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ステ振り間違ったので冒険者やめてNPCになります。  作者: 黒田皐月
第二章 したいこと、嫌なこと
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相思

 黒猫がいなくなった後、俺たちの戦い方は、ユリと葵、遥とメグ、ロンとレイナ、蒼玉と俺の四組が基本になった。

 俺たち以外は前からそんな感じだったからそれでよかったが、蒼玉と俺との組み合わせがどうしてもうまくできない。間が合わないというかかみ合わないというか、それで俺たちのところから崩れてしまい、そんな時はだいたいユリたちに助けてもらうことになってしまっている。

 そんな時、蒼玉は決まって合わせられない自分が悪いのだと言う。でもそうじゃない。俺が蒼玉のことをしっかり守ってやらなければいけないのだ。

 だいたい、初めて会った時からそうするはずだった。そしてそれは仲間が増えても変わっていない。それなのに俺が勝手に突っ走って後ろを誰かに任せきりにしてしまってばかりしていたのだ。そしてほとんどの場合それを引き受けてくれていたのが、黒猫だった。

 だからこんなことは今さらなのだ。ちゃんとやるべきことをしてこなかった俺が悪い。それなのに蒼玉は自分のせいだと言って譲らない。

 他のみんなは俺が黒猫を失って調子が出せないでいると思っているようで、何も言ってこない。何も言ってはこないが、こう何度も繰り返されるとそろそろ厳しい視線を向けられたりもする。

 そして蒼玉はとうとう俺と口をきかなくなってしまった。でもそれは、俺を嫌っているというよりも、自分に焦っているように見える。それを言っても、俺の言葉は蒼玉に届かない。

「なあアキト、いい加減そろそろやる気出してもらわないと困るんだけど」

 業を煮やしたロンが、ついにそう言って俺に詰め寄ってきた。そのとおりだ。言い訳ひとつできずに硬直している俺をひとにらみしてから、ロンはひとつ教えてくれた。

「蒼玉の方も意固地になってるらしい。レイナやユリやメグが話をしようとしても、一人で閉じこもってまともに相手してもらえないって言ってたぜ」

 あの蒼玉が、俺にならともかく、他のみんなにもそんな刺々しいことをするなんて、信じられなかった。やっぱり今の蒼玉は変だ。そしてそれは間違いなく俺のせいだ。

 ダメだ、このままでは蒼玉が一人になってしまう。俺にできることなんて何もないけど、それでもせめてそこまで蒼玉を追い詰めてしまったことを謝りたい。

 居ても立ってもいられなくなって、部屋を飛び出して女子部屋の戸を激しく叩いた。出てきたのはユリだったが、そのユリの頭の上を飛び越すように蒼玉を呼びつける。

 怯えたような蒼玉をかばうようにレイナが間に立ち、俺はユリに部屋の外へと押し返された。

「いくらアキトさんでも、今のはダメだよ」

 真っすぐ俺の目を見上げて、ユリが俺を叱る。それは一言二言では終わらない勢いだったが、続きはその背後からかけられた静かな声に止められた。

「アキトさんと二人で、話をしてきます」

 蒼玉のその声に、ユリは戸惑いながらも部屋の中へと身を引いた。

「外で、いいですか?」

「ああ」

 先を歩く蒼玉について、俺も食堂から宿の外へと出た。

 二人だけで外に出ていくのはまるで、黒猫がパーティを抜けると言い出した時のようだった。それに気づいた瞬間、全身が一気に冷たくなったように感じて、身震いがするのを止められなかった。

 黒猫……、やっぱり俺はお前がいなければどうしようもないのか……?

 数歩先に行ってしまった蒼玉が、俺がついてきていないことに気づいて戻ってきた。俺の様子がおかしいことにも気づいたようで、戸惑ったようにこちらを見ている。そうして声をかけるのをためらってらしい蒼玉に、俺の方が耐えきれずに先に口を開いた。

「まさか…お前までパーティを抜けるとか言わないよな……?」

 目を伏せてしまったのが答えだった。

「アキトさんや皆さんに迷惑をかけてしまうなら…」

「ダメだ!」

 うつむいてしまった蒼玉の顔を思わず両手でつかんでしまった。上目遣いで俺を見上げた蒼玉と至近距離で目が合って、驚いて飛び退いた。

「どうして……?」

「好きなんだよ! お前のことが……!」

 次の瞬間、自分で口を両手でふさいでいた。その俺の前で蒼玉の目が見開かれているのが、暗がりの中でもはっきりわかる。

 多分、二人とも呼吸を忘れていたのだと思う。その沈黙は一瞬だったのか、長いものだったのか、わからなかった。

「好き……?」

 俺は確かにそう言ったらしい。

 そう意識したことは一度もなかった。

「お前の目を初めて見た時から、ずっと」

 でも思っていたんだ。

「だからお前がいなくなるのはダメだ」

 ずっと思っていたんだ。

「好きだから、離したくない」

 お前を俺のものにしたいと。

 ずっと見ていたいと、見ていてもらいたいと思っていたその目に、叩きつけるような視線をぶつける。

 その目は、戸惑いに揺れていた。

「好き、って……?」

 気持ちがぼやけてしまったかのような、たどたどしい口ぶり。

「ずっと一緒にいたい。一緒にいてほしい。俺のことを見ててほしい」

 そんな蒼玉に、俺はさらに言葉も叩きつける。

「それは…パーティなんだから、そうですよね…?」

 わかってない。

「お前がほしい。一番にほしい。誰にも取られたくない」

 焦点を失っていたような目が、再び俺を映した。今度はゆっくりではあるがはっきりした口ぶりで、言った。

「一番って…、アキトさんがいちばん大事にしていたのは、珠季さんですよね……?」

 今度は俺が絶句した。蒼玉が、そんなことを思っていたのか。

「だってアキトさんはいつも珠季さんのことを見て、声をかけて、気にしていました…。誰のことよりも、いちばん……」

 それは、

「そうかもしれない。でも俺が一番ほしいのは、お前なんだ」

「それって……?」

 どういうことだろう。蒼玉の言うとおり、俺には黒猫が大切だ。それは一番なのかもしれない。

 でもそれとこれとは違う。いちばん大切なものと、一番ほしいもの。それは順番なんかじゃない。どっちも俺には絶対に必要なんだ。

「黒猫は俺にとって大切だ、今でも。でもあいつは俺だけのものじゃない。もっと、日とか水とか土とか……そんな当たり前にあって、ないなんて考えられないもので、だから俺だけのものにはできない」

 今度はわかってくれたのかどうか、蒼玉は黙って俺の言葉を聞いている。

「だけどお前は違う。手を離したらいなくなってしまう。それは嫌だ」

 無理やり蒼玉の手をつかんでしまいそうになったのを、今はまだ必死に抑えた。

「でも私は、迷惑しか…」

「そんなのはどうだっていいんだ!」

 間近で大きな声を出されて、蒼玉がびくっと震える。手を伸ばしかけていたが、それを見て反射的に引っ込めた。

 気持ちが伝わらないことがもどかしい。伝えることすらできていないことがもどかしい。怖がらせたいんじゃないのにそんなことしかできない自分が嫌だ。

 いつだって相手を真っすぐ見つめる蒼玉の目が、俺に向いてくれない。俺にだけ、向けてもらえない。

 それって……嫌われたのか?

 うずうずしていた手から力が抜けて、だらりと垂れさがる。

 ぐるぐるしていた頭の中から言葉が消えて、そして意識までも真っ白に消えゆく。

 感覚さえも失われていく俺の耳に、何か聞こえたような気がした。

 ああ…今、拒絶の言葉を言われているんだろうな……

 違う?

 温かいものを感じる。

 激しい何かが伝わってくる。

「蒼玉……?」

 蒼玉が俺の両肩を揺さぶりながら、何度も名前を呼んでくれる。

 これは…本当のこと……?

 試しにその手を肩から外してみる。触れた温もり、わずかな重み、……嘘じゃない。

 蒼玉が俺に触れてくれたんだ。

 一気に感覚が戻る。自分の体に意思が通る。

「蒼玉…?」

 名前を呼んでみる。口から声が出て、それを聞いた相手が反応して目を合わせる。

 その目に俺の視線が吸い寄せられる。そうだ。いつだってそうだった。

 俺はその目が、その目を持つ蒼玉が、好きだったんだ。

「私は……、どうすればいいのですか?」

 ずっと一緒にいたい。その目を見て、見られていたい。曇らせたいんじゃない。

 でもそれは、俺が自分の気持ちだけを押しつけたせい。

 そんなことで俺の好きな蒼玉を俺の手で壊すなんて、ダメだ。

 俺も蒼玉に好きになってもらいたい。でもそれは蒼玉の気持ちだ。

 嫌われたくない。それも俺の押しつけだ。許されるものじゃない。

 いったい何であれば許されるだろう。

 蒼玉は俺の目を真っすぐ見据えて答えを待っている。

 それは、許されるのだろうか。今俺のことを見ていてくれる、そのことくらいならば許してくれるだろうか。

 頼む…、俺はすがるように口を開いた。

「俺がお前を好きなことを、許してほしい」

 お前がそれを許せないくらいに俺を嫌ってはいないのならば。

「好きって……?」

 最初にそれを押しつけた時の茫然とした顔とは違って、今度は理解しようと問いかけている。俺を引きつける目が、それを教えてくれる。

 今度こそちゃんと伝えなければ。ただの言葉ではなくて、押しつけでもなくて、俺の気持ちを、伝えなければ。

 俺はそれを、蒼玉の目の中に探した。深く、深く、もっと深く、そのきれいな目をのぞきこむ。

 そのいちばん深くにあったものを、すくい上げた。

「ずっと、誰よりも、一緒にいたい。いてほしい」

 呼吸が止まったかのように、すべてが静止した。

 今度は俺が、蒼玉の答えを待った。押しつけがましくしたくなくて、ほんのわずか、目線を下げる。

 口元が動いたのを見て、再び目線を合わせた。そのせいか、一瞬だけ出かけた言葉が詰まったようだったが、一呼吸してから言いなおしてくれた。

「ごめんなさい、アキトさんが私に思ってくれている好きが、私にはわかりません」

 蒼玉が真剣に考えてくれた答えなんだから、受け止めなければいけない。

「私が想像できないくらい激しくて、深くて……」

 それが重荷になってしまうのならば、言ってはいけなかったんだ。

 でも辛い。自分の気持ちを閉じこめるのは、辛い。

「こんなことは言っていいことではないとは思うのですが、答えは待ってほしいのです。私がそれを、ほんの少しでもわかるようになるまで…」

 それって?

「…………」

 もしかして、拒絶ではない…?

 そんな都合のいいことなんて、思っても、いいのか……?

 ふらふらしていた頭の中がぐるぐるして、返事どころではない。

「そうですよね。こんないい加減なこと、」

「そうじゃない!」

 今度はもう抑えられなかった。半歩の距離を踏みこんで、蒼玉の手をつかんでしまう。

「いい加減なんかじゃない。真剣に、真剣に考えて、考えて、答えてくれたんだ。お前が本気で俺の気持ちに向き合ってくれただけで、俺はもう嬉しいんだ」

 激しいと言われたそばから激しくしてしまっている。しかし俺の気持ちはもういっぱいで、あふれてしまってどうしようもなかった。

「いつまでに答えられるとは言えませんが、側にいさせてください。そしてアキトさんの気持ちを感じさせてください」

「……いて、くれるのか?」

 好きでいていいのかとは、欲張りすぎて、怖くて聞けなかった。

「はい」

「待つよ。お前の答え、待ってる」

「必ず」

 もう好かれたいとか嫌われたくないとかどうでもよかった。蒼玉が俺の気持ちに向き合ってくれることがもう、奇跡だった。

 でも、

「いつまでとかいいから、焦って苦しんだりしないでほしい」

 そのせいで今以上に苦しむことがないようにいてほしい。

 つかまれた手が痛いなんてのもダメだ。強く手にしたものを今さら壊してしまっていないか確認するかのように、恐る恐るつかんでいた手を離す。

 手の痛みなど気にする様子もなく、蒼玉は俺の目だけを見つめている。何かを問おうとしているような、言おうとしているような、待っているような、そんな揺れがその瞳に見える。

 でも俺はそのどれにも応じなかった。今以上に俺を蒼玉に押しつけることは、してはいけない。

「戻ろう」

「はい」

 決めるとなると早いところは、いつもの蒼玉と言っていいのだろうか。戻ると言った俺の先に立って、蒼玉が宿の扉を開けて中に入る。

「あの」

 女子部屋の戸に手をかけた蒼玉を、戸を開ける寸前で呼び止めた。蒼玉はわざわざ戸から手を離して後ろの俺に向き直ってくれる。

 用事とか話とかではないのでそこまでされるとかえって言いにくいのだが、呼び止めたのだから言うしかなかった。

「俺が言えたことじゃないかもしれないけど、ゆっくり休んで」

「はい」

 ほんの少し表情を緩めてくれたように見えたのは、俺が期待してしまっているからだろうか。

 部屋に戻る蒼玉の後ろ姿を見ながら、そういうことひとつひとつが押しつけになってしまうのだと思いなおした。答えを待つとは言ったが、その間こういうことを我慢しつづけられるのだろうか。

 俺は俺で男子部屋に戻ると、無言でつかつか近寄ってきたロンに間近で顔をのぞきこまれた。そう言えば、ロンに何かを言われて部屋を飛び出したのだった気がする。

 そのことを、何か言わなければならないのだろうが、言えること、言っていいことなど何ひとつ、ない。

「よくもなく、悪くもなしといったところか。あーあ」

 そうして目を泳がせている俺を放り出すように、ロンの方が一方的に背中を向けた。

 今のことは、俺にとっては気持ちの整理が追いつかないくらいに大変なことなのだが、こんな俺を見慣れているロンからすれば何もなかったことと変わりがないのかもしれない。

 追及がなかったことに甘えてそういうことにしておいてもらい、俺はみんなに背を向けるようにしてベッドに横になった。

 黒猫がいてくれたらどんなことを言ってくれるのかと思ってしまい、慌てて激しく首を振った。これは蒼玉と俺のことだ。もし黒猫がいたとしても、甘えていいことではない。

 そんな俺のことを変に思ったのか、背後から俺のことを言っているようなひそひそとした声が耳に入ってくる。みんな俺のことを心配してくれているのかもしれない。でも今は、それを無視するしかできなかった。


 気持ちが鎮まらなくて眠れそうにないと思っていたのだが、いつの間にかうとうとしていたらしい。そしてそれが、遠い騒がしさに破られた。

 それは外から聞こえてくるようだったので窓を開けてみると、人の叫びなんかが飛びこんできた。よく眠れていなくてぼんやりしていたが、それで一気に目が覚める。

「みんな起きろ!」

 言うまでもなくみんなベッドから身を起こしていた。だがまだちゃんと目が覚めていないようで、さっきまでの俺のようにぼんやりしている。

「何かあったらしい。俺は様子を見てくるから身支度しとけ」

 早口で言い捨てて返事も聞かず、ベッドの下に置いてあった剣だけをつかんで外へと走った。

 宿の店主も裏手からちょうど外に出てきたところらしく、鉢合わせてぶつかりそうになる。それを謝ると、店主は町の出入り口の方を指差した。

「あっち、あっちで何か起こっているらしい」

 向こうに駆けていく人と向こうから走ってくる人でぐちゃぐちゃした流れになっているが、確かに騒がしさは向こうにあるらしい。

「見てきます。他のみんなが出てきたら、俺が戻るまで待つように言って」

 店主に頼んで、俺も人の流れをかいくぐって出入り口を目指した。

 そこは警備隊を先頭にして押し合いのようになっていた。その押し合いの一方、外から押してくるのは木霊の群れだった。

 後ろから仲間ごと押し潰そうとするかのように、木の壁を壊してなだれ込んでくる。それに駆けつけた冒険者たちが立ちふさがる。

「来てくれたのはありがたいが、ちゃんと準備してから来い!」

「はい!」

 その押し合いをすぐ後ろでにらんでいた隊長らしい男に怒鳴られて、俺はくるりと後ろを向いてまた人の流れをかいくぐって走った。

 宿の外ではもう、みんなが身支度を済ませて待っていた。

「木霊だ! 町の壁を壊して押し込んでくる」

「もう町の中なのか?」

「まだ入り口で、警備隊や冒険者とやり合ってる。けど多分、押されてる」

「なら!」

 今にも駆けだしそうな葵に、俺は道を空けるように避けた。

「俺も支度をしたらすぐ行く。先に行っててくれ」

 葵を先頭にみんなが縦一列で駆け出し、俺は逆に宿に飛びこんだ。回復薬なんかを入れた革袋を腰につけて、もう一度服を整える。それから盾を取って、一応宿の店主に一声かけてからまた出入口へと走った。

 さっきよりも壁が広く壊されたらしく、戦いは横に大きく広がっていた。そのためにこちらに厚みはないが、みんなを見つけるのは簡単だった。蒼玉たち魔法士をすり抜けるようにして前に出て、目の前の一本に気合の斬撃を食らわせる。

 密集している木霊の圧力は相当なものだが、その分前で倒されたものが邪魔になってくると全体が身動きが取れなくなる。だからまずはどうにか先頭を打ち倒すことだ。

 一斉に伸ばしてくる枝や根を防ぎ、払いながら、剣で、槍で、拳で、魔法で、攻撃を加える。押され、下がりながらも、前進を食い止めようと戦い続ける。

 そのうち、何本かが横倒しになって、俺たちと後ろの木霊たちを分けた。こうなれば後は魔法で一掃できる。倒れてもまだ枝を打ちつけてくるのを盾で防ぎながら、俺は戦況の好転に少し安堵を覚えた。

 だが。

 次の木霊たちが、倒れた木ごと俺たちに押しつけるように前進してきた。

 後ろの木霊も前の木霊を押すように出てきて、前の木霊がこっちに倒れてきたりする。これほどの力に、かなうはずがない。

「ファイアーウォール!」

 先に後方に下がっていた蒼玉が、なす術なく逃げる俺たちと入れ替わりで火柱を放った。倒れて押される木霊たちが、自分から火に飲みこまれていく。それでようやく、木霊の前進が止まったかに見えた。

「そんな……!」

 なぎ倒され、燃え上がった木霊が、さらにこちらに押し出されてくる。迫ってくるそれはまさしく、炎の壁だ。

 信じられない光景に、蒼玉が立ちすくむ。

「下がるぞ蒼玉!」

 駆け戻って蒼玉の手を取って、ハッとした。こんな時なのに、意識してしまう。

「はい!」

 思わず手を離してしまったが、蒼玉が立ち直ってくれて短い返事と共に後ろへと走り出した。その声で俺の意識も目の前の戦いに戻り、蒼玉の後ろを走った。

 だがここはもう町の中だ。壁沿いの道の向こうには、家なんかもある。このままでは迫ってくる炎に燃やされてしまうが、防ぎようがない。

 一軒の家を盾にするように裏へと回りこみ、畑を踏み荒らしてその真ん中に集合した。

「大丈夫だ。ここの人はもう逃げてるみたい」

 最後に来た葵とユリが誰へともなく声をかけて、俺たちのいちばん前に立った。

「声をかけてくれてたのか」

「ああ。ここはもう防げない。だからせめて、な」

 言っているうちに押された幹が家にぶつけられて轟音を立てた。木の家はあっという間に炎に包まれたが、それでも木霊の前進を食い止めている。燃える幹を家の正面に捨てて、左右から木霊たちが回りこんでくる。幹が焦げ、枝が焼けていても、構う様子がない。

「変だよ、こんなの……」

 レイナの言うとおりだ。傷ついても前に出てくるのが木霊なのだが、火だけは恐れたはずだ。それが今は、燃え尽きてでも襲いかかろうとしてくる。

「ええ……、あれは…?」

 左右の木霊を交互に見ていた蒼玉が、何かに気づいたように左側に目を止めた。

「何かあるのか?」

「あそこ…高いところに青く光る、宝石のようなものが見えたのですが……」

 蒼玉が先頭の木霊を杖で指したが、そんなものは見当たらない。

「葉が日の光を受けて光って見えただけでしょうか……」

 そうは思えない。ここは町の南側、今は朝で日は左から照らされているのだから、そんなきれいに見えることはないはずだ。

「もしかしたら、木霊が変な原因がそれなのかもしれない」

 そもそも、木霊が町を襲うことからしておかしい。それには何かがあって、その何かをどうにかできれば、これを止められるのかもしれない。

「そういうの、後にしようぜ!」

 俺たちの前に飛び出したロンが、伸ばされた枝を槍で払いながら叫んだ。それを合図に俺たちは左側に、ユリたちが右側に向かった。

 道と違って足元が軟らかくて走りづらいのだが、それでも木霊程度の早さならば十分に動けた。向こうは向こうでかなりの数がここまで炎に焼かれてしまったのか、回りこんできた数はそれほど多くはない。

「蒼玉、あれ!」

 レイナも何かを見つけたのか、自分の魔法で切り倒した木霊に駆け寄っていく。

「危ない!」

 木霊は切り倒せばそれで終わりではない。さらに根を振り上げてレイナを打ちつけようとしたのを、間をめがけて飛びこんだ俺が盾で防いだ。そこをさらに蒼玉の放った火球が襲い、枝の方はロンの槍が横薙ぎに打ち砕いた。

 レイナが見つけたものが何かは気になるが、まだ他の木霊がいるのに四人が一か所に集まってしまうわけにはいかない。体勢を立て直した俺は向こうにいる木霊へと走った。

 その勢いで一本は切り倒したが、燃える家の方から熱風が吹いてきて、その先には行けそうにない。風の吹いてきた方に目をやると、家の向こう側がまだ激しく燃えていた。そこでいったいどれくらいの木霊が燃え尽きたのだろうか。

 熱風を避けて一度下がると、蒼玉が両手に持った縄のように長いものを見せてきた。

「これが、多分私がさっき見たものだと思います」

 左手には縄が、右手にはベルトがあって、それが一本に結わえられているものらしい。そしてベルトの留め具のところに、青い宝石があしらわれていた。

「何だ? これは」

「わからない。木霊の枝に引っかかってたんだけど、どう見ても人が作ったものだよね」

 俺の疑問に答えたのは、一緒にいたレイナだった。ふとロンはどうしたのかと思って周囲に目を走らせると、俺と同じことを考えたのか、別の木霊に当たっていた。

「なんでこんなものを木霊が持ってるんだ…?」

 ひと突きで木霊を打ち砕いたロンが、戻って話に加わってくる。

「これが何なのかはわかりませんが、アキトさんが言っていた木霊が変な原因なのかもしれません」

 青い、ただ青い小さな宝石に目を落としたまま、蒼玉がつぶやくように言った。

「木晶石だよね、これ」

 横からそれをのぞきこみながら、レイナが言う。宝石のことなど俺にはわからないが、蒼玉もうなづいたのだから多分そうなのだろう。

「法具のようなものなのでしょう。どんな魔法がかかっているのかわかりませんが…」

 グワシャアアァァ―――!!

 蒼玉の推測は、突然の轟音で断ち切られた。焼けた家が崩れ、煙と熱風が吹きつけてくる。

 そしてその向こうからひときわ大きな木霊が、枝葉を燃やされながらも迫ってきた。火を振り払うようになのか、あるいは俺たちにも燃え移らせるようになのか、やたらと枝を振り回している。

「ウィンドカッター!」

 レイナの放った風刃が火の粉を払う。そこにロンが突きかかったが、太い根に阻まれてそれを打ち砕くだけになってしまった。だがそれで、前進がわずかに止まる。

「蒼玉、それをユリの方にも知らせてくれ。向こうにもそういうのがあるかもしれない」

「はい」

 互いの声と同時に俺は木霊に向かって、蒼玉は木霊から離れる方に、それぞれ駆け出した。

「気刃斬!」

 しかし俺の気合の一撃も、別の根を斬っただけだった。上から次々と振り下ろされる燃える枝からは逃げるしかなくて、下がることになってしまう。さらに横からロンが突きを繰り出したが、それでも押され気味なのは止められない。

「こうなったら、根っこを全部切って動きを止めた方がいいじゃない?」

 言うなりレイナが幹ではなく根を狙って魔法を放った。確かに根で這いずってくるのだから、足のようなものと思えばいいのかもしれない。

 俺を打とうと振り上げられた根を狙って、斬りつける。ロンも俺と入れ替わりで同じように別の根を砕き、上から振り下ろされる枝をレイナの魔法が切り払う。

 押されながらもそれを三回ほど繰り返した時、

「アキト、危ない! 避けろ!」

 振り下ろされる枝が速くて避けきれないかと盾を頭上に上げようとしたところに、ロンの鋭い声が飛んできた。反射的に後ろに大きく跳んだが、とっさのことで体勢が崩れて尻餅をついてしまう。

 その俺の目の前で、前側の支えを失った木霊が横倒しになった。攻撃が速かったのではなく、倒れかかる速さが乗っていただけだった。

 動けなくなればこちらのものとばかりにレイナが魔法を連発して木霊の巨体を切り刻んでいく。その向こう側でロンは回りこんできた別の木霊に向かったようだった。

「大丈夫ですか?」

 尻についた土を払いながらそんな状況を確認しているところに、後ろから蒼玉が声をかけてきた。その声に振り返ると、ユリたちが一緒だった。向こうはもう片づいたらしい。

「ああ、俺は平気だ。でもまだ向こうでロンが戦ってるはずだ。行ってくる」

 しかしまだかすかに枝を揺らしている木霊を回りこんで反対側に出ようとしたところで、ちょうど戻ってきたロンとレイナとぶつかりそうになってしまった。慌ててまた後ろに跳んで、また尻餅をついてしまう。

「終わったみたいだぜ、俺たちのところはな」

 ロンが手を差し出してくれたので、引っ張り起こしてもらう。ロンの言うとおり俺たちに向かってくる木霊はいないが、その向こうがどうなっているのかは火の煙やら土煙やらで見えないし、音も崩れた家なんかが焼ける音に遮られてしまって、わからない。

 でも今は、とりあえず一息つきたかった。畑の向こうの道まで下がって、腰を下ろす。

「ねえねえアキトさん」

 言いながら俺の方に寄ってきたユリの手には、蒼玉が見せてくれたものと同じものが何本もあった。

「これ、他にもあった?」

「いや、見てない。見てないだけであるかないかはわからないけど」

「全部の木霊にあるっぽいの、これ。たくさん集めればそれなりにお金になりそうだなあって拾ってみたんだけど、蒼玉さんの言うとおり、何か意味があるんだろうね」

「つまり、誰かがそれを用意したとすればそいつは相当金持ちだってことか」

「それかたくさん木晶石が取れるところがあるか、だね」

 ロンの意見に、レイナが補足をした。

「でもさ、それを木霊にくれてやるようなもったいないこと、するものかな?」

 葵の感想はもっともだと内心うなづいた俺だったが、それが意外だったのか蒼玉が声を上げて反応した。

「木霊に革の帯のようなものを括りつける…、これがそれだとしたら……」

 結局受けなかった年老いた男の依頼らしいもの、試そうとして黒猫が木霊にロープを巻きつけようとしたこと、そんなことが思い出された。もしそれがこれだとしたら。

「森の中の家で会ったあの人が関わっているということに、なります」

「アキトさんと蒼玉さんが怪しいって言ってたあの人が、木霊に町を襲わせたってこと?」

 頭に来たのか、ユリは大声を上げながらその場で立ち上がった。

「そこまでは言い切れません。今言えるのは、関わっているかもしれないというくらいです」

「お金になるって喜んでる場合じゃないかあ……」

 悔しそうな顔をして、ユリはもう一度腰を下ろした。

「集めるだけ集めておけばいいんじゃないかしら」

 メグがそう言ったのはユリをなだめるためなのかと思ったが、そうではなかった。

「証拠として突き出してやるのよ。それがただ働きにならないような状況になれば、儲けものね」

 ユリが乗り気になって、ひと休みしたらちゃんと探そうと言い出したのだが、俺たち以外のところがどうなっているかわからないのにそんなことをしていていいのだろうか。そう思って俺が返事をしかねていると、蒼玉が難しい顔をして口を開いた。

「これは小さな話では済みません。町ひとつが襲われたのですから。おそらく私たちだけではかなう相手ではないでしょう。相手はそれほど大きなものだと思うべきです」

 みんなが即答できないところに、さらに蒼玉が続けた。

「ですから、蒼龍を見つけたあの方たちがギルドに知らせたように、私たちもそうするべきだと思います」

 蒼玉の意見に、誰も答えない。

 蒼玉の言うとおりなのだろう。だけど、自分たちでは何もできないと突きつけられたようで悔しくて、俺はすぐにそれを認めることができなかった。

「つまり向こうは私たちが簡単にはできないって諦めたこれを木霊に括りつける依頼を簡単にやってのけて、私たちが全部じゃないのにこんなに苦労した木霊の群れを使えるってことだよね……」

 手にしたベルトに目を落として、ユリがつぶやいた。

「そうするしかないかあ……」

 これにも誰も返事をしない。しかし今度はさっきとは違って、同意ということだった。

 みんなの顔を見まわして、ユリは静かに立ち上がった。

「他の様子を見て、警備隊の人にでも話して、戦いが終わったところでみんなで拾って集めるってところかな」

 答える代わりに俺も立ち上がる。向こうに警備隊らしい男が町の出口の方へ走っていくのが見えた。

「今さら、応援か?」

「違う、一人ってことは何か知らせを持ってきたんだろう。行ってみよう」

 俺の意見にみんなも乗ってくれて、その男を追いかけるように走り出した。

 行ってみると、もう木霊は片づいているようだった。全体はわからないが、どうやら俺たちだけが町の中まで押し込まれてしまっていたらしい。

 しかしそこで聞かされた話はもっと衝撃的だった。木霊はここだけではなくて町の四方から襲ってきていて、西側が持ちこたえられないのだという。

「みんな、もうひとがんばり頼む!」

 隊長らしい男の一声に、警備隊も冒険者も、俺たちも含めて、一斉に声を上げた。

 警備隊を半分残すという指示が出され、冒険者たちは残り半分の警備隊と一緒に西側へ向かうことになった。もちろん俺たちもそれに含まれるはずだったが、急に蒼玉に呼ばれてまた踏み荒らされた畑に逆戻りさせられた。

「これのこと、今知らせておいた方がいいと思うのです」

 まだ戦いが終わっていないのに、と思ったのだが、ここでは終わっている。この後どうなるかと考えれば、早い方がいいのかもしれない。

「わかった。じゃあ蒼玉さん、アキトさん、お願い」

 そういう思考もやっぱりユリの方が早くて、自分が持っていた木晶石のベルトを全部俺に手渡して他の冒険者たちを追いかけて行ってしまった。

 急に二人きりにされて、また意識してしまう。

「行きましょう。あの指示を出していた方のところに」

 しかし蒼玉の方はそんなこともないらしく、ぼーっとしてしまった俺を急かして歩き出した。

 隊長に声をかけた蒼玉は木晶石を見せて、集めておいてほしいといきなり頼んだ。もちろん聞き返されて、そこでこの襲撃にはこの木晶石を用意した誰かが関わっているかもしれないことを話した。

「森の中の家で、私たちもこれを括りつけるみたいな依頼を持ちかけられたことがありました。受けなかったのでこれがそうとは断言できませんが」

 整然と、目の前の事実から逆戻りしていく蒼玉の説明に、隊長も理解してくれたようだ。だが、理解しただけでは話は進まないらしい。

「そうだとすれば、どうなる?」

 蒼玉は考えるように目を伏せた。問いが抽象的で、俺には考えることさえできないのだが、蒼玉の顔はそうではないように見える。任せるしかできないのか。

 蒼玉が答えるのは、意外と早かった。

「木霊を使っているその誰かが近くに、もしかすると町の中にいるかもしれません。町を襲わせるのだから、何か狙いがあるはずです」

「だとすれば、町の入口だけを抑えればいいという訳にはいかないな。町の中も警戒しておく必要がある……」

 今度は隊長が何かを考えるように目を泳がせた。俺にはそう見えたのだがどうも違っていたらしく、隊長は振り返って一人の男を呼んだ。

 その男に何かを指示して、俺たちに向き直る。

「お前たちは、さっき言った依頼の男に会っている。そうだな?」

「はい」

 蒼玉が即答したのだが、隊長はさらに確認するように俺にも答えを求めた。俺もあの男の顔は見ている。うなづいて答えた。

「その男を探せるのはお前たちだけだ。ここは今手薄だから北と東から見回りの人数を出してもらおうと思うのだが、それに加わってほしい」

 隊長の言うとおりだと俺は即答しかけたが、また蒼玉に止められた。

「仲間にすぐ追いかけると言ってしまっていますので、先に伝えさせてください」

 そうだった。そんな蒼玉に見惚れてしまうが、その蒼玉はもう隊長との話を続けていたのだった。

「わかった、こっちは見回りの人数を集めておこう。場所は…ギルドの前でいいか?」

「はい」

 蒼玉の返事を聞いた隊長は、もう一度さっき呼んだ男を呼んだ。俺たちが渡した木晶石を、いくつか渡しているようだ。

「私たちも急ぎましょう」

 また蒼玉に急かされて、俺も駆け出した。ギルドのそばの角を左に曲がって、この町の中では少しは行き慣れた西側の出入り口へと走る。

 鍛冶屋を過ぎたあたりから、地面がぐちゃぐちゃになっていた。ここまで木霊に押し込まれたらしく、木霊のものだったり家のものだったり、木切れがそこら中に散らかっている。しかしそれだけで、誰もいないし物音もまだ遠い。

 こちらからの応援で押し返せたのかと思ったのだが、どうやら反撃の勢いで一気に全滅させたらしい。ユリたちがまた道端で座りこんでいるのが見えた。

「もう終わったのか?」

「うん、こっちが手薄になってただけみたい。ちょっと拍子抜け」

 ユリは笑って見せるが、座りこむほどに疲れているはずだ。

「そっちの話はどうなったの?」

 それなのにそんなことは口にせずに、俺たちの方を気にしてくれる。

「警備隊の見回りに加わることになって、そっちに行っても大丈夫か聞きに来たんだ」

 それなのに俺の方はちゃんと説明ができなくて、首を傾げられてしまった。こんな言い方では誰にもわかってもらえなくて、結局ここでも蒼玉に説明を任せることになってしまった。

「そっか。じゃああの人を見ている私も行った方がいいね」

 ユリが両手をついて立ち上がろうとしたが、それは俺が止めた。

「疲れてるだろうから、こっちの方はいい。それよりここでも何か動きがあった時、それに加わってほしい」

「ありがと。じゃあそうするね」

 座ったままで手に付いた土を払いながら、ユリは力の抜けたような笑いを見せた。やはり疲れているだろう。朝食抜きでずっと戦っていたのだ。

 思い出したら急に腹が減ってきたが、俺よりも余計に戦っているみんなにそんな素振りは見せられない。今度は宿で落ち合うことにして、俺と蒼玉はギルドへと急いだ。


 その夕、食堂には俺たち以外に家族連れがいた。家を壊されてしまった人たちはしばらく空きのある宿に落ち着いてもらうことになったらしく、ここにもこの一家が来たということだった。

 疲れ切ったような表情に俺たちも店主も接するのがためらわれたのだが、食後の桃を子供が喜んでくれてようやく、少しは話ができたようだった。

 だが、俺はそれに加われなかった。

 この家族が住んでいたのは町の南の出入口のすぐ近く、つまり俺たちが押し込まれたせいで燃えてしまった家なのだ。あの後の見回りの時、焼け落ちた家を前に茫然としていた一家を、俺は見てしまっていた。

 他の誰もそのことに気づいていないようだが、とても俺から言うことなんてできない。ユリなんかが励ましている声を聞くことさえ辛くて、俺は早々に部屋に引きこもってしまった。

 結局、見回りでは何も見つからなかった。町を襲うのに失敗したのでほとぼりが冷めるまで隠れていて、後は知らん顔で通すのだろうというのが蒼玉の意見だった。

 今のところ俺たちが会ったあの男だけが手がかりなのだが、木霊が持っていた木晶石が本当にその男のものなのかはわからないし、確かめたくても別行動で動いていたレイナたちの話によれば森の中の家にはいなかったという。

 つまり、俺たちは役に立てなかった。その上、人の家を燃やしてしまうようなまずい戦いをしてしまった。

 悔しい。

 行き場のない気持ちが俺の中をぐるぐるする。

 そんな時に耳に音が入ってきて、それが気に障ってそちらをにらんでしまった。それは部屋の戸が開いた音で、椅子に腰かけている俺をやや上から見下ろすようにしてロンがにらみ返してきた。

「なんとか木霊に町をやられずに済んだって顔じゃないな、それは」

 ロンの言い方は、他人事のように冷たく聞こえた。

「やられたじゃないか。俺たちのところで家を潰されて、それであの家族がこんなことに……」

 何とも思っていなさそうなロンへの怒りが強すぎて、言葉が詰まってしまう。でもそれが本当にロンへの怒りなのかわからなくて、もっと怒りが募る。

「また、俺のせいで……」

 そうだ、怒っているのは自分にだ。こんなことにさせてしまった自分の情けなさにだ。

「お前のせい? 何がだ」

 俺が自分の気持ちをどうにもできずにいるのに、ロンの声はそんなことはまったくないように冷たい。

「家が潰される前に木霊を防げなかったこと……」

 ロンは何の反応も見せない。俺の失敗はまだあると言うのか。俺は他の思いを必死に抑えて、それだけを考えた。

 そうだ、あった。今日以前にできることはあった。

「あの男が怪しいってことを誰かに言っていれば、向こうもこんな簡単に動けなかったかもしれない……」

 蒼龍を見つけたあの冒険者たちがギルドに知らせたように。そうすれば町の方でも何かができて、こんなことは防げたのかもしれない。

「それが、お前のせいか」

 ロンの声は変わらず冷たくて、その目も真っすぐに俺をにらみつけている。

「ああ…、悪かった……」

「ふざけるなよ!!」

 次の瞬間にはロンが俺の目の前にまで踏みこんでいて、そして衝撃と共に俺は床に転がっていた。

 そんな俺を、ロンはやはり上からにらみつけている。口元がひくついているのは、今度はロンの方が言葉が出ないでいるのかもしれない。

「どうしたの!?」

 その背後で、ユリが部屋に駆けこんできた。その向こうにはみんないるようだが、そこに割りこんで先に部屋に入ってきたのは店主だった。

「何か壊したりしてないよね?」

 店主の心配を察したユリが、俺たちにキツイ目線を向けてからざっと部屋を見渡す。

 俺が座っていた椅子が横倒しになってしまっているが、これは踏み台みたいなもので背もたれのない頑丈なものなので、何ともなっていない。ロンが狙ってそうしたのか、転がった俺が何かにぶつかることはなくて、打ちつけられた床もさすってみた感じでは何ともなさそうだ。

「壊したものはないみたいだし、今回は大目に見てください」

「先にそれを言われると、こっちも何とも言えないな…」

 ぺこりと頭を下げたユリに、店主は苦笑いを浮かべながら腕を組んだ。

「若いのは元気があっていいな」

 誰に言うでもなくそう口にして、店主は部屋を出ていってしまった。どうやらおとがめなしで済んだようだ。入れ替わりでみんなが部屋に入ってきて、最後尾の蒼玉が戸を閉めた。

「で? 何だったの?」

 全員入ると六人部屋ではさすがに手狭で、広いところに座りこんでいる俺が取り囲まれる形になってしまう。

「こいつがさ、あの家族が家を潰されたのが自分のせいだなんて言って謝ってな。じゃあ謝られた俺なんかはこいつと一緒にいても何の役にも立たないのかって腹が立って、それで殴った」

 言い訳じみた口ぶりに一瞬ムッとしたが、言いたいことがわかってそれ以上に驚いた。

「あー、それは私もムカつくな。私も一発殴っていい?」

 ユリが右の拳を左手でさすりながら、俺の方に向き直る。

 ロンの言うとおりだ。俺だってそう思われたら辛い。だから俺は抵抗しない。

「ちょ、やめろよ」

「そうだよ。あんたが殴ったらアキトはともかく今度こそ何か壊しちゃうでしょ」

 見せるようにゆっくりと右腕を振りかぶるユリを、葵とレイナが両側から止めた。

 さらに物をどけるようにユリを後ろに押しやったレイナが俺の前にかがみこんで、顔をのぞきこんできた。何が言いたいのかわからなくて、じっと見つめてくるその目を見返していることはできなかった。

「あんたまた冒険者やめるとか言い出さないよね?」

「えっ!?」

 突然の言葉に俺は驚いたのだが、声を上げて驚いたのは俺ではなくて葵だった。

「またって何だよ……」

 俺になのかレイナになのかあいまいに聞いてくる葵には、レイナが答えた。

「前にもね、うまくいかなかったことがあって、その時コイツすごく落ちこんでパーティ解散とか言い出したことがあったの」

 それを他人事のように聞きながら、俺は別のことを考えていた。

 人の命が失われたかそこまでではなかったかの違いはあるが、今俺は冒険者をやめたいとかそんなことはまったく思っていなかった。

「その時は、思いとどまったんだな」

「ううん、実際解散になった」

「嘘っ……!?」

 今回のことを、俺は本当に深刻には考えていないのか。それでは家を失ったあの家族に申し訳がないではないか。

「よく…戻ったな……」

「解散って言うよりもちょっとお休みしたって方が正しいんだけどね」

「それでもさ……」

 それでも諦めない、投げ出さない。そんなことが無意識にあった、そんな気がする。

「わかる気がするな」

 絶句した葵に代わるように、追いやられていたユリが口を挟んだ。

「放っとけないんだよね」

「そう」

 即答したレイナが、もう一度俺の顔をのぞきこんだ。やっぱり目を合わせていられなくて目を伏せそうになったところで、今度は逃がさないとばかりに言葉がかけられた。

「これはさ、珠季が言ってたことなんだけど」

「黒猫?」

 その名前だけで、いとも簡単に俺は引き戻されてしまう。

「どうせあたしよりもあんたの方が聞いていることなんだろうけどね」

 そう前置きしてレイナが話してくれたことは、そのとおり俺が何度も黒猫から聞かされ続けたことだった。

「みんながそれぞれがんばって、それでもできないこととかうまくいかないこととかあるけど、それでもがんばるしかできることはないんだって」

 レイナの、黒猫の言葉に、みんなが静まりかえった。

「もしあんたががんばってなかったんだったらそれはあんたが悪い。でもそうじゃないなら、これからのことをがんばらないといけないんじゃないの?」

 そうだ。だから俺は逃げようとは思わなかった。

「あんた珠季の言うことなら何でも聞くでしょ? だったら」

 嫌味な顔をして、レイナがそこで言葉を切る。

 そのとおりだ。黒猫が俺を支えてくれていたんだ。でも俺を支えてくれるのは黒猫だけじゃない。

「ごめん…、心配かけてごめん……」

「わかればよろしい」

 一目俺の目を見て、もう話は終わりとばかりにレイナは部屋を出ていってしまった。ユリとメグもそれについて部屋を出て、また蒼玉が最後になった。

 戸を閉める直前、お互い顔が見えるくらいの開き具合で、蒼玉が手を止めて真っすぐ俺に目を向けた。何かを伝えたさそうな、少しひそめた表情なのはわかったが、情けない自分の姿を蒼玉に見られていることが恥ずかしくなって、俺は顔を伏せてしまった。

 次の瞬間、そっと戸が閉められた。俺を刺激しないように気を遣ってくれたようなかすかな音に、俺はもっと恥ずかしくなってしまった。

「ん」

 声とともに、ロンが手を差し伸べてきた。好意に甘えて引っ張り起こしてもらう。

「さっきは悪かったよ、殴ったりしてさ」

 その言い方にはもう、怒りも嫌味も残っていなかった。

「俺の方こそ…」

 ちゃんと謝らなくてはと顔を上げたのだが、避けるようにロンは身体ごと横を向いてしまった。

「お前の扱いは、やっぱ珠季には敵わないって訳だ」

「違う……」

 違わないけどそうじゃない。その言葉は黒猫が言ったことだが、今それを俺に聞かせてくれたのは黒猫じゃない。

 そう言わなければいけなかったのだが、恥ずかしくて口に出せないでいるうちに、ロンは俺のそばから離れてしまった。そのロンに葵が声をかけるのが聞こえてくる。

 遥が転がったままだった椅子を起こして俺に勧めてくれたが、二人の話し声から距離を置きたくて、俺はベッドに移動してみんなに背を向けるように腰を下ろした。

 二人の話に遥も加わったようで、そちらからは時々黒猫の名前が聞こえてくる。今は黒猫のことを考えたくなくて、でもそうと知られてまた気を遣われたくなくて、俺は強く目をつむって感覚を全部切り離そうとした。


 いつの間にか眠っていて、誰かが俺の肩に毛布を掛けてくれたらしい。毛布が背中からずり落ちた感覚で、そのことに気づいた。

 ろうそくは一本を残して消されていて、まだ朝までには時間があるらしく窓から差しこんでくる光もなくて、部屋の中は暗かった。三人ともベッドに横になって小さく寝息を立てている。

「ありがとう」

 みんなを起こさないように、でも呼びかけるように、ぼそりとそう口にした。

 みんながいてくれる。だから俺もまだがんばれる。そのためにはまず、明日のために今は眠ろう。

 改めてベッドに横になって、布団をかけて目を閉じた。

「おい起きろ」

 揺さぶられて目が覚めた。開けられた窓から光と風が入ってきて、もう朝になっていることがわかる。いつもの朝、なのか。

「何か起きた!?」

 急に昨日のことが思い出されて、上半身を起こしながら大きな声を上げてしまった。肩にかけていた手を振り落とされた形のロンが、呆れ顔を見せる。

「寝ぼけてるのか? 相変わらず寝起きの悪い奴だな」

 ロンに説明されるまでもなく、ただの静かな朝だった。窓の外はもうまぶしいくらいで、寝過ごしてしまったことが言われる前からわかってしまう。

 しかし今さらと思われたのか、これ以上ぐずぐずしてはいられないということか、起こしてくれたロンたちからはそれ以上の文句はなかった。

「お寝坊のお兄ちゃんおはよう」

 だが、食堂に出ると男の子のそんな挨拶に出迎えられた。しかも間違いようのないくらい真っすぐ俺を見て、だ。

 仕方なく俺も挨拶を返して、いつもと違う席に着く。昨日今日で打ち解けたのか、男の子はユリとレイナのいる席にいて、俺がわざわざ選んで腰かけたのはその隣のテーブルだ。そこにいたのはメグと蒼玉で、つまり蒼玉の隣の席ということなのだが、意識しないように身体ごと隣のテーブルに向ける。

「誰だよわざわざそんなことを教えたのは」

「誰でもいいでしょ。こんな小さい子にまで情けないところを見せる方が悪い」

 小声でレイナに問いただしたのだが、俺がわざわざ声を潜めたのを無視するように、レイナは周りに聞かせるかのように声を張り上げるようにして答えた。その向こうで男の子が面白そうにくすくす笑っている。

 昨日はすっかり元気をなくしていたのに、今はこうして笑っている。今だけでも笑ってくれるならそれでいいかと思いなおし、自分のテーブルの方に向き直った。

「よく眠れませんでしたか?」

 しかし今度は、待っていたかのように蒼玉に声をかけられた。

「いや……」

 あんなことを言ってしまってから、蒼玉には恥ずかしいところを見られてばかりだ。合わせる顔がなくて、余計な心配をかけさせないようにちゃんと答えなければいけないのに、まともな返事ひとつさえできなかった。

 うつむいた俺にまだ視線が向けられていたが、食事が運ばれてきてそれは途切れた。今日の朝食は蒸したさつま芋とあぶった乾燥肉で、甘味に塩気と朝から強い味ばかりだとちょっと思ったりした。

 向こうの席で男の子と一緒に笑ったりしている二人に文句を言いたくて考えなしにこの席にしてしまったが、蒼玉の隣というのはやっぱり意識してしまう。でも、昨日と同じようにさっさと席を立ってしまっては、昨日のことをまだ引きずっているのかと心配させてしまうかもしれない。

「お兄ちゃん食べるの遅いけど、まだ眠いの?」

 だからわざとゆっくりよく噛んで食べていたのだが、そこに男の子の明るい声が飛んできた。またあの二人が言わせたのだろうか。

「大丈夫だよ」

 振り返って答えて戻るついでに、多分俺をからかうためにそう言わせただろうレイナをにらみつける。しかしそれは素知らぬ顔で流されてしまい、さらに戻ったところで蒼玉と目が合ってしまって逆にこっちがぎょっとしてしまった。

 ただそう言っただけの男の子と違って、蒼玉の顔には本当に俺のことを心配しているような曇りが見える。俺のせいでそんな顔をさせてしまうのは、嫌だ。

「本当に大丈夫だから。ちゃんと寝たし、もうちゃんと起きてるから」

 だから、意識するあまりに途中で息切れしそうになってでも、それだけは言い切った。

 それは無理して言ったことではなくて、だからゆっくり食べる方の蒼玉が食べ終わる頃には俺もちゃんと食べ終えていた。

 身支度をして、一家に見送られるようにして宿を出た。両親の挨拶は控えめだったが、男の子はまた相手してもらえるのを楽しみにしているような明るさだった。

 あんなひどい目に遭っているのによくあんな元気になれるものだと思うと、それを防げなかったことが辛くて、もっと辛いはずのあの子のように明るくできないことが情けなくなってしまう。

「私も、そう思います」

「えっ…!?」

「私たちもあの子のように、できることをがんばらなければいけません」

 声に出してしまっていたらしい。そしてそれを、よりによって蒼玉に聞かれてしまった。恥ずかしい。

 だが、蒼玉が意見とかそういうことではなくて自分の思いを口にするなんて、珍しいことだ。蒼玉も辛いと思っているのだろうか。

「そうだな」

 それなのに俺は自分のことばかりだ。今だって蒼玉を励ましてやることなんてできなくて、なんとか自分を奮い立たせようとしただけだった。

 ギルドは一夜のうちに様変わりしていた。依頼が張り出されていた壁にはこの町の地図らしいものが書かれた大きな布が被せられていて、それに何かを書きこんでいるのはNPCではなく昨日会った警備隊の隊長だった。その隊長が、俺の顔を見て声をかけてきた。

「今はすべての依頼を止めて、みんなに町の片づけを頼んでいる。お前たちにも加わってほしい」

 ウェスタンベースがリザードに町の外の畑なんかが襲われた時はそういうことがひとつの依頼として出ていたが、今回は町そのものが襲われてしまったのだ。やってくれる人にやってもらうとか、その程度では済まないのだろう。

 俺たちが戦って、防ぐことができなかったことだ。知らんふりはできない。

「みんな、いいよな?」

 それでも俺一人で決めてしまってはいけないとなんとか思いとどまって、首だけで左右に振り返ってみんなに声をかけた。

 依頼が他にない以上、参加するかこの町を出るかしかない。反対はなかった。

 俺たちは南側に回されることになった。それを決めた隊長が、地図の布にまた何かを書きこむ。どうやらギルドが全体に指示を出す拠点になっているらしい。

 南の出入口にいる警備隊に会うように言われて、俺たちはまた宿の方角へと戻ることになった。

「やらないって訳にもいかないだろうけどさ、報酬が今日の宿代だけってちょっと酷くないか?」

 歩きながらロンがぼやく。だが俺たちがしたことだと思うと、それがもらえるだけでもありがたいことだと思う。でもそれを言えばまたロンやみんなの気を悪くしてしまうだろう。口にすることはできなかった。

「依頼とは違うからじゃないかな。ほら、町の人っぽい人もいるし」

 ユリが指差した先ではもう片付けは始まっていて、確かに冒険者や警備隊のようにそれなりに力があるような人には見えない人も混じっている。

「町みんなでやるほどのこと、か……」

 葵が絶句して、誰もそこに口を挟めなかったところで、一人だけ動いていない警備隊を見つけた。

 ギルドで隊長に言われたことをその警備隊に伝える。女子組は木晶石の回収ということで、早速町の外へと出ていった。

 残された男子組はいろいろなものがごちゃごちゃ置かれているところへと連れていかれた。いろいろ準備されていることに驚いているところに、まず黒猫が使っているような革の手袋が一人ずつ渡された。

 ただ散らばっているものをどかせばいいくらいにしか思っていなかったのだが、そこからの説明は意外なほどに長かった。

 倒れた木は、大きさによって木材に使ったり薪に使ったりするので区別して集めるのだという。さらに焼けたものは肥料に使うからまた別、金物や石なんかがあればそれもそれぞれに集めて使うのだそうだ。

 そのための道具もスコップ、斧、のこぎり、集めて運ぶための木の箱や荷車まである。全部町の店や家から借りてきたものだから必ずここに返すように言われて、ようやく説明は終わりになった。

 どこに手をつけるという話になって、俺は真っ先に俺たちが昨日戦って潰されてしまったあの家族の家を片づけたいと頼みこんだ。警備隊としては外から順に片づけたかったらしく少しの間難しそうな顔をされてしまったが、それでも諦めてくれない俺に根負けしたようで、やらせてもらえることになった。

 ひととおり貸してもらった道具を荷車に積んで、焼けて潰れてしまった家へと引っ張っていく。足元の柔らかい畑の中に荷車は入れられないので、道端からは手で持ち運ばなければならない。

「こりゃあ、何からやればいいんだ?」

 畑には倒れた木が散らかっていて、まずはそれを片づけなければ家には近づけない。それにしても何をどうやってこの木を片づければいいのか。

「まず枝をのこぎりで払って、それから幹は荷車に積めるくらいの長さに斧とかのこぎりなんかで切って、それぞれ言われた場所に持っていくしかないだろうな」

 悩むことなくそう答えた遥が、さらにのこぎりは自分と葵、俺とロンは木切れを運ぶ役とあっさり決めてしまった。

「なんだか慣れてるみたいな」

「イースタンベースにいれば、そんな経験もちょっとはあったりするさ」

 俺が感心してみせると、遥は軽く笑ってそう答えたのだった。さっきの説明の長さからすると、先に来ている人たちからは相当遅れているのだろう。早速俺は木箱を手に取って、折れて散らばっている枝なんかを手当たり次第放り込み始めた。

 払った枝をどかしてもらわないと幹に手をつけづらいと言われてしばらく葵のところに付きっきりになっているところに、背後からロンの声が聞こえた。誰か来たのかと思って振り返ってみると、そこにいたのはあの男の子だった。

「危ないからダメだ。宿に戻ってな」

 ロンにしては優しく言っているのだが、男の子の方は返事もせずに崩れた家の方をじっと見ている。おとなしく戻ってくれそうには見えない。

 何かを我慢しているように男の子が口元を震わせたのが見えて、気になった俺はそれを扱いかねているといった様子のロンの方に小さく声をかけた。

「どうした?」

「こいつも家の片づけをするんだって言いだしてな。でもこんな大きいのとか刺さりそうなのとか、小さい子には危ないだろ」

 刺さりそうというのは考えつかなかった。言われてみれば確かに折れた木のささくれ立ったところは振れたら怪我をしそうで、そのために俺たちも手袋をもらっているのだった。

 危ないのはロンの言うとおりだ。それでも、辛そうな顔をしてただ崩れた家を見つめているこの子に帰れなどと、俺は言いたくなかった。

 俺はわざと男の子の邪魔をするように、正面にかがみこんで目線を合わせた。向こうも俺のことを見てくれるのを見て、俺も意識してゆったり声をかけてみる。

「お父さんとお母さんは?」

「肥料がとか言ってどっか行っちゃった」

「そうか…」

 家を失って、それでもやらなければいけないことがあるのか。葵がさっき言っていたとおり、本当に町みんなでやらなければいけないのか。

 それほどのことなのかと、改めてことの重大さを思い知らされた。

「ぼくは待ってるように言われたんだけど……」

 俺が目の前の男の子のことを忘れて別のことを考えているのを、男の子の方は俺が話を聞くために待っているものと思ったらしい。ぼそぼそと話すその声には、罪悪感がにじんでいた。

 消え入るような声が途切れて、男の子はまた口元を震わせた。悔しそうな、悲しそうな、そんな口にできない思いが、俺には自分のことのように強く感じられてしまう。

「じっとしてられなかったのか」

 自分のことのようなんかじゃない。俺自身がそうだったんだ。

「うん……」

 黒猫に会うまでは。

「そうか……」

 手を差し伸べてやらなければならない。俺に出会った黒猫がそうしてくれたように、今度はこの子に出会った俺が。

「わかった。じゃあ用意をしよう」

「おいおい、この忙しいのに子供と遊んでる場合じゃないだろ」

 頭の上からロンの声が止めにかかってきたが、そうじゃないんだ。この子の気持ちにこたえる方が、片づけを早く終わらせるよりも大事なことなんだ。

「ごめん。ちょっとここは頼む」

 ロンの言っていることも間違いではないので話したところでぶつかり合うだけになってしまうだろうし、そうならなかったとしてもすぐには終わらないだろう。それこそそんな場合じゃない。

 この気持ちを一言二言でわかってもらうことなどできるはずもなくて、立ち上がった俺はロンをにらむようにしてそれだけ強い思いがあるのだと伝えようとした。

「怠けてるって怒られても俺は知らないからな」

 それが伝わったのか、にらみ合うだけ無駄だと諦められたのか、ロンはそう言い捨てて木切れ拾いに戻ってしまった。

「俺と一緒に行こう」

「どこへ?」

「手袋と、あとはお前が使えそうなものを探すんだ」

 男の子はこの場を離れることを嫌がるような顔を見せたが、俺を信じてくれたのか、手袋を外した俺の手を取ってくれた。

 いろいろ準備されているから何かしらあるだろうと軽く考えていた俺だったが、それは甘かった。警備隊でも、さすがに子供用のものまでは用意してはいなかった。

「手袋だけでも、何とかならないか?」

「ないものはないしな……」

 俺が言っているのは無理だろうが、それでも突っぱねないで考えてくれている。そして、思いついたことを教えてくれた。

「そうだ、その手袋は革物屋に用意してもらったものだ。革物屋なら、何か使えるものがあるかもしれない」

「そうか、ありがとう。行ってみる」

 俺が礼を言ってすぐにでも行こうと振り返った後ろで、警備隊が男の子に声をかけていた。

「手伝ってくれるのはありがとうだけど、お兄ちゃんの言うことをちゃんと聞いて、危ないことはしないように気をつけてな」

「うん」

 男の子の声は、だんだん元気を取り戻してきたようだった。そしてだんだん口数も増えてきた。

「ありがとうお寝坊のお兄ちゃん」

 何気なく前に出していた足が道を踏みしめそこねて滑り、転びそうになってしまった。

「それはやめてくれ。俺の名前はアキトだ」

 しかめて見せた俺の顔など気にもかけず、男の子は笑って答えた。

「うん、ありがとう。アキトのお兄ちゃん」

 まだこの子に何もしてやれていないのにありがとうなんて言われてしまって、俺はどう返事をしたらいいかわからなくなってしまった。

「お前、名前は?」

「大樹」

「そうか」

 それから俺たちは革物屋で鍋つかみとかいう親指とそれ以外のふたつにしか分かれていない手袋と、ついでに小さめの木箱を好意でもらって、一旦宿屋に戻って店主に大樹を連れていくことを話して、ようやく大樹の家のところへ戻った。

「どこ行ってたんだよ、遅すぎだ」

 真っ先に文句を言いに来たロンの後ろから、手を止めた遥と葵もこっちに来た。相当怒っているのだろう。

「悪い……」

 言い訳できることなんて何もなくて、謝るしかない。だがそこに、大樹が寄ってきて俺の手を取った。俺を見上げるその顔は、自分が怒られたようにしょぼんとしている。

 この子は悪くない。これからがんばろうと思っているところを委縮させてはいけない。

「遅れた分もがんばるから。だから今は、許してほしい」

 握られた手に答えるように、ほんの少し握り返す。

「二人でがんばるから」

「うん」

 俺の言葉に大樹も答えて、二人で真っすぐにロンたちに視線を向ける。

 さすがに小さい子を相手に厳しく出られなかったのだろう、大樹に見上げられた三人はあいまいな返事をしただけだった。そのまま何となく、それぞれの作業に戻る。

 さっきまで遥と葵の二人で枝を払い、ロンが一人でそれをどかしていたらしい。そのため、細かい枝葉はそこら中で散らかり放題になっていた。これなら小さい子にはちょうどよさそうだ。

「よし。お前はこの辺の細かい枝なんかをこの箱に集めて、あの荷車に運ぶんだ」

 俺は足元の小さな枝を持ってきた木箱に入れて見せてから、箱を大樹に渡した。

「うん、わかった」

 受け取った箱を足元に置いて自分もしゃがんだ大樹だったが、ひとつまみしたところで手を止めて俺を見上げた。

「この手袋じゃ拾えない……」

 言いながら手を動かして見せられるまで、俺は気づかなかった。この手袋では思うように指が動かせないのだった。

「そうだなあ……」

 とりあえず俺もかがみこんで手袋を見てみる。親指以外はひとつになってしまっている手袋の形もそうなのだが、女の人用とはいえ小さい子には大きすぎるせいで、親指さえも思いどおりにならないようだ。

 つまり、指は動かせない。できそうなのは両手で挟んで持ち上げることくらいか。

「じゃあ、こういうのはどうだ」

 広げた両手で木切れをかき集めて、それをすくい上げるようにして箱に入れてみる。俺の真似をして大樹も一度やってみて、やっと笑顔を見せてくれた。

「うん。これならできる」

 地面に目を戻して、もう俺に目を向けることもなくひたすらに木切れをかき集め続ける。俺ががんばると言ったことを守ってくれるかのように、真っすぐに真剣な顔で。

 その顔にどう言ったらいいのかわからない感動を覚えて、俺は見守るのではなく見入ってしまったのだったが、それではいけない。俺も、あの子も。

「俺や他の奴が通ったりするから、周りには気をつけろ。場所を動く前に、顔を上げて周りを見るんだ。何かあったら俺でも、他の奴でもいい、すぐに言え」

「うん」

 俺が言ったとおりに周りを見てから箱の向こう側に移動して、大樹はこれでいいかと問うように首をかしげて見せた。

「そうだ。俺もお前に負けないように片づけやるからな」

 そう言い残して俺は荷車のそばに置いたままにしてあった箱を取りに、大樹に背を向けた。

 本当は目の届くところにずっといたかったのだが、相変わらずロンには遥と葵の両方の片づけを押し付けっぱなしだし、こっちもこっちで大樹のできることを全部奪ってしまうことになりかねなさそうだ。大樹がひたすら地面に向かっているのを見て、俺は朝のように葵のところの片づけに向かった。

 箱がいっぱいになって荷車に移しに行くときに、大樹の様子も見てみる。たまにそれが一緒になることもあって、だがそんな時でも大樹はちらりと俺に目を向けるくらいしかしない。俺には負けないとでも言うかのように、走って行ってしまう。それくらいに、真剣なのだ。

 黒猫……、お前から見た俺は、こんなだったのかな。

 とりとめもないことを思いそうになって、軽く頭を振ってそこから逃れる。今俺は、遅れた分をがんばらなければならないのだ。

 それでもやっぱり気になってしまう。本当ならばこんな所で終わりの見えないちまちました木切れ拾いなんかしたいんじゃなくて、家に行って大事なものを取り戻したりしたいはずだ。それなのに、家に近づけなくても飽きもせずに木切れ拾いを続けてくれている。

 あまりにも健気で、見ていて辛くなってしまう。こんなことをやらせたのは間違いだったのではないかと思ってしまう。

 いや、みんなに頼んで家までの通り道を作ることを優先してもらえばいいのではないか。そうすればあの子のがんばりに答えることができるかもしれない。

「食事だ、一旦休憩―――」

 散々悩んで、頼んでみようと思った時、家の向こうの方からまったく別の大声が伝わってきた。ロンも遥も葵も、その声に顔を上げる。しかし、大樹の姿は見えない。

 いや、この声が自分たちへの指示だとわからなかったらしく、まだかがみこんだままで落ち葉なんかをかき集めていたのだった。

「ご飯だってさ」

 声をかけると同時に、手を止めてもらおうと肩に軽く手を置いた。

「うん」

 かき集めた落ち葉をそのままにして、大樹は立ち上がろうとした。しかしずっとかがんだままの姿勢で疲れたのか、その場で少しふらついてしまう。慌てて手を伸ばして支えてやった。

「疲れたか?」

「うん……」

 悔しそうにうつむいてしまう。

「がんばるのもいいけど、疲れたら休む。それも大事だ」

「うん」

 うつむいているのは、本当に疲れ切ってしまったからかもしれない。

「行くぞ。ご飯食べて力をつけような」

「うん」

 自分の手袋と大樹の手袋を外してどちらも俺のズボンのポケットに詰めこんで、俺は大樹の手を取って警備隊のところまで歩いていった。

 用意されていたのは食事というほどのものでもなくて、蒸した芋の大皿と水のやかんがあっただけだった。それをめいめい取って、適当なところに腰を下ろして食べるようだ。

 俺は少し離れたところで大樹を待たせて二人分取ってこようと思ったのだったが、小さい子を一人で残すなとロンに怒られてしまい、取ってくるのはロンたちに任せて二人で待つことにした。

「これなんかこの子が座るのにちょうどいいだろう」

 取ってきてくれたのは芋と水だけではなくて、気を利かせた葵が木箱をひとつ持ってきてくれた。逆さにして、大樹に座らせる。椅子にするには高さが足りないが、ないよりはずっとよさそうだ。

「ありがとうお兄ちゃん」

 俺よりも早く大樹が礼を言って、照れたらしい葵がもごもご何か言って俺の後ろの方に回ってしまった。

「さ、食え。いや、食えるか?」

 ロンから渡された芋を大樹に勧める。疲れすぎて食べられないかなどと心配になったのだが、それは心配のし過ぎだったようで、逆に豪快にかぶりついていた。

「木切れ拾いは、飽きたか?」

 食べている合間にそんなことを聞いてみると、こくりとうなづいて答えた。やはり子供にずっと単調なことをさせるのは無理があるか。別の何かを考えなければと思った俺だったが、大樹の返事には続きがあった。

「でも、お兄ちゃんの言うことを聞かないといけないから」

 俺の目を見てそんなことを言ってくれる大樹に、俺は何も答えることができなかった。大樹の相手は俺に任されているらしく、ロンたちは俺たちの話にまったく入ってこない。

 こんな小さい子が、辛いだろうに自分の気持ちを抑えてくれている。そんなこと、どう受け止めればいいんだ。

 考えて考えて、考えてもわからなくて、だから決めた。

「そう言ってくれるなら、頼む。しっかり周りから片づけたいんだ」

 面倒を見なければならない子供としてではなくて、一緒にやる仲間として、頼んだ。

 黒猫だったらもっとうまく、柔らかくできたかもしれない。でも俺にはこれが精いっぱいだった。やっぱり俺は、黒猫には敵わない。

「わかった」

 だが俺は相手に恵まれたのだろう。大樹は不満を顔にさえ出さずに、やってくれると言ってくれた。

「ありがとう」

 さすがに俺の感謝の気持ちまではわからなかったようで、これには首を傾げられてしまった。

 食べ終えて空いた皿などを椅子代わりに使っていた箱にまとめて入れて、返しに行く。箱にまとめられたおかげで俺一人で十分だったのだが、大樹もついてきて手伝いたがった。

 試しに箱を持たせてみたが、大樹が一人で持つには箱が大きすぎて、俺と二人で持とうとしても背の高さが違っているためにどちらかが無理な姿勢になってしまう。

「せっかく手伝ってくれようとしたのに悪いんだけど、これは俺が持つ」

 ここは諦めてもらうしかなかった。

「うん」

 大樹からはつまらなさそうな顔でにらまれたが、それでも手を出してくるようなことはなかった。本当に聞き分けのいい子だ。

 大樹が続きをやると言ってくれたので、食事の前に考えかけていた通り道を作ってもらうようにやり方を変えるのはやめた。その大樹は自分で言ったとおり、ひたすらに細かい枝葉を拾い集めては荷車に移している。

 そろそろ荷車がいっぱいになってきた。あまり山積みにしても、運んでいる間にこぼしてまた拾いなおしという二度手間になってしまうだろう。

 みんなに声をかけて荷車を持っていこうと周りを見回した俺だったが、そこでやっと、大変な見落としをしてしまっていたことに気がついた。

 大樹が肩で大息をついている。やっぱり相当疲れていたんだ。そんななのに、顔を上げて息を整えてはまた下を向いて木切れを拾ってなどということをやっている。大丈夫だと思って任せてしまっていたが、無理をさせてしまっていたのだ。

「おい、休憩だ」

 その場で叫んで、俺は大樹のところに駆け寄った。周りを見ながらということなんかもう忘れてしまっていて、俺が近づいても気づいてくれない。背後から肩を押さえて、やっと手を止めてくれた。

「がんばりすぎだ。ちょっと休むぞ」

 大樹の木箱を取り上げて荷車に向かうと、無言のままついてきた。そこにはロンたちも集まっていた。

「俺がこれを運んでくるから、その間みんなは休んでてくれ」

 荷車の縁を軽く叩きながら俺が言うと、みんなも疲れているらしく、うなづくだけの返事だった。

 またついてきそうな大樹を、逆さにした箱に座らせる。疲れているのだろう、顔を上げることさえしない。俺は腰の革袋から水筒を取りだして、渡した。

「これを飲んで休んでいろ。疲れているのに無理をしてたら、できることもできなくなるぞ」

 返事はない。表情は見えないので、疲れているからなのか怒っているからなのかはわからない。

「ごめんな。無理してまでがんばってくれてるの、気づかなくて」

 かがんでのぞきこんでみると、しょぼんとした顔が見えた。

 俺は怒ってないと伝えたくて軽く頭を撫でてやると、やっと表情を緩めてくれた。安心してくれたところで今度こそ、俺は荷車を引いてひとまず警備隊のところへ向かった。何をどこに集めるかを忘れてしまっていたからだ。

 幸い、薪代わりに使う枝葉の置き場は回り道というほど遠くではなかった。しかし戻るまでに時間がかかってしまったのは、荷車から置き場に下ろすのを俺一人でやらなければならなかったからだ。ぽんぽん投げ落とすだけだったからまだよかったが、ロンあたりについてきてもらうべきだった。

 また戻りが遅くなった俺はまた文句を言われたのだが、

「アキトお兄ちゃんばかり怒らないで」

 それを止めたのはまたしても大樹だった。横から腕をつかまれたロンがはっとして口の動きを止めた。

「そうだな、下ろす手が要るのに気づかなかった俺たちも悪いよな。ごめん」

「それは俺もだから」

 俺に謝ったロンは、今度は大樹に向き直ってそっちにも謝った。

「ごめん、お前に心配なんかさせちゃって」

 自分が謝られたことがわからなくて、口を半開きにしたまま表情が止まってしまった大樹だったが、ロンが笑って見せてやっと笑い返してくれた。

「俺たちは休みすぎるほど休んだし、続きをやりますか」

 それを見た遥が、もう十分休んだことを見せるように、地面に手をついて勢いよく立ち上がった。

「ああ」

 俺も箱を持って続こうとしたのだが、それはいきなり振り返った遥に止められた。

「アキトはずっと動いてただろ。少し休め」

「いや、いい」

 みんなを二度も待たせた俺は、その分余計にがんばらなければならない。遥はそれで納得してくれたようだったが、納得してくれなかった人が別にいた。

「お兄ちゃんだって無理をしたらダメなんでしょ? 水、まだあるから」

 水筒を返しながら、大樹は心配そうにちょっと顔をしかめた。

 俺はまだまだ大丈夫なのだが、大樹の心配に答えて、水筒に残っていた水を一気に飲み干した。

「俺はこれで大丈夫だ。お前の方こそ、まだやれるか?」

「うん」

 大樹も大樹で俺に大丈夫なところを見せようとしたのだろう、自分の箱を持って走っていってしまった。その後ろ姿を見ながら水筒をしまって、俺は俺で歩いて葵のいるところへと向かった。

 まだ明るいうちに貸した道具を集めて確認しておきたいという警備隊の理由で、夕方になる前に今日の片づけは終わりにさせられてしまった。大樹も入れて五人でがんばったのに、まだ倒れた木に潰されてしまっている家には近づけそうにない。

 道具を返しに警備隊のところに向かおうという時になっても、大樹はその場を動きたがらず、もうやめさせようと箱を取り上げてもまだ家の方をじっと見つめていた。

「ごめんな。家に行きたかったのに、連れていってやれなくて」

 そんな大樹に並ぶように横でしゃがんで謝ったが、何も言わずに首を横に振るだけだった。謝ることじゃないと言ってくれているのか、それとも許してもらえないのか。

「帰ろう、宿へ」

 そう言って大樹の手を取ったが、この言葉は大失敗だったことに口にしてからやっと気がついた。

 この子の帰る場所は、あの家だ。そしてこの子にとって帰るということは、家を持たない俺たち冒険者とは比べ物にならないくらい大切なことなんだ。

 大樹の表情がくしゃっと崩れてしまい、泣きそうなように鼻をすすった。

 謝ることさえこの子を傷つけてしまいそうで、俺には何も言ってやれない。真っすぐ顔を見ることさえできない。ただ、俺はここにいると伝えたくて、大樹の手を握った。

「うん……」

 大樹はその手をずっと離さなかった。荷車に積んだ木切れを下ろす間も道具を返す間もずっと、何かをこらえるように俺の手を固く握っていて、片づけはロンたちに任せきりになってしまった。疲れて怒る気にもなれなかったのか、三人とも何も言わなかった。

 宿に戻ると、まだ女子組も、どこかで自分たちの仕事をしているらしい大樹の両親も、戻ってきていなかった。とりあえず店主に水を頼んで大樹に飲ませる。

 先に戻ってきたのは、大樹の両親の方だった。母親に呼ばれた大樹はすぐにそちらには行かず、なぜか俺の顔を見上げた。それが何かわからなかったので、俺は適当にひとつうなづいて見せた。

「ごめんね、ずっと一人にして」

「ううん、お兄ちゃんと一緒にいた」

 それを聞いて母親は不審そうな顔を俺の方に向けた。今朝は俺たちの方が早く宿を出ている。その俺たちと一緒だったというのはどういうことだろうかと思われているのだろう。

 俺がきちんと説明するべきだろうと思い、何から話そうかを考え出したのだが、それがまとまるよりも大樹が続きを言う方が早かった。

「みんなで家の周りに散らかっている倒れた木を片づけてたの」

 簡潔に事実だけを伝えた大樹がそこで、でも、と言葉を濁す。

「ここに待ってるように言われたのに、外に出てごめんなさい」

 謝るその姿に胸を衝かれたような一瞬のうちに、大樹は母親に抱きしめられていた。

「お前を一人で放ったらかして、お母さんもごめんね」

「うん……」

 そうして抱き合っている二人の横で、父親が俺たちに頭を下げた。

「一日中面倒を見させてしまってすみませんでした。ありがとうございました」

 とっさにどう返事をすればいいのかわからなかったが、ずっと大樹と一緒にいたのは俺なので、ロンたちは俺に目をやるだけで何も言ってはくれない。

「いえ…、すごくがんばってくれました」

 俺の言葉は単なる挨拶ととられたのか、父親は俺にもう一度お礼を言って深々と頭を下げた。それにもどうすればいいのかわからなかったが、ちょうどよく女子組が帰ってきてそれまでとなった。

「やっと終わったよー」

 疲れたようなしぐさなのに疲れていないような声で、ユリが真っ先にぼやいた。

「本当に終わったのか?」

 それなのに葵が労いもせずに疑いの目を向ける。

「え…、終わりって聞いたけど、ねえ…?」

 不安になったらしく、ユリがレイナたちに確認を取る。それにはっきりそうだと返事をしたのは、蒼玉だった。蒼玉がそう言うのならば間違いないだろうと俺は思ったのだが、葵にとってはそうではなかったらしい。

「お前たち、おれたちの所には来てないよな」

 確かにそうだ。ならば蒼玉たちが聞いたことの方が間違いだったのだろうか。

「ああ、それ」

 メグが小さく笑ったのを見逃さず、葵がそちらをにらむ。しかしそんなことでメグが怯むことはなかった。

「そっちに木晶石はなかったわよね?」

 言われるまで今日一日、俺は木晶石のことを思い出しもしなかった。だが確かにそうだ。葵もそれは認めて黙ってうなづく。

「町の中のは昨日のうちに警備隊が回収した、らしいわよ」

「そういうことか…」

 少し口ごもってから何かを言おうとした葵だったが、ユリがニヤニヤしているのを見つけて口を尖らせてしまった。それを見たユリは、話す相手を遥に変える。

「そっちは?」

「全然。まだ何日もかかりそうだ」

「じゃあ明日は私たちもそっちかぁ。倒した木霊を道の脇にどけるみたいにはいかないのかな?」

「いろいろ分けて運び出さないといけないからな。思ったよりもずっと大変だ」

 でも、と遥が続ける。

「切るのにレイナが加わってくれれば、その分は早くなりそうだ」

 みんなの注目がレイナに集まる。

「そんなに便利に言われても、あたしの魔法だっていくらでもできるわけじゃないんだからね」

「まあそれなりに頼むよ。回復薬代は出なさそうだから、それくらいで」

「こき使う気満々ね……」

「頼りにしてるってことさ」

 レイナがにらんで見せても遥が動じることはなかった。さすが一緒のパーティでユリの相手をし慣れているといったところだろうか。

 女子組が手を洗ってきたところで、食事が運ばれてきた。肉や野菜がごちゃっと入ったスープはわかるのだが、別の皿で運ばれてきた薄い黄色の平べったいものは何なのだろうか。そちらからは甘い匂いがする。

「何ですか? コレ」

 こういう時にためらわずに聞くのは、やっぱりユリだ。

「朝昼と芋だったからな。夜くらいは別のと思って、ちょっとがんばって用意したんだ」

 手間のかかるものなのか。レイナがスプーンで突いているのを見た感じ、柔らかいもののようだ。

「ん? そう言えばなんで昼も芋だったって知ってるんだ?」

 ロンの疑問は言われてみれば確かにそうなのだが、わざわざ聞くようなことでもないだろう。俺は店主が気を悪くしてしまわないか不安になったが、店主は軽く笑って答えてくれた。

「昼のは飯屋みんなで出したからな。こっちだって町のために仕事してるのさ」

 本当に町の誰もが力を合わせて、なんとかしようとがんばっているらしい。それはすごいことだと思う。

「そっか」

「まあ食べてみな。本場ほどうまくはないだろうけどな」

「本場?」

「ナンって言ってな、サウザンベースの方じゃこれが主食なんだ。向こうじゃもっとふっくらしてるっていうけど、そうするには手間も材料ももっと要るらしい」

 勧められたロンだったが、食べ方がわからないらしく手を出せずにいる。なるほど確かにどうすればいいか困る。それにやっと気づいてくれた店主が、また軽く笑って教えてくれた。

「手で持って噛みちぎってくれればいい」

 言われたとおりにロンがそれを噛みちぎる。噛みちぎると言うよりも持っている手と噛んでいる口とで引きちぎった感じだ。ちぎれたものを口の中に入れて、もぐもぐと噛む。

「味はいいけど変な感じだな。食べ物を噛んでいるって感じじゃない」

「でも味はいいんだ?」

 横からユリが口を挟む。

「そうだな。甘いものが好きな奴は好きになりそうだ」

 そう言われて早速ユリも一口食べてみる。

「うん、おいしい。こんな食べ物もあるんだね。これは初めてイースタンベースに来て芋が主食だって知った時以上の驚きだよ」

 気に入ったようなユリの様子を見て、他のみんなも口をつけた。噛めば潰れるというのは炊いたり粥にした米もそうなのだが、これはそれとは全然違う。

「おいしい?」

 隣で皿を置くような音がしたと思ったら、大樹が自分の皿をもってこっちに来ていた。俺の答えを待たずにまた戻って、今度は椅子を持ってきて腰かけた。俺と一緒に食べるつもりらしい。

「変わった噛み応えだけど、うまい」

 俺の返事を聞いて大樹はニコッと笑って見せた。

「こうするともっとおいしいんだよ」

 そう言ってナンの縁をスープにつけて、それから自分の口に運んだ。噛みながら俺の方を見るので、俺も真似をしてみる。

 まるで水に触れた布切れのように、スープがナンに染みこむ。そして水気を吸ったナンは粥のように歯ごたえがなかった。味の方もナンのかすかな甘さにスープの塩気の効いた味が加わって、うまい。

 それを言うと、大樹は満足そうにまた笑って見せた。

「お前はこれを食べたことがあるのか?」

「うん。お店でたまにしか食べられないから、ご馳走だよ」

 そんなものを出してくれたのか。

 ふと視線を感じて目をやると、それはユリたちの席からだった。ユリとレイナ、そしてロンまでもが俺、というより俺と大樹のことを見ている。

「いつの間にアキトさん懐かれてる」

「アキトは子供が好きだからね。だからでしょ」

 にこにこしながらこちらを見守っているユリに、レイナが適当なことを言う。にらみつけてやると、悪びれもせずにさらに続けてくれた。

「だってそうでしょ? あんた、珠季のこと大好きじゃん」

 言ってから俺の視線を避けるようにユリの方を向いた。と思ったが、今度はユリに嫌味を向けたのだった。

「あ、でもユリのことは大好きって感じじゃないか」

「私子供じゃないもん」

 ユリがむくれて見せてもやっぱりレイナは悪びれたりしない。こんなことで険悪になりたくないし、そもそも俺は子供好きというわけでもない。だから二人がにらみ合っているところに口を挟んだ。

「ユリは、子供じゃないから…」

「ほらアキトさんはわかってる」

 本当に言いたいことを言う前に、ユリの嬉しそうな声に遮られてしまった。そういう反応なんかは子供っぽいが、普段見せる目配りや気遣いは十分に大人だと思う。

「あ、でも、ってことはアキトさんは私のことそんなに好きじゃない?」

 今度は俺に口角を上げたニヤニヤした笑顔を向けてくる。やっぱりそういうところは嫌な子供だ。

「そ、そんなことない。だいたい俺は、子供好きってわけじゃない」

 そう口走ってから、大樹が気分を悪くするのではないかということにやっと気がついた。またやってしまった。

 慌てて大樹の顔をのぞきこむが、口にしてしまったことは取り返しがつかず、眉根を寄せて表情を曇らせてしまっていた。

「そうか? その割には一日中一緒だったよな」

 すぐにでも嫌いじゃないと伝えて安心してもらわなければならないのに、ロンの声に反応して視線を上げてしまう。

 何のことかと問われるまま、ロンは今日一日のことをユリたちに話した。

「それだけずっとつきあってやれれば、十分子供好きだろうよ」

 ロンがそう話を締めくくると、一斉に視線がこちらに向いた。視線はそちらの席からだけではなく、隣に座っている大樹からも向けられている。

 ここは、大樹の不安をなくしてやるためにもきちんと答えなければならない。大樹の頭を軽く撫でてから、俺は口を開いた。

「何かがしたいっていう気持ちに、こたえたかったんだ」

 具体性がまったくない言葉は誰にもわかってもらえずに、みんな押し黙ってしまう。その沈黙がかえって、他の席からの注目まで集めてしまった。

「何かできることをしたくて、でも一人だけじゃ何もできなくて、悔しくて悲しいの、俺にはすごくわかったんだ」

 大樹はまだ不安そうな顔で俺を見上げていて、俺はその頭をもう一度撫でてやった。

「俺が、そうだったから」

 ここで意思のこもった鋭い目線を向けてきたのは、蒼玉だった。

 蒼玉と初めて会った時に同じことを言ったことが思い出される。あの時は自分のために必死だった。今もそうなのだろうかとふと思ったが、それは大樹に言っていいことではないので、振り払う。

「俺には黒猫がいてくれた。だから俺も黒猫みたいにしてやりたかった」

 何かを思うように蒼玉がうつむいてしまい、他のみんなも俺の口から黒猫の名前が出たことに遠慮をしているのか、何も言わない。

「猫さんがいてくれて、お兄ちゃんは悔しくなくなったの?」

 何となくしゃべりづらいというだけのこの沈黙を破ったのは、大樹だった。

 そうか、黒猫のことを知らなければただの猫としか聞こえないだろう。

「ああ。友達がそばにいてくれる、それだけで俺は救われた気持ちになったよ」

 ややこしいことを長々と言う必要はない。俺はあえて訂正をしなかった。

「ぼくも。お兄ちゃんがいてくれてうれしかった」

 やっと大樹の表情が晴れた。

「よかったね」

「うん」

 それを聞いてユリが声をかけると、大樹は笑って答えた。それから目を細めて俺に笑いかけてくれたユリは、やっぱりただの子供なんかじゃない。


 片付けの二日め、女子組もこちらに加わり、さらに大樹もついてきた。

 俺のそばを離れない様子に懐かれてるとかいろいろ言われるが、大樹の方は少しでも早く家に行きたいからだろう。俺のそばにいても、向いている先は家の方だ。

 男子組が全員のこぎりを持って切ったものを女子組が運ぶという分担で道具を借りに行ったのだが、どうやらのこぎりの方が使いやすいのはみんな同じらしく、二本しか借りられなかった。俺と遥は斧で大きなものを叩き切ることにする。

 大きなものを振り回し、しかも切ったものも大きなものになるので、大樹が近くにいると危ない。そのため、今日はユリと一緒にいてもらうことにした。それを言った時、心細そうに見上げられたが、すぐに自分の箱を持って行ってくれた。やはり聞き分けがいい。

 昨日からずっと、あの時の戦いで俺たちが最後に押し込まれた畑の中の片づけを続けている。昨日は切りやすそうなところから遥と葵の二人で切ってある程度は進んだが、扱いにくい根の部分は横倒しの切り株のように残したままになっていた。遥がレイナにそれを魔法で小さくしてくれるように頼む。

「魔法だって何でもできるわけじゃないの。これじゃあ切れる前に転がってっちゃうかもしれないから、先にやらせてほしかったな」

 土を抱えたような切り株のところに連れていかれたレイナは、いきなり文句を言った。魔法ならば何でもできると思っていた俺は、悪い気がして二人が話しているところに口を挟んだ。

「わからなくて悪かった。じゃあ俺が押さえてようか」

 レイナの顔が、さらに嫌そうに歪む。

「そんな器用にできるわけないでしょ。あんたごと切り裂くよ?」

「ごめん……」

 俺がいても邪魔になるだけのようなので半歩下がって謝ると、レイナも諦めたように大きくため息をついた。

「まあ、文句ばかり言っててもしょうがないし、やってみる」

 みんなに離れるように言ったレイナが、切り株に向けて手をかざした。

「メタルブレード!」

 グガアァッ! ドスン……!

 土埃を上げながら切り株は大きいものと小さいもののふたつに切り裂かれ、小さい方は下から切り上げられた勢いで少し転がった。

「すごい……」

 声を上げて驚いたのは、レイナの魔法を初めて見た大樹だった。その大樹に笑いかけてから、レイナは遥に向き直った。

「今のよりちょっと小さいくらいならばできるけど、あれくらいになると多分無理。切れる前に転がっちゃうと思う」

 レイナが指したのは転がった方ではなく、もうひとつの大きな方だった。

「そうなると、あまり頼り過ぎちゃダメかな」

「まだ手をつけてない木なら、先に魔法で根の部分を切り落とせばいいと思う。小さく切れるかは、魔法の当たり方次第になっちゃうけど」

「じゃあそれより小さいのは俺が斧でやるか」

 俺もやるとまた二人の話に口を挟んだのだが、斧の扱いに慣れていないからと断られてしまった。代わりに大きめのものを運ぶのを頼まれる。早速俺は、転がすようにそれを荷車へと運んでみた。

「面白そう。ぼくもやりたい」

 そう言って大樹が駆け寄ってきて、俺の真似をして切り株を押そうとする。慌ててその手をつかんで止めた。

「これは重いし、どっちに転がるかわからないから危ない。悪いけど、お前はユリのところにいてほしい」

 今度も大樹はやっぱりすぐにわかってくれて、言うよりも早く手を引いてくれた。

「ごめんなさい、お兄ちゃん」

「俺の方もごめん。ダメってばかり言って…」

 黒猫は俺がやりたいと思ったことはだいたいやらせてくれた。そんな黒猫みたいにしてやりたいのに、俺は否定してばかりだ。

「ううん、お兄ちゃんたちの邪魔をしちゃダメだから」

 それなのに大樹は俺のことを嫌うそぶりを見せない。もう気持ちを切り替えてくれたのか、ユリのところへ戻っていった。

 そもそも俺たちの戦いのせいでこんなことになってしまったのだから、俺は大樹に嫌われて当然のはずだ。なのに俺は大樹に構われることを喜んでいて、黒猫みたいになんて勝手なことまで思ってしまっている。

 そんなの身勝手すぎる。辛くなった俺は、逃げるように大樹のことを思うのをやめてしまった。

 いびつな形の切り株は思うように動かせなくて、どう動かすかをひと押しごとに考えていなければいけない。レイナが次々とそんなものを用意してくれるのが、今は幸いだった。

 しばらくはそうして無心に切り株を運んでいたのだが、そこを急にユリに呼ばれた。いつの間にかユリのところには大樹ともう一人男の子がいた。

「この子、大樹くんのお友達の稔くん」

 ユリが紹介してくれて、お互い軽く挨拶する。

「この子も手伝ってくれるって言うんだけど、そっちでできることないかなって思って」

 細かいものを集めるのにはそう何人もいらないということだった。稔は大樹よりもちょっと大きいが、それでも大きなものを動かしたり切るのをやらせたりするのは難しそうだ。

 せっかく来てくれたのだからその好意を台無しにしたくはないが、どうすればいいのか俺にも思いつかない。

「遥にも聞いてみようか」

 相変わらずユリは切り替えが早い。誰に聞いたところで難しいのではないかと思う俺をよそに、大声で遥のことを呼んだのだった。

 それならここで休憩にして、みんなにも相談した方がいいだろう。ユリにそう言うと、すぐにみんなを呼んでくれた。

 しかし俺が心配したとおり、子供に手伝ってもらえることはもうそんなにはなかった。昨日今日で細かいものはかなり片づいて、後は幹なんかを運べるくらいに切って運び出すといったところだ。

「向こう側は?」

「あっちは焼け残りだから砕くなり切るなりして小さくしないといけないし、それでどう崩れるかわからないから近づくのは危ないと思う」

「じゃあダメかぁ……」

 ユリと遥がそんなことを話している。

 本当にできることは何もないのかと、俺は今片づけをしているところをもう一度眺めてみた。散らかっている範囲は確実に狭くなっていて、それも小さなものから大きなものまで乱雑だった昨日と比べるとまとまってきた感じがある。後はそのまとまった大きなものを片づければ、畑の方は終わりだ。

 それならば、

「なあ大樹、片付けが終わったら、この畑にはまた何か植えるよな?」

「うん」

 この家族がこれからどうするか、どうなるかはまだわからないが、畑を使わないということはないだろう。

「それなら、すぐに使えるように片づけたところを耕しておくのはどうだろう。そうしておけば、何を植えるにしても少しは楽になると思う」

 こんな小さい子に聞いても、これからのことなんかわからないだろう。でもやってもらうとしたら、話をしてわかってもらわなければならない。

「そうだね…うん」

 大樹の答えは俺がただ言わせただけのものなのか、それはわからない。それでも今は、そうして話を進めるしか思いつかない。

「やったことあるか?」

 これは大樹だけでなく稔にも聞きたくて、二人に交互に目を向けながら聞いてみる。

「ううん、ぼくにはまだ大変だからって」

「僕はあるよ。けっこう大変だったから手伝いにならなかったけど」

 大樹より大きいといっても、稔も黒猫よりは小さい。あの村の薬屋の頼みで土を掘り返していた時は黒猫でも道具の扱いに苦戦していたのだから、この二人には少し無理があるかもしれない。

「そうだな、大変だと思う。でも家の片づけに入れるまでには大きいものをどかさないといけないし、それはお前たちには危ない。だから大変でも耕す方をやってみないか?」

 二人は顔を見合わせた。大樹は年上の稔の返事を待っていて、稔は大樹の家のことだから大樹の答えを待っている、そんな感じだ。

「大変ってどれくらい? 怪我しないくらい?」

 そこに口を挟んだのは、ユリだった。

「スコップを使うから……そうだな、転ぶくらいはあるかもしれないけど、わざと振り回すとかでもない限り怪我まではないと思う」

 俺のつぶやきを聞いて、稔が意を決したように俺を見上げた。

「やるよ。せっかく来たんだもん、やる」

 稔の強い語気に、大樹も大きくうなづいた。ユリも、他のみんなも意見はないらしく、それで決まりとなった。

「よし、じゃあ小さめのスコップを借りてこよう」

 俺が両手を伸ばすと、二人とも俺の手を取ってくれた。その腕を引っ張って二人を同時に起こす。

「悪いみんな。またちょっとここを離れる」

「はいはい。今度はお早いお帰りを待ってるぜ」

 ロンの嫌味は無視して、俺たちはスコップを借りに警備隊のところに向かった。

 やはりと言うべきか、都合よく子供にちょうどよさそうな小さなスコップなんかはなくて、他と比べてちょっと小さいくらいのものを借りていくしかなかった。ただしそれとは別に都合よく、今日は子供用の手袋が用意されていた。昨日のことがあって、革物屋がわざわざ作ってくれたらしい。

「箱も持ってく」

 スコップ二本は俺が持って戻ろうとした時に、稔が思い出したようにくるりと背を向けてしまった。

「何に使うんだ?」

「石とかを入れて畑の外に捨てるの」

 俺たちが薬屋の手伝いをしたときには、そんなことはしなかった。

「そんなことをするのか」

「だって、石があると根が伸びるのに邪魔だから」

「そうか。知らなかった」

 さすがに畑の家の子だ。ちょっと手伝ったことがあるくらいでしかない俺なんかよりも、ちゃんとわかっている。

 箱は稔に持ってもらって、片付けの場所へと戻った。邪魔にならないように道を大回りして、畑の隅に入る。

「ちょっとやってみる」

 スコップを一本大樹に渡して、もう一本のスコップを地面に突き立ててみた。踏みつけるまでもなく、割と簡単に突き刺さる。

「踏み荒らされてないところは、やるまでもなさそうだな」

「うん」

 大樹もそう言ってくれたので、俺たちは昨日がんばって片づけた、小枝や葉っぱが少し散らばっているあたりへと移動した。

 もう一度同じようにスコップを突き立ててみたが、今度は同じようにはいかなかった。スコップの縁を軽く踏みつけて、やっと地面に突き刺さる。柄を押し下げて土を掘り起こし、少し前に捨てて見せた。

「二人横に並んで、やってみて」

 使ったスコップを稔に渡して、二人にやらせてみる。

 やはり二人にはスコップが大きすぎて、ひとつひとつの動作がすべて大きな動きをしなければならなくなってしまう。それでも掘り起こすという動きができているのだから、そこはさすが畑の家の子といったところだろう。

「あまり急いだりするな。掘り起こす時にスコップが変な方に動いたりするかもしれないから、お互いにぶつけないように気をつけるんだ」

 危ないことがあるとすれば、それだろう。そこだけ注意すれば、怪我をすることはないはずだ。

 実際、掘り起こす時に柄が変な向きに動いて、大樹が一度転んでしまった。道ほど土は固くないので、ちょっと痛いくらいで済んだようだ。

 それを見て稔が並んでではなく少し離れてやろうと言い出して、二人の間に持ってきた箱を置いた。掘り出した石なんかを二人ともすぐに入れられるようにするためらしい。

 俺が何も言わなくても、二人で工夫してなんとかやろうとしてくれている。これなら任せてしまってもそれほど危なくないだろう。

「よし、そんな感じで頼む。向こうで片づけやってるみんながこっちを通るかもしれないから、それは気をつけてな」

 近くにいる大樹の肩を軽く叩くと、大樹は俺の顔を見上げてきた。

「お兄ちゃんは?」

「俺も向こうの片づけに行ってくる。少しでも早く家の片づけに入りたいからな」

 大樹はちょっと心細そうな顔をしたが、ひとつうなづいて笑って見せてくれた。

「うん。ぼくはこっちをがんばる」

「じゃあ頼むな、稔も」

 二人が揃って返事をしてくれたので、俺は片づけの方に向かった。

 まず一度みんなを呼んで、二人が近くでスコップを使っているから注意するようにと頼む。それから荷車のところに置いておいた斧を取って、蒼玉のところに寄った。

 寄ってくる俺に気づいて蒼玉が手を止めてこちらを見る。いつもの真っすぐな視線、それを意識した瞬間に息が詰まりそうになってしまったが、平気なふりをして見せた。

「頼みがあるんだ」

「何でしょう」

 短くて、はっきりした返事。

「あの二人のこと、見ていてほしいんだ」

「私がですか?」

 嫌とかそんな感情なんかない、純粋な問い。

「俺は大きいのを切ったり運んだりであっちまで目が向かないと思う。だから、二人が無理してないかだけ見てほしい」

「一緒にいて、ですか?」

 今度はちょっと戸惑った様子だ。自分の分担はどうするのか心配しているのだろうか。

「いや、たまに見てくれればいい。それでフラフラになっているようだったら止めてほしい。そうじゃなければ、任せておいていい」

「それを、私が?」

「ああ、多分いちばん動くことの多いお前がいちばん目が届くと思うんだ。だから、お前に頼みたい」

 蒼玉がちょっと首を傾げて、そのまま俺の目をのぞきこむようにする。何か、気に入らないことでもあるのだろうか。

「俺も気をつけるようにするから、頼む」

「わかりました」

 あっさりと引き受けてくれた。さっきの仕草が何だったのか気になるが、そんなことを聞いてしまったら本当に気を悪くしてしまうだろう。気にしないことにして、俺も幹だけになっている木を選んで斧を叩きつけ始めた。

 木材に使うとは言っても荷車に積んで運ばなければならないので、かなり短く切らなければならない。だから一本片づけるだけでも相当に時間がかかってしまう。そうして切る方に集中しているうちに、二人のことをすっかり忘れてしまっていた。

 いくつかに切り分けた時になって、ようやくそのことに気づく。ハッとして顔を上げると、その大樹が目の前にいた。

「それ、持ってくよ」

 そう俺に声をかけた大樹の隣には、稔ではなくて蒼玉がいる。

「大きなものを運ぶのを手伝ってもらっています」

 どういうことかと俺が聞くよりも早く、蒼玉がそう言った。少し言いづらそうにしているのが気になって、俺はちょっと首を傾げてしまう。

「勝手なことをしてごめんなさい」

 それは見逃してもらえず、蒼玉に謝らせてしまった。勝手とかそんなことはどうでもよくて、大樹たちが自分たちも役に立てていると思ってくれればそれが一番なのだ。

「いや…、危なくなければいいんだ」

「大丈夫だよ。せーので一緒に押してるから」

 そう言って大樹は蒼玉を誘って切り分けた幹の向こう側に回る。

「せーのっ!」

 そして大樹の掛け声で二人で幹を押して、転がした。道のように足元がしっかりしていないので、すぐに止まってしまう。それが大変なのだが、変に転がって危なくはならないとも言える。

「ね?」

 転がした幹に追いついて、大樹が俺に笑いかける。

「まあ、大丈夫そうか。なら頼む」

 これなら付きっきりで蒼玉が見てくれることになるし、そうそう怪我することはないだろう。

「うん」「はい」

 二人揃って返事をしてそのままさらに押していこうとする。その先に稔がいたりしないかと気になって、稔の姿が見えないことに気づいた俺は二人を止めた。

「稔はどこだ?」

「メグさんと一緒に、同じように運ぶのを手伝ってもらっています」

「そっか。ごめん、呼び止めたりして」

 やっぱり掛け声は大樹がかける。蒼玉が素直にそれに従っているのが面白くて、しばらく二人の様子に見入ってしまった。いけない、そんなことをしている余裕はない。

 俺も別の幹を転がして、二人の後を追った。二人だけでは荷車に上げるのは無理で、荷車の脇には同じようしてに運んできただろうものがいくつも転がっていた。

「うん、そこらに置いといてくれればいい。後でみんなで持ち上げるから」

「ごめんなさい、二人でもそれは無理でした」

 謝られても、これを荷車に持ち上げるなど男二人でも無理だ。むしろ無理と判断して諦めてくれたことがありがたい。

「いい。危ないことはしないように見ていてくれれば、いいんだ」

 そんなことを言っているうちに、別の方向から稔とメグが同じように切り分けた幹を転がしてきた。

 これならば俺は切るのに専念した方がよさそうだ。せっかく大樹たちがこうしてがんばってくれているのに、切るのが間に合わなければ待たせるばかりになってしまう。

 俺は斧を手に、枝と根を切り落とした後のものを探した。それをユリが見つけてくれて、ちょうど葵が枝払いを終えたものを教えてくれた。蒼玉や大樹たちがみんなで大きいものに手をつけているため、細かい枝葉はユリが一人でかき集めているらしい。

「大丈夫か?」

「うん、こっちは間に合わなさそうな時はアオちゃんが手伝ってくれるから。せっかくあの子たちが自分で考えてやってくれてるのに邪魔はできないよ、ねぇ?」

「え? 蒼玉たちが頼んだんじゃなくてか?」

「あの子たちの方から寄ってったから、多分ね」

 驚いた。俺たちが二人のことを見ているつもりだったが、逆に俺たちの方が見られていて、それで苦労しているところを手伝ってくれたのだ。

 そんな気遣いにどう答えればいいかわからなくて、俺はその場で悩んでしまったが、ユリの答えは単純だった。

「私たちも、あの子たちに負けないようにがんばらないとね」

 そうだ。それ以外にあるはずない。

「ありがとう、ユリ」

 ユリはこういう時にいつも大事なことだけを教えてくれる。俺はそのことに礼を言ったのだが、そんな口にもしない俺の内心など伝わるはずもなく、ユリはキョトンとしてしまった。

 ユリへの答えも、行動あるのみだろう。まだ俺の様子をうかがっているユリを無視するようにして、俺は斧を振るい始めた。


 休憩の時に小声で言われたとおり、夕食後に俺は宿の裏手へと出た。

 昨日以上に疲れたようで大樹は夕食の時もほとんどしゃべることはなく、もう眠いのか席を立った時はもう足元がふらついていた。それを部屋まで送って、そのまま外へと向かったのだった。

 そこでしばらく待っていると、呼び出した蒼玉が早足でこちらに歩いてきた。

「お待たせしてすみません」

「や…、俺の方こそ探させたのならばごめん」

「いえ、そんなことはありません」

 それきり蒼玉は黙ってしまう。ただしその目は真っすぐ俺に向けられたままだ。

 そのことに意識させられてしまっているのもそうだが、何のために今こうして呼び出されているのかがわからなくて、俺からは何も言うことができない。

「アキトさん」

「な、に?」

 名前を呼ばれただけなのに、返事ひとつまともにできない。変な声が出てしまったはずだがそんなことを気にする様子もなく、蒼玉は今度は本当に驚くようなことを口にした。

「私も、アキトさんのことが好きです」

「……」

 あまりの驚きに、声さえ出なかった。声どころか身じろぎひとつできなくて、その視線に捕らえられているかのように蒼玉の目を見続けることしかできない。

 どれくらいそうしていただろうか、俺をとらえていた方のはずの蒼玉が、視線を下げてしまう。それでようやく、俺は思考を取り戻せたようだった。

 蒼玉が、俺のことを、好き?

 わからなかった。

 蒼玉が嘘をつくなんてない。だけどどうしてなのか。もしかすると俺が蒼玉のことを好きすぎて、何か別のことを言ったのをそう勘違いしているのではないのか。

 思考が空回りしているところに視線を感じた。その視線は少し低いところから、上目遣いに向けられていた。

 待たれているんだ。

 上目遣いをする蒼玉なんて、初めて見た。それほどのことが、今、ここで起きているというのか。

 それでも、わからなかった。でもわからなくてもいつまでも待たせておくわけにはいかない。答えなければいけない。

「なんで……?」

 それなのに、俺の口から出たのは問いだった。

 蒼玉の顔が上がる。暗くてその表情はよくわからないが、気を悪くしてしまったように、俺には見えた。

「ごめん……」

 目が見開かれたのだけはわかった。

「どうして……?」

 その声は小さく掠れていた。

「お前の気持ちを疑うようなことを言って、悪かった……」

 見開かれたままだった目が一度閉じ、それからいつもの真っすぐな視線が向けられた。

 それが俺のことを許してくれたということかはわからないが、蒼玉の方から話の続きをしてくれた。

「私、珠季さんがいなくなってからずっと、珠季さんならばどうするか、何と言うか、そんなことばかり考えていました」

 衝撃だった。俺が黒猫がいなくてもがんばろうと自分のことしか考えていなかった時、蒼玉は黒猫の分までがんばろうとしてくれていたのだった。それなのに俺は、そんなことに気づきもしなかった。

「でも全然できませんでした。考えても考えてもうまく考えられなくて、考えたと思ってもうまくできなくて、迷惑ばかりかけてしまって、心配までされてしまって…」

 蒼玉が焦っているように俺には見えていた。それを言ったこともあったが、俺の言葉は通じなかった。

 通じなかったわけだ。あの時蒼玉がどんな気持ちでいたのか、俺にはまったくわかっていなかった。そんな俺の言葉なんか、届くはずもなかったんだ。

 そのことを謝らなければならないと思ったが、それが口を出るよりも蒼玉が続きを話しだす方が先だった。

「この前アキトさんが気分を落としてしまった時も、それを珠季さんのように励ましてくれたのは、レイナさんでした」

 黒猫のように、とわざわざ言ったことが、俺には引っかかった。

「これをアキトさんに言うのは気分を悪くすることでしょうが、あの時は、悔しかったです。でもあの言葉は、私にも大事なことを思い出させてくれました」

 それは?

 口にするのはためらわれたその問いが聞こえたかのように、蒼玉は続けてくれた。

「みんながそれぞれ自分の精いっぱいでがんばるということ。たったそれだけの、単純なこと……」

 それだけのことがわからなくなってしまう時も、ある。

「それは珠季さんだけが知っている特別なことでは全然なくて、だから今日、珠季さんに会ったこともない大樹さんたちも同じようにして私たちのことを助けてくれて、それでやっとわかったのです」

 向けられる視線に、一層の力がこもった。

「珠季さんなんて、全然特別ではありません」

 黒猫のことを否定されたように聞こえて、相手が蒼玉なのにムッとしてしまった俺だったが、蒼玉はそれを無視するようにさらに言葉を重ねた。

「私にとって特別なのは、アキトさんの方です」

 怒りとかそんなものなど、思考ごと消し飛んでしまった。

「初めて会った時、一人でいることの辛さを私に教えてくれたのはアキトさんでした」

 思考が働いていないせいか、そんなこともあったなと、他人事のように思い出された。

「アキトさんはいつでも辛いところにいる人に心を寄せてくれました。今も大樹さんたちにそうしていますし、私は何度も支えてもらっていました」

 俺は、そんな大層なことをしていただろうか。いつだってただ思うまま、辛いことを辛いと言ったり見ていられなかったり、そんなことしかしていなかったのではないのか。

「私、やっとわかりました。私もそんなアキトさんの支えになりたかったと、ずっとそう思っていたことが」

 蒼玉がそう思ってくれていたのに、それなのに俺は黒猫ばかりに甘えていた。やはり俺は、人のことを考えることなんてできてはいないんだ。

「でもそれは誰かのようになりたいということではなくて、そこを間違っていたから、ずっとうまくできなかった……」

 蒼玉は一度目を伏せて、それからさらに強く、俺に視線を向けた。

 それが俺の視線だけでなく、思考までも捕らえてしまう。

「だって、アキトさんを好きなのは、私だから。アキトさんを好くのは、他の誰でもなくて私でなければいけないから」

 叩きつけられた言葉は、俺の思考なんかどこかへ押し流してしまうほどに激しかった。

「私はもう迷いません。アキトさんのことが好きです。一緒にいて、支え合えるようになりたい」

 すべてが押し流されて、しんと静まり返った。

 静寂の中で少しずつ、思考が戻る。それで最初にわかったのは、蒼玉が俺の返事を待っているということだった。

 何の返事なのか。それは、蒼玉が俺を好きだと言ったことへの返事だ。

 そうだ、俺は蒼玉に好きだと言われたんだ。そうとわかって一瞬で気持ちがあふれそうになってしまう。

 でも、本当に?

 蒼玉には焦りがあった。だがそれはこれまでということではなくて、今もそうなのではないか。

 今日初めて気づいた気持ちを持て余して、伝えることを今焦っているのではないのか。

 だって、こんなのは蒼玉らしくない。いつもの蒼玉ならば、もっと筋道を立てた話し方をするはずだ。

 もし気持ちが落ち着いて、本当はそれほどのことではなかったとしたら、俺は傷つくし、蒼玉も傷つくはずだ。それは嫌だ。

 だから今は我慢しよう。

 ちゃんといつもの蒼玉に好きと言ってもらえるまで、待とう。

 胸が苦しくなるのを抑えて、俺は口を開いた。

「俺、お前に焦ってないかって言ったこと、あったよな?」

「はい」

「今もそうなんじゃないのか?」

「えっ……?」

 また、蒼玉の目が見開かれた。

「いきなり湧き上がった気持ちをどうすることもできなくて、それがそんなことを言わせてるように、俺には見える」

「そんなこと、ありません!」

 激しく否定するその様は、やっぱりいつもの蒼玉じゃない。

「そういうの、お前らしくない」

 聞いてもらえるように、あえて静かに言い返した。

「それなら、私らしいとは、何なのですか?」

 まだ語気が少し荒いが、聞いてはもらえそうだ。

「いつものお前だったら、もっと……理屈っぽいって言うのか? 聞いてわかるような話し方をしてくれる。でも今は、思ったことをそのまま口に出してるって感じだ」

 今度は反論しない。自分でもそれがわかったのだろう。

「それが焦りなんだと思う」

 目を伏せようとする蒼玉を、今度は俺が強い視線で縛りつけた。

「だから今は、時間をかけて気持ちを整理してほしい。それで本当に俺のことを好きになってくれたら、嬉しい」

 俺の言うことが気に入らないというように、蒼玉がキッと顔を上げた。

「そんなの、」

「今決めつけないで」

 あくまで抑えこむ。蒼玉を、そして俺自身も。

「急がなくても、焦らなくてもいいんだ。俺は、お前のことが好きだから」

 だから、蒼玉が俺のことを好きと言ってくれるのは今でなくてもいいんだ。

「……はい」

 もう言うことはなくなってしまったのか、渋々した返事を最後に蒼玉は俺に背を向けて先に宿へと戻ってしまった。

 俺はただそれを見送るしかできなかった。

 俺は、せっかくの蒼玉の気持ちを傷つけてしまったのか。

 そもそも蒼玉に好きだと言った時の俺は、あの瞬間に気づいた気持ちを叩きつけただけだった。そんな俺が蒼玉のことを言えるわけなど、なかったのではないか。

 一人でとぼとぼと部屋に戻ると、待ちくたびれた様子の三人が一斉に俺に注目した。

「長かったな。もめたのか?」

 代表するように、ロンが声をかけてきた。

「いや……」

 反射的に否定してしまったが、改めて考えるまでもなく最後はもめてそのまま別れたのだった。だがそんなこと、わざわざ言うことではない。

「そうか、それならいい」

 言わなかっただけのことを好意的にとらえてくれたようで、ロンは硬い表情を崩した。

「蒼玉もみんなと口をきいてくれるようになったし、逆戻りしなければそれでいいんだ」

 そうだったのか。

 いや、そうなのだろう。俺が気づいていなかっただけだ。

 意識してしまうからと、俺は蒼玉のことを避けがちになってしまっていたのだ。そうして俺が気づいてやれなかった間に、蒼玉は意固地になっていたところから抜け出ていたのだろう。

 自分のことしか考えていないのが情けなくて、俺は目を伏せてしまう。

「しつこくて悪いけど、大丈夫か?」

 それを見て取ったらしい葵が、心配そうに聞いてくる。ごまかしてももっと心配されるだろう。だから俺は短く答えた。

「蒼玉は大丈夫だと思う。俺は…自分のことしか考えてないのがちょっと痛いだけだ」

 結局心配させてしまったのか、葵が低くうなったのだが、それをかき消すようにロンがまた口を開いた。

「またそれか。いつもいつもつき合ってられないぜ」

 話は終わりとばかりにベッドに寝転がってしまった。ご丁寧に、俺に背を向けて。

 みんなの気遣いがありがたくて、同時に自分だけそれができないことがもっと情けなくなった。


 やっと折り重なって焼けた木を全部どかしたのだが、そこはもう家と言えるようなものではなかった。何もかもが木霊に潰され、焼けてしまっていて、何ひとつ取り戻すことができなかった。

 あちこち手で掘り返してそれでも何も拾い上げることができなかった大樹が茫然とへたりこんでいたのが、見ていてものすごく辛かった。背を向けてしまいそうになるのをどうにかこらえて、ずっと手を握っていてやることしかできなかった。

 それから。

 新しい家を建てるのはさすがに誰でもできることではなくて、冒険者まで含めて町の全員でということはなくなった。

 ただしまだ誰も冒険者に何か依頼を出せるような状況ではないようで、ギルドには家を建てる手伝いとか、そんなものがちらほら貼り出されているだけだった。

 その中にひとつだけ違うものがあったので、俺たちはそれを受けることにした。それは、集めた木晶石をセントラルグランまで運んで売り払うというものだった。

「この前のことに関わっている人がいるという証拠でしょう。それを手放してしまってもいいのですか?」

 手続きしようとするユリを遮るように、蒼玉がNPCにそう問いかけた。

「証拠にはいくつか残しておけばいいと思いまして。それよりも片づけや家の立て直しなんかでお金がかかってしまっていますから、売って少しでも足しにしなければならないのですよ」

 言われてみればそうだ。俺たち冒険者が物を買ったり宿に泊まったりするためのお金を用意するために依頼を受けるように、依頼者の方も報酬のお金をどうにかして用意しなければならない。そんなことを思ったことがなかった俺は、やっぱり人のことなんか考えていない。

 報酬は安いが、昨日までやっていた片づけの続きのようなものだと聞いてしまっては、文句は言いにくい。それに、これはよくある旅商人の用心棒とは違って、荷車を運ぶのも含めての依頼である。人数が必要というところが俺たちにちょうどよかった。

 早速荷をまとめてある宝飾品店に向かい、商売を任されている店主と一緒に出発した。

 木晶石だけ丁寧に外しておくだけの暇は誰にもなくて、ベルトに結わえられた縄を外しただけのものが荷車にいっぱいに積まれていた。その一台の荷車を、俺とロンの二人で引いていく。

 ここ数日の片づけで多少荷車の扱いに慣れていたので、そんなに苦労ではない。本物の旅商人のようだとレイナに笑われたくらいだ。

 道の脇で木に背中をもたれて座っていた冒険者らしい三人が、通り過ぎようとする俺たちを見て急に身を起こし、行く手をふさぐように立った。

「何か、用か?」

 遥が前に出て、不審そうに問いかける。

「その木晶石を待っていたのさ」

「何だと…?」

 不敵に笑う冒険者に、遥はすごむように声を低くする。そのにらみ合いに、別の声が挟まれた。

「これがそうだと、どうして知っているのですか?」

 蒼玉がそう言って俺は初めて気がついたが、そのとおりだ。荷車には覆いの布が被せられているし、隙間から少し見えたとしても、飾りのついたベルトの山だ。知っていなければこれが木晶石だとわかるとは思えない。

「それは我々のものだからな」

 三人のうちの二人が、剣を抜いた。一人の剣はいやに細くて、しかも重くもなさそうなそれを両手で持って構えている。

「どういうことですか……っ!」

 さらに問いかける蒼玉が、いや俺たち全員が絶句した。目の前にいたはずの三人の姿が、不意にかき消えてしまったのだ。

 武器を構えたまま、周囲を見回す。背後を狙っているのかと俺は急いで荷車の後ろに回ったが、そちらにもいない。

「何だったんだ? いったい」

 諦めて剣を収めた遥に続いて、みんなも武器をしまう。その疑問はみんな同じで、誰もそれに答えられなかった。

「転移魔法……?」

 もやもやした沈黙を破ったのは、メグだった。

「転移魔法ならば、一瞬で消えることはできるけど…」

「魔法士らしい人は、いなかったよね」

 ユリの意見に、メグもうなづく。三人のうち一人は武器を持っていなかったが、法具らしいものも持っていなかった。

「どこかに隠れていたのかしら。そうだとしても、何のために……?」

 三人の他に隠れている誰かがいるのならば、姿が見えなくなったからと言って油断はできないのではないだろうか。俺はもう一度辺りを見回したが、誰も見つけられない。

「逃げた…のか……?」

「それかもしれません」

 俺のつぶやきに、蒼玉が鋭く反応した。

「勝てないと踏んだからか」

 ロンはそう言ったが、違うと思う。蒼玉もそれを否定した。

「それならば最初から出てこないでしょう。それに、木晶石が自分たちのものだと言っていたことが気になります……」

 自分で言ったことに何か気づいたのか、蒼玉は小さく声を立てた。

「まさか…、あの人たちがあれを使って町を襲わせた人?」

 みんなの注目が、一気に蒼玉に集まる。しかし蒼玉の推測もそこまでで、またみんな沈黙してしまう。

「自分たちのものだとしたらさ、どうして取り返さないで逃げたのかな? やっぱり無理だと思ったから?」

 レイナがさっきのロンと同じ疑問を挙げるが、やはりそうとは思えない。

 何かがある。だがあの三人が出てきてから消えるまでにあったことと言えば、蒼玉がどうして木晶石だと知っているのかと聞いたことくらいしかない。

「ねえ蒼玉、どうしてあんなことを聞いたの?」

 メグが蒼玉にそう聞く。あの時俺はよく気がついたと驚いただけだったが、確かにどうしてなのか。

「おかしいと思ったからです。ですが、あれを使っていた人たちかもしれないとは、思いもよりませんでした」

「それを知られたから、慌てて逃げだしたんじゃないかしら。……と言うよりも、裏にいた魔法士があの三人から自分がたどられるのを恐れてそうしたのでしょうね」

「なら、追いかけて捕まえれば」

 葵が意気込んだが、メグは首を横に振った。

「相手は転移魔法を使えるほど力のある魔法士よ。そう甘くはないわ。それに、あの三人とその魔法士以外にも仲間がいないとは限らないし、それがわからないのに深追いするのは危険よ」

 葵と同じことを思った俺も、同じようにがっくりした。もし捕まえられれば少しは大樹のためにもなると思ったのに、見逃すしかできないのは、悔しい。

「それに、今言っていることは全部、想像にすぎません。わかっているのは、この木晶石が狙われているということだけです」

「狙われているということは、また来るかもしれないということですか……?」

 蒼玉の補足に、ここまで俺たちのやり取りを黙って聞いていた宝飾品店の店主が恐る恐る口を挟んだ。

「そうかもしれません。ですが、それを防ぐために私たちがいます。ですから、気をつけて行きましょう」

 はっきりした口調でユリが答えて、それから店主ではなくて俺たち一人一人に目を向けた。その目はそろそろ行こうと言っているようで、俺たちは再び荷車を囲むようにして歩き始めた。

 途中で荷車を引くのを遥と葵の二人に交代して、俺とロンは先頭と最後尾についた。そうして周囲に気をつけながら、それでも荷車をゆっくり引いていたのではなかったのだが、宿村に着いた時にはもう日が沈みかけていたのだった。

 出された食事はあぶっただけの芋と乾燥肉だけで、前に黒猫が教えてくれたとおり、本当に腹に入れるだけのものでしかなかった。

 寝るところも大きな部屋にベッドが詰めこまれるだけのもので、ちょうどウージュへ向かう旅商人と一緒になった。そちらにも用心棒の冒険者がいるので、俺たちと合わせて二十人に近い。商人同士で話が始まった。

「ウージュがそろそろ落ち着いてきたと聞いて出てきたのですが、実際のところはどうなのでしょうか」

「木霊に押しつぶされた店もあって、そこはこれからどうなるかはわかりませんが、それ以外のところはそろそろ再開といったところですね。いつまでも商売を止めている訳にもいきませんから」

「鍛冶屋は無事だと聞いていますが…」

「では、荷物は」

「西からずっと運んできた、鉄です。いろいろ入用になると思いまして」

「そうですね。家を建て直すにも釘なんかが必要でしょうし…」

「片づけに使ったのこぎりも使い潰したのがあるし、そういうのにも要るかな」

 和んできたのを察してか、遥が話に加わった。

「そういうのは、古い鉄を打ち直して使うんですよ。新しい鉄が全然要らない訳ではありませんが」

「そうですか……」

 嫌がられたようではなかったが、それきり遥は首を引っ込めてしまった。

「持って行けば売れるのは、間違いなさそうですね」

 満足したらしい旅商人は、今度はこちらのことを聞いてきた。店主はためらうこともなくこちらの荷が木晶石であることを話した。

「小粒のものがたくさん手に入ったのですが、小さな町ではそんなに売れないでしょうし、セントラルグランで売りさばこうと思っています」

「小粒ですか……法具には、使えませんか?」

 鉄を扱う商人が法具のことを口にしたのが俺には意外だったが、店主にとってはそんなことはないらしく、普通に答える。

「法具に使うには大きさも質も少し劣るくらいですし、使えるにしてもやはり小さな町で売り切るには多すぎます。大きな町ならば装飾品に使ったりすることもあるのではないかと期待して、出てきたところです」

「お手元にありますか?」

「これです」

 店主がポケットから出したのは、ちゃんとベルトから取り外したものだった。

「おっしゃるとおり、法具にするには物足りなさそうですね」

 お互いの商売の話はそこまでで、後は俺なんかが聞いてもわからないような話題になっていったので、耳に入れるのはやめてベッドに横になった。布団が薄いので感触が硬い。

「さすが商人、話し方がうまいな」

 隣で同じようにベッドに横たわっている葵が、いかにも感心している様子で俺に声をかけてきた。

「そうなのか?」

 話がうまいとか俺にはわからなくて聞き返すと、葵はこの木晶石にかかわる事件のことを店主が何ひとつ口にしていないことを言った。

「そうやって悪い印象を与えないようにして、ただの木晶石として売りこむつもりなんだろう。そのために見せるためのものまで用意してる」

「そうなのか」

 商売のことには興味がわかなくて、素っ気ない返事をしてしまった。葵もそれきり黙ってしまったのはそのせいだろうが、こんなことで謝るのもかえって気を遣わせてしまうと思うと、謝るに謝れなかった。

 ユリたちもユリたちでおしゃべりをしているようで、いろんな声がざわざわと聞こえてくる。それをただ耳にしているうちに、いつの間にか俺は眠ってしまったらしい。後であんな騒がしいところでよく眠れるものだとからかわれたが、騒がしくしていた本人が言うことではないだろう。


 仕事は予定よりも早く終わった。

 いくらかでも引き取ってもらえないかと立ち寄ったイースタンベースの宝飾品店が、事情を聞いて全部買い取ってくれたのだ。自分のところで全部売りさばける数ではないが、余ったものをよそに持っていくのも含めて任せてもらっていいとまで言ってくれたのだった。

 売値は多少安いようだったが、それでもここからさらにセントラルグランへ行くための費用を考えれば、少しだけ利益が勝るということらしかった。

 その利益を俺たちにも分けてくれると店主は言ってくれたが、それは断った。俺たちがもらう報酬にだって途中の宿代なんかが含まれていて、それがセントラルグランまでの往復分かからなくなったのだから、すでにその分が俺たちの利益なのだ。

 しかもこの金は、町の立て直しのためのものだ。それを思えば余計に受け取れない。

 店主と俺の間で押し問答になりかけたが、突然ユリがそれなら森繁屋のお菓子をご馳走してほしいと言い出して、強引に手を打ってしまった。もっとも、そんな話に関係なく元々森繁屋には行くつもりだったらしかったが。

 ウージュに戻ってギルドで報酬を受け取り、何日かぶりの宿に戻る。日ごとに金を払っている冒険者なのだからどこに泊まってもいいのだが、自然とそこに足が向かうのは、それだけ親しみがわいているということなのだろう。

 俺が扉を開けると、さっとこちらを向いた男の子と目が合った。大樹だ。

「お帰りなさい、お兄ちゃん」

 顔をほころばせて駆け寄ってくる。

「ただいま」

 後ろでつかえているみんなを中に通すために、俺は大樹の手を引いて脇へとよけた。それからもう一度大樹の顔を見ると、笑っているのに目は泣きそうにうるんでいる。ぎょっとした俺は、かがみこんで真っすぐに大樹の顔をのぞきこんだ。

 大樹はしばらく言葉が出ない様子で口を開いたり閉じたりしていたが、黙って待っている俺を見てようやく落ち着いてくれたようで、俺たちを待っていたことを話してくれた。

「お兄ちゃんたちは冒険者さんだから、もう他の町に行って帰ってこないかもしれないって……」

 気がつかなかった。俺は大樹の言うとおり冒険者で、だから何日も戻ってこないこともあるし、場合によっては拠点を他の町に変えることだってする。そしてそうすることは普通のことで、何も思わない。

 しかし大樹にしてみれば、何も知らされないままいなくなってしまったのだ。

「寂しかったか?」

 それで大樹が寂しがるなんて、俺は少しも考えていなかった。

「うん……」

 寂しがるほどに俺のことを好きでいてくれるなんて、思っていなかった。

「ごめん…急にいなくなったりして……」

 抱きしめようと腕を伸ばした俺の胸に、大樹が先に飛びついてきた。そのまま、どちらも無言で抱き合う。

 小さい子で力なんか全然ないのに、抱きしめられるのが痛いくらいだった。大樹のことを少しも考えてやれなかった俺をこんな気持ちで待っていてくれたことが、痛かった。

 夕食の時も、大樹は俺のそばを離れようとしなかった。そして新しい家ができるまではまだ時間がかかること、畑に葉物野菜を植える手伝いをしていることなんかを、食べるのをそっちのけで俺に話してくれた。

「お兄ちゃんに教えてもらったからぼくもスコップを使おうとしたんだけど、また転んじゃってやらせてもらえなかった。でも石を拾ったり種を埋めたり、がんばったんだよ」

「そうか、がんばったならお腹もすいただろう。ならば今はちゃんと食べろ」

 なだめるのには一苦労だったが、それでも元気になったくれたことに、俺はほっとしたのだった。

 でも、それだけじゃいけない。俺の方からも大樹にきちんと言わなければ、謝らなければいけない。

 だから、大樹が食べ終わるのを見計らって、改めて声をかけた。

「俺…俺たちはお前の言うとおり冒険者だから、今度みたいに仕事で急に何日かいなくなることもあるし、仕事がなければ他の町に行くこともあるかもしれない」

 いなくなると聞いて大樹が怯えたように縮こまる。それでも、言わなければいけない。

「仕事の時は、その場で出発になることもあるから、悪いけど今度みたいにお前に言ってやれないこともある。でもこれだけは約束する。いなくなる時は、この町を出る時は絶対、お前に言ってからにする」

 俺たちは冒険者だから、ずっと一緒にいてやることはできない。そんな俺がこの子にしてやれることは、これくらいしか思いつかない。

「お前は…、俺の友達だから」

「ともだち……?」

 呆けたように、大樹が俺が口にした言葉を繰り返す。

「俺をお前の友達に、してくれないか?」

 こんなことを言ってやるくらいしか、できることがない。

「お兄ちゃんが、ぼくの友達……?」

「ああ」

 勝手なことを言っていると思う。

「うん。お兄ちゃんが友達で、ぼく嬉しい」

 こんな俺で、許してほしい。

「俺も…、ありがとう」

 元々嫌われて当然という出会い方だった。それを友達と思ってもらえるなんて、ありがたい以外にどう思えばいいかわからなかった。

 そんな俺を大樹はしばらくキョトンとした様子で見ていたが、俺が表情を緩めたのを見て、まだちょっと固く笑ってくれた。

 その大樹が後ろからユリに呼ばれて隣のテーブルに移ったのと入れ替わりで、蒼玉がこっちに来た。

「どうした?」

 突然のことでぎょっとしたが、なんとか声をかける。

「アキトさんに謝りたいことがあります」

 全身がスッと冷えて、今度こそ返事ひとつできなかった。

 しかし蒼玉は俺が続きを話すのを待っていると思ったのか、俺を真っすぐ見据えたまま、続けた。

「珠季さんのことを特別ではないなどと言ってしまって、ごめんなさい」

 それは恐れていたことではなくて、それだけでいっぱいになっていた俺には、何を言っているのかわからなかった。

「アキトさんにとって珠季さんは何より特別だということ、何度も見て聞いて知っていたはずなのに、私は自分の気持ちだけしか見ないで無神経なことを言ってしまいました」

 さらに言葉が浴びせかけられる。黒猫のことを言っているらしいことがようやく、何となくくらいに感じ取れた。

「あんなことを言ったらアキトさんが傷つくことは考えればすぐわかるはずなのに、気づかないで傷つけてしまって、本当にごめんなさい」

 やっと言葉を止めた蒼玉は、今度は頭を下げたままぴたりと静止してしまった。

 黒猫のことで、蒼玉が、俺を…、傷つけた?

「違う……」

 それは、蒼玉が謝ることじゃない。

「お前が黒猫のことをどう思っているかは、お前の気持ちなんだ。俺にとって特別だからお前も特別に思えってのは、違う」

 蒼玉はまだ頭を上げてくれない。

「お前の気持ちを聞かせてもらえて、よかったと思ってる。全然特別じゃないって言われた時はちょっと……本当はかなり、嫌な気がしたけど、でもそれは俺の気持ちだから」

「それです」

 いきなり蒼玉が顔を起こして、俺を真っすぐにらんだ。

「やっぱりアキトさんを傷つけてしまったのですね」

「いや……」

「でも」

 食い下がる蒼玉のいつになく激しい目に、俺はこらえきれずに視線をそらせてしまった。

 それでもひしひしと感じていた強い視線が不意に消えて、か細い声が耳に届いた。

「こんな私がアキトさんを好きでいるなんて、いけませんよね……」

 驚きのあまりのどから飛び出そうになったものを、両手で口をふさいで押しとどめた。

 その代わりではないが隣の席の葵の方を向くと、葵も驚きだったのだろう、無言で目をぱちくりさせて俺のことを見ていた。

 なんでそういうことになる?

 確かにあの時ムッとしたけど、それでも蒼玉のことが好きなのは変わらなかったし、そう言ったはずだ。それが、届いていないのか。

 そうだとすれば、蒼玉は今もまだ焦りがあるのだろう。

「いけないとか、そんなことないから」

「でも、私は、」

「俺は平気。怒ってなんかない。だから今は気持ちを落ち着けてほしい。急いで決めなくても、大丈夫だから」

 どうにかなだめようとしたのだが、勢いよく席を立った音に遮られてしまった。

 だがそれは蒼玉のものではなくて、その向こうだった。

「いい加減、逃げるのはやめなよね」

 レイナの苦ったような声が、上から降ってきた。

 抑えた声が、かえって怒りを感じさせる。それにたじろいで、返事ができなかった。

「蒼玉がこれだけ必死なのに、あんたなんで受け止めてやらないの? わかろうとしないの?」

 必死だなんて、そんなことわかってる。

「だって、そういうの、いつもの蒼玉じゃない。そんな時に大事なことを軽く決めたら、きっと後悔する……」

 これはレイナへの返事だが、それよりも蒼玉に伝えたいことだ。だから上に向けていた目線を蒼玉へと下ろしたが、蒼玉はテーブルに目を落として俺のことは見てくれない。

「だーかーらー、」

 もう抑えきれないというようにレイナの声が大きくなる。

「そうなっちゃうくらいの気持ちってこと。そんなこともわからないなんて、あんた本当に蒼玉のこと好きなの!?」

「ああ好きだよ!」

 反射的に勢いつけて立ち上がってしまい、反動で椅子が転がった。

 その音に驚いて、蒼玉が顔を上げる。その顔を、俺は見下ろした。

「好きだから、ちゃんと好きになってもらいたいんだ。後悔なんてしてほしくないんだ」

 もうレイナのことなんかどうでもよかった。

 驚きに見開かれていた目が一度閉じて、いつもの静かな目に戻った。

「後悔なんてしません。なぜなら私はもうずっとアキトさんのことが好きで、今までそれが間違っていると思ったことは一度もありませんでしたから」

 静かだけど、確かに力のこもった声。

 真っすぐな目に、意志の強さがこめられている。

 これが、蒼玉の揺るがない思い……

 こんな時、蒼玉はこういう顔をするんだ。

 そんなことも知らないで好きなんて言っていた俺の方こそ、軽い気持ちではなかったのか。

「ごめん蒼玉……、疑って悪かった……」

 上から言うなんてとてもできなくて、テーブルに両手をついてうなだれてしまった。

 顔も見れていないのに、蒼玉は俺の気持ちをくみ取ってくれたかのように答えてくれた。

「いいのです。だって私は、アキトさんのことが好きですから」

「俺も、お前のことが好きだ」

 そのまま二人、見つめ合う。やっぱり蒼玉の目はきれいだなと、改めてそんなことを思った。

 誰かのほっとしたようなため息が聞こえて、やっと緊迫した空気が消えてくれた。

 だが、

「お兄ちゃんは、お姉ちゃんとぼくとどっちが好きなの?」

 いつの間にかまたこっちに来ていた大樹が、俺が倒してしまった椅子を起こしながらそんなことを聞いてきた。

 絶対お前がけしかけただろうとユリをにらんでやるが、ちっともこたえた様子もなくニヤニヤと笑いながら見返してくるだけだった。

「どっちがって言われたら、お姉ちゃんかな…」

 大樹の眉根が寂しそうに少し寄ってしまう。

「でも誰かが好きだからって他の人は好きじゃないなんてことは、ないぞ。お前は、俺にとって大切な友達だ」

「そうなの?」

 大樹はまだ不安そうな顔をしている。

「だってそうだろ。お前だってお父さんもお母さんも、お姉ちゃんのことも、みんな好きだろう?」

「うん」

 わかってくれたらしく、やっと表情が晴れた。

「あっちのお姉ちゃんは、意地悪だから好きにならなくていいけどな」

 さっきのお返しに、ユリを目で指しながらそう大樹に教えてやる。

「ユリお姉ちゃんは、意地悪なの?」

 俺が誰を指しているのかわかって、大樹は俺を見上げながら聞いてくる。

「あ、いや……」

 大樹がここに来た最初の日に元気づけようと話しかけたりしていたのはユリだったのを思い出す。そんなユリに悪い印象を持たせるのは、ちょっとかわいそうだ。

「そんなことは…ないな」

 しどろもどろになった俺を見て、ユリが声を上げて笑い出した。にらんで見せても少しも笑いを収めてくれないので、諦めて目をそらす。

 ふと近くからくすくす笑う声がしたのに気づいて、にらんだ目のまま今度はそちらに顔を向けると、それは蒼玉だった。慌ててそちらからも目をそらす。次に目が合ったのは葵だったのだが、今度はばつが悪そうに向こうから目をそらされてしまう。

「そういうの、アキトさんらしすぎます」

 まだくすくす笑いながら、蒼玉が言う。

「アキトお兄ちゃんらしい?」

 そう聞いてくる大樹に、やっと笑い声を収めて蒼玉は答えた。

「アキトさんは友達思いなのです。だから友達のことはみんな、大事にしてくれますよ。もちろん、大樹さんのこともです」

「そうなんだ」

 二人して笑顔で俺を見上げてくる。

「まあ……、な」

 恥ずかしくてそうとは言えなくて、でも違うとは言いたくなくて、あいまいに答えた俺は、二人を見ないように大樹が起こしてくれた椅子に斜めに腰かけたのだった。

 出されるまですっかり忘れていたのだが、この店では夕食後に果物を出してくれるのだった。なかなか入りづらくてと店主に言われた時、その原因だっただろう俺は恥ずかしさでうつむいてしまったのだが、蒼玉と大樹は平然としていた。

 まだ小さくてそういう雰囲気なんかわからないだろう大樹はともかく、蒼玉が平然としていられることには驚いてしまう。蒼玉には照れとかそういうものはないのだろうか。

 出された今日の果物は、梨というのだそうだ。

 これもすごくみずみずしくて、噛んだところから甘い汁がにじみ出るのだが、桃よりはさっぱりしていて、噛むと生野菜ほどではないがシャリシャリした感触がある。俺は、桃よりもこっちの方が好きかもしれない。

「これもおいしいね。絞って水筒に入れていきたいくらい」

 変なことをユリが口にして、いいとか嫌とかそれぞれ言い出したが、その話をまとめたのは店主だった。

「確かに甘いから元気が出るし、これを仕入れてくる店では絞ったのを実際に出してる」

 それなら、と言いたげに身を乗り出したユリを、店主が制した。

「でも水筒はやめておけ。中がべたべたして使い物にならなくなる」

 そこまで言われては、ユリも諦めるしかなかったようだった。

 今日も手伝いなんかで相当疲れていたらしい大樹が大きなあくびをしたところで、それぞれ部屋へ戻った。

 女子組の部屋では話が盛り上がっているのか、ざわざわしているのが聞こえてくる。逆にこちらは、それが聞こえるくらいに静かなものだった。

 なんだかとんでもないことになった。みんなの前で蒼玉のことが好きだと叫んでしまったのだと思うと、顔が火照ってしまう。

 しかも、その蒼玉が俺のことを好きだと言ったのだ。蒼玉のことだから、そう言った限りそれは嘘でも冗談でもない。それを俺は、どう思えばいいのか。

 わからない。

 好きならばどうすればいいのかもまだわからないのに、好きになってもらったらどうすればいいかなんて、見当もつかない。

 黒猫―――

 つい心の中で頼ってしまう。

 しかし、いくら黒猫のことを思い出しても、それはわからなかった。

 黒猫が俺にしてくれたのは俺を助け、支えてくれたことなのだが、それは好きとは違うことだったと思う。

 そうなると、俺はお前に頼らないで前に進まなければならないんだな。

 黒猫が少し遠くなったようで、心細く思った。でも、違う。

 黒猫がいてくれたから俺はここまで来れたし、俺が俺であればいいと言ってくれた黒猫の存在は、今も俺の背を押してくれている。

 ならば俺は、わからなくても前に進む。

 好きなものを好きでいて、大切なものを大切にして、一緒に何かができるように俺はがんばる。

 それはただの開き直りかもしれないが、今はそう思いこむことにした。


「蒼玉、出すぎだ! 下がれ!」

 正面に広く魔法を放った蒼玉の隙を突いて、左から怪物が襲いかかってくる。

 何とかその間に駆けこんで、そのまま盾で攻撃を弾いた。その勢いで、両者ともに体勢を崩してしまう。

「やあっ!」

 そこにユリが飛びこんで、その勢いのまま拳を打ちつける。怪物が吹っ飛んだ隙に俺は体勢を立て直して、左は任せて蒼玉の前で構えをとった。

「一気に決めよう!」

 ユリの声とともに、ユリと俺、そして葵の三人が、魔法で手傷を負った怪物の群れに飛びかかる。先頭で突っ込んだユリをかばうように葵が割って入り、その脇を俺が支える。一度下がったユリが勢いつけてもう一度飛びこんだところで、こちらの勝負は決まった。

 蒼玉は、と後ろを振り返ると、もうロンたちの援護に回っていた。不意に横から魔法を浴びせられる形になって、そちらもすぐに決着がつく。

「ごめんなさい、私が出すぎたせいでアキトさんに無理をさせてしまって…」

「いや、俺がもっとちゃんと周りを見ていれば、あんなことにはさせなかった」

 うまくいかないことはある。でも、お互い焦ることもすれ違うこともないのは、以前とは全然違う。

「このくらい大丈夫だよ。だって、二人だけじゃないもん」

 だから他のみんなも嫌な顔ひとつしないで助けてくれる。

 俺たちはまた歩き出した。

 どこかにまだ別の怪物がいないとも限らなくて、周囲に注意を払わなければならない。

 そんな中でも俺の目はちょくちょく蒼玉の方に向いてしまうし、蒼玉の方も時々俺に視線を向けてくれる。

 たまにそれがぶつかって、お互いしばらく硬直してしまう。そんな時は苦笑いをしてしまったり、ことさら平然を装ったりするのだが、どうも慣れない。意識してしまう。

 そんなことでは、やるべきこともおろそかになってしまう。そう自分を戒めようとするが、それでもあふれそうになる気持ちを止めることができない。

 また、視線を感じた。

 その静かな目が、向けられる好意が確かなものであると安心させてくれると同時に、俺の気持ちをいっぱいにしてしまう。

「どうか、しましたか?」

 そのぶれが、蒼玉には不安に見えたらしい。俺は隠さずに自分の気持ちを打ち明けた。

「今の俺、すごく浮ついてて、こんなで大丈夫なのかって思ったりするんだ……」

 打ち明けたというよりも一方的にぶつけただけのような気もするが、それでも隠して誤解されたくないし、蒼玉の気持ちも知りたかったし、何より蒼玉と少しでも話がしたかった。

「…………」

 だが、一方的に気持ちをぶつけるだけでは、話にはならない。蒼玉が何も答えてくれないのは、だからだろう。

「もしアキトさんが浮ついていると言うのならば、その分私がしっかりします」

「違うんだ、お前にどうにかしてほしいとかじゃないんだ」

 やっぱり俺は、自分のことしか考えていない。いっぱいすぎて他のことなんか考えていられなくて、それがやっぱり大丈夫じゃないんだ。

「私がそうしたいのです。それが私の好き、ですから」

 顔でも叩かれたかのような衝撃だった。蒼玉に迷惑をかけてしまうとか驚いたことはいろいろあったが、何よりも驚いたのは好きということを照れも何もなく真っすぐに口にしたこと、だったと思う。

「俺も…、そうしたい……!」

 反射的に口走っていた。そんなこと、何ひとつできていないのに。

「はい」

 でもそんな俺に蒼玉は、表情を緩めて答えてくれた。

 言ったからには、やらなければ。それ以前に浮ついている余裕なんか、元々ないのだ。

「心配させて悪い。俺、ちゃんとするから」

 俺は表情を引き締めようと顔に力を込めて、気を入れなおした。

「はい」

 こんな時はすぐに話を切り上げてくれるところが、蒼玉らしかった。

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