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ステ振り間違ったので冒険者やめてNPCになります。  作者: 黒田皐月
第二章 したいこと、嫌なこと
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邂逅・前編

 二人とも目が覚めるのが早かった。

 互いに相手が目を覚ましたのを感じたように、どちらがどちらを起こすということもなく、ベッドから身を起こした。さすがに食事にはまだ早くて、そのままぼんやりとしていた。

 考えてもわからない時は直感を信じる。だから考えるのはやめた。直感がしっかり働いてくれるよう、きちんと目は覚ましておこう。

 食事を終えて水をもらい、念入りに顔を洗って口をゆすぐ。宿の主人にまるで恋人に会いにでも行くようだと笑われて、返す言葉がなかった。

 そのまま勘違いされてしまい、声援と一緒に送り出された。新市街の西側は特に冒険者の多いところなのだが、まだ朝早いせいか人通りはそれほど多くはなかった。

 門をくぐった先の中心街は、変わらず静かなものだった。いや、何者かが圧してくるような重苦しい静けさではなくて、何者も存在しない純粋な静けさだ。

 ギルドはまだ開いていない。入口の前には俺たちのように早く来すぎた冒険者が何人かいる。

 その中の一人の目が、俺を捉えた。その目が見開かれ、しかし次の瞬間強張ったのが、はっきりと見えた。

「蒼玉さん!」

「珠季さん…それに、アキトさん……」

 駆け寄った黒猫と、その後ろから歩いてきた俺とに順に目を合わせて、蒼玉は名前を呼んでくれた。

 それなのに、俺は何を言えばいいかわからない。何も考えられないし、何の直感も働かない。

「来てくれたのですね……」

 俺に目を合わせたまま、何かを抑えているような声で、蒼玉は一言だけ口にした。

「約束、したから……」

 なんとか、俺もたった一言だけ口にする。しかしそれがやっとで、蒼玉のきれいな目を見ていられなくなって目を伏せてしまう。どちらも何も言えなくて、沈黙が続いてしまう。

 蒼玉の身じろぎが伝わってきた。蒼玉ももどかしさを感じているのか。

 何か言ってあげなければ。

「あのさ…、あの母親のところに行ってくれたんだってな」

 突き刺すような視線が、俺に向けられる。

「追い返してしまったことを謝っておいてほしいと、頼まれた」

 しかしすぐに、その視線から鋭さが失われた。

「いえ……」

「それに、俺からもお前に謝りたい。お前一人にけじめをつけさせるのを押しつけて悪かった。お前だけに辛いことをやらせて悪かった。どんなに感謝しても足りないくらいだ」

 それこそどんなに頭を下げても足りないのだろうが、押しつけがましくしたくない。だから俺は一度だけ深く頭を下げて、すぐに起こした。

「私は…謝られることなど、ありません。あの方の気持ちをまったく考えずに辛い時に押しかけてしまって、むしろ不快な思いをさせてしまいました」

 抑え気味の声だが、はっきりと聞こえる。そしてそれ以上に、目が訴えかけている。

「アキトさんのように気持ちが落ち着いてから行けばよかったのでした。後始末をさせてしまって、私の方こそすみませんでした」

「違う」

 蒼玉の目に陰りが見えたのが嫌で、つい声が大きくなってしまった。

「気持ちを考えてなかったのは俺なんだ。ずっと自分のことしか考えられなくて、後になってやっと行かなくちゃって思って、それで遅くなっただけなんだ。それだって、慰めにも何にもならなかった。ただ俺が会うことで自分を満足させようとしただけで、結局それさえできなかった」

 蒼玉は何も答えずに、黙って俺の目を見ている。純粋できれいな、目が離せなくなるような目。それが見れただけで今は十分だ。

「なんだ、一番乗りかと思ったのにもうみんな揃ってるじゃん」

 聞き覚えのある声に、三人揃って振り向く。急に視線を向けられてたじろいだロンを放っておいて、レイナがつかつかと俺の前まで迫ってきた。

「何だよ……?」

 無言で俺の顔をのぞきこむレイナに、今度は俺がたじろいだ。だがレイナはそんな俺を無視して、蒼玉に声をかけた。

「言ったとおりでしょ? あの時こいつの言うとおりにしたら絶対後悔するって」

「はい」

「それじゃ改めて出発だね。ああその前に、あんたたち何か依頼持ってたりする?」

「いいえ」

 黒猫と蒼玉が揃って首を横に振る。

「アキト、あんたは?」

「え……?」

 質問の意味はわかる。答えは否だ。だがどうして今その質問なのかがわからない。もう一度同じことを聞かれたが、話についていけなくて答えることができない。

「や……、またみんなで行くってこと、なのか…?」

「そうだよ? あんただって嫌って顔してないじゃん」

 話についていこうとがんばってみるが、追いつけない。

「だって、お前たちは…それでいいのか?」

 理解が遅い俺に呆れ顔をするレイナをよそに、真っ先に強くうなづいたのは蒼玉だった。真っすぐ俺を見つめる蒼玉に偽りなどあるはずはないが、本当に本当なのか。

「お前、放っとけないんだよな。見たことにすぐ首を突っ込みたがるし、簡単にだまされそうになるし、変に落ちこむし。しょうがないから俺たちがついててやるよ」

 そうそう、とレイナも笑い、隣の蒼玉もちょっと顔をしかめたが否定はしない。

 この状況を教えてほしくて黒猫に目だけ向けると、黒猫はすぐに気づいてふわりと笑って見せた。これでいいということか。

 自信をもらった俺は、蒼玉、ロン、レイナと一人ずつ目を合わせた。蒼玉の目が一瞬厳しかったような気がしたが、気のせいだったかもしれない。

「みんな…またよろしく、頼む」

 四人の返事が、重なった。

 それだけで気持ちがいっぱいになってしまう。

 やっとここまで来れた。でもまだ何も始まっていない。今から始めなければならない。それなのにもう、何かをするどころではない。

「これだよ……。ほら、何か依頼を受けないと始まらないでしょ」

 レイナが俺の肩を叩こうとして、寸前で手を止めた。

「それとも、どっか別の町に行く? せっかくだから全然違うところもいいよね」

 別の町か。心機一転、それもいいかもしれない。

「そうだな…」

 俺が口にした生返事は決定ととらえられたらしく、どっちに行こうなどという話が始まっていた。

 蒼玉、ロン、レイナの三人は、俺もそうなのだが、セントラルグランとウェスタンベース以外には行ったことがなく、話は主にいちばん長く冒険者をやっている黒猫に振られていた。

「ぼくも西ばかりだったので、ちょっと北に行ったことがある以外は全然知らないんです。だから案内とかはできませんよ」

「それじゃ南か東だな」

「じゃあ東にするか」

 別の町に行くのは俺も反対ではない。だからそのどちらかならば南はやめようと、会話に割りこんだ。暑いところは、黒猫がきついだろう。

 俺の一言で東を目指すことに決まり、そうと決まればこんなところに長居は無用と東の新市街へと歩き出そうとした。だがそれを、黒猫が止めた。

「ちょっと準備したいことがあるのですが、いいですか?」

「何だよ、せっかく出発だって盛り上がってきたのに」

 気組みを外されて、ロンがわざとらしく顔をしかめる。

「ごめんなさい」

 黒猫も黒猫で、謝る気のない笑い方をして答えていた。

「それで? 何を買ってくんだ?」

「まずは倉庫に寄りたいんです」

「倉庫?」

 ロンが意外そうな声を上げた。声には出さなかったが、俺も意外感に打たれた。

「はい。いろいろ持ちきれないものを預かってくれるところで、登録すれば誰でも使えます」

「そんなことは知ってる。お前がそんなのを使ってるとは思わなかっただけだ」

「こう見えて物持ちなので」

 今度は黒猫がわざとらしく胸を張って見せた。こう見えても何も、今腰に下げているものだけで十分物持ちなのだが、いったい倉庫に何を置いてあるのだろうか。

 その倉庫も中心街にある。たくさんの物があるからよほど大きな建物なのかと思いきや、せいぜいギルド程度の普通の建物だった。

「預けたものはどこか別のところに置かれてるみたいで、でも頼めばすぐに出してもらえるんです」

 カウンターで手続きをしたらしい黒猫が、待っている間に説明してくれた。

「何それ。地味にすごすぎない?」

「転移魔法の応用でしょうか」

「考えたことはなかったのですが、実はとんでもないものなのかもしれませんね」

 魔法士三人の話に、俺とロンは弾き出されてしまった形だ。

 しばらくして呼び出された黒猫が受け取ったのは、黒いリュックサックだった。邪魔になるからと隅によけてかがみこんで、腰の革袋を外してリュックに詰めなおしたりしている。

 よいしょ、と立ち上がった時には見慣れた背中の黒いマントがリュックに置き換わり、腰の革袋が左右ひとつずつに減っていた。正面からの姿が少しすっきりした感じだ。

「そんなに何を持ち歩く気なの?」

「まあ好みですよ。今までは一人二人分くらいでしたけど、これを機会にちゃんと用意しようと思いまして」

「何を?」

「一日くらい町に帰りつけなくてもなんとかできるくらいの用意です。食べるものとか水とか、他にもちょっと」

 俺が黒猫と出会った日のことが思い出される。あの日は確かに二人で黒猫が持っていたすべてを食べきっていたし、眠るときに借りたマントのようなものも増やしているのかもしれない。

「野宿が前提かよ」

「前提じゃないですけど、そういう困ったときに役に立てるのが探検家スキルというものです。困ったことにならないのがいちばんですけど」

「あんたが妙に物持ちなのがわかったわ。ろうそく立ての時は何それって思ったもん」

 黒猫が背負っているリュックを下から触ったレイナが、その重さに驚いていた。

「わかってもらったところで、少々買い物にもつき合ってください」

 食べるものは補充しないといけないということで、今度こそ新市街に向かって歩き出した。

 東の門をくぐると、隣を歩いていた蒼玉が目を細めてやや上を向いた。何だろうか。

「何か、匂いがしますね」

 言うほどのものを感じられない俺には、返事ができなかった。朝早くから出てきて腹が減っているのだろうか。急ぐこともないし、黒猫の買い物が終わったら食事をしていってもいい。

「何とも言えない変わった匂いがします」

「こっちには変わった食べ物でもあるのかな」

 新たな旅の手始めが新たな食事というのもよさそうだ。

「いいえ、食べ物の匂いではありません」

 しかし蒼玉の返事は違っていた。言われてみると何かの匂いがするようなしないでもない。

 ウェスタンベースではわざわざ市場まで行って米や乾燥肉を買っていた黒猫だったが、今回は雑貨屋で済ませていた。新市街の東側はよく知らないからだという。

 買い物を終える頃には蒼玉の言っていた匂いのことなど忘れてしまっていたのだが、新市街の門を出ると見慣れない景色とともにさっきよりも強くそれを感じた。

 壁の向こうは、西側では畑が広がっているばかりなのだが、こちらではちゃんとした道があって荷車が通っている。それに乗せられているのは木の板ばかりで、遠くにはその板で作られた建物や、積まれた板なんかが見える。あの匂いは、どうやらそちらから流れてきているようだ。

 前を歩いていたロンたちも、その景色に目を奪われていた。

「東は木材の産地なんです。それがあの川に流されて、ここに運ばれてくるんです」

 斜め前方に見える川を指差して、黒猫が説明する。川はセントラルグランを掠めるように、東から来てここで北に曲がって流れていくのだという。同じセントラルグランの中のことなのに、そんなことさえ知らなかった。

「東は全然知らないんじゃなかったっけ?」

「それくらいは、話に聞いたことくらいはありますよ」

 レイナの嫌味に黒猫が苦笑する。さすがに言いがかりだと自分でも思ったのか、レイナは黒猫の頬を指でひとつつきしただけだった。

 東に歩いていくと木材のものらしい匂いは薄まり、前方には土盛りが見えてきた。このあたりになってくると、景色は西側とそれほど変わらない。違いは土盛りが川で途切れているということくらいだ。

 土盛りの切れ目に道が通っているのも、俺の知っている景色と同じだった。それを過ぎると左前方に川が見えてくる。川がだんだん道に寄ってきているようだ。

 今は静かなものだが、少し前は南側から東側にかけてオークが暴れていたのだと、蒼玉が教えてくれた。

「ずっとここにいたのか」

「はい。一人になって、もっと魔法を習得しようとセントラルグランに戻ってきたのですが…」

 しかしいくら魔法を習得したところでそれで何ができるのかと思ってしまい、あまり身が入らなかったのだという。

「だから、戻ってきてくれてよかった」

 そう言って、蒼玉の方から視線を外した。そんなことは珍しくて、ついその横顔を見つめてしまう。それがうるさかったのか、蒼玉は前を歩くロンたちに並んでしまった。

「どうしたの?」

 その蒼玉に、レイナが声をかける。

「いえ、何でもありません」

「そう、あんたからこっちに来るなんて珍しいなと思って。今、離れている間何してたかって話してたんだけど、あんたはどうしてたの?」

 蒼玉は今度はレイナに同じ話をしている。そちらを聞いていたかったのだが、それよりもロンの話し声の方が大きかった。

 ロンとレイナはリザードを追っていて、二人だけでは厳しいと痛感して一時的に他の冒険者と組んでいたという。そしてそのパーティでキングを退治したという話だった。

「だけどさ、」

 突然振り向いたロンに、聞き耳を立てていたことをとがめられたような気がして、俺は立ちすくんでしまった。そんな俺に、ロンは不思議そうに首をかしげた。

「結局お前のことが気になってさ、そのパーティは抜けちゃったんだ」

「そうか」

「見てたぜ。お前柵の修繕なんかやってたよな」

 リザードを追ってウェスタンベースの南に出ていたのならば、そこにいた俺を見かけることもあったかもしれない。しかし、俺の方はまったく気づいていなかった。と言うよりもあの頃の俺は、ロンたちのことなどまったく頭になかった。

「声かけようかと思ったけど、なんて言うか、触れちゃいけないように見えてな。柵が元どおりになってお前を見かけなくなって、それでもあの時見たお前が何となく忘れられなかった」

 そんなに俺のことを気にかけて、気を遣ってくれていたのか。

「ありがとう」

「なんだよ突然だな」

 ロンはたじろいだ様子だったが、俺は構わず続けた。

「俺のこと、ずっと気を遣ってくれたから」

「しょうがないだろ、お前なんだから。それに聞いたぜ。お前、柵の修繕が終わってからずっと珠季と一緒だったんだってな。結局は黒猫ぉー、か」

「なっ……」

 突き刺されたかのような衝撃に、俺は硬直してしまった。本当のことだけに、何も言い返せない。

「ごめんなさい。ぼくがアキトさんを独り占めしてしまって」

「まったくだ」

 そうして黒猫とロンは笑い合っていたが、そうしながらも二人がそれぞれに俺にちらりと視線を送った。その目には嘲笑なんかまったくなくて、それでようやく俺の硬直は解けたのだった。

 道に寄ってきていた川が、道に沿うようになっていた。そしてその先が青くかすんでいるように見える。

「おっ」

 何かを見つけたのか、突然ロンが声を上げた。

「あれですよ。ああやって木材を運ぶんです」

 ロンが見つけたものがわかったらしく、黒猫が説明を添えた。

 川の先からまとまった木が人を乗せてゆっくり流れてくる。俺たちが見ているのに答えて、すれ違う時に片手を振ってくれた。もう片方の手にはロンの槍よりも長い棒が握られている。

「面白そうだな。乗ってみたいな」

 通り過ぎてもロンはその行く先を見続けていたのだったが、それに賛同する声はなかった。

「あれは水の上の荷車みたいなものですから、乗るものではありません。乗っている人は荷車を引く人みたいなもので、ああ見えて動かすのは楽じゃないって聞きます」

「でも楽そうに乗ってるぜ?」

 正直、俺も乗れるものなら乗ってみたいので、ロンに無言の声援を送る。

「それに、何人も乗ったら沈んじゃいます」

「それはそうか」

 ロンはそれで納得したらしく、また東へと歩き出した。

 川はつかず離れずといった距離を保ったまま、道と並んで続いている。途中で荷車の一団に追いついた。荷の多さの割に用心棒の人数が少ないと思って見ていたら、不審に思われたのか声をかけられてしまった。

「何か気になるのかい?」

「いえ、失礼をしました。荷が多い割に人数が少ないなって意外に思ってしまっただけです」

 俺が正直に答えると、商人らしい男が低く笑った。

「安い荷だからね、あんまり人数を雇う余裕がないのさ」

 積み荷は米だということだった。西から運ばれてくる鉄なんかに比べれば、間違いなくそれは安い。

「イースタンベースまで一緒に行ってもいいですか?」

「え?」

 さっきロンに余計なことに首を突っ込むと言われたばかりであるためにためらっていた俺の代わりなのか、黒猫がそう切り出したので、俺は驚いて声を上げてしまった。話をしていた二人も、その声に足を止めてしまう。

「押しかけられても金は出せないぞ?」

 二人ともこちらを向いたのだが、俺が目を伏せたのを見て、男は黒猫と話を続けた。

「そういうつもりは。ぼくたちこっちは初めてなので、少しお話を聞かせてもらえればうれしいかな」

「冒険者相手に旅の話か。そりゃかえって面白い」

 男がもう一度笑って話が決まり、俺たちは歩く速度を緩めて荷車と並んで歩いた。もともとついていた用心棒二人は、気を利かせたのか何も言わずに先頭に立ってくれた。

 蒼玉も言っていたことだったが、この辺りでは少し前までオークが出ていたという。南の道の方が危険だったというが、それでも油断はできなかったらしい。

「何しろ奴らは食い物を狙ってくるのさ。こっちは用心棒雇う余裕なんかないってのに、もっと金のありそうなのは放っておいてこっちに来るんだから困るってものだ」

 そのために荷を捨てて逃げだしたこともあるという。そうなるとオークは人など放っておいて食い物に群がるからまず間違いなく逃げ切れるのだと、男は笑っていた。

「でも、荷を捨てるってことは損が出てるってことですよね」

 ウェスタンベースで出会った旅商人のバリスたちは、荷の一部が売り物にならなくなってしまっただけで大変そうにしていた。そんなことを笑い飛ばして済むものかと、聞いている俺の方が心配になってしまう。

「まあな。でも安いってことは損も小さいってことで、取り返しようもあるってことさ。今みたいに落ち着いてる時にな」

 商人にもいろいろあるらしい。また川から人が乗った木が流れてきて、知り合いなのか互いに手を振っていた。

「ああやってこれも川を通せればいいんだろうけどな」

「できないのか?」

 珍しくロンが雑談に加わってきた。よほどあれに乗ってみたいのだろうか。

「あんたたちは舟を知っているか?」

 俺とロンは揃って首を横に振った。

「川で荷を運ぶには舟って言って、そうだな…箱を浮かべたみたいなものかな、そんなのが必要なんだ。ノーザンベースとセントラルグランの間ではそうしている」

「こっちでは、その舟は使わないのですか?」

「川の流れに逆らうのは、荷車で言うと上り坂を上るようなものだ。それは見た目よりもずっと厳しくて、こんな歩いていても上り坂とも思わないようなところでさえ、舟が上っていくのは難しい」

 流れに逆らって泳ぐのはすごく疲れる。そう思うと、それも納得だ。

「それに、こっちはああやって木材を運ぶのがしょっちゅう通るからな。あっちに道をふさがれてる、と言うとちょっと聞こえが悪いか」

「ああやって木材を運んでいるやつらは、帰りはどうするんだ?」

 ロンの質問は、言われてみれば当たり前の疑問なのだが、言われるまで俺には気づけなかった。それがちょっと悔しい。

「乗ってくものがないからな、帰りは歩きさ。今日は何人か川を通ってるから、用心のために明日あたりみんなまとまって帰るんだろうよ。ちょっとした買い物なんかしてな」

 小物はそうして自分たちで運んでしまうから商売にならなくて、だからこんな重くて安いものを売り物にするしかないのだという。

 そのうち、見渡す限り木ばかりになってきた。俺たちの歩いている道とそれに沿って流れる川のところだけが、ぽっかり空いている感じだ。それがどこまでも続いている。

 景色が変わったところで、今度は俺たちが話す番になっていた。とは言え、セントラルグランから歩いて半日のウェスタンベースくらいしか知らない。面白くもないだろうと思いながらもリザードとの戦いの話をしたのだが、男は退屈そうなそぶりも見せずにちゃんと聞いてくれた。

「どこに行っても怪物はいるもんだな。だからあんたら冒険者がいるってわけだ」

「嫌な言い方だな」

 ロンが苦笑いを見せると、男も同じように笑い返して謝った。

「それにしても、都合よく道のところだけ木がないんだね」

「都合よくじゃないのさ」

 レイナの感想に男が即答した。女の子ともしゃべってみたいと言いたげに、さっさとそちらに行ってしまう。置いていかれた形の俺とロンは、顔を見合わせた。

「川は時々あふれる。そうすると何でも押し流されて、そこだけ何も残らないのさ。だから町も川のすぐそばには作らない。セントラルグランは、町が大きくなりすぎて川に届いちゃってるけどな」

「水は、時々怖いものです」

 水の魔法を使う蒼玉が言うと、重みがある。リザードとの戦いでそれに押し流されたことのある俺とロンは、やっぱり揃ってうなづいた。

「何でもそうさ。役に立つってことはそういうこともある。要はうまくつき合うことさ」

「はい」

 真面目に返事をする蒼玉に、男は嬉しそうな顔をして何度もうなづいた。

「ただ、道のところだけ木がないのは、それだけじゃないけどな」

 そう言って男は向こうを指差した。ウェスタンベースの北の山とは異なり、森と言っていいほどにたくさんの木が茂っていて、しかも一本一本が太くて高い。

「ところどころに切り株があるだろう。運びやすい川の近くの木を切って、木材に使っているからなんだ。川から離れると運ぶのが大変だから、川に沿ってずっと切り拓いているんだ」

「いろいろあるんだねえ。それで、あれは何?」

 レイナが指差したのは、道の先に見える木の柱を隙間なく並べた壁のようなものだった。聞かれた男は一瞬だけ真顔になったが、すぐにおかしそうに笑った。

「そうか。セントラルグランもウェスタンベースも石の壁だから、ああいうのは見たことないんだな。あれがイースタンベースさ」

 柵をより頑丈に作って壁にしているということだった。なるほどその壁も、川には近寄っていない。

「あんたたちは、冒険者だからギルドだよな」

 イースタンベースは初めての俺たちに、親切にギルドの場所まで教えてくれた。

「ありがとうございました」

 俺が礼を言うと、男は最後にまた笑った。

「こっちも、たまにそういうのがあると楽しいものさ。五人も雇うような仕事は持ってないからあんまり言えないが、また会いたいな」

「はい」

 ギルドは道を曲がった先だということで、そこで荷車と別れた。

 ずっと話をしていて気がつかなかったが、セントラルグランを出発した時にはまだ日は上っている途中だったのに、今はもうとっくに中天を過ぎてしまっている。

「今日のところはギルドに行ってみるだけで、何かやるのは明日からですね」

「町の見物は…見物するほどのこともないか?」

 木の壁がずっと広がっている様子から大きな町かと思ったが、中に入ると他の町のように家が密集していなくてスカスカな印象だ。家の間に畑があったりするので、どちらかと言うとウェスタンベースの北の村をずっと大きくしたような、地味な色合いだ。

「この様子だと、とりあえずは通り沿いを見ておけばよさそうです」

 何にしても見物は後だ。教えられたギルドはすぐに見つかり、まずはそこに入った。

 町の印象はだいぶ違うが、ギルドの外観も中身も、ウェスタンベースのものとそれほど違いはなさそうだ。張り出されている依頼書の数も似たようなものということが、この町がウェスタンベースと同じくらいのものだということを示している。

 その中で真っ先に目についたのは、ひとつだけ釘で串刺しにされている依頼書だった。金眼豹の退治ということで、川の北側の森でもう何人も襲われているらしい。

 もう少し詳しく話を聞こうとレイナが奥に声をかけると、NPCがカウンターに出てきた。

「見ない顔ですね。こっちは初めてですか?」

「今日来たばかり。それで金眼豹の依頼だけど、居場所はわかってるの?」

 初めてだと聞いて、NPCは難しい顔になった。

「こっちにまだ慣れていないのでしたら、その依頼はやめた方がいいでしょう」

 NPCが依頼を受けることに難色を示すことはあまりない。言われてレイナの眉が吊り上がったのは、そういうことが初めてだからかもしれない。

「なんでさ?」

 突っかかるように身を乗り出したのを、俺が慌てて後ろから肩を押さえた。レイナは一度だけキッと鋭い目を向けたが、すぐにわかってくれたようで、身を引いた。

「居場所はわかっていないので、探さなければいけません。ですが慣れていない人が森の奥深くまで入ってしまうと、帰ってこられなくなる危険があります」

 依頼を出してからもう何日も経っていて、そしてもう何日も見ていない冒険者がいるという。

「毎日朝から夕までがんばってるんじゃないのか?」

「それならいいのですが、他の冒険者が退治してしまっていないかずっと聞きにも来ないのは、ちょっと気になります」

「なるほどな」

 ロンたちがリザードの居場所を探していた時は、今NPCが言っていたように、毎日確かめに行っていたという。

 戻ってこないということは、諦めて他の町に行ったのならばいいが、そうでなければNPCの言ったように迷って帰れなくなったか、もっと悪ければ金眼豹にやられたかだ。つまり、これはかなり危険な依頼ということだ。

 それなら他の依頼はどうだろうと、話はロンとレイナに任せて張り出されている依頼書を眺めてみる。森で木を切り、運び出すような仕事がいくつもあるが、それは女の子向けではない。

 他にはないだろうかと見ているところに、後ろから黒猫に呼ばれた。

「アキトさん、剣で木を切り倒すことはできますよね?」

 いつの間にかそういう話になっていたことへの疑問で、すぐに答えることができなかった。

「前に病大虫から逃げ出した時、アキトさんが木を切り倒して食い止めてくれたことがあったでしょ」

「ああ。でも木は剣で切るもんじゃない。太いのは無理だぞ」

「細すぎではダメなのですが、そんなに太くなくてもいいです」

 それから黒猫が話しはじめたのは、切った木の断面の模様のことだった。断面には丸が何重にも描かれているが、それは北側に偏るのだという。迷った時はそれを見て南にある川を目指すことはできるだろうと、あまり自信はなさそうな様子ではあったが、黒猫は言った。

「それなら、帰ってこれなくなる心配はないだろ?」

 ロンがそう話を継いだ。木を切る仕事の話ではなかった。

「で、もしも一日くらい帰れなくなったとしても、これがある」

 そう言ってロンは黒猫の頭にポンと手を置いた。ロンは自信満々といった様子だが、黒猫の方はやはりちょっと眉をひそめている。言いづらそうにしているように見えたので、代わりに俺が言ってやる。

「こいつができることは火を起こすことと眠るのに冷えないようにマントを貸してくれること、あとはうまくもない飯を食わせてくれることだけだぞ」

 うまくもない、というところで黒猫が明らかに苦い顔をしたが、俺が目を合わせると眉を寄せたまま笑い返してはくれた。

「つまり、期待しすぎるなってことだ。それでもよければ、金眼豹退治に挑戦してもいいと思う」

 野宿になって辛いのも、やはり女の子の方だ。だから俺はロンではなく、蒼玉に向かってそう言った。だが蒼玉は俺に決定を預けると言いたげに、無言で俺の目を見つめ返すだけだった。

「レイナは?」

「どうせここに慣れなきゃ何も始まらないなら、やってみるのがいいんじゃないかな」

「よっしゃ、やろうぜ」

 ロンがうきうきと金眼豹退治の依頼書を一枚はがす。だが、いちばん肝心な一人に、まだ答えを聞いていない。

「頼めるか? 黒猫」

「責任重大ですね」

 口ではそう言いながら、顔は笑っている。

「まずは、深入りしないことが第一です」

 やってくれるということだった。ロンから依頼書を奪い取って、カウンターに向かう。

「止めはしませんが、お勧めはしませんよ?」

 よほど不安らしく、NPCはもう一度やめた方がいいと繰り返した。

「気をつけなければいけないことはわかった。それで、いくつか教えてほしい」

 それでも俺が依頼書を出して手続きを頼むと、立場上断れないNPCはカウンターの下からもう一枚の依頼書を出して、二枚並べて記名をした。並べ替えて俺も隅に名前を書きこむ。

「川に橋が見当たらないけど、北側にはどうやって行くんだ?」

「木こりたちが乗る筏に便乗させてもらうのです」

 いきなり聞いたことのない言葉に面食らってしまったが、イースタンベースに来るまでに見た人を乗せた木のまとまりがそれだということだった。いちいち基本的なことから説明させられて心配が増してしまったらしく、NPCは眉をひそめてしまった。

 横からレイナが金がかかるのかと口を挟んだのだが、木こりたちの仕事の一部でやっているからいうことで、金を払う必要はないという答えだった。

 筏に乗れると喜んでいるロンをよそに、俺は別の質問に移った。

「豹って、猫の大きい奴だよな?」

 基本的なこと以前の質問についにNPCは呆れてしまったらしく、明らかに嫌な目を見せて首を縦に振った。

「どうして、そんなことを聞くのですか?」

 真面目に返事をした俺に、NPCはそう聞き返した。

「前に病大虫っていう怪物を退治したことがあるんだけど、そいつは虫という名前なのに実物は虎だった。そういうこともあるから、一応確かめたかったんだ」

「紛らわしいこともあるのですねえ」

 ようやく納得してくれたNPCは、感心したように首を何度も振った。

「ということは、そこそこ旅慣れている方たちなのですね。そうとは思わず失礼を言いました」

「いや、親切にありがとう」

「失礼ついでにもうひとつ。金眼豹を探しに行くのではなく、木こりたちのそばで来るのを待ち構えている冒険者もいます。それならば森に慣れていなくてもできるでしょう。都合よく来てくれるかは別ですが」

 確かに、襲われたということは向こうから来るということだから、そういう方法もあり得る。そして向こうは昼に動くものなのだろう。

「いろいろありがとう。気をつけて行ってくる」

 ギルドを出ると、そろそろ日が沈みそうな頃だった。建物がまばらなためか、町全体が赤一色に染まってしまったかのようにまぶしい。

 そんな中、家に帰る人たちや宿に向かう冒険者たちが思い思いに歩いていくのがあちこちに見える。町の見た目はかなり違うが、そういうところは変わらないのだろう。変わらないと言えば、ギルドの周りに飯屋兼宿屋の看板がちらほら見えるのもウェスタンベースと同じだ。

「もう町の見物は明日だな。宿を決めとかないと、あんまりたくさんなさそうだから泊まるところがなくなるかもだぜ」

 そう言ったもののどこがよさげなのか決めかねているらしく、ロンはあたりを見回しているだけで動こうとはしない。

「きれいそうなところにしよう。ウェスタンベースの時はあれだったから、その逆で」

 迷っていても仕方がないので、適当にそんなことを言ってみた。ウェスタンベースで何度も世話になった古臭く見えたあの宿は意外なほどいいところだったが、そんな例外はそうそうないだろう。

 とりあえず帰る人たちとは逆に、大通りへ向かって歩いてみる。建物がまばらな分人通りもまばらで、人波に逆らうようなことにはならないのが楽でいい。

「そこなんかいいんじゃない?」

 レイナが足を止めたのは、日を受けてひときわ赤く見える一軒だった。昼間見れば他よりも白く見えることだろう。つまり、新しそうだ。

 ちょうどそこに、男二人女二人のパーティが入っていく。女の子が入ってもいいところなら、ここでいいだろう。

 他を探そうという声もなかったので、いちばん戸口の近くにいたレイナを先頭に中に入る。店の人よりも先に、先に入った一行に迎えられるような形になった。

「あなたたちも冒険者、だよね?」

 背の低い、と言っても黒猫よりは少し背が高いくらいの女の子が、すっと前に出て笑いかけてくれた。和やかに接してくれそうなことに、俺はまず安堵した。

「そうだよ。ここは初めてだけどね」

 こちらは先頭になったレイナが答えている。

「じゃあ、セントラルグランとだいぶ違っててびっくりしてる?」

「そうだね。新しいところに来たって感じ」

「その感想、初々しくていいなあ」

「それ、上から見られてるみたいでちょっとイヤ」

 やり返すようにレイナがわざとらしく笑うと、向こうもケラケラ笑い出した。

 入口近くでそんなことをしているうちに別のメンバーが代金を支払ったらしく、店の女性がこっちに来てくれた。

「五人ね。一部屋になっちゃうけど、いい?」

「はい、いいです」

 引き続き、レイナが応対する。高くはないが、新しそうなだけあって安くもなく、一人50フェロだった。

 すぐに食事の用意ができると言うので、めいめい適当に椅子に腰かける。レイナとロンがついたテーブル席に、さっきの女の子が来ていた。

「こっちには何しに?」

「何って目当てがあったわけじゃないけど、とりあえず金眼豹退治の依頼を受けた」

 通りのいい声とでもいうのか、レイナたちの会話が隣の席の俺たちにまで聞こえてくる。

「そうなんだ、じゃあ競争だね。とは言っても、私たちももう何日も追ってるんだけどね、全然見つからないの」

「どの辺を探しているの?」

「木こりの人たちが川の上流の方にいるから…」

「ちょっと待て。競争って言っておきながらペラペラしゃべるヤツがあるか」

 後ろから頭に手を乗せられて、女の子の口が止まった。その男は、上背がそれなりにあるので気がつかなかったが、顔に幼さが残っているように見える。男というより男の子と言ったところだろう。そのせいか、その目ににらまれても、レイナもロンもまるで怯む様子を見せない。

「いいじゃん。今日来たばかりの人に言ったってわかるもんじゃないし、それにせっかく女の子の冒険者に会えたんだから仲良くしたいし、えっと…」

 不満を隠さずに後ろにぶちぶち言っていた女の子が、急に正面に顔を戻してレイナの顔を見た。

「あたしはレイナ」

「私はユリ。うん、やっぱり私たち気が合うと思うんだ」

 ユリと名乗った女の子はにこっと笑った。表情がくるくるよく変わる。

「そうか?」

 ユリの後ろに立つ男の子とロンが、同時に疑問の声を上げた。

「ほら、息ぴったり」

 それを見てユリがケラケラ笑う。笑われた二人が何となくお互いに目を向けた横から、大皿が差し出された。

「せっかく仲良くしてるみたいだし席ごとに大皿にまとめてみたけど、ダメだったかな?」

「そんなことないない、ありがとう。今日も依頼の方はダメだったけど、おかげで楽しくなりそう」

 店の女性の気遣いを、ユリは喜んでくれた。子供のように見えて、実は気遣いのできる子なのかもしれない。

 大皿には色とりどりのゆでた野菜が山のように積まれている。それとは別に、たれで煮込んだ魚が一人一匹一皿ずつ運ばれてきた。こちらからは甘い匂いがする。

「米とかは、ないんだな」

 運ばれてきたのはそれだけだった。野菜の種類と量が相当にあるため足りない感じはまったくしないが、あって当たり前のものがないとやはり寂しい気がする。

「こっちの方はね、芋が主食なんだよ」

 俺のつぶやきを聞きつけて、ユリがこちらの席に声を飛ばしてきた。

「話には聞いていましたけど、本当にそうなんですね」

 同じように黒猫が返事をして、やっぱり二人で笑い合った。二人とも無邪気そうに見えるが、黒猫はわかっていて俺の疑問に答えなかったような気がしないでもない。

「その魚、骨が鋭いから気をつけて」

 ユリの後ろにいた男の子が、俺たちに一言声をかけて向こうの席へと戻っていった。仲良くしたいというユリに合わせて、親切に言ってくれたのだろうか。

「これは、きれいに食べるのは難しそうです」

 蒼玉の皿の魚は、つついた腹の辺りが崩れてしまっていた。身が白くて、骨との見分けがつかなさそうだ。

 一口食べてみると、肉と違って歯ごたえというものがない。だが油断しているとただもぐもぐしていると細い骨をかんで、それが曲がって口の中に刺さったりする。言われたとおり、これがすごく痛い。

「食べられないものは、無理して食べずによけるだけです」

 黒猫は口元に指を持っていっては、骨をつまみ出して皿の隅に置いている。そう言えば、軟骨混じりの肉の時も同じことをしていたような気がする。

 きれいな食べ方ではないが、俺も蒼玉も黒猫にならって、口の中から骨をつまみ出しながら食べるしかなかった。

 食べ慣れていてもそうするしかないようで、向こうの席でも同じようにしていて静かなものだった。変わらずにしゃべる声が聞こえてくるのは、ユリとレイナたちのところだけだ。

「そんなにたくさん集まって戦ったりするんだ。想像できないなあ」

 こちらのことを聞かれて、リザードとの戦いのことを話しているところらしい。

「そうだね。こっちの方はそんな広い場所がなさそうだし、まとまって戦うなんてことはできなさそうだね」

「逆にどこかに隠れてるってのは、こっちの方がいいんだろうな。湖近くの草むらに隠れてたリザードキングを探すのも楽じゃなかったけど、こっちの森はそんなもんじゃなさそうだ」

「その中から豹を一体探さなきゃいけないんだよね」

 はあ、とユリがため息をつく。そんな声まではっきり聞こえてくる。

「あの」

 レイナたちの席の声がやんだところに近くから声が上がって、驚いた俺はそちらにがば、と振り向いてしまった。しかし蒼玉はそんな俺に気づいていないのか、ユリに話しかけた。

「隠れているのではなくて、動いているということはないのですか?」

「それは…どうだろう……」

 蒼玉の問いに反応したのは、声にならない声をもらして呆けたようにしているユリではなくて、その向こうの席の男の子だった。

「それはあるかもしれないわ。でもそれならそれで足跡のひとつも見つかりそうなものだけど、見たことないのよね。だから、わからないわ」

 向こうの席の落ち着いた物腰の女がそう答えると、男の子は今度は女の方に振り向いた。

「もしかして、おれだけそれに気づいてなかった?」

「そういうことだな、葵」

 葵と呼ばれた男の子が、からかわれるようにバンバン肩を叩かれている。

「アオちゃん鈍ーい」

 おまけにユリまでもがわざわざ振り返ってはやし立てる。さっきの反応からしてユリ自身もその可能性に気づいてなかったようにしか見えないのだが、からかわれて興奮している葵にはどうやらそれが見えていないらしい。

「アオちゃんって言うな!」

 叫び返すのだったが、やっぱり迫力が足りないらしく、笑われるばかりだった。そのうち拗ねてしまったようで、黙々と芋を口に詰めこんだのだった。

 聞きたいことを聞いたといった蒼玉は食べる方に戻ったが、黒猫はまだ組んだ両手をテーブルに乗せて向こうの席を眺めていた。

「どうした?」

「仲いいなって思って」

 うらやましく思っているのだろうか。

「あ、ぼくたちが仲よくないとか、そういうことじゃないです」

 俺の不安を読み取ったように黒猫は少し慌てて笑いかけて、向こうを見るのをやめたのだった。悪い気がして目をそらすと、ちょうど蒼玉と目が合ってぎょっとした。

 食べ終わるのがいちばん遅かったのは、やはりと言うべきかいちばんしゃべっていたユリたちだった。同じ席のロンさえも、少し呆れた様子で眺めている感じだ。

「じゃあおやすみ。また明日ね」

 全員から何となく見られていたユリだったが、そんなことはまったく気にならない様子で食べてはしゃべり、自分たちの部屋へと下がっていった。ずっと相手をしていたレイナだったが、さすがにそれも疲れたのか、ユリがいなくなって大きく一息ついた。

「お疲れ」

 隣のロンが声をかけても、ちょっと笑ってうなづいただけだった。

 外観もさっきまでいた食堂もそうだったが、店の女性に案内された部屋もまた明るい色合いだった。テーブルや椅子、ベッドにタンスや武器なんかを立てかける枠などと物は少なくないのだが、それらすべてが白っぽい木製のもので揃えられているためにそう見えるのだろう。

「あたしがここで蒼玉がこっち、そっちから順にロン、アキト、珠季ね」

 ちょっと疲れた様子だったはずのレイナが、部屋に入ると張り切ってベッドの配置を決める。手荷物なんかをめいめいそこらに置いて、ベッドや椅子に腰かける。

「けっこう大変そうだね」

「あのユリって子の相手?」

「違うよ、金眼豹を探すの。ああやって何日も探している冒険者が他にもいろいろいて、それでも見つかってないんだから」

 俺の勘違いが面白かったらしく、レイナの笑いはしばらく止まらなかった。

「この森って、どれくらい広いんだろうな」

 ロンのつぶやきに、ため息がいくつか漏れた。

「東はずっと森ばかりだといいます」

「ずっとって、ずっとか」

「はい。川があったり町があったり、何もないところもあったりはするでしょうけど、ほとんどは森だと聞いています」

 一般論だけど、と黒猫は付け加えた。

「そんな中から猫一匹を探すのか」

 ギルドではやる気を見せていたロンも、少し消沈気味だ。

「でも人が襲われたのだから、そんなに遠くではないはずです。遠くからわざわざ人を襲いに来るなんて、ないはずですから」

「それもそうだな。とにかく、行ってみるか」

 気を取り直したロンと黒猫が笑い合った。そういうのが、なんだかいい。

 明日はたくさん歩くからということで早く眠ることになり、テーブルに置かれた燭台のろうそくの火も一本を残して消された。

 しかし、今日はセントラルグランからここまで歩いてきただけでそれほど疲れていないからか、ベッドに横になってもなかなか眠れない。それはみんな同じはずだが、寝息が聞こえてくるあたり、眠れないのは俺だけらしい。

 そのままじっとしていられなくて、身を起こしてベッドの縁に座る。隣では黒猫が眠っている、と思ったらぱちりと目を開いた。突然目が合って驚きに声を上げてしまいそうになってしまったのを、なんとか抑える。

「眠れませんか?」

 横になったままの格好で、向こうのロンたちを起こさないように小声で黒猫が聞いてくる。俺も声には出さず、首を縦に振って答えた。

「こんなに賑やかなのは、久しぶりでしたから」

「そうだな」

「よかったですね」

「ああ」

 そうだ。本当によかった。みんな俺のことを仲間だと思っていてくれた。そう思い返すだけで、気持ちがいっぱいになってしまう。

 そんな俺を黒猫はただ見ていた。それだけなのだが、その静かな目が俺を鎮めてくれる。

「起こして悪かった。おやすみ」

「はい」

 俺はもう一度ベッドに潜りこんだ。今度は眠れそうだ。

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