも俺は、その目を見て話すことができなかった。

「そういう俺自身のためっていうのが、俺がやりたかったはずのものから外れちまってる、そう突きつけられた気がしたんだ」

 それ以上は、無理だった。

「大丈夫です」

 どれくらい経ったか、口を閉じ、目を閉じて感覚を放棄していた俺の耳に、その声が届いた。

「自分のためで、いいんです。だって、生きてることそのものが、自分のためなんだから」

 自分で打ちのめした自分が、その声に支えられる。

「でも、自分だけのためって…」

「そう思うのは、そう思っていないからです」

 おかしなことを言っている。だが、それでも聞いてしまう。

「自分以外の他人があるって思っているから、自分だけって言うんです。本当に自分だけの人は、自分とか他人とかそういうことは思いもしない。だから、大丈夫です」

 俺は、大丈夫、なのか?

 顔を上げるとそこには静かに微笑む顔があった。すがるようで情けないが、その目に引かれてしまう。

「大丈夫です」

「……そうか」

 言葉にならない何かがあふれるようで、それだけ言うのがやっとだった。その何かが鎮まるまで、またしても俺は口を閉じ、目を閉じるしかできなかった。

 急に暑いくらいに感じたので思わず目を開けると、焚火がさっきまでより大きくなっていた。枯れ葉がチリチリ言いながら燃えていく。

「入れすぎました」

 ばつが悪そうに笑う顔に、俺までも思わず顔を緩めてしまう。

「俺は…変われるかな」

「変わる?」

 首を傾げてはいるが、何も言わずに続きを待っている。

「もっとしっかり人と関わっていけるように。依頼主とか、他の冒険者とか、いろいろ。そうなれれば、もっと違うものが見える気がする」

 今お前に会ったように。そのためには、

「お前といれば、それができる気がする」

「ぼく?」

 キョトンとした表情だけは、見た目相応の子供のようだ。

「そうだ。俺一人じゃ多分、人と関わろうとしたってどうしたらいいかわからなくなる。でもお前とならば、できそうな気がするんだ。だから俺は、お前とパーティを組みたい」

 そしてこれが、俺がしっかり人と関わる始まりにもなる。

 しかし向こうは冒険者ではなく村のNPC、それを捨てて冒険者になってくれるだろうか。それでも、俺にはこいつを誘う以外の道は見えなかった。そう強く目で訴えかける。

 少し押されるような表情が、瞬きひとつを境に静まった。

「アキトさんは人に気を遣うことができるのだから、大丈夫です。変わらなくても、今のままでいいんです」

 まっすぐ俺の目を見返して、そう言った。

 大丈夫とは言っているが、これは、拒否なのか。頭の後ろあたりがサッと冷たくなる。

「でも、今どうしてもぼくが必要だと思うのなら、しばらくの間ご一緒しましょう」

 思考を失いそうになる意識が、すんでのところですくい上げられた。

「いいのか?」

 信用できないなど考えられもしなかったが、それでも念を押さずにはいられなかった。

「はい。ぼくがお役に立てるなら」

 目を細めて答えたその顔は、見た目よりも大人びていた。ただ、見ず知らずだった俺を火と食事でもてなしてくれたその所作には、こっちの方が似つかわしいのかもしれない。

 そう言えば、しばらくの間と言っていた。それには何か都合があるのだろうか。

 いや、それは触れないでおこう。今は後ろ向きなことは考えたくない。

 そうしてしばらく何かを考えるとも考えていないともなく、焚火の火を眺めていた。向こうも何もせず、何も言わない。静かな夜だ。

「なあ黒猫」

「はい。ふぇ、黒猫?」

 俺がただ呼んだ声に、裏返ったような驚いた声が返ってきた。

「ああ。お前は珠季ってよりも黒猫って感じだ」

 なぜかと聞かれても困るが、黒猫はそんなことは聞かず、小さく含み笑いをした。

「はい」

 呼び方は、それでいいらしい。

「眠そうだな」

「そうですね。かなり夜も更けてきましたし」

 少し舌が回っていないような声だ。うたた寝をしていたのかもしれない。

「お前はもう寝ろ。火の番くらい俺がやる」

 相手はまだ子供だと思うと、らしくない反応が返ってくる。

「それでは、交代で休みましょう」

「お前は焚火とか食事とか用意してくれただろう。でも俺は何もしてない。だから…」

「少しでも休んでおかないと、明日に響きます。それにぼくたちはもうパーティなんです。するとかされるとかじゃないんです」

 また理屈が始まりそうだったので、俺は黙ってうなづいた。それでなだめることができたのか、理屈は始まらなかったが、何が始まるのか革袋の中身をあさり始めた。

 依頼書らしい紙と鉛筆を取り出して、何かを書き始める。こんな暗い中でわざわざ何を書き留めているのかと思いきや、見せられたのはいくつかの点で描かれた図だった。

「あの星、導北星って言うんですけど、わかりますか?」

 図と空を交互に指さして、説明が始まった。わかるようなわからないような感じだが、考えていても仕方がなさそうだったので相槌を打っておく。

「あれがこのくらいのところまで回ったら、交代しましょう。すみませんが、それまでぼくが先に休ませてもらいます」

 紙を傾けて、交代の時の星の様子を説明された。今ちゃんとわからないのだから、その時になってもわからないかもしれない。その時はその時、朝まで寝かせてやればいいだろう。

「わかった。その頃起こすから、その後は頼む」

「お願いします」

 黒猫は紙を俺に渡すと、革袋のひとつに束ねたロープを乗せたものを枕にして、背中から外したマントに包まるようにして横になった。猫耳フードはそのままなので、それこそ猫が丸まっているかのようだ。

 すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。何だかんだ言ってもまだ子供、夜更かしは相当疲れたのだろう。

 それにしても。

 たった一日で、大きく動いたものだった。

 実際は狂乱コボルトを数体退治して依頼人だった黒猫と話し込んでいただけで、大きいと言えるようなことは何もしていない。しかし昨日と今日とがまったくつながっていないと言っていいほど、俺の内で何かが変わってしまった。

 昨日までの延長線上にはない明日に、何が起こるかなどまったくわからない。不安がない訳ではないが、それよりもはるかに、やってやろうという気持ちになれる。

 そんな高ぶりの一方で、多分大丈夫だろうという落ち着きもある。

 それらすべてが目の前で眠っている子供によるものなのだから、不思議としか言いようがない。

 くしゅん。

 くしゃみで思索が途切れる。黒猫を起こしてしまっていないか心配になったが、眠ったままだ。

 焚火の火が小さくなってしまっていた。このままでは、声で目を覚まさなくても、寒さで目を覚ましてしまうかもしれない。俺は急いで燃やせるものを探し始めた。

 幸い、近くの木の根元に枯れ枝が吹き溜まりのようにして集まっていて、それをくべてやると火は勢いを取り戻した。余った分を足元に置いて、腰を下ろした。

 昼間も動物などまるで見なかったが、それは夜になっても変わらない。耳に入る音は焚火の燃える音と時折風が枝を揺らす音、あとは黒猫の寝息だけしかない。

 この不自然さは、病大虫に原因があるのだろうか。そのまき散らす毒が生き物を弱らせ、死滅させているのだとしたら、相当なものだ。

 明日こそは病大虫を探し出して、退治しなければならない。こいつの力も借りて、と黒猫を見やった時、それを感じたのかそれとも単なる偶然か、丸まっていた黒猫がもぞもぞと動き出した。

「んー? けっこう寝たような……」

 目をこすりながら空を見上げる。俺もそれにならうように空に目をやったが、説明された導北星がどこにあるのかはわからなかった。

「あ、寝過ごしちゃった」

 だが黒猫の方はすぐにそれを見つけたらしく、時間の経過がわかったようだった。

「ごめんなさい、ぼくを寝かせておいてくれたんですね」

「別に、そういうつもりじゃなかったさ」

 何となく時間が過ぎていただけだった。それと星がわからなかったからなのだが、どちらもわざわざ言うことはしないでおく。

「朝まであまり時間がありませんが、少しでも眠っておいてください。これ、よければ使ってください」

 黒猫が自分のマントを差し出す。

「それじゃお前が寒いだろう」

「火に当たっていれば平気です。それよりもアキトさんの方が、暖かくしないと眠れませんよ」

 俺は首を横に振ったが、黒猫が差し出した手を引っ込めることはなかった。

「じゃあ貸してもらおう」

 受け取って、背中に掛ける。黒猫の背丈に合わせたものなので小さめなのだが、けっこうしっかりした生地で黒い毛が柔らかく、上等なもののようだ。

「何か枕にしますか?」

「いい。この格好のまま寝る」

 少し前にかがみこんで、目を閉じる。マントを掛けた背中が暖かい。どうやらすぐに眠りに落ちたようだった。

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