『落ちた放何故崩無』
005
で、当然ながらに物語もとい私の人生はここで終わったりはしなかった。そんな私ではない。
悪運強くそして結果的には「ここで死ねば楽だった」を繰り返してきた私である。自殺はできない。
『二分の一』の私は死ぬことに超抵抗あるように出来ている。
そして私は今テレビ塔が崩壊し、死にかけたし、今もなお死にかけていると言ってもいい。
現在進行形である。
精神は安定している。思い切り叫んだのでスッキリしている。あの豆知識は効果あるらしい。
まぁでもこんな肉体的に死にかけているのによくスッキリしていられると私でも思う。
倒れる際に高速に落ちてくる瓦礫や石の雨に殴られ続けたりした。
それだけで十分に身体に影響が出る。これだけでも泣き出したいだろう。その上に倒れた衝撃やその衝撃によって建物が出した瓦礫などでもう言わずもがなボロボロである。
それでもまだ生きている。死んでいてもおかしくない。
いや、寧ろ生きているほうがおかしいのかもしれない。
90m下に落下きたのだ。
恐ろしいほどに悪運が強い。
その私は思わず
「フフッ…」
鼻で笑った。
仰向けで大の字で。
目は死んでいる。
そして何故かふと思い出した。別に思い出す必要もないだろう。交通事故のこと。ちょっと思い出しただけだが、説明でもしておこう。
回想。
ガードレールがないところを歩いていた。よくあるとこだ。
有名店の紅茶を飲んで帰宅する最中だった。優雅で贅沢な素晴らしい休日だった。浮かれていた。浮かれていたから気付かなかった訳ではない。でも、気づいた時には遅かった。後ろから衝突されたからね。浮かれていたし、後ろからなら気付かない。で、普通にぶつかった。もう盛大に。5mは飛ばさられた。死んでも不自然ではない。名古屋の街中だったので近くにいた人が119番をしてくれた。そして病院にいった。利医紗ちゃんがいた。治療してもらった。その時「放何故ちゃん何度ここにこれば済むの?」と言われた。
と、そんなことだ。まあ今思い出したのは出来事ではなくて痛みだが。あの時ぶっ飛ばされた痛みよりも痛いなぁ。そう思ったのだ。
痛みでまた別の不幸を思い出すなんて卑屈である。
いや、それを通り越したのかもしれない。
それで鼻で笑ったのかもしれない。
ああ。登るんじゃなかった。これで一宮市まで歩くなんて不可能だ。実質死ぬようなものだと、感じる。
そうだ。額から出血し、全身打撲、全身傷だらけ、右腕はおそらく骨折している。それ以外にもあるだろう。
それでも私は行かなければならない。
死ぬようなことをしなければ生きられないのだ。
だから痛みに耐えることなく体の体力に逆らって無理に立つ。阿保だ。阿呆何故崩無に相応しい。
フラッフラである。
身体の五割以上は真っ赤な私の姿。
血に染まっている。染められている。
ゾンビとか死にぞこないのようだった。
おぼつかない足取りで前進する。
前進する。前進する。力を振り絞って。これでポキポキと骨が折れても構わ無い。もうどこもかしこも折れているのだろうのだから。
しばらく進むと、何十mかな?よく進んだものである。
何やらまた怪しげな人影が見える。
しかし、私にはだいぶ意識も遠のいてぼやけているのでその地点で確認できたかどうかはわから無い。
人影が迫る。迫ってくる。
私にもはっきりとよく確認できる距離まで詰められる。
顚沛流浪の私に。
そしてその人物は
「崩無ちゃん?」
そう発言した。
嗚呼。私がよくは知らないが、よく知る人物である。
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