『人生は唐突の連続であると言える』
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問3.ヒントが与えられる。だが、自分には理解できない場合どうすれば良いのだろうか?
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「出会い」は唐突。
「別れ」も唐突。
「再会」もまた唐突である。
人生は唐突の連続だとも言える。
予測不可能であるからこそ面白いと捉えることも出来るし、予測不可能であるから不安と恐怖で毎日毎日脅かされているとも捉えることができる。
一番最初に述べた3つの中の2つは一部予測しようと思えば出来るものがあるだろうと考える。
でも、一つ。一切予測不可能であると感じるのは「出会い」だ。暴論もこじつけも効かないくらいにだ。
「出会い」と言うのは始まりなのだ。
出会わなければ始まらない。何もだ。
この世にいる人間は約70億人ほどだ。大分減ったけど。
そのうち人生でなんらかの接点を持つのが3万人。
学校、仕事などを通じ、近しい関係になるのが3千人。
親しい会話ができる関係が300人。
友達と呼べる関係が30人。
親友と呼べるのが3人。
親しい関係になっている人物ほど丁度10分の一づつ減ってゆく。
これには様々な説があるが、以上の数字が有名だ。
一生の中で出会う人は世界人口のうちたった0.0004%であり、ほんの一握りでしかない。九蓮宝燈と言う麻雀の役の出現率と同じくらいである。
以上のことを述べなくても良く考えれば「出会い」とは奇跡的であると言える。
日々奇跡を生きてしまっているのでそれは当たり前となり、それは奇跡ではなくなった。奇跡は有難いものではないと。奇跡と認識されなくなった。あまりにも身近にありすぎた。
当たり前化が進んだ。
もうこれが現状であって人間は今よりも幸福でありたいと願う憐れな生き物だから余計に。まぁそういうものだ。
強制的に幸福や奇跡を感じさせたいのであれば、一度地獄の様な苦しみを感じてもらうしかない。そうすると、以前の自分はこんなにも幸せだったのかと認識してくれる。
相対的幸福。
本当はそれでしか人間は幸せになれないのかもしれない。
比べないと、比較的にならないと、幸せになれないのかもしれない。
そしてそれを「出会い」と「別れ」に置き換えた場合「出会い」は幸福。それと対となす「別れ」というのは不幸だろう。
では今の私の状況はどうだろう。
「別れ」と言う言葉がもっとも相応しいと思うのだ。
「円死光」により両親、親友、担任、奴張子碧南、言言言言乃波、その他クラスメイト、その他名古屋市民。
それらは簡単で無慈悲な言い方ではあるがみんな死んだ。1人残らず死亡した。
そしてその中には自分は入っていなかった。
死んでいなかった。
自分が死ななければ「別れ」というのは必然的に発生する。
もしも「円死光」で死ねたなら「別れ」と言う不幸はなかったのに。そもそも致死率100%で死ななかったのが可笑しな話なのだが。
まぁこれはなんとも予測不可能である。例外があまりにも多すぎる。論にもなら無いかもしれ無い。
じゃあもう最初に述べたことがもう崩壊している。
いや、悪あがきをするならば無理矢理でも予測出来るものは存在する。
高校の卒業式。寿命。友人の転校。
これらは元来決められていたもの、科学の発展により手に入れた情報、純粋な情報である。
と、上記の様なことが言える。
ともあれ「別れ」が不幸であると感じるのは情報不足による混乱であると言うことが言える。
知ってしまえば勿論悲しい限りであるが、今日や明日急に「別れ」を告げられてしまうよりは幾らましである。
急な「別れ」は戸惑い、そして嫌であると言う気持ちが先行してしまう。
快く送ってあげられなくなる。
そうしたら自分にも相手にも心残りができてしまう。
一生会わなければ永久に引っかかることになる。
では、「別れ」があると言う情報を事前に知っていればどうだっただろう。
まず、悲しみが軽減される。
覚悟する時間、猶予が与えられる。
覚悟がついたら快く送ってあげられる。
「別れ」と言うのは告げるのは怖くても、告げなければならない。自分のためにも相手のためにも。
それでも皆は誰かを傷つけ無いために「別れ」を隠す。
告げられていたなら心構えもできたかもしれ無い。予測もできたかもしれ無い。でも、こんなのは予測出来る範疇で、皆ができない様無意識に妨害している。それだけなのだ。
矢張りそれだけしか予測などでき無い。先程語った様に「円死光」。災害ならなんでもいいか。その被災者たちなんて「別れ」なんてもの告げる暇なんてなかった。
もう消えてなくなった。
私が予測出来ると言った「別れ」はあれだ。「再会」が出来る「別れ」なのだ。
「再会」など会おうとしてするものの方が王道、常識的なパターンである。ほとんどの人間がそうか。
必然的である。
だが矢張り必然があれば偶発があるのだ。当然と言えば当然だ。
だからはなからあの3つの中で予測出来るものはなかったのかもしれ無い。
「出会い」は唐突。
「別れ」も唐突。
「再会」もまた唐突である。
「出会い」そして「別れ」。
それは誰しもが経験する極々当たり前のこと。
当たり前のことだし、何度も経験する。
だが「再会」はそう何度もあるとは限ら無い。
もう二度としてないかもしれ無い。
だったら偶発的な「再会」はこの上なく奇跡だと感じる。
それがこの大惨事に巻き込まれた私の元に降り注いできたのだからこの上なく警戒するしかないのだ。
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