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ステ振り間違ったので冒険者やめてNPCになります。  作者: 黒田皐月
第二章 したいこと、嫌なこと
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落魄

「この間来た時と何か違わない?」

 北の門からウェスタンベースに入ってすぐ、レイナが少し首をひねった。

 俺たちが病大虫を退治するためにここを出たのは二日前、その前の日に旅商人がリザードに襲われて、警戒が厳しくなった。それは今も変わっていなくて、門のところには警備隊がいた。

「言われてみれば、少し静かと言うか、向こうの人通りが少ないみたいですね」

 前を向いたまま黒猫が答えた。朝を過ぎて昼になる前の半端な頃に、ギルドを訪れる者はあまりいない。黒猫の言う向こうとは、市場の方なのだろうか。

 ギルドに入ると、やはりこんな頃合いに冒険者などいなかった。だが、まるで俺たちが来るのを待っていたかのように、NPCの方から声をかけてきた。

「ああ、珠季か。今手は空いているか?」

「どうしたのですか? 何か急なことでも起こったのですか?」

 黒猫はNPCの問いには答えずに、逆に聞き返した。

「急って言うかなんて言うか、リザードの攻勢が始まって大変なんだ」

 俺たちが襲われた旅商人を救援した時、リザードを倒すことはほとんどできず、後退したのを追うこともできなかった。それが町を襲っているのだという。警備隊が防いではいるが、追い返すのがやっとでやはり倒すことはできていないらしい。

「ここのところこの辺では何も起きないからって冒険者もあまりいなくて、反撃までもっていけないんだ」

「それで町はみんな仕事どころじゃなくなってるんですか」

 レイナが感じた違和感は、当たっていた。

「だからこれ、リザード20体退治を頼みたい」

 そう言うとNPCは壁から一枚の依頼書をはがして黒猫に渡した。

 20体は相当だ。以前に俺が受けたことがある残党狩りの依頼の時は、せいぜい5体くらいのものだった。この間戦った一団が、20体くらいのものだっただろうか。

 NPCと話をしていた黒猫が俺を見る。俺はさらに蒼玉たちに目を向けた。

「やろうぜ。どうせ放っとけないだろ?」

 俺の視線に、ロンがニッと笑って答えた。レイナと蒼玉もうなづいて同意を示す。

「この前戦ってわかってるだろうが、リザードは魔法を使う。それが集団戦を仕掛けてくるのならば、きついぞ?」

 俺の意見はロンに読まれているとおりだ。だが事は簡単ではない。こうすれば勝てるという戦い方は、すぐには思い浮かばない。

「集団戦ならばコボルトで慣れてるし、リザードは大きな魔法は使わないみたいだし、それなら腕の勝負、負けはしないって」

 レイナの見立ては、楽観的だった。魔法士がそう言うのなら、そういうものなのだろうか。

「蒼玉は、どう思う?」

 もう一人の魔法士である蒼玉の考えも聞きたくて、話を振った。やはり蒼玉は真っすぐ俺の目を見つめて答える。

「この前はうまくいきませんでしたが、こちらの魔法にうまく巻き込むことができれば、やれると思います。ただ、そのための余裕ができるかどうか…」

「ぼくがシールドで防いでいる間に蒼玉さんが魔法を使う、それでどうでしょう」

 黒猫がそう提案したために蒼玉の目がそちらに向いてしまった。惜しむようにその横顔を見続ける。

「防御魔法でも防ぎきれないこともあるでしょう。危なくありませんか?」

「それはあたしたちでできる限り敵を引きつけるよ。やれるよね? ロン、アキト」

「引きつけるだって? そんなけち臭いこと言わずに、なぎ倒してやるって」

「ああ」

 ついロンの鼻息に乗せられてしまった。黒猫に依頼書を渡されて、俺が代表して記名をした。報酬は高くはないが、その代わりと言っていいのか期限は定められていなかった。

 ギルドを出て、雑貨屋で回復薬を補充して、大通りへと出た。

 旅商人が南で襲われたように、リザードは南から来るということだった。だから真っすぐ南の門へ向かうはずなのだが、大通りを通り過ぎたところで急に黒猫に袖を引っ張られた。

「どうした?」

 何か思うところがあるのだろうか。俺は黒猫の顔をのぞきこんだ。

「正面からではなくて、側面からいきませんか? 西か東から回りこんで」

 わざわざ激戦に巻き込まれることはないという意見だった。不安とかそういうことではなかったことに、俺は内心安堵した。

「他の方がいるところで戦った方が、お互いに助けたり助けられたりできるのではないでしょうか」

 そうして助けられたことがあるという蒼玉の意見も、もっともではある。相対する意見の二人が、俺に決めてくれと言わんばかりに同時に俺を見た。

 黒猫はどうかわからないが、少なくとも他の三人よりはリザードと戦った経験は多い。それを手掛かりにして考えてみる。

「味方がいるとしても、最初から大勢を相手にするのは危ないと思う。だから、回りこんで手薄なところを突こう」

「はい」

 二人の返事が重なった。自分の意見が採られなかった蒼玉も、不満ひとつ見せない。

 どちらから回りこむかは、すぐに決まった。この前そこを走り、何もない平地であることがわかっている東側に行くことにした。隠れて奇襲される心配がない代わりに向こうからもこちらが丸見えという、五分の条件である。

 東の門にも、北の門と同じように警備隊の姿があった。こちらにはリザードは来ないようで、静かなものだった。ただその静けさは、同時にここを通る人がいなくなっていることを示してもいる。

 その東の門を出て右に折れて、壁と柵を見ながら南側へと回った。柵の延びた先から土煙が上がるのが見え、地面が揺れるような低い音が次々に聞こえてくる。そこで激闘が繰り広げられているのだろう。

 しかしその土煙から離れたところに、一団がある。戦闘に加わっていないリザードが、まだいるようだ。それが俺たちを見つけたらしく、一団から小さな塊がこちらに向かって飛び出してきた。

「来るぞ!」

 同じように駆けだそうとするロンを、すんでのところで肩をつかんで止めた。

「何だよ!?」

 すごい勢いでロンが振り返る。

「敵の集団に近いところで戦うことはない。こっちに引きつけるんだ」

「なるほどね。作戦どおりって訳だ」

 あくまで冷静を作って俺が答えると、ロンもすぐに納得してくれてリザードに向き直った。構えただけで静止している俺たちに向かって、リザードは集団を崩さずに突っ込んでくる。15体くらいだろうか、数の多さに攻撃が始まる前から圧力を感じる。

「始めるぞ! 蒼玉、後は頼む」

 俺たちは逆に、その集団を挟むように分かれた。だがこちらの思惑通りに事は運ばず、リザードは三隊に分かれてそれぞれを狙ってきた。

 蒼玉の方にもリザードが襲いかかる。だが、俺もロンたちもそれぞれ別の一隊に遮られて、助けに入ることはできない。走り回るのは諦めて剣を構えると、俺の前に立ちふさがるリザードが横一列に並んだ。五体か。

 ゲウガァ!

 叫び声のようなものを合図に、リザードは一斉に両腕を前に伸ばした。魔法だ。

 その手の先から水の玉が放たれた。二発、俺を挟みこむように飛んでくる。よほど狙いがいいのか、俺が後ろに跳んでかわすとその二発は目の前で衝突して弾けた。

「ぐっ!?」

 弾けて飛んだのは水だけではなかった。同時に石をはね上げる魔法が俺を襲った。のけ反って顔への直撃は避けたが、鎧の胸に当たった衝撃で後ろに倒れてしまう。さらに水弾が襲ってきたのを横に転がってかわし、手をついて起き上がる。とっさのことで、リザードに背中が向いてしまう。

 動きを止めたら狙い撃ちだ。とにかく俺は斜めに駆けだした。その脇を水弾が掠める。リザードの横に回りこむように走るが、向こうはそれに合わせて並びなおすだけだ。水弾と石つぶてが前後から俺を襲い、近づくどころか真っすぐ走ることもままならない。

「アキト! 代われ!」

 前方からロンの叫びが届いた。ロンたちも俺と同じように、リザードに走り回らされているようだ。その狙いを入れ替わることで狂わせる、この間コボルトを相手にやった手だ。

「ああ! くぅっ?」

 答えた一瞬、魔法の回避がおろそかになってしまった。目の前に迫った水弾は盾で防ぐ。盾を持つ腕から体全体に衝撃が走ったが、痛みは無視して駆け続けた。

 俺を狙う横からの魔法に加えて、ロンを狙って外れた魔法が正面から飛んでくる。それをなんとか体をひねってかわし、正面に突っ込む。同士討ちを恐れて、リザードの魔法が一瞬やんだ。

「今だ!」

 動揺しているリザードに、駆け抜けざまに胴薙ぎの一撃を与える。

「マッドトラップ!」

 レイナの声とともに、別の二体の足元が泥沼と化す。身動きが取れなくなり、列が崩れる。俺は無理やり横に跳んで、体をひねりながらそのうちの一体を袈裟懸けに斬り捨てた。だが、そこまでだった。もう一体が至近距離から魔法を放ち、それを盾で受けたところで残りの三体で体勢を立て直されてしまった。

 数が減り、今度はレイナが一緒なので、さっきよりも攻撃が密度を失う。その余裕で俺たち以外の様子を見ると、一人になったロンが今度は黒猫の方に走っていた。

 まずい。あっちには蒼玉がいる。蒼玉に同じことはさせられない。だが俺たちの方も、それを止めるどころかどうしろと言ってやれる余裕もない。ロンが黒猫とすれ違い、飛び交う魔法をすべて黒猫が防御魔法で防ぐことになった。

「ファイアーウォール!」

 そこに蒼玉の凛とした声が響いた。黒猫がすべての魔法を受けている間に、火柱の魔法を放ったのだ。

 グィヤアァーーー!!

 意表を突いたらしく、蒼玉たちを狙っていた一隊が丸ごと炎に包まれた。その異様な叫び声に驚いたのか、他のリザードたちの攻撃の手も止まる。その隙を逃さず、俺とレイナ、そして駆け戻ってきたロンが、一体ずつ仕留める。残りは最初に俺とやり合っていた一隊だけだ。

 黒猫たちも俺たちのところに集まってきて、五対五のにらみ合いになった。仲間がやられて恐怖に怯えたか、リザードが揃って一歩後ずさる。

 いや、反転して走り出した。元いた集団に逃げ戻るつもりか。ここで倒せるだけ倒しておきたい。俺は追いかけようと足を踏み出そうとしたが、それよりも先に蒼玉が魔法を放った。

「ウォーターフラッド!」

 水の壁が立ち、それが崩れて波となってリザードに襲いかかる。その勢いは足で逃げられるものではなく、リザードは背中から押しつぶされるようにしてなぎ倒された。

「乱衝撃!」

 それにとどめを刺そうと俺とロンが走ったが、一瞬速かったロンが起き上がりかけたリザードを全員まとめて突き倒した。

「新手は、来ないみたいですね」

 追いついた黒猫が、向こうを眺めながら言った。ロンには最初に敵の集団に近づくなと言っておきながら、俺は今その可能性をまったく考えていなかった。

「こいつらは、見捨てられたのかな?」

「それもそうかもしれないけど、あっちもそれどころじゃないみたいだぜ」

 疑問の声を上げたレイナに、ロンは向こうに見える土煙を指さした。後方に戦いに加わっていない一団がいたはずだが、それがなくなっている。

「町の方に本気出したってところだろうな」

「じゃあ町の方が危ないってことか。行こう!」

「依頼完了まであと五体はやらないとだしな」

 町が潰されては報酬も何もない。俺たちは土煙に向かって走り出した。

 柵が見えてきて、遠目には土煙だったその中の戦況も見えてくる。俺たちが戦ったリザードの一団のように、向こうでもリザードが隊を作って動いているのが見える。しかしそれよりも後方で動いていないリザードが多い。どこを狙うか。

 ドゴオッ!

 突然衝突の最前列の辺りで轟音が響き、ひときわ濃い土煙が上がった。振動が俺たちのいるところまで届き、思わず足を止めてしまう。

 揺れが収まると、そこにいたリザードが後退していくのが見えた。入れ替わるように後方にいた一団が魔法を放つ。

「あれを横からだ!」

 その大攻勢を止めようと俺たちは走り出したが、向こうは多勢、その一部がこちらに向き直って一斉に水弾を放ってくる。絶え間ない魔法の連続に、近づくことができない。

 いや、近づけないどころか、逆に遠ざかってしまう。ここは多少魔法をくらっても無理やり突撃するしかないか。

「待ってください!」

 盾を前に構えて走ろうとした俺を、後ろから黒猫の声が止めた。足が止まったところに水弾が命中する。だが、正面から盾で受ければ大したことはない。

「リザードは引き上げる動きです。追うのは危険です」

 黒猫がそう言っている間にもリザードとの距離はさらに離れ、そして魔法もやんだ。その動きは歩くように遅く、追いかければ追えないことはない。しかし背を向けずに下がっていくので、隙がない。

「あれじゃ手が出せないな……」

 向こうをにらみながら悔しそうにロンがうなった。そのとおりだった。数十体のリザードがひとつにまとまって湖の方へと下がっていくのを、俺たちはただ見ているしかできなかった。

「帰りましょう」

 いつまでもそこに立ち尽くしていても仕方がない。黒猫の言葉に従って、俺たちもウェスタンベースに戻ることにした。

「酷い……」

 町に近づくにつれて、激闘の跡が生々しくなる。柵はかなり広範囲に壊され、畑も踏み荒らされたようにぐちゃぐちゃだ。そしてそこには、倒れている人の姿もいくつもあった。

「手当てが間に合ってないんだね。行こう、珠季」

「はい」

 回復魔法を使える二人が、そちらへ駆けていった。

「おう、あんたらもいたのか」

 それと入れ替わるように、後ろから声をかけられた。振り向くとそこにはこの前リザードの襲撃を町に知らせに走ってきた男がいた。あの時は膝に手をついて大息をしていたので小さく見えていたが、実際に背が低かったのだった。

 その声を聞きつけて、仲間の冒険者も集まってきた。サレナと名乗った冒険者も、そこにいた。

「一緒に戦ってたのか。ぜんぜん気づかなかったな」

「いえ、俺たちは横から回りこんでいたので」

「けどさ、あんたらは別の依頼があるんじゃなかったっけ?」

 そう言って用心棒の仕事を断ったことを覚えてくれていた。

「あれは片付いて、それでこっちに戻ってきたら、リザード退治の依頼があったんだ。そっちも、用心棒の方は……」

 言いかけて慌てて口をつぐんだが、遅かった。あの時のことで仕事を失っていたとしたら、そこには触れるべきではないのに。

 顔を合わせていづらくて俺は目をそらしてしまうが、そんなことで隠れられるはずもなかった。それは全部サレナに見られていて、笑われてしまう。

「この騒ぎじゃ商売どころじゃないからな、用心棒の方は休みさ。で、小遣い稼ぎに警備隊の真似事って訳だ」

「そうか……」

 仕事を失ってはいないことに安心してうつむいた顔を上げると、また笑われてしまった。俺の失礼は、どうやら気にしないでくれたようだ。

 そうして立ち話をしているうちに黒猫とレイナが戻ってきた。二人だけではない、見るからに警備隊らしいしっかりした鎧をつけた男が一緒だった。

「私は警備隊部隊長のフラッグだ。あなたたちにも町の守備に参加してほしくて頼みに来た」

 来るなり単刀直入にそう切り出し、そして俺たちの返事を待つように一歩引いた。黒猫たちが負傷者に回復魔法を送っているところに声をかけられ、こっちまで来てもらったのだそうだ。

「あたしはさ、それぞれバラバラに戦うよりもみんなでまとまった方がいいと思うんだよね。今日のことを思えば」

「確かにな。最後、俺たちだけじゃ追うに追えなかったもんな」

 レイナは警備隊に参加するべきという意見で、ロンも賛成のようだ。蒼玉は、初めに一緒になって戦うべきだと自分で言ったからか、すぐにうなづいた。今日はそれを却下した俺だったが、みんながそういう意見であるところに反対するほどの強い理由はない。

 黒猫はどう思って部隊長をここまで連れてきたのだろうか。それを聞きたくて、黒猫に目を向ける。

「参加するにしてもしないにしても、話を聞いておいた方がいいと思います。お互いに考えていることがわかっていれば、やりやすいこともあると思うのです」

 黒猫が俺の迷いをひとまず棚上げしてくれて、俺たちは警備隊や他の冒険者たちと一緒に警備隊の建物へと入った。

 みんなの前で話された部隊長の見立ては、かなり深刻だった。リザードは今のところ日中に、かつ南からしか現れていないが、夜間に出てこないとも限らないし、攻め口を変えないとも限らない。警備隊はそれらの警戒を強化して、正面の守りは冒険者を雇って対処したいという。

 来たら戦うくらいしか考えていなかった俺には、想像もつかなかった話だ。これが警備隊と冒険者の違いなのか。

「もしあなたたちも参加してくれるのならば、私の指揮下に入ってもらうことになる。そしてさっき手当てを手伝ってくれた二人を後方の支援に借りたい」

 部隊長の断言のようにはっきりした物言いに、ロンが反発した。

「おいおい、俺たちには俺たちのやり方があるんだぜ? 勝手に仲間を取られてたまるかよ」

「まあ落ち着けって。集団戦はあちらさんの方が上手だ。俺たちもやってみてわかったんだが、言うことを聞いておいて損はない」

 それをなだめたのは、サレナだった。だが、参加するとなれば俺たちパーティがバラバラにされることには変わりはない。ロンはこれ以上話を聞きたくなさそうに、ぶすっと俺の方を見る。やっぱりやめた方がいいのか。

「指揮下に入るって、俺たちは何をすればいいですか?」

 いや、まだ話は終わっていない。とりあえずロンの不機嫌は無視して、続きを促した。

「結局はそれぞれに戦ってもらうしかない。ただ、あっちに当たれとかそこは突っ込むなとか、全体的なことは言わせてもらう」

「そちらに預けることになる二人は?」

「負傷者をすぐに手当てして戦いに戻せれば、その分こちらが有利になる。それに専念してもらう」

 その光景を想像しようとして、気がついた。今部隊長が言っていることは、俺がみんなと一緒に病大虫と戦おうとしていた時にしていたことだ。つまりこれは、部隊長がリーダーの大きなパーティを組んでリザードと戦うということだ。

「ロン、やろう。あの人がいちばんしっかり考えてる。だから、それに乗っかるのがいちばん確実だ」

 小声でロンに声をかけると、にらみ返された。だがそれはすぐに途切れ、小さくため息をついた。

「隅っこじゃなくって、ど真ん中の晴れの舞台ってヤツだな。やりがいがあるってもんだぜ」

 ロンに納得してもらえたところで、次は俺たちと離れることになる二人だ。

「黒猫、レイナ、頼めるか?」

「回復専属は勝手が違うけど、やるよ」

 レイナの返事に黒猫もうなづいて同意を示した。

 蒼玉にもと思いそちらに顔を向けたが、向こうから先に俺の方を見ていて、いきなりの真っすぐな視線に驚いて言葉に詰まってしまった。そして俺の言葉が口から出るよりも早く、蒼玉が首を縦に振った。

「わかりました。よろしくお願いします」

 後は配置などの指示だった。部隊長たち警備隊が中央で、その両脇に冒険者、後方に黒猫たち支援という形で、俺たちとサレナたちは逆側の配置となった。

 明日の朝食後に南の門に集合と決められて、今日は解散となった。戦った後の方が長かったのではないかというくらい、もう空は夕方の赤を通り越して夜の藍色に染まりかけていた。

「あんたらはどこに泊まってるんだ?」

「あ…」

 サレナは何気なく問うただけだったが、大事なことに気がついていなかった俺はその場で立ち尽くしてしまう。もうこんなに暗くなってしまっているのに、今日泊まるところを確保していない。今からでも泊めてくれそうなところは、あるだろうか。

「何だ、決まってないのか。だったら俺たちが使ってるところはどうだ? あまり客の入りがいいところじゃないから喜んで泊めてくれると思うぜ。あんまりきれいなところじゃないから嬢ちゃんたち向きじゃないけどな」

 そう言われて俺は後ろのレイナに振り向いた。

「もう遅くなっちゃったし、しょうがないんじゃないかな」

 蒼玉もそれでいいと言ってくれたので、サレナに紹介してもらうことにした。大通りから北の門の方へと曲がってすぐのところだと言う。まさか…?

「おう兄ちゃんたち、また来たな」

 そのまさかだった。例の古臭い宿の店主が、俺たちの顔を見て一瞬だけ驚いていた。一瞬で済まなかったのは、俺たちをここに連れてきたサレナの方だった。

「まさかこんなところの常連だったなんてな。よく嬢ちゃんたちがうんって言ったもんだ」

「こんなところとは何だ。人数が増えたから飯はもうちょっと待ってくれ」

 例によって悪口は聞きもらさない。しかし食事の用意で忙しいようで、すぐに奥へと戻っていった。

「常連ってほどじゃないんだ。でも最近何回か来てるから、顔は覚えてもらえてるみたい」

 あまり物好きだと思われるのも蒼玉たちには迷惑かもしれないと思って、一応訂正はしておく。

「ここは俺たちみたいな年季の入ったのが来るようなところだからな。あんたらみたいのは珍しいから、覚えられるんだろうよ」

 こんな遅い時間になって急に人数が増えたから食事の用意が大変なのか、それともこれは悪口には当たらないのか、店主は出てこなかった。

 代金を用意して待ったが、なかなか食事が出てこない。いい加減空腹でたまらなくなってきて、奥から流れてくる匂いが意地悪く焦らしているかのように思えてしまう。

「待たせたな。あんまりいい飯を出せないから、今日だけは一人45フェロな」

 その言葉どおりといったところか、今日はここの名物らしい軟骨はなかった。

「さすがにアレばっかじゃ顎が疲れてたまんないから、ちょうどよかったぜ。おまけに安くしてもらえたし、また今度誰かを引っ張ってこよう」

 確かに毎日軟骨は厳しいかもしれない。あれは毎日食べたくなるほど特別おいしいものではなくて、たまにまた食べてみたくなるような変わり種なのだ。

 軟骨ではなかったが、ここの食事は相変わらず量が多い。待たされて余計に空腹になっていたはずだったが、それでも食べ終えた時にはしっかり満腹だった。

 食事が終わってサレナたちと別れて、この間と同じ大部屋に通される。夜中に点けたままにしていたろうそくだけが短くなっているところまで、この間と同じだった。その間、この部屋は使われていなかったのだろう。サレナが言っていたとおり、確かに客の入りはよくないということだ。


 翌朝起きて食堂に出ると、別に寝坊したわけでもないはずなのに、もうサレナたちは朝食を食べ終わる頃だった。そう言えば、前にここで会った用心棒稼業の冒険者たちも朝が早かった。そういうものなのかもしれない。

「警備隊と一緒に戦うのって、何か違ったりするんですか?」

 昨日考えてみて、結局想像だけでは何もわからなかったことを聞いてみる。

「なんだかんだ言って、目の前の敵と戦うことに変わりはないさ」

 そんなものなのだろうか。俺が疑問を頭に浮かべている前で、答えた向こうも何かを考えているような顔だった。

「いや違うか。用心棒ばっかやってると感覚がそうなっちまう。あんたらみたいなのからすれば、後ろに引けないってのは全然違うんだろうぜ」

 わかるような気もしないでもないが、もっと聞いておきたくて、首をかしげて続きを促す。

「用心棒は商人や荷を守るし、警備隊は町を守る。だからどっちも逃げるわけにはいかないし、敵を後ろに行かせちゃいけない。そのためには自分が出すぎてもダメだ。攻めの戦いに比べると、よっぽど動きに自由がない」

 だんだんわかってきた。俺が初めて蒼玉と一緒にコボルトと戦った時、絶対に蒼玉を守らなければと思って無理をして傷を受けたことがある。多分、それに近いのだろう。

「でもさ、前に出れないって、それじゃリザードの魔法を浴びるばっかにならないか?」

 ロンが言ったことは、俺も思ったことだった。コボルトの場合は向こうからの攻撃に反撃できるが、リザードは遠くから魔法を飛ばしてくる。動けなければただの的になってしまう。

「そりゃあ、一歩も動かないなんて無理さ。適当にかき乱して戻る、その繰り返しで我慢比べだな。こっちにも魔法があれば、話が変わるかもしれないけどな」

「魔法があったとしたら?」

 珍しく蒼玉が口を挟んできた。自分の役割が重大であると思ったようで表情は硬く、その目が際立つ。ずっと気さくに話してくれていたサレナも、少したじろいだ様子だった。

「俺には魔法はよくわからないが……そうだな、俺たちがかき回して戻る時に追い打ちでやってくれると、うまいんじゃないか?」

「わかりました。やってみます」

「まあそう硬くなりなさんな。そうだ、もうひとつ違いがあるぞ。自分だけじゃないってことさ」

 声まで強張っている蒼玉にサレナが笑いかけたのは、それをほぐそうとしてくれているのか、それともその意気込みに圧倒されただけか。蒼玉の方は表情を崩さないまま、ただ続きを待っている。

「自分がってあんまり無理ばっかしないで、適当に周りの奴を使ってやればいい」

「使うなんて、そんな自分勝手な…」

 サレナの言いたいことは、俺には何となくわかる。一人じゃないというのは、そういうことだ。だが蒼玉は言葉そのままに受け取ったようで、眉をひそめた。

「それは他の奴だってそう。お互いさまでうまくやるのさ。嬢ちゃん一人ががんばりゃいいってもんじゃない」

「はい」

 納得はできていないようだが、後は自分でわかることと思ったのか、蒼玉は口をつぐんだ。その隣に目を向けると、レイナは食べながらもこちらの話を聞いているようだったが、黒猫はちょっとうつむいて何かを考えているようだった。

「黒猫?」

 何か不安でもあるのだろうか。俺が声をかけると、そんな俺の内心などわかっているかのように目を細めて小さく笑って見せた。でもその笑顔は本当なのか。

「思ってることがあるなら、言えよ」

 俺は黒猫みたいに察してやることなんかできなくて、だからこうして口にするしかない。そんな俺がちょっと嫌で、それが声をとがらせてしまう。

「けっこう大変なことになりそうだなって思って、気を引き締めていたところなのです」

 そう言って黒猫は胸の前で握りこぶしを作って見せた。なんだかそれもわざわざ見せているように見えないこともない。

「大丈夫です。みんなで力を合わせれば何とかなります」

「そうだな。あんたらの回復は、当てにしてるぜ」

「はい。がんばります」

 サレナがおだてるように言って、黒猫が笑って答える。そんな様子を見ている俺を、いつの間にか蒼玉が見ていた。

「頼むな」

 それから逃げるように、同じく回復役になるレイナに声をかける。

「はい、がんばります」

 レイナは黒猫の真似をして答えて、俺が変な顔になったのを笑ったのだった。

 サレナたちが待っていてくれたので、一緒に集合場所へ向かった。それぞれどこかへ向かう人通りが絶えない朝のはずなのに、三人も横に並んで歩いていても邪魔にされることがない。空はいつもどおりに明るくて、それが余計に閑散としている様をくっきりと浮かび上がらせている。

 普段は武器を持った人などあまり見かけない町の南は、警備隊やら冒険者やらが集まって、ものものしい雰囲気になっていた。まだ出発はしないのか、誰も何も言わないので、俺たちも道の端に寄って待つことにした。その間にもちらほらと人が増えてくる。

 いつまでも道に居座っているのはよくないと考えたのか、移動の指示が出た。声をかけてきた警備隊に連れられて、一隊ごとに静々と門を歩いていく。

 しかし、柵のところまで進む前に、急に騒然となった。俺たちを先導する警備隊とは別の警備隊たちが駆けまわっているようだ。

「敵出現、昨日指示した配置どおりに進め!」

 先頭を行く部隊長の大声が、俺たちを通り越して後ろまで通った。前から順に、駆け足になる。そこに前から革鎧の男が駆け寄ってきた。

「お二人はこちらへ」

 黒猫とレイナを支援の部隊に案内しに来たようだ。しかし黒猫はそれを断って、後から合流すると言う。押し問答を嫌ってか、男はさらに後方へと駆け去っていった。

「どうするつもりだ?」

 いきなり指示に従わないなんて、何をするつもりなのか。走りながら、黒猫に聞いた。

「やり残したことがあって。今はとりあえず、持ち場まで行きましょう」

 黒猫が何を考えているかはわからないが、この人の流れの中でああだこうだ言っている余裕はない。黒猫に付き合わされる形になったレイナも、顔には戸惑いを見せながら同じように走るしかなかった。

 柵が壊され畑が踏み荒らされているのをさらに踏み荒らすようにして、一団は左右に広がった。向こうに見えるリザードの一団も、同じくらいの幅に広がっているようだ。まだ魔法の届く距離ではない。展開が間に合ったというところだろう。

「よかった。まだ間に合ったみたい」

 足を止めたところで、黒猫が俺の方に向き直った。俺は首をわずかにひねって、横目で黒猫にうなづいた。

「レジストソイル!」

 黒猫の声とともに、足元から黄色っぽい砂ぼこりが舞いあがった。それは俺に貼りつくように集まって見えたが、すぐに見えなくなった。何かの魔法らしい。

 これが何かを聞きたくて俺は黒猫の方を向いたが、黒猫は蒼玉とロンに同じ魔法を使っていた。

「魔法防御の魔法、使っておくつもりだったんだね」

 レイナはやっと納得したように、黒猫に笑いかけた。

「はい、さっきの人を待たせちゃってますのでもう行きましょう。皆さん、無理だけはしないでください」

「ああ」

 くどく言うのははばかられて、俺は短く答えただけで正面に向きなおった。二人が走り去る音は、すぐに双方の足音などにかき消されて聞こえなくなった。

「蒼玉、ロン。サレナに教えてもらったやり方でいく。頼むぞ」

「はい」

 斜め後ろから蒼玉の短い返事が聞こえる。隣に立つロンは、うなづいて答えた。

 俺たち守備側は横一文字に広がって、柵の外側で静止している。それに対するようにリザードも横に広がりながら進んできたが、まだ魔法が届かなさそうな距離を保って停止した。

 にらみ合いになる。だが待つことを嫌ったのか、俺たちの隣にいる冒険者パーティがいきなり駆けだした。突出は集中攻撃の餌食になってしまうと思った時、部隊長が大声で攻撃の指示を出した。一拍遅れて中央の警備隊が、さらに一呼吸遅れて俺たちも、それぞれ正面のリザードめがけて駆けだす。

 リザードの方でも叫び声のようなものが一声高く上がり、それを合図にその場から水弾が放たれた。先を走る冒険者だけを狙い撃ちするのではなく、あくまで自分の正面の敵に対しての攻撃だ。

 横一線の水弾をかわせないこともないが、そうすると俺の後ろの蒼玉が危ない。正面から飛んでくる一発を、盾を構えて防ぐ。

「く…っ?」

 衝撃はあったが、弾かれたのは俺ではなくて水弾の方だった。黒猫の魔法の効果か。これならば敵の魔法を盾で受けながら戦える。先を走るパーティとの差を詰めるように、俺は走る速度を上げた。

 目の前で放たれようとしている魔法を押しつぶすかのように、盾で体当たりを仕掛けた。怯んだリザードは魔法を放つことができずに吹っ飛ぶ。その反動を利用して、別の一体に斬りつけた。

 やはりと言うかリザードはそんな俺を取り囲もうとしたが、それはロンが横薙ぎに払った槍で阻止された。穂先が一体を軽く切り裂き、さらに柄が別の一体を強打した。その脇を別の一体が魔法で狙ったが、それは俺が盾で止める。

「ファイアーウォール!」

 間髪入れずに蒼玉の魔法がリザードを襲った。だが火柱に飲まれたのはロンに打たれた一体と魔法を使った隙を突かれた一体だけで、あとはその戦法はわかっているとばかりに横に逃げてしまう。

 その空いたところに、先陣を切った冒険者パーティが逃げ込むように飛び込んできた。もちろん、彼らとやり合っていたリザードもそれに合わせるように向きを変える。それを、入れ替わるようにして俺とロンが襲った。不意を突けたようで、二体がなすすべなく斬られ、突き倒される。

 このまま突き抜けられるかと思ったが、向こうには戦いに加わっていないリザードの一団があった。それが俺たちをめがけて集中的に水弾を放ってくる。

「ウォーターフラッド!」

 よけきれないと思った時、目の前に水壁が立った。蒼玉の攻撃魔法だったが、それはリザードに向かうことはできず、多数の水弾に押し返されてその場で崩れてしまう。そこに体勢を立て直したリザードが戻ってきた。仕切り直しか。

 リザードの奇声とともに足元から石が跳ね上がり、俺を打ちつけた。さらに水弾が俺を狙ったが、それはロンが槍の一振りで弾き飛ばした。

「足を止めるな!」

 ロンが後ろの俺に怒鳴り、さらに前へ飛び出す。正面のリザードが大きく飛び退き、左右のリザードと三体でロンを包み込む構えを取る。

 そんなことはさせない。俺はロンに合わせて向きを変えた左のリザードを横から斬りつけた。他のリザードが放った水弾をロンが避け、流れ弾が俺が斬りつけたリザードに命中する。それがとどめとなり、絶叫を上げてリザードは倒れた。これで目の前にいるのは残り二体。

「ぐあぁっ!」

 だがそこに、左方から悲鳴が聞こえた。俺たちと入れ替わったパーティが追い詰められている。一人が集中攻撃を受けているようだ。仲間たちが突っ込んでいくが、うまくあしらわれ、全員を引きつけることができていない。

 集中攻撃を浴びている男とリザードの間に割り込んで、水弾を盾で受ける。そのリザードをロンが突き刺した。放置されたリザード二体がそのロンを狙おうとしたが、蒼玉の放った火柱に阻まれる。

「下がれ! この人を後方に!」

 叫びながら俺は盾を構えて別のリザードに駆ける。足元から石つぶてが襲ってきたが、それごと弾き飛ばして体当たりを食らわせる。

「乱衝撃!」

 ロンの連続突きがリザードたちを追い払った。後方に下がったリザードは、ふたつの隊が合流してひとつにまとまる。その間に男たちも下がっていった。後は黒猫たち支援部隊に任せる。

 これで六対三、囲まれたらさっきの男のようにされてしまう。ロンが横目で俺にうなづいてみせる。心得て交差するように駆けだした。そのまま横に広がったリザードを突き抜けて走る。

 それに目を奪われたリザードを、蒼玉が放った火柱が容赦なく襲った。さらに回りこむように走りこんだロンが一体を突き刺す。そのロンに向けて放たれた水弾を、俺が盾で防ぐ。

「うぐっ」

 だが今度は、衝撃に俺の方が弾かれてしまう。足が止まったところにさらに石つぶてが打ちつけられる。この場から逃げなければ。

「ウィンドカッター!」「マジックショット!」

 不意に風刃と魔弾が割って入り、俺への攻撃が止まった。この声は。

「黒猫!」

 身体に痛みが走るが、それでもどうにか黒猫たちのところへ駆け寄る。

「そろそろ補助魔法も効果がなくなるかと思って、抜けて来ちゃいました」

 そうだったのか。自分の力を過信していたことに、俺はやっと気づいたのだった。レイナの回復魔法と黒猫の補助魔法で俺の身体に力が戻る。

「次はロンさんです。なんとか時間を稼いでください」

「ああ」

 俺はリザードたちにと真正面で対峙しているロンを追い抜くように駆けだした。放たれる魔法は、やはり盾で防ぐしかない。リザードはまたしても俺を包み込む構えを取ろうと後ろに下がったが、それをも突き抜けて、すれ違いざまに一体を胴薙ぎに斬り捨てる。

 離れたところにはまだ、戦いに加わっていないリザードの一団が見える。一斉に水弾を放ってきたが、それは避けて反転する。自分たちが狙いではないと見切ったのか、そちらからの追撃はなかった。

 だが反転したところに俺を襲ってきたのは、地を走る水の流れだった。蒼玉の魔法だ。一緒にリザードが押し流されてくる。それを飛び越して、俺は黒猫たちのところに戻った。下がっていたロンが戻ってきて、入れ替わりに今度は蒼玉が下がる。

 俺は再び反転して、ロンと並んで走った。水しぶきを上げながら流されたリザードに追いつき、斬り、突く。戻ってきた蒼玉の魔法も加わって、ようやく目の前の一隊を全滅させた。

「ぼくたちは戻ります!」

「助かった!」

 遠くから一言だけ交わして、黒猫とレイナは後方に戻っていった。

 穴が開いたところには、後方からリザードが猛然と駆けこんできた。今度は十体だ。足を止めたらまたやられる。俺もそれにまともにぶつかるように前へと駆けた。

 その俺を次々と水弾が襲った。それは時間差をつけて、絶え間なく放たれ続ける。近づけない。だが、俺を逃がさないように三方から放たれていた魔法が、急に正面からだけになった。

 左に大きく避けると、そちらにはロンが突っ込んできていた。そのまま二人で斬りかかる。それでも、他からの妨害が入らない。孤立して怯んだように見えるリザードに、容赦なく斬りかかる。次は右手だ。

 だがそちらには、すでに別の冒険者たちが斬りこんでいた。さっき後方へ下がったパーティが戻ってきていた。そこに俺たちも加勢して、新手の十体はあっけなく全滅した。その向こうに、また動きが見える。

「そこ、出すぎるな! 一旦下がれ!」

 次、と思った時に、後ろから飛んできた鋭い声が俺たちを制した。部隊長が重装備の何人かを引き連れてこちらに来ていた。

「なんでだよ! この勢いでいけば勝てる!」

 食ってかかったのは、さっき仲間をかばって奮闘していた男だった。

「出すぎれば集中攻撃を浴びる。それに、キングがここに来る」

 部隊長はその冒険者ではなく、さらにその向こうを見据えたまま言った。確かに後方の一団から一隊が分かれて出てくるようではなく、一団そのものが前進しているようだ。男にもそれがわかったようで、部隊長の脇まで下がってきた。俺たちも反対側に付く。

 先頭に装飾品で身を飾ったリザードが出てきた。あれがキングか。

「ウォーターフラッド!」

 蒼玉が先制攻撃を仕掛ける。しかし向こうからも同時に奇声が上がり、同じように水壁が立った。ふたつが真っ向からぶつかり、崩れ、あらゆる方向へと余波が及ぶ。

「蒼玉、俺の後ろに!」

 俺は蒼玉の前に走り、片足を下げて踏ん張る構えを取った。寄せてきた波は高くはないが、魔法ふたつ分の水量は半端なものではなく、身体が持っていかれそうになる。

 ようやく水流が収まった時には、何人も流されてしまっていた。俺一人では防ぎになれず、蒼玉もロンもそばにはいなかった。ただ、向こうもそれは同様で、キングたちの姿は遠かった。

「これは…予想外の展開だな」

 重装部隊はさすがに耐えきったようで、彼らに守られた形の部隊長も残っていた。その部隊長が、左右に目を走らせる。

 余波は左右にも広がり、周りのリザードたちを背後から襲うことになったようだった。キングの一団同様、倒れているものが少なくなかった。

「総攻撃だ! この機を逃さずリザードを叩け!」

 部隊長が声を張り上げ、自分も前へと駆け出した。連れてきた重装部隊さえも置いていくほどの勢いだ。一人にはできない。俺は蒼玉たちが戻ってくるのを待たず、部隊長を追って走った。部隊長がちらりとこちらを見る。俺はうなづいて答えた。

 さすがにキングはもう立ち直っていた。叫びとともに魔法を放ち、地面が大きく揺れる。跳ね上がった石混じりの泥を、横に跳んでかわした。まだ揺れる地面に体勢を崩しそうになりながらも、倒れる前に足を出して走り続ける。

 部隊長はさらにキングに肉薄する。ならば俺は他のリザードだ。ちらほら立ち上がりかけているリザードの中に駆け込み、切れていようがいまいが構わず撫で斬りにしていく。だが、向こうの方が圧倒的に数が多い。

 リザードが隊を作って俺たちを取り囲もうとした時、重装部隊が追いついてきた。魔法にも構わず盾で突撃してくる重装部隊に、隊は崩されていく。

 ギャアアアァァァ!!

 耳障りな絶叫が耳に突き刺さった。あまりの大声に足を止めて耳を塞いでしまう。

 その隙に水弾が盾に当たった。いや、さらに次々と飛んでくる。かわしきれず、腕と腹に食らってしまう。崩れ落ちたところにさらに水弾が迫る。

「このおっ!」

 それを槍の一振りで弾いたのは、ロンだった。その間に俺は盾を構えなおす。

「追うな! 今日はこれまでだ!」

 部隊長がまた声を張り上げた。リザードは水弾を放ちながら下がっていく。一斉に一方向に放つ魔法は、攻撃と言うよりも牽制のようだ。

 だが、先頭で俺たちに真向かっているキングは違った。奇声とともにまた水壁が立つ。

「ウォーターフラッド!」

 同じように蒼玉が水壁をぶつけた。ふたつの波がぶつかり、崩れ、迫ってくる。だが、今の俺にこれを踏ん張り切れる力は残っていない。

「シールドっ!」

 ダメかと思った瞬間、すっ飛んできた黒い影が俺たちの前で防御魔法を展開した。水流は透明な壁をかき分けるように左右に流れていく。その向こうで、キングも下がっていくのが見えた。

 キングの近くで戦っていた者たちはみんな一様に泥だらけだったが、部隊長には感謝された。

「キングの魔法はどうしても被害が大きくなって困っていたのだが、あの子が撃ち合ってくれてこの程度で済んだ。むしろリザードに大打撃を与えることができた。これで状況が変わるかもしれない」

 部隊長の計らいで先に泥を落としに行かせてもらった蒼玉の代わりに、俺が礼を言われた。

「いえ…こちらこそ、出すぎてしまって……」

 何と言っていいかわからず、俺は途中で部隊長がわざわざ指示のためにこちらに来たことを詫びた。

「押したり押されたりなんてのは必ずある。それを修正するのが私の役目だ。それに、後ろに控えているキングを引きずり出せたのはあなたたちのおかげだ。感謝している」

「これから、どうなるのでしょう?」

 終わってもいないことに感謝ばかりされても釈然としない。だから話を先のことへと向けてみる。

「また同じように来れば、今度はこちらから攻める。だが向こうからすればそれは自滅だ。だからおそらく、隠れて力を蓄えようとするだろう」

「ひとまず、終わりですか」

「そうとも言えない。それなりの数がまだ残っているからな。警備隊を大勢外に出すわけにはいかないから、冒険者に依頼を出すことになると思う」

「俺たちの出番ですね」

「かなり危険だろうがな。じわじわと削るようにやれればいいのだが…」

 俺と部隊長の間の話ではもうリザードが町を襲ってくることはないという予想だったが、それでも出された指示は明日もまた同じように集合ということだった。


 翌日、部隊長の予想どおり、リザードは現れなかった。日が中天まで来たところで引き上げの指示が出て、警備隊の建物まで戻った。

 そこでこれまでの報酬が配られ、そして今後の説明がされた。大きく破壊された柵の修繕、戦場となった南の道の後片付け、そしてまだ勢力を残しているリザードの居場所の特定。これらを明日以降、ギルドに依頼として出すとのことだった。

「キング退治って依頼はないのか」

 冒険者の一人が声を上げると、いくつもの賛同するような声がどよめきのように上がった。

「向こうはまだかなりの数が残っている。一気に突っ込むのは危険すぎる。だからまず居場所を見つけて、集中攻撃ができるようにしたい」

 部隊長はさらに、居場所を見つけるだけでもリザードの猛反撃の危険性が高いことを挙げた。

「だけど、もし居場所を見つけたとして、移動されたらどうする?」

「そこまでは考えていない。追いかけっこになるのかもしれない」

「だったら」

「警備隊には警備隊の任務がある。だから外には出せないし、私も町を離れることはできない。ここにいる冒険者が全員まとまって行ければキングを追い詰めることも不可能ではないかもしれないが、そういう依頼はできないだろう」

 苦い顔をした部隊長に、その場が静まりかえった。

 居場所の特定の依頼にキングを倒した場合には追加報酬が出ることが決まって、解散となった。部隊長は最後に、無理だけはしないようにと念を押したのだった。

「なんか、歯がゆいな」

 警備隊の建物を出ると、黙っていられないとばかりに真っ先にロンが口を開いた。

「そうだな。だがあちらさんの言うとおり、無理なものは無理だ。警備隊が町を放っぽりだすなんてできないし、冒険者がまとまるなんてのもできっこない」

 それに答えたのは、再会してから何となく一緒に行動しているサレナだった。

「できないなんて決まってるのかよ」

 よほど悔しいらしく、ロンはサレナに食ってかかった。

「警備隊の都合は知らんが、少なくとも冒険者がまとまるのはな。俺たちは用心棒の方に戻る」

「なんで」

「やめろ」

 ロンの言いたいことはわかるが、それでも俺はロンを制した。

「損が出てるんだ、なおさら早く商売を再開しなきゃならねえ。だからもう動き出すだろう。俺は今からそれを聞きに行く。それが俺たちの仕事だ」

 それが、冒険者というものだ。俺たちだってリザードを放っておいて病大虫退治に行っていたのだ。それと変わりない。

 ロンもわかってくれたようで、それ以上は何も言わなかった。商人のところに顔を出すというサレナたちと別れて、俺たちは回復薬の補充のために雑貨屋へと向かった。

「何か、忘れてるような気がするんだけど」

 雑貨屋を出てもまだ日は高く、ふらふらと町を歩いているところに、レイナがそんなことをつぶやいた。

「お金のことなんだけど……あ、依頼があったじゃん。リザード20体っての」

「そうだよ。お前、なんでそんな大事なこと忘れてたんだよ」

 思い出してくれたレイナはお手柄だったが、ロンが俺を非難したのにはムッとした。確かに依頼書を持っているのは俺だが、あの激戦の中では忘れてしまっても仕方ないだろう。そんな文句はぐっと抑えて、ともかく俺たちはギルドへと向かった。

 町から危機が去ったことには、NPCも安堵した様子だった。ロンがうっぷんを晴らすかのようにNPCにこれから冒険者への依頼が出てくることを述べ立てているところに、早速警備隊から人が来たのだった。カウンターに置かれた紙を挟んで、二人は話し込む様子だ。

 今は張り出されている依頼もほとんどなく、あってもいつまでも残っているようなものくらいしかない。報酬をもらって用がなくなった俺たちは、今日くらいはのんびりしようと、まだ日は落ちていないが宿へと戻ることにした。


 さらに翌日、部隊長が言っていた依頼がギルドに出される日、サレナたちは用心棒の仕事に戻るとのことで、俺たちが食堂に出てきた時にはもう朝食を食べ終える頃だった。しばらくはセントラルグラン経由で南へ行くことになり、そのために朝早くに出発しなければならないのだそうだ。

「しばらく軟骨は食いたくないな。なんだけど、そのうちまた食いたくなるのはなんでだろうな」

 軟骨の煮汁を使った粥を汁ごと飲み干して、サレナたちは身支度のために自分たちの部屋へと戻っていった。

「確かにそうだな。顎が痛くて歯を食いしばれなくなったのには参るぜ」

 ロンの意見に、全員が首を縦に振って同意を示した。それでも、出されれば残さず食べる。それしかないからとも言えるが、やはり何とも言えない味があるのだ。特にこの粥はうまい。この前村でご馳走になった時のものと比べてもいいくらいだ。

「じゃあな。また会おうぜ」

 食堂へと出てきたサレナが、片手を上げてそれだけ言った。

「そうだな。また会えるといいな」

 一緒に行動していたのはこの宿と町の南を行き来する間だけだったのだが、いつの間にか仲間のような気がしていた。言葉どおり、また会えたらいいと思う。

 そう思ったら、なんだか不思議な気がした。特別仲良くしようと思って何かをした訳でもないのに、仲良くして何か得をしたのでもないのに、仲良くなれたことが当たり前に嬉しくて、別れるのが少し寂しい。

「どうしたのですか?」

 入口の戸に顔を向けたまま、ぼーっとしていたらしい。横から黒猫に心配そうな声をかけられて、ようやくそれに気づいた。何となく、その黒猫の顔をまざまざと見る。その意図を察しかねたか、黒猫は少し首をかしげた。俺自身もなぜそうしたのかはわからない。

「何でもない」

 自分が何を思っているのか自分でわからなくなって、一度それを振り払うように首を横に振った。せっかくの粥も冷めてしまってはうまくない。食べる方に戻った俺に、黒猫はそれ以上の追及はしなかった。

 依頼は先着順でなくなるものではないので、急いで出発したサレナたちとは対照的にゆっくりと食事を済ませて、宿を出た。

 いつまでこの町にいるのかはリザード次第だったので、代金は一日ずつ払っている。サレナたちとも別れたことだし、今日あたりは違う宿で違うものを食べるのもいいかもしれない。まだリザードが片付いていないというのに、俺はそんなのんきなことを考えていた。

 町の危険は去ったとみんなもわかってきたのだろう、外の人通りは見慣れた景色に戻っていた。違いがあるとすれば、依頼を受けるためにギルドへ向かう冒険者が多く、町の人たちの流れとぶつかってごった返していることくらいだ。

 気をつけていないと路地から出てくる人にぶつかってしまう。だから路地ごとにちらりとそちらを見ながら歩く。

「あんたら冒険者か…な?」

 その路地のひとつで、奥から声をかけられた。向こうに男が五人くらいいて、呼びかけておいて向こうからは通りへ出てくる素振りはない。

 このまま角で立ち止まっていては邪魔になってしまう。俺は呼ばれるまま路地へと入っていった。五人とも揃えたように同じ革鎧を身に着けている。

「そうだが、何か?」

「頼みごとがあるん、のです」

 語尾を言いなおしているのは、話し慣れないからなのだろうか。俺もあまり人と話すのは得手ではないので、ちょっとだけ親近感がわく。

「我々はこれから人さらいを捕まえます」

「何、あんたたち警備隊なの?」

 後ろにいたレイナが俺の横まで出てきて口を挟むと、男はそれにうなづいて答えた。確かに警備隊ならば、みんな同じ格好をしているのもわかる。

「我々は裏からねぐらに乗り込みます。あんたたちには表を見張っていてもらいたい」

「俺たちも表から行って挟み撃ちにした方がよくないか?」

「いや、あまり騒ぎにはしたくない。騒がれないうちに確実に捕まえたいんだ」

 俺の疑問は即座に否定された。怪物退治とは違って、町中ではそういうものなのかもしれない。

「もちろん報酬は出す。今しかないんだ、手を貸してもらえない…ですか?」

 ぐずぐずしていたら逃げられてしまうと言う。今ここで決めなければならない。一応みんなの顔色くらいは見ておこうと後ろを向くと、いつの間にか隣にいたはずのレイナが後ろに下がっていて、ロンと二人で渋い顔でぼそぼそしゃべっていた。

「何か怪しい……」

 向こうに聞こえないように、レイナが小声でそう言う。ロンもうなづいて同意を示した。

「でも、そう決めつける理由もないだろう。本当に人さらいだったら、捕まえないと」

 やるつもりだった俺は意外な反応に声を荒らげてしまい、声に出してしまってから向こうに聞こえてしまったことに気がついたのだった。ちらりを横目で後ろを見ると、男たちは気にした様子でもない。

「怪しいと言われると、私もそう思います。警備隊にしては、話し方が雑すぎるように聞こえます」

 蒼玉も反対だった。五人の中で三人が反対ならば、やめるべきか。

「それならばちょっと試してみましょう」

 そう言って黒猫は腰の革袋のひとつに手を伸ばした。取り出したのは、しわの寄った紙の束だった。

「依頼書? なんでお前が……あ、NPCだったんだっけな」

「はい。ちゃんとした人ならば書いてくれるでしょう。そうでなければこういう証拠が残るものは嫌がるはずです」

「思ってた以上に嫌な奴だな、お前」

 ロンの嫌味に黒猫は笑っただけだった。嫌味はあったが、これに反対はなかった。黒猫に任せることにする。

「あの、冒険者に頼みごとをするのであれば、ギルドを使って依頼にするのがいいかと思うのですが」

 こんな場面でそんな形式的なことを持ち出すのか。黒猫の切り出し方に、俺もロンと同じことを思った。男は明らかに苦った顔をする。

「急なんだ。それに大っぴらにして向こうに知られて逃げられたら意味がない」

 それはもっともだ。

「それなら、ここで依頼という形にしてはどうでしょう。この依頼書を使って」

 革袋からさらに鉛筆を取り出した黒猫が、本題とばかりにぐいっと依頼書と鉛筆を差し出す。男は横を向いて舌打ちをした。

「やってられるか。行くぞ」

 後ろに向かってそれだけ言って、男たちは俺たちに何の挨拶もなく行ってしまった。

「思ったとおりだったけどさ、酷いな、お前」

 ロンが苦笑いしても、やはり黒猫はこたえた様子を見せない。

「まあいいじゃん。一件落着だし」

「それでいいのでしょうか?」

 レイナが笑って間に入ってくれたのだが、蒼玉は表情を崩さないまま疑問を差しはさんだ。

「あの人たちは怪しいとわかったのです。何かをするつもりなのかもしれません。それを放っておいていいのでしょうか」

 言われてようやく気付いた俺は、はっと路地の奥へと目を向けた。だが、男たちの姿はもうどこにも見えない。失敗したか。

「そう決めつける理由もありません。これ以上ぼくたちが関わることはないでしょう」

 黒猫の一言で、一応は納得することにした。

「だまされて何かをさせられるという最悪のことだけは避けられたんだ。それでいいにしよう」

「だまされかけたのはお前一人だったけどな」

 笑いながらのロンの一言が、耳に痛かった。返す言葉がない俺はギルドへ向かおうと表の通りへと向いたが、取りなすつもりか、そこに黒猫が入ってきた。

「まあまあ。そういうこともあります」

「そうだな」

 そこまでされては、俺も無視することはできない。

「行こう、ギルドへ」

 ぶっきらぼうにならないように柔らかく言ってみたつもりだったが、どうだっただろう。

 通りに戻るとそれなりに時間が経っていたようで、人通りはやや少なくなっていた。今日も空は明るくて、日なたに出た一瞬だけ、まぶしさに目を細めてしまう。

 ギルドにはかなりの数の冒険者がいて、カウンターに向かって列がふたつできていた。みんなそれぞれ聞いておきたいことがあるのだろう。俺たちはそれを避けて、依頼が張り出されている壁の方へと移動した。

 三種類の依頼書が何枚も釘で串刺しにされている。つまり、何人でも加わっていい依頼だ。内容は昨日部隊長が言っていたとおり、柵の修繕、道の後片付け、そしてリザードの居場所の特定だ。どれもまだ何枚も残っているのは、それぞれ売れているのか、元々の枚数が違っているのか。

 それぞれの依頼書の下に説明の紙が添えられている。ロンとレイナはリザードを追うことしか興味がないようだが、蒼玉は三枚とも読んで考えるつもりなのか、柵の修繕のところを見ていた。他の冒険者もいるので俺たちだけでここを占領するわけにもいかないだろうと、俺は一度後ろに下がった。

「やっぱりみんな、リザードの居場所探しに行きそうですね」

 俺に合わせて下がってきた黒猫が、人の流れを見ながらそんな感想をもらした。説明を読まなければよくはわからないが、残りのふたつは地味な力仕事だろう。多分、女の子にやらせるものではない。

「追加報酬が安い。意外とケチだねえ」

 戻ってきたレイナの第一声は、それだった。

「ここまで来るまで冒険者にお金を出してますし、それだけお金に困ってるのかもしれないですね。いくらでしたか?」

 レイナが言った金額は、怪物の親玉の退治にしてはかなり少ないものだった。黒猫にも意外だったのか、ちょっと驚いた顔をしていた。

「高すぎるとみんなキングの退治を狙うから…そこまでやらせたくないから、追加報酬をわざと安くしている……?」

「何それ。それに、なんであんたがそんなことわかるのよ珠季?」

「ぼくもNPCやってましたから。始める時、適正な報酬についてかなり厳しく言われたものです。安すぎればちゃんとやってもらえないのは、他の商売と同じだって」

 俺が黒猫と初めて会って依頼を受けた時も、その報酬は高くはなかったが安すぎでもなかった。それを知っている黒猫だからこそ、見えてくることがあるのだろう。

「確かに、部隊長さんは危ないと言っていました。それなら私たちも居場所の特定に参加して、早く終わらせて次へ進めるのがいいと思います」

「そうすりゃ次はまともな報酬で退治の依頼が出る、か。それだな」

 どうやら蒼玉もリザードの居場所探しをやりたいらしい。ロンも蒼玉の意見に乗って話がまとまろうとした時、黒猫が遠慮がちに声をかけてきた。

「わかっていることだとは思いますが、他の方が見つけたり退治したりしたら、報酬はもらえません。競争になりますが、それでもいいですか?」

 そういうものは、前の俺には手を出せなかった。でも、他の依頼は女の子向きではないし、やってみたい。

「いいんじゃない? 今はお金もそれなりにあるし、ハズレでも何とかなるって」

 レイナの意見に蒼玉がうなづいて、それで決まった。俺たちも居場所探しの依頼書を一枚取って、列に並んだ。

 湖の辺りにいることは、リザード退治をやったことがある俺にはわかっている。だが、広い湖のどこにいるかまでは知らない。その場所取りの競争になるのだろう。

 余計なことは何も聞かない俺にNPCの方が逆に驚いたようだったが、やると決めたのならば早く始めたい。手早く手続きを終わらせてギルドを出て、町を出ようと南へと歩き出した。

「アカツキ!?」

 元どおりの賑わいを見せている大通りを過ぎて南の門へと歩いているところに、叫びのような女の声が耳に入った。

「ふえっ?」

 次の瞬間、黒猫が変な声を上げた。振り向くと、黒猫が女に肩をつかまれて振り向かされて、顔をのぞきこまれていた。

「違う……」

 女はすぐに黒猫を放して、もう俺たちなど目にも入っていないかのように辺りを見回した。誰かを探しているのか。そう思った瞬間、ただ事ではないと直感した。

「あの…」

 黒猫を誰かと間違えるなんてあり得ない。後姿だけでも猫耳フードにマント、さらに腰にいくつも革袋を下げていれば、他の誰かと間違えようなどない。それをわざわざ確かめに来るなんて、普通じゃない。そんな言葉がまとまるより早く、俺は彼女に声をかけていた。

 知らない人からいきなり声をかけられて警戒しているのか、彼女は顔をしかめた。後ろから俺を呼ぶ声がするが、そんな場合ではないだろうと無視する。

「どうかしました…いえ、誰か探しているのですか?」

 俺は努めて柔らかく声をかける。こういう時に真っすぐ目線を合わせられるのは辛いかと思い、わざと目は合わせない。

「アカツキが…私の子供が、いなくなったんです…」

 一呼吸おいて、彼女は答えてくれた。

「それが、こいつと同じくらいの背格好なのですか」

 黒猫を目で指すと、彼女は首を縦に振った。そんな年の子がいるようには見えなかったので少し驚いたが、そんな場合ではない。

「いつ頃から?」

「朝、市場で買い物をしている時、二人で来ていて私があの子を外で待たせて店に入っている間に。それからずっと探しているのですが……」

 肩で息をしている彼女に、間違えられた黒猫が水筒を差し出した。本当にずっと探し回っていたのだろう、彼女は喉を鳴らしながら水を飲んでいた。

「警備隊には行きましたか?」

 水筒を返してもらってから、黒猫がそう聞いた。

「はい。ですが知らないって言われてずっと探して…」

 ずっと緊張していたのが切れたのか、彼女は肩を震わせだした。

 一緒に探そうと言おうとして後ろを振り向くと、三人とも俺が何かを言う前にうなづいた。仕方ないなとでも言いたげな苦笑いを、二人ほど浮かべていた。

「俺たちも一緒に探します。こいつと同じくらいの男の子ですね」

「あの…どうして……?」

 初めて彼女がすがるように俺に目を合わせる。だが、どうしてと聞かれても俺にも答えられない。そうしなければならないと思っただけだ。

「何か、放っておけなくてね。いい?」

 口ごもった俺の代わりに、レイナが適当に答えてくれた。

「お願いします…!」

「それで、珠季と間違えたってことは、その子も黒い服なの?」

 彼女はまた首を縦に振った。だってさ、とレイナは俺の肩を叩いた。

 短い相談の結果、二手に分かれてその子を探すことにする。レイナとロンは背格好を説明しやすいからと言って黒猫を引っ張っていき、彼女には俺と蒼玉がつくことになった。日が中天に達する頃に例の宿の前に集まると決めて、別々に行動を開始した。

 しかし何の手がかりもない。俺たちは彼女が買い物をしていたという店に戻った。

 野菜を売っているその店は、人が少なく、物も少なかった。リザード騒ぎのために品薄で、そのため朝には人が殺到していたという。

「混んでいたから外で待たせていたのですが、こんなことなら無理してでも中まで連れていけばよかった……」

 もしも黒猫が俺の買い物に付き合ってくれて、行った店が混んでいたら、俺もきっと黒猫を外で待たせると思う。だからそれが間違いだったなどとは思えない。

 肩を落とす彼女に、俺も蒼玉も何も言うことができなかった。店の人に聞いてみても、外のことなど見ている余裕はなかったと答えるだけだった。

 その前に行っていた店、後に行くつもりだった店に行ってみても、それらしい子供を見た店員はいなかった。

「家には戻っていないのですか?」

 蒼玉の問いに彼女は首を横に振ったが、それでも蒼玉はもう一度行ってみようと言う。道をたどりながら三人とも周りを見回したのだが、それらしい子供は見当たらなかった。そして家にも戻っておらず、中には誰もいなかった。

 警備隊にももう一度行ってみたが、やはり手がかりはなかった。昨日今日とリザードは町を攻撃していないが、それでも町の外は危険だろうということで、それぞれの門にはすでに伝えてあるという。

 それで何の話もないのならば、町の外まで行ってしまったということはまずないだろう。だがこの町は人一人を探すのには広く、簡単に見つかるものではない。警備隊にはもう一度頼むだけ頼んで、俺たちは大通りへと歩いた。

 何の進展もないまま、時間だけが過ぎてしまう。汗がにじみ、手で拭う。見上げると日はもう中天に届こうとしていた。黒猫たちは、何か見つけてくれているだろうか。

「一度、合流します」

 ずっと歩き続けてくたびれているのだろう。彼女は無言で首を縦に振っただけだった。

 宿は南北に通っている道沿いにあって、道は遮られることなく日差しに照りつけられている。彼女と蒼玉には路地の日陰に入ってもらい、俺は一人で黒猫たちを待った。だが黒猫たちはその路地から来たらしく、逆に俺が向こうから呼ばれたのだった。

 こちらは何の手がかりもなかったことはすでに伝わっていて、俺が来るのを待っていたようにすぐにロンが口を開いた。

 それらしい男の子が男に連れられて急いで路地を走っていったのを見た人がいたという。それで黒猫たちはずっと他に見ている人がいないかを路地で探していたのだった。

「そこへ連れていってください」

「何か、心当たりがあるの?」

 つかみかかるような勢いでロンに食ってかかった彼女を、横からレイナが止めた。

「ありませんが…でも……」

 やっと見つけたわずかな手がかりに、飛びつきたくなるのはもっともだろう。話の続きは移動してからということで、俺たちは路地を入っていった。

 ロンが聞いた話によれば東西に延びる大通りから北に入っていったとのことで、三人はその路地を大通りから奥へと探して歩いていた。しかし男の子は見つからず、他に見覚えのある人にも会えなかったという。

「ここは……?」

 最後尾を歩いていた蒼玉が、いくつかめの角で足を止めて小さくつぶやいた。右の方向、南北の大通りの方を見ているが、それらしい男の子は見当たらない。

「どうした?」

 声をかけても蒼玉は何も言わず、手招きをした。

「あの方には話しづらいことなのですが、皆さんに相談したくて」

 小声でも蒼玉の話し方ははっきりとしていて、望ましくない確信があるかのようだ。

「でもここで俺たちだけで内緒話というのも、あの人を不安にさせるだけだ」

 横目で彼女を見ると、やはり気にしている様子だ。隠しておくのには無理がある。

「そうですね……、想像であの方を苦しめることになってしまいますが…」

「仕方がない。話してくれ」

 蒼玉が俺の目を真っすぐ見てうなづいたのを受けて、俺はみんなを呼んで大きな家の壁へと寄った。

「ここに何かがあるのですか…?」

 蒼玉が口を開く前に、彼女は恐る恐る聞いてきた。何も見つかっていない、何も聞いていないのに隣で小声で話をされては、不安をかきたてられるのも仕方がない。

「これは私の想像です。よくない想像ですが、当たっているとは限りません」

 そう前置きして蒼玉が話し始めたのは、俺たちが彼女と出会う前、今朝のことだった。

 人さらいを捕まえるから手伝えと言ってきた男たちと会ったのが、この東西に延びている路地だという。ちゃんとした手続きを拒んだことでまともな話ではないとわかったのだが、

「あの人たち自身が人さらいだったとしたら、」

 俺の隣で彼女が声もなくびくっと震えた。

「私たちに見張らせておいてその裏で自分たちが何かをするつもりだったのかもしれないと、思ったのです」

 その場所が、男の子が走っていくのを見たという話の路地と俺たちが怪しい男に会った路地が交差するここかもしれないというのが、蒼玉の推測だった。

「そんな……どうして……」

「それはわかりませんし、それ以前に想像にすぎません」

 蒼玉のはっきりした物言いに、彼女は打ちのめされてしまったようだった。蒼玉にもそれはわかっていて、辛そうに眉根を寄せて、それきり口を閉じる。

「今は他に手がかりがありません。想像でも、試してみようと思います」

 彼女は口を小さく開閉させたがそれは言葉にはならず、首を小刻みに縦に振っただけだった。

 静かな路地にたたずむこの大きな家、まずはこの家の人に会おう。いちばん近くにいたロンが、家の扉を叩いた。

 待っても誰も出てこない。待ちきれなくなったロンが、今度は握ったこぶしで激しく何度も扉を叩いた。

「何だよいったい…」

 そんなぼやく声とともに、中から扉が開けられた。服装は違うが、顔には見覚えがあった。気だるそうにしていたその顔が、一瞬で驚きに染められる。

「お前っ!」

 ロンが怒鳴って扉をつかもうとしたが、一瞬早く向こうから閉められてしまった。内側から閉められていて、押しても引いても叩いても開かない。その向こうから、乱暴な足音が聞こえてくる。

「アキトさん、裏!」

「ああ、こっちは任せる!」

 ロンたちに一言投げ捨てて、俺は家の裏へと駆け出した黒猫を追って走った。

 中から聞こえる音は激しさを増している。何が起こっているのかはわからないが、何かがあることだけは間違いない。足音や何かがぶつかるような音の中にくぐもった悲鳴のような声が聞こえたような気がしたが、ごちゃごちゃすぎてわからない。

 俺たちが裏口につくのと、中から男たちが出てくるのが、同時だった。やはり今朝会った男たちだ。

「こいつくらいの男の子を知らない…!?」

 目はそらさず、指で隣の黒猫を指して男たちに問う。だが俺の問いの言葉は、目に映ったものへの驚きに途切れてしまった。後ろにいる一人の服に、浴びたように血がついている。

「探し物は中だぜ!」

 その隙を逃さず、先頭の男が俺に体当たりをかけてきた。よろめいた俺を黒猫が支える。その間に男たちは逃げてしまった。

「追いますか?」

「いや中だ! お前も来い!」

 最悪の想像に目の前が暗くなりそうだったが、振り切るように俺は黒猫の手を引いて家の中に飛び込んだ。

 だがそこで俺が見たものは、確かに現実であった。

 蹴倒されたように散らかった部屋に、血だまりが、あった。

 そしてその真ん中には、口をふさがれた男の子が、倒れていた。

「おい!!」

 血で汚れるなんて考えもせずに、俺は男の子を抱き起して、揺さぶった。

 だが、返事はない。口どころか、体のどこも、ぴくりとも動かない。

「黒猫!」

 傷を、この傷を今すぐ治さなければ。

 黒猫が男の子に触れる。だが、それだけだった。

「黒猫っ!!」

 今この子を助けられるのはお前しかいないんだ。

 声の限り叫んだが、黒猫は力なく首を横に振っただけだった。

 木が壊れるような音がして、ロンたちが飛び込んできた。しかしその光景に息をのみ、立ち止まってしまう。

「アカツキ!!」

 ロンたちを押しのけて彼女が駆け込み、俺から男の子の体をひったくった。

 口をふさいでいた布を取り、激しく揺さぶり、頬を叩き、何度も名前を呼ぶ。

 しかしそれはもう、アカツキという人ではなかった。

 男の子を起こそうとする激しい動きが止まり、手を離された人形のようにがっくりとうなだれる。

 慟哭―――

 腕の中にあるものを強く抱きしめて、彼女はいつ果てるともなく泣き叫び続ける。

 こんなに悲痛な音を、俺は聞いたことがなかった。

 違う、そんな他人事なんかじゃない。俺がそうさせたのだ。

「すみませんでした……すみませんでした……」

 うずくまって今さら何の意味もない言葉を繰り返す。そんなものが彼女に届くはずがない。でも俺にはそれしかできなかった。それ以外に何も考えられなかった。こんなことなんか、何にもならないのに。

 複数の足音がして床がきしんだ。ふと顔を上げると、警備隊の姿があった。騒ぎを聞きつけてきたという。ロンたちが応対しているのを、俺はぼーっと見ていた。

 腰につけていた剣を抜かれた時も、何をされているのかわからなくて、されるがままだった。それが返されても、どうするともなくただ剣を見つめる。

「しまえよ」

 ロンに言われて初めてそうしなければならないことに気がついた。剣を鞘に納める。その隣で、警備隊が彼女に話しかけていた。

 やがて話は終わったらしく、何人かが彼女を助け起こして出ていった。そして俺たちも、家を調べるからと言って追い出されたらしい。いつの間にか、家の前にいた。

 誰も何も言わない。耳に入る音は、警備隊が家の中を調べているような物音だけだ。

 どうすればよかったのか。どうすれば……誰か教えてほしい。それだけが頭の中をぐるぐる回る。

「ちょっとアキトさんと二人きりにさせてください」

 黒猫が俺の手を引っ張った。

 黒猫…お前ならば、俺を救ってくれる。すがるように、引かれた手を握り返した。

 引かれるまま連れていかれたのは、家の裏側だった。そこで手を振りほどかれる。どうして…

 最後の望みが絶たれて、俺はその場に崩れ落ちた。

「立ちなさい」

 上から冷たい声が降ってくる。顔を上げても、フードの陰に隠れて黒猫の顔が見えない。

「立ちなさい!」

 今度は叩きつけるように言ってきた。なんでそんなことを言うんだ。

「大丈夫だって、言ってくれないのかよ……」

「言ってほしいですか?」

 冷たく叩き斬られる。

 黒猫が大丈夫だって言ってくれれば……、本当にそうなのか?

「言ってほしいのなら、何度だって言ってあげます」

 今黒猫が大丈夫だって言ってくれたところで、俺は本当にそう思えるのか。

 違う、俺はそれを受け入れられない。何を言ってるのかと、きっと言ってしまう。

 そんな自分が情けなくて、顔を上げてさえいられなくてうつむいてしまう。

「ぼくたちはまだ生きているんです。生きている限り、立って、歩かなければいけないんです」

 黒猫の声が、震えた。それはほんのわずかだったが、俺には激しすぎる衝撃だった。

 俺は何をやっているんだ。あんなことになった上に、さらに黒猫にこんなことをさせてしまった。

 もう二度と黒猫が傷つかないようにって決めたばかりなのに、また俺が、黒猫を傷つけた。

 黒猫の両のこぶしが強く握りしめられている。黒猫の方こそ崩れてしまいそうなくらい辛いだろうに、俺のために冷たく見せ続けているのだ。

 俺はダメだ。結局俺は黒猫を傷つけるしかできないんだ。そんな俺がいたら、みんなダメになってしまう。

 だから俺は立とう。立って、今やらなければいけないことをやろう。立ち上がった俺を、黒猫が見上げた。その顔に表情は、なかった。

「行こう」

 それだけ言って歩き出した俺に、今度は黒猫が黙って半歩後ろをついてきた。

 蒼玉たちは小声で何かを話しているようだった。

「よう」

 戻ってきた俺に、ロンがためらいがちに声をかけてきた。

 やらなければいけないことだけをやる。俺はロンに返事もせず、話をしていたことも無視して、口を開いた。

「こんなことになってしまって、悪かった」

 ありったけの力で感情を抑えて、ただ、声を出す。誰かが何かを言っていたが、それも無視する。

「もう俺と一緒なのも嫌になったと思う。だから、ここでパーティを解散する」

 これが、俺が今やらなければいけないこと。

「おい珠季! お前こいつに何吹きこんだ!!」

 ロンは、何を言っても反応を返さない俺ではなく、黒猫の胸ぐらをつかんで怒鳴りつけた。黒猫は返事をせず、ロンの顔さえ見ない。

「やめろ。黒猫は悪くない」

「あり得ねえ。お前がいきなりそんなこと言うなんて、こいつがそうさせた以外あり得ねえ!」

 激高したロンが黒猫をさらに引きずり寄せる。黒猫は抵抗しない。

「頼む。頼むから、やめてくれ」

 俺は強引にロンの手を上から押さえた。それでようやく、ロンは手を放してくれる。

「じゃあ答えろ。なんでだ」

 つかみかかりはしないものの、そうしているかのような勢いでロンが俺をにらみつける。

「俺自身が嫌になったんだ、こんな俺と一緒なのが。そんなのにみんなを付き合わせられない」

「意味がわかんねえよ」

 そうだとしたら、それも俺がこんなだからだ。こんな俺だから、納得してもらうことなんかできなくて、黙り込んでしまう。

「うーん……、じゃあ整理してみようか。なんであんたがあたしたちに謝るの?」

 険悪な雰囲気をなだめるように、レイナが横から入ってきた。なんでと言われても、俺のせいに決まっている。

 だがレイナは俺が答えるまでいつまでも待つつもりらしく、じっと俺を見つめたままでいる。何を言っても空々しいが、何かを言わなければいけないのか。

「なんでって…だってこれは、俺が首を突っ込んだから……」

「もしあたしたちがいなかったらあの子は助かってた? あの時もう連れ去られてたのに?」

 どうにかしぼり出した言葉を、レイナは即座に押しつぶした。そしてまた、俺の返事を待つ構えを見せる。どうしてそんな、傷口をえぐるようなことをするんだ。

「無理やりなことをしたからそれで自棄を起こした。警備隊もそう言ってたじゃないか……」

「他に何かできた? あんた一人で助ける方法なんてあった?」

 高圧的なレイナに、怒りが抑えられなかった。

「そんなのわかる訳ない。なんでそんなこと言うんだよ!?」

「決まってるでしょ? あんた一人が悪いなんて、あり得ないからよ」

 わめきたててもレイナが目をそらすことはなかった。その強い目に、逆に俺が気圧されてしまう。

「俺が悪いんだ……。俺のせいであんなことに……、もうあんなのは嫌なんだ……」

 あんなのを見るのも、みんなに見せるのも、絶対に嫌だ。もう触れたくも考えたくもなくて、俺は首を横に振り続けた。

 黒猫が手を伸ばす。だがそれを蒼玉が止めるのが見えて、俺はそこで首を止めた。

「アキトさんの言うとおりにしましょう」

 黒猫の手を放して、蒼玉は静かにそう言った。だがその目は、射貫くように俺の目を真っすぐ見ていて、俺の意をくんで言ってくれたようではない。

「なんで!?」

「今無理をして一緒にいても、きっとうまくいきません」

 ロンの大声にも動じず、俺の目を見たままで蒼玉は答えた。俺はそんな真っすぐではいられない。だから視線を外してしまう。小さなため息が哀しげな音で聞こえて、それからは沈黙に包まれた。

「それはそれで後悔すると思うんだよね。蒼玉、あんたも」

 レイナが蒼玉の肩に手を置いて、やっと視線はそれた。真っすぐなものを受け止められなくて辛くて、だから外れたことにほっとしてしまう。

 その蒼玉の目も、力なくレイナの胸元に降ろされている。そんな蒼玉の肩を、レイナはそっと二度叩いた。

「きっとみんな落ち着く時間が必要なんだよ。だから、今はお休みってのはどうかな」

「時間なんて関係ない。俺が俺なのは変わらない」

「そういうの」

 レイナはキッと俺の顔を指差した。鼻先に指を突きつけられて、俺の言葉は止められる。

「あのさ、あたしだって今辛いんだよ。みんなもそう。なのにあんた一人だけ嫌とか言うの、わがままだと思わない?」

 息が詰まった。突きつけられた指が降ろされてやっと呼吸が戻って、俺は肩で大きく息をついた。

 そんなこともわからなかったなんて、やっぱり俺はダメだ。

「だから今はお休み。30日後にまた会おう」

 レイナが、多分作って明るく言った声に、蒼玉がうなづいた。それは渋々のようでもあり、救われたような顔にも見えた。ロンも無言でそれに続く。

 黒猫はいいとも悪いとも言わず、俺を見上げた。

「みんな辛いのさえわからなかったなんて、やっぱり俺は、」

「そういうのも、その時聞くから。その時まだそう言うなら、しょうがない諦めるよ」

 それだけ言うと、レイナはくるりと背中を向けた。だがすぐに、首だけで振り返った。

「場所は…ここじゃちょっとだね。セントラルグランのギルドにしよう」

 俺の返事も聞かずに歩きだしてしまった。慌てたようにロンがその後を追っていく後姿を、俺は茫然と見ていた。

「30日後、待っていますから。絶対、待っていますから」

 そんな俺に愛想を尽かしたのか、蒼玉も行ってしまう。違う。みんな俺に好意を向けて、今はそっとしておいてくれているのだ。

「ああ」

 俺はせめて、声が届かなくなる前に返事を返した。蒼玉が立ち止まって振り返る。口を開きかけたが言葉はなく、ひとつ軽くうなづいて、レイナたちとは別の方角へと去っていった。

 残っているのは、俺と黒猫だけだ。黒猫も、去っていく三人をただ見送っているだけだった。何も考えられないのか、その横顔からは表情が消えている。

「お前も、行ってくれ」

 俺の一言で、表情が戻った。がば、と俺に向き直り、驚愕を浮かべる。

「どうして……!?」

 黒猫が俺を見上げながら詰め寄る。手を伸ばしてきたが、俺は一歩引いて逃げた。今はその手に触れたくない。

「お前がいたら、俺はお前に甘えちまう。それは、ダメだ」

「いいじゃないですか、ぼくたちは仲間なんです。仲間なんだから甘えたっていいんです」

 ああ、さっきの冷たかったのは嘘だったんだなと、その切羽詰まったような声でわかってしまう。

「俺が、俺だけがお前に甘える。それだけなのは仲間じゃない。ただの甘えだ」

 お前といたら、俺はまたお前を傷つけてしまう。

「レイナさんだって言ってたでしょ? そういう時もあるんです」

 黒猫がまた俺の袖をつかもうと腕を伸ばした。今度は後ろに下がれず、手首をつかまれてしまう。その手の暖かさに、とろけそうになってしまう。それはダメだ。

「頼む。頼むから、行ってくれ……」

 乱暴に黒猫の手を振り払って、顔をそむけた。返事は、ない。だが立ち去る足音もしない。

 頼むから行ってほしい。お前がいたら、今すぐにでも甘えたくて仕方がなくなってしまう。それでお前が傷つくのを見るのは、もう嫌なんだ。

 それなのに、俺が先に離れることはできない。頼む黒猫、お前が先に行ってほしい。その姿を見ないように強く目をつむって、そう願う。

「わかりました…」

 どれくらいそうしていただろうか。ぽつりと声がして、遠ざかる足音がした。残っていた温もりが、緩い風に払われて消える。

 目を見開いて後姿を見てしまう。呼んでしまいそうになる声を抑えるのが、駆けだしたくなる足を地面に縛りつけておくのが、やっとだった。黒い影は、通りを左に曲がって見えなくなる。

 立ってさえいられなくて、がくりとその場にかがみこむ。膝を抱えて、そこに顔をうずめる。何かを思うことさえ、もう疲れた。

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