第一章 04.『リスタート』
「うっ……うぅ……」
目が覚めると、そこには見知らぬ天井――があった。
知らない天井があっただけ一歩前進かなのか、知らない事が増えたのだから寧ろ後退したのか……悩ましいところだが、考えるのはまたの機会にしよう。なぜなら――、
ダルい。
頭が重い。
全身が痛い。
目覚めた後も残る痛烈な不調が、あの出来事が夢だったのか、はたまた現実だったのかを教えてくれた。
身体がほとんど動かないので、周りを確認し難い。
けど、なんとなく状況はわかる。
薬草をゴリゴリと砕く薬研の音。
ポコポコと小気味いい音を鳴らして沸騰するフラスコ。
室内なのに、雲の上に居るかのような澄んだ空気。
気持ちだけでも軽くならないものかと深呼吸してみれば、僅かに感じる優しく甘い香り。
安らぎに誘われるように顔を向け、その先でローブに身を包んだ人物を見つけて改めて思う。
生涯味わうことがないだろう痛みと恐怖。
忘れられるものなら忘れてしまいたい経験をした。でも、
「夢じゃなくて良かった」
「夢だった方が良いくらいの怪我だったんですよ?」
あの時聞いた鈴の音を転がしたような美しい声。
街角で聞こえれば誰もが振り向いてしまうその美声に勝るとも劣らない輝くような白髪の美少女。
薬草を挽く手を止め、木製の質素な椅子にちょこんと座った妖精は、困ったような呆れたような顔で振り向いた。
その空とも海とも言えない複雑な青の瞳が心配そうに揺れていた。
「アレが夢なら俺は今すぐ寝るよ。どんなに怖い夢でも、君ともっと話がしたいから」
「素敵な言い回しですね。でも気をつけてくださいね。私は同年代の異性とお話した経験が少ないので、勘違いしてしまうかもしれませんよ?」
頬をほんのり朱に染め、羊皮紙で顔の下半分を隠しての上目遣い。
狙ってないなら最高です。狙ってるならあざとすぎるがしかし狙われたという事なので最高です。
ではなくてだ、異性とまともに話した事がないのは俺も変わらない。
ハリウッドスターでも息を呑みそうなお伽の国の妖精が、こんな何処にでもいるような男になんて、そういうのは意中の相手にやるべきで、そうじゃないと俺みたいな奴は勘違いしてしまうわけで。
あまりの破壊力にガチガチに固まってしばらく見惚れて――もとい、凝視してしまう。
「ごめんなさい。変なことを言ってしまいました……先ほどの言葉は忘れて下さい」
さっきまで見えていた妖精の可愛らしいテレ顔は完全に隠れてしまい、羊皮紙の向こうから聞こえた声には哀しみの色が滲んでいた。
大和 枢はどちらかと言うと童顔だ。
あまり他人に怖がられたりする顔ではないが、会話の流れで口を真一文字にして、なおかつ目を見開いて固まれば、誰だって「何か変なこと言ったかな?」と勘違いするだろう。
思い当たる節があるなら尚更だ。
話したいと思っていたのに、このままじゃ話が終わってしまう。
そして多分、今後二度と話したいなんて思ってもらえない。
それは嫌だ! 嫌すぎる!
この辛辣な世界で出会えた唯一の安らぎを失うわけにはいかない!
一世一代、大和 枢の渾身の言い訳が始まる。
「ちっ、違うんだ! 想いが本当なら、きっと伝わるというか! 勘違いはさせないというか! 結果はわからないけど? だから、えっと、つまり、君のことが知りたいんだ!」
元々口が巧いわけじゃない。
異性相手となれば尚更だ。
だというのに、こんな場面をスマートに切り抜ける言葉なんて思いつく訳もない。
何とか弁明するも、早口だし、慌てているしで、正直、自分でも何を言っているのかよくわからない。
「――……、……はい」
永遠と思えるだけの長い間が空いた後、くぐもったか細い返答が帰ってきた。
拒否や拒絶の意は感じられなかったので、多分だか誤解は解けたんだと思う。
それなのに何故か、カナメの目には両手で掴まれた羊皮紙しか見えない。
「あのー……なぜお顔をお隠しのままなんでしょうか……?」
「お話もします。質問にも答えます。だから、その、もう少しこのままでお願いします……」
ゴニョゴニョと話す白髪の少女。
こっちが勝手に誤解は解けたと勘違いしているだけで、実はダメだった?
ちょっと様子を見てみたが、残念ながら羊皮紙の裏にお隠れになってしまった太陽が昇ってくる事はなかった。
さて、そうなればこちらから声をかけなければ事は進展しそうにない。
あの森の時と同じだ。自分から動かねば何も変わらないのだ。
では何から質問するべきか?
一番知りたいことと、一番聞きたいことと。
一応もう一つあるが、それはこの子に聞く話じゃない。
枢も男だ。迷うことなく質問する内容を決める。
「えっと、それじゃあ自己紹介から始めないか? 俺は大和 枢。一応だけど、枢が名前ね」
「え? 家名が先なんですか?」
しばらくは出てこないと思った顔があっさり出てきた。
机の上の道具や、あちこちまとめられた羊皮紙の束を見てもそうだが、知的好奇心が強いタイプなのだろうか。
「やっぱりな」
日本で名前の順序なんて気にする人なんていない。仮に他国の人に名乗ったとしても国が違うと相手方が分かってくれるはずだ。
「やっぱり?」
「こっちの話。多分、俺ここの文化を知らないと思うから色々教えて欲しいんだけどー……」
「失礼いたしました。私はセフィリアと申します。家名はございません」
椅子に座るのをやめ、素早い所作で傅くセフィリアと名乗った少女。
その恭しいくも淡々とした自己紹介に、打ち解けかけていた空気は一瞬にして霧散し、冷たく固い隔たりが生まれた。
一体何が二人の間を隔てたのかわからない枢は目を丸くしながらも、その理由を少女に尋ねる。
「えっと、急にどうしたの? そしてなぜに敬語?」
「家名があるのは貴族様や尊い方々ですから、失礼がないようにと……?」
「あー、俺の家名は歴史ある名家とかじゃなくて、一般市民の出というか、とにかく貴族でも尊い方々でもないから、同年代として普通に接してくれると嬉しい……えっと、セフィリアさん?」
初対面の女の子相手に名前呼びなんてしたことない枢は、名前しかない美少女をどう呼んでいいかわからず、尊称+疑問系になってしまった。
「そうだったんですね。なら私のこともセフィリアと呼んでください。同年代として普通にって言ったのはカナメの方ですよ?」
「そうだよな、ごめん。セフィリア」
――こんな美少女と名前を呼び合う日が来るなんて……!
言葉にして改めて恥ずかしくなる。
恥ずかしさで顔を逸らしてしまいそうになるが、ついさっき失敗したことを思い出し何とか微妙に斜めを向くに留まった。
念のため彼女の方をチラッと横目で見てみれば、耳を赤くしたセフィリアがはにかんでいた。
――何この子、可愛い過ぎやしませんかね?
あまりの愛おしさに抱きしめてしまいたくなる。
まぁそんなことしようものなら、次の瞬間したから土槍が飛び出してきそうなのでしないけど。
何より彼女に嫌われたくはない。
非リア充なので過ぎた妄想をしてしまうのは仕方ないとして、いつまでも見とれているわけにはいかない。
何せこのままだとまたセフィリアが羊皮紙の裏に隠れてしまいそうだからだ。
すでに彼女の顔は口元まで隠れてしまっている。
この微笑ましいやり取りが続いてほしい。しかし、ここが異世界である可能性を忘れてはならない。というかほぼ異世界で間違いないと確信している。
だが、やはり他人の口から聞くか聞かないかでは真実の重みが違ってくる。
ここで枢はようやく予てよりの疑問を口にした。
「ところで早速聞きたいことがあるんだけど……ここは日本で良いんだよね?」




