第二章 18.『旅人:助言にどう向き合うか、それは店主次第だった』
「ご迷惑をおかけしました!」
そう言って、カナメとセフィリアが宿を去ろうとしたとき――、
「あーもう! そんな顔されたらこっちが虐めてるみたいじゃないか!」
困ったような、それでいてやけくそ混じりな叫びが二人の足を止めた。
「えっと、そんなつもりじゃ――」
「ギルドの解体場の裏! そこに『死兵の穴倉』って宿がある。野宿の方がマシだって思える最低の宿だけど、少なくとも野盗や衛兵の奴らに手を出されることはないはずだよ」
元居た世界でこんな風に呼び止められた経験がなかったカナメは、怒られでもするのだろうかと思ったのだが、飛び出してきたのは穴倉ならぬ穴場の宿に関する情報だった。
「店主に何か聞かれたら偶然のたまたま近くを通りかかって、仕方なぁーく雨風を凌ごうとして迷い込んだって言うんだよ! くれぐれもウチが教えたなんて言うんじゃないよ!!」
しかも、何だかゲッソリしながら「あ~ぁ、次会ったらどうしよぅ」などと言っているので、割と身を切って絞り出した情報らしい。
「そ・れ・と! また客をとるようになったら借りを返してもらうからね!」
それはもちろん当たり前の当然だ。良くしてもらっておいて何も返さないなどカナメ魂に反する。有難迷惑ならまだしも今回のことはカナメ自身しっかりと恩義を感じているのだから。
「絶対返しに来ます!」
「ありがとうございました」
今はこれくらいしかできないがセフィリアと二人で頭を下げて感謝を伝える。
先ずは穢人を治すことが先決なのでもしかしたらずっと先になってしまうかもしれない。だが例えどれだけ長くなってもこの恩は返しに来ようとカナメは思った。
(旅が終わったらお礼参りだな)
もちろん、ヤンキーが仕返しに行くあれじゃなくてお世話になった人たちへの恩返し巡りのことだ。
「あーもう行った行った! おっかない客が帰って来る前にとっとと行っとくれ!」
顔を赤くしている店員の愛らしい顔を見たあと、二人はちょっぴり不運な宿屋を後にした。
※※※ ※※※ ※※※
――ガコンッ!
カナメたちが宿を離れた少し後、閑散な宿のテーブルに木杯の底が打ちつけられる。
「あーもう! あのネチネチ爺さんにどやされるー!」
誰もいない宿屋に小さな店主の悲痛な叫びが響く。
「はぁ~でもあんな子犬みたいなやつらを蹴って追い出すような真似はできないし……でもどやされるのは嫌だしぃ~!」
ダラダラと泥のような愚痴を吐き出しては、吐いて出来た空白に女は酒を流し込む。
「全部あのおっかない旅人のせいだ! いい加減出て行けってんだ! そぉーだそぉだー!!」
無人の宿で一人二役野次を演じる。
その虚しさすら気にならない、むしろ笑い飛ばせるくらいに調子が上がってきた頃――、
「相応の対価を払ったはずだが?」
聞きなじみのない、しかし、心に刻み込まれている悩みの元凶の声が聞こえた。
「ひぃぃいいい!!」
男とも女ともとれる掴みどころのない声。
知らぬ間に視界に映り込んだ、煌びやかなローブに身を包んだ宿唯一の客。
幽霊でも驚きと共に飛び跳ねそうな現れ方に絶叫した後、次いで訪れたのは恐怖。
Bランクのパーティーを歯牙にもかけず葬るバケモノ――得体のしれない強者の不興を買ってしまったんじゃないかという純粋な怖れ。
言い訳を考えるも、次の瞬間には決闘で敗れていった少なくない猛者たちと同じく、塵のように朽ちながら虚空に吸い込まれる光景が脳裏に浮かぶ。
「い、今のは違うんだ! 本――」
"本当に思ったわけじゃないんだ"
「へ……?」
不意に浮かび上がった宙を漂う文字。すぐ目の前に浮かぶ文字を見て女の背中を冷汗が伝う。
未だ理解の外にいる女をよそに、中空を漂う文字はまた別の言葉へと変わった。
"私が言おうとしたこと……あれ、声に出したっけ? でも"
「――!!?」
紛れもなくたった今考えていたこと。否、読んで初めて、それが自分が無意識のうちに溢しそうになっていた言葉の続きだったと思い知る。
「お前が何を考えていたのか、考えているのか……いや、よそう。頃合いでもある」
カタカタと体が震えだす。
頃合い――頃合いとはなんだ。なんの頃合いだというのか。
嫌な予感がする。隙を作って逃げるか――いや、逃げてもあの悍ましい魔術にやられる。こいつを止めるには一撃で意識を奪う必要がある。
ルーは我知らず、背に隠した仕込み斧に手を伸ばした。
「この場で消えたくないのなら背に忍ばせた得物から手を離したほうがいい。害意は朽ちる様に設定してある。そもそもお前では私を■せない」
終わりだ。敵意を見抜かれた。
この旅人が何を言っているのかわからない。わからないがとにかく終わりだ。
当たり前だ。思考を先回りできる奴が考えてる事を読めないはずがないのだから。
「近いうちに出ていくとしよう。それでだ、店主。助言について答えは出たか?」
ルーにとって幸運だったのは敵意に対する返礼が成されなかったことだ。
いや、そもそも殺す気ならいつでもできるのだ。その気になれば一人でこの都市を、もしかしたら王国さえも。
いやいや考え過ぎだ、王国にはガーディアンがいるのだから。でも、この旅人なら国を壊して逃げるくらいやってのけるかもしれない。
「――」
詰みだ。
旅人の言う事には素直に応じる。それが最も生存の可能性が高い道筋。
「助言って言うのかあれ? まぁいいや、えっと、この都市を出ないと死ぬってやつだよな? そんなこと言われても直ぐに決められるような話じゃないよ……」
「私は直接的にも間接的にも無関係だ。お前の命に興味はない。都市に触れ回れば貴族に間引かれる。友は誰も首を縦には振らなかっただろう?」
「――?」
宿に来た初日にこの旅人の口から聞いた不吉な予言。最初はイカれた客の世迷言だと思ったが、今では信じている――というよりは無視するのが恐ろしいという感覚の方が近いかもしれない。
そもそもなぜ死ぬのだろうか。
口ぶりからして都市が危険に晒されると言っているように聞こえる。だとしたら、この旅人が首謀者か、あるいは手引きしている可能性が高い。
それかやはり『頃合い』というのが都市攻撃の準備のことで、不要になったルーを始末するとかなのだろうか。
(いやだからそれならいつでも出来るんだって! あーわからない! ここは町のみんなに知らせて……クソ! なんでアイツらは誰も話を信じちゃくれないん……だ、よ??)
微妙に噛み合っていない会話だと思っていたが、なんてことはない。
「――はは、頼むからウチの考えを先回りしないでくれ……ほんとに、怖いんだ」
この旅人は目の前にいるルーではなく、ルーの考えに向かって話していたのだ。
「どう考えるかもまた、ズレはなし、か……」
そう言い席を立った旅人は奥の部屋へと消えていく。
旅人が離れた後もルーはしばらくその方向から目を離せなかった。
「なんであんなにおっかないんだよ……」
旅人はもういない。そのことを実感するのに十分過ぎる時間が流れてから、ドサリと椅子にへたり込む。
「あーもう! こんな時は呑もう! 飲んで飲んで、吞みまくって忘れるに限る! じゃなきゃオチオチ眠れやしない!」
ルーは豪快に杯をあおる。
一本、二本と、まともな人が見ればそれだけで気分が悪くなりそうな早さで空の瓶が増える。でも問題ない。止めるものなど誰もいないのだから。
「――んぁれぇ? ったぁーくぅもう空いちまっらのかぁ?」
溶けた視界で瓶底を覗き、回らぬ呂律でこの夜の不思議に物申す。
つい先ほどまで有ったはずの酒たちが、気付けば空になっているのは一体どういう了見なのかと。
「よっこらせーっとぁー」
空いた杯を満たすべく、ふらふらとした足取りで酒蔵へと向かう。
店の蓄えを使って大丈夫なのかと思うかもしれないがそれも問題ない。なぜなら――、
「本当にすっごいれぇ~」
眼前に鎮座するは、地下の一室を丸々埋め尽くすほどの巨大な魔石の原石。
これだけあれば一生遊んで暮らしても一人では到底使い切れないほどの価値がある。
貸し切りにしたいなどとぬかすものだから、吹っ掛けに吹っ掛けてやったのだが、まさか本当に用意できるなんて思っても見なかった。
「むふふ」
この魔石について、あの客からは封を解くなと言われている。魔石の魔力は目立つからと。
ついでに必要になっただけ砕いて使うようにと言付けられているが、今すぐ使う当てなど思いつかないし、封にしたって少し見るくらいなら問題ないはずだ。
「ちろっとくらいならいいよねぇ~?」
あの客は不気味だが金払いだけ見れば神様ではあるのだ。
そう思えば少しは気楽に考えることができた。あの旅人の言付けに立ち向かえるくらいには、
「よいしょっろぉ~!」
ドワーフ製の魔道具のようなものに手を触れ特大魔石の魔力封印を解く。
「うへぇあ~飛んじまいそうらよぉ~」
そのデカさ故か、はたまた例にないくらい高純度だからなのか、封から解放された魔石は内包する魔力を溢れさせ、美しい輝きを放った。
魔力の光は魔石自身に反射して周囲を紫と青の煌めきで彩り、その美しさたるや、まるで富の海にでも浸かっているような幻想を抱かせてくれる。
「と、と、とぉ~こりくらいにしてぃ」
夢の世界を少しだけ堪能した後、魔道具を起動して封をする。
少しと言ったからには少し、あの客の言付けは守るに越したことはないのだ。と、ルーは名残惜しさを振り払い、寂しい口を慰めるため酒蔵の下へと進んで行く。
「あり? こりでさいごらっけ?」
酒蔵から最後のボトルを取り出し、これ今度は曖昧な自分の記憶に疑問を投げかけた。
「う~むぅ」
酒蔵と魔石を交互に見ながらあの客の言付けに思いを馳せる。
本当ならば有事の時までこのままずっと飾っておきたい。しかし酒蔵も寂しくなってきたここらが頃合いだろう。
「明日は酒を買い込むぞぉ~、おっー!!」
空になった酒蔵に声が響いた。
その音は忘れ去られたように消えていく。




